影の円舞曲

01

 明かりの下で、踊りましょう。
 夜もふけて、誰もが眠りにつくころに。
 あなたとわたし、円舞曲を踊りましょう。


 明かりに照らされ、あなたの影が小さくなる。
 明かりに照らされ、わたしの影が大きくなる。


 そうしてやっと、影絵のわたし、あなたとの距離を近づけられるの。


影の円舞曲


 キャムは船室にひとつしかない机を陣取って、いつものように日記を書いていた。
 個人的な日記だ。誰にも見せたことのない、見せることなんて到底できない、自分の素直な想いを書き綴ったもの。
 誰それが腹立つとか、誰それが可愛くて羨ましいとか、──あるいは、恋の話とか。 
「……はぁ」
 キャムはペンを置いて、溜め息まじりに頬杖をついた。
「日記の中でだけ素直になれても、意味ないのに……」
「なんのはなし?」
「……きゃー!?」
 独り言を吐いた途端、背後から肩を叩かれ、キャムは死ぬほど驚いた。驚くと同時に日記をばばっと閉じ、背後の敵から守ろうとするように、ぎゅっと抱きしめ、身をちぢこませる。
 しかし、驚いたのは背後の敵も同じだ。キャムと同室のファル=ルイラックは、少年のような顔を驚かせ、肩を叩いた手を所在なさげにさまよわせた。
「ご、ごめん、キャム」
「ば、ばかばかばか! ファルのばかー! 驚いたじゃない!」
 キャムは涙の浮かんだ目で、ぎらっとファルを睨みつけた。
 ファルは顔の前で両手を合わせ、素直にぺこっと頭をさげた。
「ごめん! そんなに驚くなんて思わなくって……」
「謝る必要なんかないよ、ファル」
 入り口から、また別の声がした。振りかえると、そこにはファルと同じく、キャムと同室の仲間リーチェ=ノイエが立っていた。
「見られちゃまずいもんを、こんな人目につきやすい場所で書いてるのが悪いの」
 キャムよりも七歳年上のリーチェは、茶味がかった金髪をいじりながら、からかうように笑った。キャムはむっとする。
「じゃあどこで書けっていうのよ。こんな人だらけの船の上で。……扉閉めてよ、リーチェ」
 不機嫌に呟くキャムに肩をすくめ、リーチェは後ろ手に扉を閉めた。
「寝棚で書けば? 二段目なら、人が登ってくる前に隠せるでしょ」
「じゃあ、これはなんのための机なの」
「え? 飾りもんじゃない?」
 あっけらかんと答えるリーチェに、ファルがぷっと吹き出した。
「あはは! リーチェにはそうかもね!」
「あ、ファル! 冗談のつもりだったのに、ひどいぞ!?」
 楽しげに笑い合うファルとリーチェをじっとりと睨んで、キャムは渋々と、日記を自分専用の引き出しにしまった。
「……はぁ」
 そのまま机に突っ伏し、溜め息をつく。
 ファルはリーチェと顔を見合わせ、目だけで会話をしてから、キャムの顔を覗きこんだ。
「キャム?」
 キャムはのそっと頭を持ち上げて「なぁに」と気の抜けた返事をした。
「あのね、あさってタネキア大陸の港でね、お祭があるんだよ。知ってる?」
「……祭ぃ?」
「そう! だからそれにあわせて、バックロー号の甲板でもお祭しようかって話になってるんだ。港に下りてもいいんだけど、そうすると留守番のひと可哀相でしょ?」
「……へー」
「それでね、みんなでダンスをしようって話になったの! この間、”海賊した”船に、たっくさん舞踏会用のドレスがあったから、それみんなで着ようよって」
「……私、いい」
 最後のファルの言葉に、キャムは機嫌を直すどころか、なおさら声を低くした。ファルは顔を曇らせ、リーチェを振りかえった。
「あー、鬱陶しい。それでクロルが憧れの人とか言ってるんだから、呆れちゃう」
 ファルにかわって、今度はリーチェが大げさに嘆いてみせた。
 こちらは効果てきめんだった。
「――いじわる!」
 勢いよく顔を上げたキャムは、その勢いのままリーチェを睨みつけた。
「だって私、ドレスなんて似合わないもん! クロル姐みたいに背も高くない! 大人っぽくない! 髪だってアップしても似合わないし……っ私にはドレスなんて無理なんだから!」
 リーチェは呆れた様子で目を丸くした。
「キャムったら、またそんなこと気にしてんの?」
「気にするよ!」
 キャムはすぐさま言いかえし、ばっと顔をそむけると、また机に突っ伏した。
「クロル姐の髪型真似したって、私髪質固いし、量も多いし、ほうきみたいにぼわってなっちゃう。目だって大きいから、クロル姐みたいに色っぽい表情できない。背だって、胸だってなくって……っこんなの――!」 
 リーチェは、高い位置でひとつに結ばれたキャムの黒髪を見下ろした。クロルと同じ髪型だが、クロルのそれが流れるようなストレートなのに対し、キャムのは確かに箒みたいに膨らんでしまっている。
「あのね、キャム。そんな風に卑屈にしかなれないんなら、クロルの真似なんてやめなよ」
「私はクロル姐みたくなりたいの!」
「……キャム」
 上ずった声から涙の気配を感じて、リーチェはキャムの隣にそっとしゃがみこんだ。
「憧れの人がいるっていうのはいいことだよ? 目標にするのも、とてもいいこと。でもね、真似して自分が輝くならいいけど、卑屈になるだけならやめな?」
 二人を見守るファルも、真剣な表情でこくこくとうなずく。
「キャムの髪型、とても似あってて、私好きよ? でも、あなたがそんな風にしか考えられないなら、その髪型もやめなさい。せっかく似合っている髪形が、卑屈まみれで全然輝いて見えない。クロルの髪型じゃなくって、これは自分の髪型だって胸をはれないんなら、やめちゃいなさい」
 そう言い切って、リーチェは口を閉ざした。誰も言葉を発しない。窓から聞こえてくる波のかすかな音と、廊下の奥で騒いでいる声だけが聞こえてくる。
「……あいつ、絶対クロル姐の方がいいって言うもん」
 ずいぶん経ってから、キャムがぽつりと呟いた。
 ファルとリーチェは、やっぱりこれが原因か、と顔を見合わせて苦笑した。
「だからって、クロル姐の真似したって、どうしようもないじゃない。キャムはキャムであって、クロルには絶対なれないんだから」
「分かってるよ、そんなの。……でも、もうちょっとだけ……胸と背丈が欲しかったの」

 それは、キャムの口癖みたいなものだった。
 今年で十七歳になる。もう立派な大人の女だ。
 クロルと同じ漆黒の髪、同じ色の瞳。けれどクロルより癖っ毛で、艶もない。目だって、幼い子供のように大きい。何より、キャムは十七とは思えないほど身長が低く、そして胸が小さかった。
 彼女にとって、それはとても大きなコンプレックスだ。
 小さい頃からクロルに憧れてきた。大人になれば、自分もきっとクロルのような女性になれると信じてきた。けれど成長期を過ぎて、否応なく気づかされた。キャムはクロルにはなれない。背も胸も小さいまま、いつまで経っても子供体型な自分。
 ――キャムには、好きな人がいる。
 自分よりも十二歳も年上の、バクスクラッシャーの船員の一人。
 年齢差を考えるだけでも気が滅入るのに、その船員ときたら結構な長身で、並んで立つと、自分はまるで父親に手を引かれる幼児だ。
 そしていつしか、コンプレックスは身に巣食う悪性の病気みたいに、凝り固まってとれなくなってしまった。

「ごめんね、怒鳴ったりして。……すこしだけ、ひとりにしてくれる?」
 キャムは顔をあげないまま、そう呟いた。
 二人は願いを聞きいれ、部屋から出て行ってくれた。扉が閉まる音がする。廊下を歩く足音が遠のき、聞こえなくなってからようやく、キャムは顔をあげた。
 その瞳は、涙で濡れている。
 本当はファルに言われる前から、あさって、船上でお祭をやるのだということは知っていた。そして、それこそが溜め息の原因なのだ。
 ドレスなんか似合わない。似合いもしない、胸のすかすかなドレスを着て、背の高いあいつと踊る。手を繋いで、二人で踊る。きっとあいつは身を屈めるだろう。背の高いあいつと、背の低いキャムの踊りは、きっと哀しいほどに無様だ。恋人同士にはまず見られない。それどころか兄妹、下手したら親子のように見えるはずだ。
「……サイアク」
 キャムは、ぐすっと鼻をすすった。
 頬杖をついて、丸窓の向こうに見える空と海を見つめる。
 ふと手が、机の脇の引き出しに伸びた。
 書きかけだった日記を取り出し、ぱらぱらとめくる。そこにはキャムの内緒の想いがぎっしりと詰まっている。それらはまったく見ずに──いつもそうだ。過去の日記を読むと、破り捨てて「ばかみたい」と叫びたくなる──今日の日付のページを開いた。
『あさってはお祭。クロル姐みたいに、大人っぽいドレスを着て、踊りたい。あいつと』
 キャムは唇を噛みしめ、ペンを取ると、ページの一番隅っこに小さな文字を書き足した。

『シャークのばか』

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