乙女たちの仁義なき戦い

「キ……ッキャ――ァアアアッッ!?」

 朝、まだ眠い目をこすりながら船室から出たキャムは、廊下の奥の暗がりから近づいてくる男に気づいて、発作的な悲鳴を上げた。
「どうしたの、キャム!」
「なになに~?」
 悲鳴を聞きつけた同室の水夫ファルが、慌てて船室から出てくる。料理番のリーチェがそれに続き、二人は口をあんぐり開けたまま硬直しているキャムの視線を追って、同様に絶句した。
「よぉ、朝から元気じゃねぇか、娘っこども」
 男はカチンコチンに凍りついた三人娘に気づくと、陽気に声をかけた。
 男の名は、船管理長スタフィールド。通称スタフ。
 なぜか、全裸である。
「ぬ、ぬぁ……――ぬぁんで、ハダカ!?」
 キャムが動揺しまくった声で問う。答えなど知りたくもなかったが、納得のいく答えのひとつも聞かなければ勘弁ならないという感じである。
「あん? ……」
 スタフはいかにもエロそうな目で、何故かまず最初に股間を見下ろすと、仁王立ちになって誇らしげに笑った。
「でけぇだろ」
「サイテ――!!!!!!!!」
 キャムは即座に答え、声も出ないファルとリーチェにしがみついた。
「ばぁかじゃないの!? 最低最低最低最低、このクソエロ親父――!!」
「何でだよ、キャムゥ」
「キャム」の末尾を「ムゥ」と伸ばしたときに、ぐっと突き出される唇が何だかものすごく腹立たしい。キャムは全身に鳥肌を立たせ、半泣きで叫んだ。
「つーか何で裸なのよ頭おかしいんじゃないの!? 履きなさいよ! パンツ!!」
 スタフはぼりぼりと下の毛を掻きながら、股間にぶら下がるイチモツをしみじみと眺める。
「いいじゃねぇか、今日は非番だしよ。男たるもん、非番の日ぐらいまっ裸で過ごしてぇもんよ。それにこの息子も、いつも脇っちょからポロリじゃ窮屈だろうが? おおそうだ! 俺もダラ金みてぇにあだ名つけるか。チンぶらってのはどうだ? チンぶら」
「う、うわぁ、おじじ、下品……」
「ううう、朝からキッツー……」
「いいかファル、リーチェ。今日から俺はチンぶら管理長だ、我が股間をよーっく崇めたてまつれよ、ほ~うれほれ! ぐはははは!」
 ぶち。
「――もう二度とあたしたちに近づかないでほんと最低ってか掻くな死ね――!!」
 キャムは歯を食いしばって、見事なクレッシェンドで張り叫んだ。

 もはや都市の路地とかによくいる露出狂そのものなスタフから逃れたキャムは、船室に厳重に鍵をかけると、ファルとリーチェを前に、ぶるぶると怒りに震える拳を振りあげた。
「っあんなの、犯罪!! 犯罪ったら、犯罪!! 何がチ、チンぶ……チ……ッ」
「む、無理に言わなくていいから、キャム」
「~~っもう本当、我慢の限界! スタフの奴、いっつもいっつもいっつもいっつも、あれ、絶対狙ってやってるんだから! あたしのお尻いっつも触るし、いっつも下ネタばっかで…ファルのこともいやらしい目で見て……セクハラよー! 船内セクハラなんだからー!! ねぇ、ファル!?」
「ええと……ボクはかまわないんだけど、でもキャム、一番の被害者だもんね」
 ファルはガリガリに痩せた足で胡坐をかき、少年のような顔をあはは……と同情気味に笑わせた。
 今さら説明の必要などないかもしれないが、スタフは船内でも有名なエロ男で、ロリコン男である。キャムやファルのような思春期の少女らは、毎日いやらしい目で見られ、下品な話題でからかわれていた。キャムは特にそうだ。冷静沈着な策士レティクの妹ファルは、物事にあまり動じない性格をしているが、キャムはファルよりも年齢が上なのに、ちょっとしたことでも大騒ぎをする。露出狂にとって何よりの好物は、「キャーッ」とか「最低ー!」とかのリアクションである。それゆえに、キャムはスタフの大のお気に入りなのだった。
 キャムとしては、あんな男が何故、船内の秩序を守る船管理長なんて重要な立場にいるのか、当時、彼をその座に据えたホーバーの脳みそに「中身入ってますかー?」と問いかけてやりたい。
「もう許せない! 海賊は男社会じゃないっつーの! 女を怒らせたら怖いってこと、思い知らせてやる!」
「えー、どうするのどうするの?」
 年齢的にすでにスタフの守備範囲からは外れている二十四歳のリーチェは、スタフが去った今、他人事な無責任さでキャムの復讐宣言に身を乗り出した。
 キャムは「え」と呟き、ファルを見て、リーチェを見る。
「え。えっと、だから。……あ、そうそう、ほら露出狂って、アレ見て「小さ!」とか言うと、ショック受けて逃げてゆくって言うじゃない?」
「……キャム」
 スタフの悪い気に中てられたのか、何やら発言のおかしいキャムに、ファルが遠い目をする。リーチェは膝の上で頬杖をつき、うーん、と思い返すように虚空を見つめた。
「でもスタフ、自信満々なだけあって……」
「こ、こらー! そこ、思い出さないー!」
 キャムは大慌てで、リーチェがぼんやり見つめる辺りを手で掻き回した。しかしファルもリーチェに同感のようで、しみじみと腕を組んでうなずいた。
「おっきいよねぇ、おじじ」
 おじじは、ファルがスタフを呼ぶときの愛称である。
 親友までがそんな調子なので、キャムはついに涙ぐんで寝棚に突っ伏した。
「うわぁん、もうイヤッ! 花の乙女が、なんで男のブツがでかいとかちっさいとか、そういうの知ってなきゃなんないの! おかの女の子たちなんて、そんな知識ないもん!」
 バクスクラッシャーの男どもは、非番の日はよく上半身裸で過ごしている。たまに全裸もいる。小さい頃からそんな環境で育った乙女たちは、ある意味、そういった方面に関して目が肥えているのだ。悲劇である。
「しぼませちゃえば?」
 いきなり、リーチェが物騒なことを言った。
 意味が分からず、キャムは眉を寄せる。
「……は?」
「だーからー、おっきいから、あんなに威張ってるんでしょ? 男の人って」
「う、ん……そうね。知らないけど、そうなんでしょうね。う、ううん、知らないけどね!」
「なら、しぼませちゃえば?」
 あっけらかんととんでもないことを言うリーチェに、キャムとファルは顔を見合わせた。

「う、うわ……な、な、なんですか……!?」
 その日の夜のことである。船内唯一の精霊術士として日頃から地味に活躍している武器保管係の青年フェルカの元に、三名の襲撃者が現れた。襲撃者はハンモックですやすやと眠っていた彼を引きずりおろし、そのまま船室の角っこに追いやると、夜闇の力を借りて威圧感バリバリにフェルカを見下ろした。
「あんたに頼みがあんのよ、フェルカ」
「わ、わ、ご、ごめんなさいもうしませ――……え?」
 襲撃者は明らかに女性の声をしていた。恐怖に縮こまっていたフェルカはおそるおそると目を開け、目の前に立つ三人組がキャムとファル、リーチェであることに気がつくと、ほっと息を吐きだした。
「な、なんだ、キャムたちかぁ……ひゃあ!?」
「なんだとは何よ、なんだとは、んん……?」
 船内一臆病者と言われるフェルカに、「なんだ」扱いされ、キャムは女海賊様なノリで青年の胸倉を掴みあげた。
「ぅううあぁあ、ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「て、静かにしてよ! ほかの連中が起きちゃうでしょ、馬鹿フェルカ……!」
「っもがぁ……!」
 フェルカの口を慌てて塞いだ途端、寝棚やらハンモックで眠っていた同室の船員たちが、一斉に寝言を言いはじめた。「ああ、ユキちゃん大好き…」「明日も筋肉ハッスルだぜ…むにゃ…」「カエル、きっとうまい…脚が特に…」「…ぅああ、スーラさんの、か、海上ラブホ……こわひ…んが」「ラギルちゃん、可愛いのぢゃあ…」。
「……平和な面子ね、ここの部屋」
 何だか基本、愛に満ちた寝言ばかりである。
「それよりぃ、あたしたち、フェルカに頼みたいことがあって来たの」
 キャムに至近距離からじと…っと見つめられたフェルカは、見る影もなく竦みあがった。
「……っな、な、なんです、か?」
「スタフのアレ、しぼませて」
「……――ぇ?」
 単刀直入な要求だったが、単刀直入すぎて伝わらなかったらしい。
 キャムは暗闇でもはっきり分かるぐらい顔を真っ赤にすると、フェルカの胸倉を両手で掴みなおし、ぶらんぶらんっと乱暴にゆさぶった。
「だぁからアレよ、アレ! ――あ、あああんたにもついてんでしょ!?」
「っぇえええ!?」
 それで理解したらしいフェルカは、キャムに負けず劣らず真っ赤になった。
「ア、アアア、アレって、ア、アレって…」
「そう、アレよ、アレ! スタフのアレを魔法でちょちょいっと、しぼませてって言ってんの!」
「……!!!」
 フェルカはあんまりな要求にザッと青ざめ、思わず自分の股間を手で隠した。
「で、できませんできませんできません勘弁してください……っ」
「できるかできないかじゃないの。やるの。あんたはやるの!」
「で、できません、そんなむごいこと――コ、コレが……どんなに大事なものか!!」
「逆らおうっての、フェルカのくせに!?」
 普段は反抗なんて滅多にしない気弱なフェルカが、断固として拒絶をする。よほどアレをしぼませるという行為が、耐えがたい要求だったらしい。
 キャムは眉間に皺を寄せギリリと奥歯を噛みしめると、ふんとフェルカから手を離した。
「あ、そ。じゃあいい。メル博士に頼むから」
 フェルカはぎくりとした。
 キャムは立ち上がり、そんなフェルカを冷たく見下ろす。
「ついでにあんたのも、家庭用高枝バサミで、ちょん切ってもらうから」

 そんな訳で、スタフのいる船室まで忍びこんだ少女らとフェルカである。
 三人は寝棚で大鼾をかきながら眠るスタフを、陰鬱と見下ろしていた。
「ううう、なんてむごい……」
 自分のアレを守るために、スタフのアレを犠牲にすることにしたフェルカは、力なく膝から崩れ落ち、はらはらと涙を流しながらスタフの股間に向かって手を合わせた。ちーん。
「ちょっと。いいから早くしてよ、フェルカ。こ、ここの連中、怖いんだから。ちゃっちゃとしぼめて」
 キャムの怯えきった一言に反応して、寝棚やらハンモックで寝ていた同室の船員たちが、一斉に寝言を言いはじめた。「次こそ殺してやる…ホーバーの野郎…」「…働け…さもなきゃ帆桁から吊るしてやる…」「…縄に縛りつけて、肺から空気なくなるまで竜骨くぐらせんぞ、てめぇ…」「鍋で頭カチ割られたいんですか、あなた…?」
「こわ……!」
 半ば傍観に徹しているリーチェまでが、寝棚に眠るマートン料理長の寝言に恐怖の悲鳴を上げた。もっとも彼女の場合、「鍋で頭カチ割られたいんですか、あなた…」の「あなた」が、どう考えても、彼の部下である自分、つまりゲテ物料理しか作れず、いつもマートン料理長を呆れさせてばかりいる自分のことな気がしたからなのだが。
「わ、分かりました……。ううう、ごめんなさい、管理長。恨むなら、ご自分の大きさを恨んでくださいね……――おいで」
 その呼びかけに答えて、彼の虚空へ差し出した指先にふわりと柔らかな風が巻き起こった。フェルカの長い前髪がかすかに揺れ、神秘的な海の色が船室を冷たく照らし出す。
 風の精霊だ。幻想的なまでに美しい光の粒が、彼の指先に宿った。
「このひとの、……ソレを……しぼませてください」
 幻想的な光の粒に、フェルカが囁きかける。
 何の疑問も感じないらしい精霊は、言われるままにふわりとスタフの股間に飛んでゆくと、そのままズボンの中へと消えていった。
「っごめんなさい、精霊さん……っうわぁああ~ん!」
 死地に旅立つわが子を見送るように、本気で泣きはじめるフェルカ。
 そのあまりに悲壮感漂う背中にファルが貰い泣きをして、労わるようにその肩を叩いた。
「元気出して、フェルカ兄。きっと……きっと無事に帰ってくるよ!」
「ううう……っ、あ、ありがとう、ファル……」
「そうだよ、元気出してフェルカ。君の頑張りはちゃーんと私が見届けたからね」
「リ、リーチェ……!」
 くぅっ。三人は涙に頬を濡らしながら、固い友情で互いの手を握りしめた。
「そ、それで、結果はいつ分かるの?」
 異様なその光景に口を引きつらせながら、キャムは素朴な疑問を投げかけた。
 フェルカは涙を袖でぬぐい、事態に全く気づかず未だ暢気に鼾をかいているスタフの股間をじっと見つめた。
「うまくいっていれば、もう萎んでると思うんですけど。でも、ズボンの上からじゃ分かりませんね……」
「うーん、分かると思ったんだけど……」
 確かに、ズボンで覆われた股間には何の変哲もない。もう少し分かりやすい変化があるなら、ざまぁみろの一言も言えたのだが、見た目、特に変わった様子はない。
「ちょっと小さくなったんじゃないかなぁ?」
「微妙な線ね……」
 じろじろとひとしきり股間を観察した四人は、困った顔で互いを見比べた。
「……脱がす?」
「――えぇええ!」
「だって、脱がすしかないじゃない。確認するには」
「だ、だめですだめです、それはだめです、ズボンから先はプライベートです!」
「っぶ……!」
 フェルカの今度こその必死な抵抗に、思わずキャムは吹き出した。ズボンから先はプライベートです発言が、この状況下で非常に面白かった。
「そ、それにあなたたちは女の子なんだから、そんなことしちゃだめですよ……!」
「だったら、フェルカが見ればいいんじゃん?」
「ひぇえ!?」
 フェルカは悲鳴を上げると、いきなり立ち上がった。
「も、もう限界です、僕はもう寝ます、こ、こんなことに力を貸したなんて、ぜったいにぜったいにスタフ管理長には言わないでくださいねっ、お、おおおおやすみなさい……!!」
 そして脱兎のごとく、船室を飛び出し去っていった。零れた涙が美しかった。
「………」
 女たちは役目を終えたフェルカなど見送りもせず、がっくりした気持ちで溜め息をついた。
「せっかく復讐してやったのに」
「確認できないんじゃ、意味なーい」
「あーあ……」

 しかし翌朝のことである。切望した股間確認の機会は、あっさりと訪れた。
「よぉ、キャムゥ、ファルゥ、リーチェ!」
 昨夜の疲れが祟って寝不足気味に船室を出た三人は、廊下でばったりとスタフに遭遇した。
 今日も非番らしい。当然のごとく、全裸である。
「…………」
 股間の夢まで見てしまった三人の眠たげな半目は、自然とスタフの下半身に向けられた。隈の浮かんだ目で、思春期の彼女たちはじろじろと無遠慮に、昨日の成果を探りはじめる。
「……どう? キャム」
「……ううーん」
 乙女たちの「キャーッ」とか「最低ー!」とか「変態ー!」とか、盛大に嫌がる姿を期待していたスタフは、思わぬテンションの低さにたじろいだ。
「ど、どうした、お前ぇら?」
 三人はスタフを無視し、同時に首をかしげ――爆弾を放った。
「微妙……?」
 ピキッ。
 一瞬にして凍りつくスタフ。
 三人は、昨日の精霊術がどうやら失敗だったらしいことを知ると、はぁとやるせなく溜息をついて、廊下を去っていった。
 後に残されたスタフが、言葉の意味を誤解したことなどは、残念ながら知る由もなく。

 その後、船管理長スタフィールドは、生涯、二度と人前で全裸になることはなかったという。
 その理由を知る者は、この世には、誰一人としていない……。

おわり

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