虹の翼
11
こうして、バクスクラッシャー最大の危険人物セイレスタン=レソルトは子供嫌いを克服し、子供たちと年齢を越えたかけがえのない友情を築いてゆくのであった。
と、そこで物語は終わらないのである。
「サーカス、面白かったね!」
ラギルニットは頬をすっかり紅潮させ、軽い足取りでレックとセインの前をぴょんぴょんと歩いた。
「ほんとほんと! 特にあの虹の翼の人、きれいだったなぁ! なぁセイン、あの人どういう関係!? 恋人だったりして!?」
サーカス団員に怪我の手当てをしてもらったレックまでが、興奮気味にはしゃいでいる。はしゃぎついでに、何やらいきなり人間が丸くなったセインにちょっかいをかけた。
セインは常にないアットホームさで、「違ぇよバーカ」とレックのトサカ頭を掻き混ぜ、感慨深げに夜空を見上げた。
「でもまあ、確かにあの女……」
セインは初めて見たサーカスの舞台で、ひときわ輝いていたあの女の姿を思い出した。
照明の落とされた天幕の舞台、虹色に輝く翼を広げ、無数の光の精霊とともに素晴らしい曲芸を披露するその姿は、観客を、子供たちを、そしてセインを魅了した。
『いつか、あなたにまた会えたらと思っていたわ……』
今更ながら、先ほどの女の意味深な台詞が脳裏によみがえってきた。
セインはまんざらでもない気分でにやにやする。
「何つーの、俺様の……淡い初恋……?」
しかも何やら、淡いままでは終わらなそうな雰囲気だ。
悪くない。セインは肩をすくめて、色男らしく首を振った。
「ま、仕方ねぇから、ちょっと舞台裏にでも行ってくるわ。ついでに告白のひとつでも受けてく」
「セイン!」
その時、ちょうど話題の女がこちらに走り寄ってくるのが目に飛びこんできた。
レックがにやりと笑って、セインを肘でつつく。ラギルニットも目を輝かせて、その腕にしがみついた。セインは恋の応援部隊を「よせよ……」と手で追い払って、女が来るのを待った。
「見に来てくれてありがとう! ……君、怪我は大丈夫?」
「お、おう」
気遣わしげに微笑みかけられたレックは、顔を真っ赤にしながら、強がってぶっきらぼうに答える。それを可笑しげに見つめてから、女はセインを振りかえった。
「今日はありがとう、セイン」
「いや、まー結構面白かったし」
「少し……話があるんだけど、いいかしら?」
女が頬を赤らめ、緊張した様子で両手を胸元で組んでうつむいた。
来た。しかしセインは慌てず、わざとそっけなく「別にいいけど」と答えて、女の次の台詞を待った。
台詞、すなわち以下のような愛の告白である。
『小さい頃からずっと、あなたのことが忘れられなかったの……』
「紹介するわ、サーカス団の団長よ」
「あー俺は忘れちまってたけど、まあそれはそれで……あ?」
予期していなかったことを言われて、セインは一瞬頭がついてゆかなかった。女は後ろからついてきた体格のいい男を示して、何故かはにかんだような笑顔を浮かべる。女は男が傍らに寄り添うのを待ってから、赤らめた頬をつつましく手で隠して言った。
「覚えている? あの時、道化師をやって貴方を笑わせた人よ」
「……はは、でっかくなったね。これは驚いた」
セインの長身ぶりに戸惑った様子で笑う、気の優しそうな団長。がっしりとしたその腕に、女がそっと細い手を添える。その動作はいかにも恋人同士か、既婚者といった感じであった。
「……あー、久しぶり……です……」
セインは団長以上に途方に暮れて、そう答えた。
二人が去った後、セインとレック、ラギルニットはぽつんと取り残されたようにたたずんだ。
不意に、レックが小悪魔の声で笑った。
「なあセイン、さっきよく聞こえなかったんだけど、「告白のひとつも」……なんだって?」
ラギルニットもまたにやりとした。
「なぁんか、仲よさそうだったねぇ、あの二人……」
そして二人の子供は、小刻みに震えるセインの肩をぽんと叩いた。
「ま、元気だせよ。あんた性格サイテーだし、ほんとムカつくけど、まぁ背は高いし、そこそこ男前だからさ、もっといい相手が見つかるさ!」
「そうそう、セインとならぴったりの変人さんが、いつか見つかるよきっと!」
「あはは、メルとかな! だっせぇー!!」
「うははははははっ」
「だはははははははははっ」
「……はっはっはっはっはー」
セインは固い友情を結んだ彼らとともに笑いあった。
自分は子供嫌いなどではなく、子供時代が嫌いだった。それはこの夜に発見した衝撃の事実である。
子供嫌いではない自分、万歳。サーカスだって一緒に見ちゃえた。
当然、こんなクソ生意気なことを言われても、怒ったりなんてするわけがない。
子供なんて大好きだ。やかましくて、無神経で、鬱陶しくて、投げ倒して頭カチ割って蹴り飛ばして突き落として刺し殺したくなるぐらい腹立つ子供なんて、とってもとっても大好きだ。
セインは笑顔のままカトラスに手をかけた。
「っんなわけあるか、やっぱりガキども全滅しやがれブチ殺すぅうう――――!!!」
そしてその頃、海賊イリータインの去った砂浜である。
「……誰もいないじゃない」
メルは誰もいなくなってしまった海岸を見渡し、呆然とした。
彼らを取り囲んでいた白煙がようやく消えて、やっとこさ外に出られたかと思えば、そこにはもう敵の姿はおろか、ラギルニットとレックの姿すらなかった。
不明瞭な視界のせいで、クステルに思い切り殴られて青あざまみれのルイスは、やはり惚けた顔で水平線を眺めている。
「もう連れ去られたんだったりして……」
「そんなラギっちゃん、レック……! ど、どうしよう……!」
レイムが涙に暮れて、レティクが難しい顔で水平線を睨んだ。ついでに全ての元凶とも言えるメルを、絶対零度の眼差しでじっと見つめる。無言の圧力を感じたメルは慌てて顔をそらすと、傍でぽかんとしているテスの鼻先に指を突きつけた。
「テ、テス、全てあなたのせいよ!」
「へ!? な、何で!?」
「そもそも、あなたがセインと一緒にいないのが悪いのよ! あの男、剣の腕だけは確かだもの、頭はちゃらんぽらんの脳みそゼロカロリーでもね!」
「そ、そんな言いがかりだよ! そもそもメル博士があんな訳の分からない爆弾を飛ばすから……っそれにそんなに言うならメル博士が一緒にいればいいじゃん!」
「あなたはセインの下僕でしょう! その責務をきちんと果たしなさい!」
「オ、オレ、下僕じゃな」
「さあ、責任とってすぐにセインを探してらっしゃい! そしてイリータインに突撃を開始するのよ! ほら早くなさい、この愚か者が――!!」
そして数十分後、過去最大に怒り狂っていたセインによってぼこぼこにされたことは、もちろん言うまでもないことだ。ついでに他の四十数人のバクスクラッシャーの船員たちが、可哀想に、誰もラギルニットたちが無事だと教えてくれる者もないまま、泣きながら明け方まで町中を散策し続けていたことも、言うまでもない。
もちろん、セインがこのサーカスの夜以降、これまで以上の子供嫌いになったことも、以下同文である。