ラブロマンスには至らない
02
いつのまにか、船内五大問題児が揃っている。
そのことにようやく気が付いて、ログゼは心底ぞっとした。
セインにガルライズ、ワッセル、メル、そしてメイスー。彼ら五人は、ことあるごとに船上を騒乱に巻き込んできた、”地獄の間”常連の危険人物である。その五人が勢ぞろいで、ラブ部屋なるおぞましい物体を作り上げたというのだ。タダで済むわけがない。
左手にはミンリーの小さな手、右手には多分ガルライズの手。ログゼとミンリーの二人は今、黒布でもって目隠しされて、どこへともなく歩かされていた。
歩きなれた船内ではあるが、最初に思い切り回転させられ、その上散々あちこち歩きまわされ、もうさすがに方向感覚がなくなっている。あげく先ほどからすぐ側で、帝王セインが俺様なソングをシングしているので、周囲の音すらまともに拾えない有様だ。
一体、自分がどこにいるのか、どこへ向っているのか、まるでわからない。
ただひとつだけ、はっきりしていることがある。
とりあえず、行き先は『ラブ部屋』だ。
「つーか何で、目隠しされにゃならないんだ!」
「時間なくって、外装に気ぃ配れなかったんだわ。それ見て、せっかく盛り上がってた気分が台無しになっちゃ、かわいそうだからさ」
強烈な不安に駆られて思わず叫ぶと、右手を引くガルライズが、ものすごく嘘っぽく答えた。
(くそ、どんなことが起きようと、ミンリーは守り通す!)
そう決意と覚悟を固め、ログゼはミンリーの手を握りしめた。
すると、ミンリーもまたそっとログゼの手を握り返してきた。
「ミンリー、俺が守ってやるからな」
「嬉しくないわね」
返って来たのは、メルの声だった。
「てめぇかー!」
ログゼは掴んだ手をぐあー!っと振り払い、無意味に高笑いするメルがいるっぽい場所を睨みつけた。
「ふふふ、照れ屋さん。安心なさい、あたしは貴方に興味がゼロ」
「それは俺の台詞だ!」
ずばっと正直に答えるメルを直感で蹴飛ばして──「いてっ」と声を上げたのは、ワッセルだったが──、ログゼは必死に理性を保とうとした。いざという時、冷静でなければ、ミンリーを守ることなど出来ない。
「よう、ミンリー。もうすぐラブラブできるから、楽しみにしてろ」
「うん! とても楽しみネ」
ミンリーの方は、自分の懸念をよそにえらく楽しそうだったが。
もしかして自分も喜んだ方がいっそ楽になれるのだろうか、万歳三唱でやっとやっと二人きりにな・れ・る~っと感激した方がもしかして……と悶々考え出した頃だった。
どこかで、ギギ……という建てつけの悪い扉が、開くような音を聞いた気がした。
「はい、到着!」
前置きがわりのぐるぐる巡りが異様に長かったくせ、到着の言葉はやけに軽かった。
ログゼは泥棒時代に鍛えた耳をそばだたせ、周囲の様子を音から探ろうとした。ここはどこなのか、どんな場所なのか、誰かほかにいるのか……。
「……あ、コレですか? ふふ、コレについては──」
と、不意にメイスーが小声で妙なことを口走った。
──コレ?
だが泥棒の鋭い聴覚が、それ以上の情報を得る前に、今回の首謀者であるセインとガルライズが、大声で前口上を言い始めてしまった。
「恋を深め、愛に変える場所……!」
「ああ、禁断のラブ部屋……!」
「ログゼのアホと、愛しいミンリーに送る、心からのプレゼント……!」
そして突然、思い切り肩をどつかれ、二人は前方に転倒することとなった。
「……って! ……の野郎!」
思い切り膝をぶつけたログゼは、怒りで顔を赤くして、背後を振り返った。
が。
「思う存分、ごゆるりとー」
──バタン。
扉が閉まる音が、無情に響き渡った。
「く、くそ!」
ログゼはあまりの静けさに、えも言われぬ不安を抱きながら、まず先に、目隠しのご丁寧な固結びを解きにかかった。
「かた!」
鍵穴を針で開けるのは得意だが、こういうのは苦手なログゼである。
後ろ頭に腕を回してうぐぐぐ唸っていると、ミンリーの細い指が伸びてきて、ログゼの代わりに固結びを解いてくれた。
「……おう、ありがと」
やっぱりミンリーは女らしいよな……なんて、固結びが解けたぐらいで悦に入りながら、ログゼは背後のミンリーを振りかえった。
「……?」
膝立ちしたミンリーは、あっけとした顔で、ログゼを通り越した先の光景を眺めていた。どうやら半分無意識に固結びを解いたらしく、目隠しが外れた後も、両手を動かしている。
「なんだ?」
ログゼは珍しく動揺しまくっているミンリーに首をかしげながら、自分も彼女の視線の方へと、部屋の中央へと目を向けた。
そして彼は、石化した。
「な、な……」
声がわなわなと震える。
思わず手に手をとりあって、二人おろおろと後ずさる。
「なんだ、これ」
「キ、キラキラネ」
キラキラだった。
決して広い部屋ではない。船長室ぐらいの広さの部屋だ。
窓はなく、木造の壁にはご丁寧に美しい幾何学模様が描かれている。一般的な家屋なら、ランプは天井、あるいは壁に下がっているものだが、淡い光を放つランプは床にそっと置かれていた。おかげで部屋は、天井に近づくにつれ、ぼんやりと薄暗い。だがその薄暗さは、心が落ち着くぐらいの心地よい具合だった。
そんな、なかなか過ごしやすそうな部屋の中で、異彩を放っているものがある。
一体どこから運んできたのか、部屋の中央にドッカンコ!と置かれた、天蓋つきの豪華すぎるベッドである。
白い細かなレースで囲われた、モスグリーンの織物が天蓋を覆い、その姿はトゥーダ大陸の優雅な王族生活を彷彿とさせる。しかしベッドに引かれたシーツが、対してひどく安っぽい。大量生産でもされていそうな、味気ないレースで囲われた真っ白なシーツ。ちょこんと二つ並べて置かれた枕も、同じ生地を使って織られており、何と言うか……そのちぐはぐさが……、ものすごく……。
──まるで、中流階級の売春宿……!
ログゼはあまりの恥ずかしさに頭を抱え、額をゴンゴンと床に打ち付けた。ちなみに床には、厚めの円形絨毯がひかれている。どうでもいいが、白の総レースである。
すっごく破廉恥な空間だった。床に置かれたランプが、ものすごく嫌な感じだ。無駄に豪華なのに、垢抜けないベッドがひたすらいやらしい。
「というか、なんでベッドがあるんだよ!」
突っ込む相手がここにいないので、ログゼは誰もいない虚空に向かって、くわぁっと裏拳をかました。
──ハッ!
そういうことなのか?そういう意味での部屋なのか!?
恋を深めて、愛に変える場所?
禁断のラブ部屋!?
そういうことなのかー!?
どういうことだというのか、ログゼは一人顔を真っ赤にして、部屋の隅っこでしゃがみこむと、キャーッと顔を両手で覆った。
「いやいや待て待て、何を照れる必要がある、俺」
長い思考の末、ログゼは不意に我に返って、額に手を押し当て首を横に振った。
別にミンリーとそういう情況に陥るのが嫌なわけではない。今更、別に初めてでもあるまいし。
だがこの場所はどうなんだ。第一ここは、どこなんだ。
──こんな得体の知れない場所で、ラブラブできるかよ、バカヤロウ!
ログゼは奥歯をギリギリ噛みしめると、ためしに耳を壁につけて、外の物音を拾おうと挑戦してみた。
「…………」
が、何一つ音というものが聞こえない。もしかしてあの無駄に手の込んだことが大好きな船大工たちは、防音加工などという高度なことを壁に施したのかもしれない。
「冗談だろ」
もう一度、現実逃避めいた台詞を呟いて、ログゼはぶんぶんと首を振った。
「ミンリー、待ってろよ! 今、部屋から出る方法探るから」
今でこそ海賊の倉庫番なんてものに身を投じているが、かつては名の知れた大泥棒だったのだ。もはや滅多に使わぬ泥棒技術、今使わずにどこで使えというのか。
ログゼは素早く腰を落とすと、靴のかかとに手を伸ばして、靴底の隙間から細工された針金を取り出した。そして扉のノブを数回回して、開かないことを確かめると、別に珍しい形でも何でもない鍵穴に針金を差し入れた。
ガチャッ、ボンッ!
「…………」
一瞬後、煤で顔中まっ黒になったログゼが、ノブの前で呆然としていた。
他愛もない仕掛けである。針金を差しこんだ途端、鍵穴から煤が吹き出るように仕こまれていたのだ。
ログゼは怒りを堪えつつ、差したままの針金を強引に左へと回した。
ガキッ、ビチャッ!
「…………」
一瞬後、煤だらけだった顔が、水でびっしょりと濡れ、黒い水が情けなく滴るはめになっていた。
甘かった。メルともあろう女が、一回っきりの仕掛けで満足するわけがなかったのである。
ログゼは薄暗い顔で笑うと、服の袖で顔を拭い、針金を引き抜こうとした。
しかし針金はいくら引っ張っても抜けなかった。それどころか、先ほどまでは確かに回ったノブも、今は左にも右にも一寸たりとも動かなくなっていた。
ログゼは乾いた無表情で、筋の浮き出た掌で針金をボキッと折った。
「ちくしょう!」
一声吼えて、今度は扉にバッと耳を押し付ける。
部屋に入ってきた時、扉は建て付けの悪いような音を立てていた。それにそもそもこの部屋は、一朝一夕よりも短い時間で出来たもののはずだ。船大工たちの技術力は驚異的なものだが、余分な材木もまともにない、時間もない状況で、大した部屋が造れるはずもない。
そう、奴らは「外観が良くない」と言っていた。あの時は疑ったその言葉だが、あれは真実だったのかもしれない。防音効果があるようだが、それをやっているだけの時間はいくらなんでもない。だとしたら、防音代わりの綿か何かを、外壁に貼りつけている程度に違いない。となれば、壁も、扉も、決して頑丈なものではないはず。
「おし」
ログゼは鋭く目を細めると、ぐっと固めた拳で壁をとんと叩く。
そして次の瞬間、狙いをつけた場所めがけて、思いきり拳を叩き込んだ。
ゴッ。
ログゼは声もなくうずくまると、半泣きで拳を抱きしめた。
なんつーかもー、死ぬほど痛かった。
「……あれ? ミンリー?」
と、気づけば一人で大暴走なログゼは、先ほどからミンリーの反応がまるでないことにようやく思いいたった。
振りかえると、ミンリーはきょとんとした顔で、あのいかがわしい寝台の上に腰かけていた。
「…………」
「キラキラヨ」
「……うん……キラキラね」
この状況で何故笑顔でいられるのか、ミンリーは普段と変わらぬ愛らしい笑みで目じりを細めて、一人パニクっているログゼを不思議そうに見ていた。
「落ち着かなく……ない?」
必死こいていたのが急に恥ずかしく思えてきて、ログゼは気恥ずかしげに問う。部屋の隅っこにいるログゼと、中央の寝台にいるミンリーとの、微妙に遠い距離がログゼを気後れした気分にさせる。
ミンリーは苦笑みたいなものを浮かべて、肩をちょんっとすくめると、部屋中をぐるりと見渡して、やんわりと頬を赤く染めた。
「落ち着かないネ!」
ログゼは頬をぽりぽりと掻くと、おもむろに立ち上がって、寝台まで足を運んだ。
そしてどさっと彼女の横に腰を下ろすと、しばらくゆらゆら前後に揺れた後、何か納得したようにうなずいた。
「二人きりなんだよな、そういえば」
すぐ隣にある恋人の顔を見返して、ミンリーは精霊のように柔らかな笑顔を浮かべた。
「ウン。二人きりヨ、ログゼ」
発音体系が完全に異なるため、ミンリーの話すリスト語は何年経ってもたどたどしい。
その子供っぽい発音を可愛いと思う。けれど何度か聴いたことがある、彼女本来の言語は美しく荘厳で、柔らかく大人びていて、そんなミンリーにも魅了された。
こんなに好きだと思える女性には、多分二度と会えないだろうとそう思う。
「……そだな」
ログゼはぽりぽりと日に焼けた頬を掻いて、むずがゆそうに口端を持ち上げた。
「しっかしまぁ、ありがた迷惑っつーか」
頬を掻いたまま、ログゼは先ほどより落ち着いた気分で、室内を見回した。しかし落ち着いていようが興奮していようが、室内の破廉恥な様子はまるで変わらない。
ミンリーはくすくすと口元を両手で覆って、笑う。
「みんな親切。優しいネ」
「面白がってるだけだって! 絶対善意じゃないぞ!」
見ろよ! と指差した先には、なんだかやけにキラキラした丸い球体が、天井からぶら下がっている。しかしミンリーはニコニコと微笑んでいた。
「だってあいつらのやる事なんて、信じられるか!? 絶対何かオチがあるぞ、これ!」
ミンリーはそれでも、ふんわりと優しく笑っている。
「……それでも、いいわけ?」
ログゼは唇を複雑に引き結び、問う。
「いいノ」
ミンリーは目を細めて、こくりとうなずいた。
ログゼは紅潮する顔をそっぽに向けて、ぼそっと呟く。
「ま、ミンリーがいいなら、おれもそれでいいんだけどー」
ミンリーはくすくすと笑い声をこぼして、右手をそっとログゼの左手に添わせた。
胸の奥が愛しさでうずく。小さな手、細い指先、温かで柔らかな掌が、がさついて無骨な泥棒の手に触れる。
微笑を絶やさない、黒目がちの大きな瞳。くるくると細かに巻かれた、黒い髪。瞳にも髪にも良く似合う、褐色の肌。額にぽつんと塗られた赤い点は、彼女がかつて異国の巫女であった徴。
恋は信仰にも似ている。
その奇跡のような笑顔を見たくて、切実な祈りを彼女に捧げている。
「……ミンリー」
愛しい、この恋人に。
ログゼは重ねられたミンリーの手に、優しく右手をかぶせる。くすくすと笑って、ミンリーはその手にさらに左手を重ねた。
静かに、静かに、自分たち二人以外誰もいないラブ部屋に、ただ互いの鼓動だけ。
ギシと寝台の軋む音がして、二人は顔を近づける。
そして……。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………何も、ない?」
唇が重なる直前、ぴたりと止まって、ログゼは視線だけで周囲を警戒する。
ミンリーも横目であちこちを確認して、誰かが覗いてるとか、何か仕掛けが降って来るとか、そういうことがないかをチェックする。
が、何も起きる気配はない。
「ヨーシ!」
二人はぐっと互いの手を握ると、声を合わせて一声上げて、再び行動に移ろうとする。
──が。
「…………」
「…………」
「な、なんで何も起きないんだ?」
またも目を開けて、ログゼはオロオロと呟いた。
だって可笑しいではないか。ラブ部屋なんて巨大建造物を作っておいて、あの五人が集まっておいて、こんないかがわしい造りをしておいて、何も起きないだなんて。
「絶対何か起きる!それもすごい事が!」
ログゼはミンリーの手を握ったまま、愛らしい恋人へと力説し、ほら見てろ!とばかりに周囲へ鋭い視線を走らせた。
し────……ん。
しかし待てども待てども、何かが起きる様子はない。
あり得ない。
「…………」
「…………」
「…………」
「……っ何で何も起きないんだ──!」
ついに不気味な沈黙に堪えられなくなり、ログゼはとうとうガバッとその場を立ち上がった。
と、その時である。
寝台に手をついたその時、何かが掌に触った。
ポチッ。
途端。
ウィーン……。
静かな音をたてて、豪奢極まりないトゥーダ大陸王朝のベッドが、ゆっく~りゆっく~りと左回りの回転を始めた。
「…………」
同時にキラキラした光を放ちながら、頭上の球体ミラーボールが回り始める。安っぽい星屑が部屋の壁や天井をチカチカ瞬きながら移動する。
「ほら、来た────!」
ログゼは悲鳴とも歓声ともつかない大歓声をあげた。
「ほらな!? 言ったろ!? 絶対来ると思ったんだ! だってさー連中が大人しくラブ部屋なんてもん、作ってくれるわけ──」
そして回転する寝台に腰を下ろしたままの恋人を、嬉しげに振り返ったログゼは、
不意にミンリーに、くいっと襟元をつかまれ、顔を引き寄せられた。
「────」
両頬を覆う、小さくて温かな掌。
軽く触れる、唇と唇。
ミンリーは閉じていた目をふわりと開くと、ぽかんとしているログゼの顔を覗きこみ、紅潮した顔を気恥ずかしげに微笑ませた。
「──……っ」
初めてキスでもしたみたいに、ログゼは真っ赤になって、顔をバッと彼女から遠ざけた。
その間にも、星屑は二人の周囲をぐるぐると蠢き、二人もまた回転ベッドと一緒にぐるぐると回転している。
ミンリーは女神みたいに可愛らしく、くすくすと笑った。
「シェルィアガォゥ ラィ エルドゥフェア フェイィンフェゥ」
「……え?」
「どこでもいいノ。何が起きてモ、かまわないノ」
吐息を零すように、小鳥が歌うようにミンリーは囁く。
その笑顔は楽しげで──最初からずっと変わらない。
「騒がしくてモ、寝台が回てモ、ログゼ一緒。それだけで、いいノ」
子供たちが騒ぎたてようが。
ラヴじいさんが腰を痛めようが。
竜が通り過ぎようが。
シャークに見られてようが。
「それだけで、幸せヨ」
「…………」
ログゼは顔を赤くすると、近所のお姉さんにでもドキドキしているガキみたいな反応をする自分の顔をうつむかせて、ぽりぽりと後頭部を掻いた。
そうだ、最初からミンリーは微笑んでいた。何が起きようと、五大問題児たちが企み顔で何かを相談していようと。
関係なかったのだ、ミンリーにとっては。
どんな環境であろうと、船員50人がうろついている船内であろうと、キスの一つもろくに出来ない場所であろうと──ただ大切な人が側にいる、それだけで彼女は満足だったのだ。
「……だ、な」
「ヨ」
相槌を打つ恋人の顔をちらっと上目遣いに見上げて、ログゼはふと笑う。
「出るか」
そうだ、自分たちにラブ部屋など必要ないのだ。
甘いロマンスには至れなくたって、大切な相手は側にいる。
それだけで、そこはもう二人だけのラブ部屋なんだ。
二人は互いに微笑み合うと、いかがわしい寝台から立ち上がった。
そして手に手を取り合って、いかがわしい絨毯を軽やかに越え、扉の前へと立つ。
ログゼは手を伸ばし、そしてゆっくりと、ノブを回した。
ガッチャッ。
「…………」
ガシャガシャガシャ。
「……って、だから開かねぇんだよ畜生ー!」
だが、ログゼが絶望に吼えた、その時である。
不意に扉の外側から、ノブを回す固い音が聞こえてきた。
同時に誰かの舌打ちが聞こえてきて、しばらくノブを工具でいじくる音がしてくる。
「な、なんだ?」
ミンリーを背後にかばいつつも、予期していなかった事態にログゼもまた後ずさる。
とその直後、扉が内側に開かれ、眩しいばかりの外の光が、薄明かりしかない部屋を鋭く差し込んできた。眩しさに思わず腕で目を覆ったログゼだったが、腕の向こうに妙な人影を見つけ、いよいよ絶句する。
「……お客さーん。困るよ、扉壊しちゃあ」
光の中に、見知らぬおばさんが一人、立っていた。
「あ、あの」
訳のわからぬ展開に口ごもると、おばさんはでかい鼻穴をふんっと膨らませ、二人をちらっと見おろした。
「目隠しして来たり、ノブ壊したりさ……何の変態プレイか知らないけど、備品は大事にしてくれ。で、もう時間だよ。もうちょいいたいなら、コレ、払いな」
コレ、とどこかで聞いた台詞を言って、おばさんは右手の親指と人差し指で丸を作り、手の甲を下に向けた形を作る。世界共通、「銭」の意味である。
「ここ、どこ、ですかね」
おばさんはどこからともなく店の名刺を取り出して、ふっと渋く笑った。
「スーラおばさんの海上ラブホ、さ」
「……あー悔しい」
そしてその頃──海賊船バックロー号。
「せっかくこのあたしが、類稀なる天才的頭脳で、科学的要素満載な部屋を作ってやろうと思ってたのに」
「あー、まぁやっぱねー。時間も木材もさっぱりだったし。最初から無駄な挑戦だったのねー」
悔しげにピンク色の唇を噛むメルの横で、ガルライズがあははー相変わらずやる気なくと笑った。
「偶然『スーラおばさんの海上ラブホ』に出くわせてよかったよかった。がっくりさせちゃ、ミンリーが可哀想だしさ~」
「そういえばダラ、知ってる? スーラおばさんの海上ラブホ、チェーン店化してるらしいわよ……」
「え、マジ? この間買った回数券、全店共通かな……」
「……っというか、スーラおばさんはどうでもいい! つーか誰なんだスーラおばさんて! ……畜生、部屋だけなら造れたってのによ、それをどっかの脳みそ天パッたアホ博士が、回転寝台だのミラーボールだの無謀なこと抜かしやがるから……だから計画倒れで終わったんじゃねえか!」
「……何ですってワッセル君?このあたしに向かって、今、無謀とのたまったの貴方の筋肉脳細胞は!?」
「実際、四時間かけて何ひとつ出来上がらなかっただろうがー!!」
「それは一人寂しく筋肉ピクピクさせて愛でてるだけで、何一つ手伝わなかったあなたの……!」
「やかましい貴様ら貴重な酸素が減るわぁあああああ!!」
ワッセルとメルが喧嘩が始まった途端、黙々と煙草を吸い続けていたセインがぶちキレた。普段なら盛大な反論が返ってくるところだが、二人は瞬時にぴたりと黙った。
『ええ、それが賢明だと思いますよ、ふふ』
「……メイスーさんよ、一つ聞きたいんだが、何でてめぇはちゃっかり、”そっち側”にいやがるのかなぁ、俺様とっても疑問だなぁ」
メイスーはまだ手に持っていたガラガラを一振りすると──バックロー号の最深部である船倉の一角にある、頑丈な壁に囲まれた小さな部屋、通称「地獄の間」を三日月に似た眼で見つめ、”中にいる”彼らに向かって愉しげに答えてやった。
「私はあなた方と違って、船内の予備材木をいじったりもしていませんし、船長室を荒らしたりもしていませんし……それでどうして船長や副船長の怒りを買えるでしょう? 私はただ、ガラガラを戯れに鳴らしていただけですから……ね」
途端、壁の向こうから四人分の盛大な文句があがるのを、仮面に似た微笑で無視して、メイスーはふと可笑しげに天井を見上げる。
「それにしても皆さんがこの状態となると、いったい誰がお二人を迎えに行くんでしょうねぇ」
「…………」
ラブ部屋改め、スーラおばさんの海上ラブホから飛び出したログゼとミンリーは、目の前にある光景に愕然として、足を止めた。
いったい何がどうなってそうなったのか、そこは海のど真ん中にある小さな小さな小島だった。
「──な」
ラブホ一軒だけがポツンと建つ小島岸から広がるのは、果てのない海。
船らしき影は一切見えず、小島の周辺には島ひとつない。
「なんでぇえ──!?」
「ところで……コレ、あんたら持ちらしいから。さっさと払っとくれ」
「金!? ……も、持ってきてるわけないだろ、金なんて!」
「……はい、あんた今日から二ヶ月、皿洗いね」
「え、いや……というか、俺まだ状況すら理解してな……!」
「ヘイ! ジョナサン、こいつら厨房に連れてきな!」
「イエス・マム・スーラ!」
「……っマッチョー!? いや待ってくれってちょ、ミ、ミンリー……!」
「ロ、ログゼ……!」
「おらキリキリ働きな!次のお客が来たよー!」
「……いやだから俺は──俺はただ……っ」
「普通にラブロマンスしたいだけなんだ──────!」
スーラおばさんの厨房へと引きずりこまれながら、ログゼは虚しく空へ向かって吼える。
だが無情にも二人を飲み込んだ厨房の扉はパタリと閉じられ、中からは早速仕事を命じられる声が響いてくる。
空は次第に暮れはじめ、海上ラブホはいよいよ客足を伸ばし……、
ラブロマンスには、当分、至らない。