第十話 |
少々拍子抜けした、というのが正直な感想である。 どれだけ無駄足を食わされていたのだろうか。見飽きた変哲の無いフロア表示の壁は当然のように、硝子張りの壁に囲まれた広い空間となって二人を待ち受けている。ここが目的地としていた展望台である事は明らかだった。 「なぁんだ。ククッ……ご覧、ミッキー」 ガイは込み上げる可笑しさをそのままに、足元で踊るネズミを抱え上げる。それは抱えられながら大きな手を口元に当ててカタカタと音を出し、彼の笑みを真似だした。 「僕達は誰かに見られているのか知ら?」 延々と続く螺旋が呆気無く終焉を迎えたのは、きっと偶然ではない。ガイが目的を見つけた瞬間から、空間が彼を受け入れたのだ。 「……」 ふと、ガイは足を止めた。 (―じゃあ、さっきの目玉は……?) 「……」 そのまま身動きしないマスターにどうしたんだいとでも言うように、ミッキーがガイの眼前で両腕を振っている。 「―……ああ、何んでも無いよ、ミッキー」 暫く口を噤んで静止していた彼はやがて嘲り笑うように一笑すると、そのまま広間に足を踏み入れた。 だが最初の一歩と同時に、パキッ―と軽快な音がひとつ。 「おや」 ガイは自分の足が生み出した音にきょとんと眼を丸めて、辺りを一通り見回してみた。薄暗い所為で気付かなかったが、滑らかな床は硝子や機械がばらばらに散らばり見事に惨憺たる状況である。 「歩いてみるかい」 そこで抱えていたミッキーをそっと降ろすと、飛び跳ねながら広間を回り始めた。ひとつ歩けばひとつ音が鳴り、それを避けようと足をずらせばまた音がする。きゃら、きゃら、ぱきっ。きゃら、きゃら、ぱきっ。―宛ら旋律(メロディー)のようだった。 「鋼鉄の瓦礫じゃこうは行かないだろうね……」 ガイは楽しそうに音楽を紡ぐミッキーを眺めながら、縞模様の帽子を被り直して小さく笑みを零す。 ―しかしそれは、微笑ましさからではない。 きゃら、きゃら、ぱきっ。かしゃん、きゃら、かつん―ぱきっ。 ……遠くから微かに混ざる不協和音に耳を澄ます。 規則的なリズムが二つ、ガイの前後で奏でられている。一つは彼の目の前で跳ね踊る、他でもない機械人形の演奏。跳ねて、跳ねて、着地。その繰返しだ。 「ふぅん―」 ガイはその音を省いてもう一度耳を澄ました。 ぱきっ、かしゃん。ぱきっ、かしゃん……一歩一歩、何かがこちらに歩み寄っている。とてもゆったりとした足取りで、慎重に足を進めている。右、左、そしてまた―…… 「ミッキー!」 突如、ガイが声を上げる。跳ねていたミッキーは軽やかに跳躍して彼の頭上を飛び越え、くるりととんぼ返りをしてみせた後、両腕を手前に勢い良く伸ばす。 ―刹那、心地良い程に高良かな金属音が薄闇の中に響き渡った。 ◆ アクセルを踏んでいるわけでもなく―寧ろ必死にブレーキを踏んでいるのだが、猛スピードでバックする車は一向にその動きを止めてくれない。しかも時折、器用にカーブまでしてくれる。 (―なぁに!?何したの?どうして!) ルエルは両手で精一杯ハンドルを握り、高速で過ぎて行く風景を見送っていた―が。 「え……」 ―バックミラーにビルの壁がちらりと映った直後、凄まじい轟音と衝撃に襲われて車はぴたりと動きを止めた。 (あれ?) 弾き飛ばされることを―最悪命を落とすことすら覚悟していたルエルは、何の変化も無いと思われる自分の身体をぺたぺたと触って無事を確認する。 「……ビックリしたぁ!」 奇跡的に痛みも出血もたんこぶも無いことが解ったところで、ばくばくと高鳴る胸を抑えながらずるりと座席の背に寄りかかった。だがその時、視界がハンドルから低い天井に移って行くところで―見覚えのある何かが映る。咄嗟に視線を逸らすが、深呼吸と同時に恐る恐るその正体を確認した。 「!……う、うえに、居たの?ずっと」 ―ルエルの表情がたちまち強張る。つい先程彼女の度肝を抜いたあの目玉が、冷静に彼女を見据えていたのだ。しかし性分なのか、今度はルエルも随分落ちついてそれと見つめ合う。 その時―目玉が機械的な”瞬き”を二、三回繰返した。 『最初は、カド。終わりも、カド』 『カドなしでパズルは解けない』 直後、備えつけのカーナビから男性とも女性ともつかない音声が流れる。 「カドが無くても、パズルはできるんじゃない?」 ルエルはそんな音声の言葉に対して、首を傾げながら苦笑った。例えどんなに気味の悪い目玉も、見慣れてしまえば彼女にとって大した事は無いのかもしれない。 『正解が無ければ、間違いも又闇の底』 『カドは正解を見つける為の道標』 『はじめありて、おわりありき』 目玉は構わず続きを紡ぎ、ルエルの頭上を小さく浮遊して何度も瞬く。 「な、何!」 ルエルが得体の知れない動きに警戒して、目玉から視線を離さないようにしていると―やがて目玉は動きを止めて緩やかに彼女の膝に落下した。 「ひっ―……」 思わず背筋が凍ったが、想像するより感触は無機質である。 「……ワケ、わかんない」 ルエルは唇をへの字に曲げて指先で目玉を突付く。―もうちょっと可愛ければいいのに、と当ての無い愚痴を零しながらそれを片手に車を出た。もう、何があったって驚かない―……そんな決意を胸に秘めて。 ―しかしこの直後、ルエルは建造物の壁に車体の半分以上がめりこんでいる事実に、その決意をあっさりと打ち砕かれる事になる。 ◆ ホテルの―とはいってもやはり無人の―ロビーに辿り着いた所だった。 「フツーの、女の子だよねぇ……」 「……こんな”フツー”あるわけないやん」 司貴の背中に揺られて小さな寝息を立てている万要を眺めながら、浅海が言う。その言葉に紅は表情を歪めた。 「ああ、嫌だねぇ。そういう貧困な発想しか出来ないと言うのは」 「何や」 「こうやって眠っている万要ちゃんの可愛らしさのことを言っているんじゃないか。それなのに君はいつまでも細かい事に拘って―」 「……」 「ん?珍しく大人しいじゃないか」 しかしいつもの口論が始まると思っていた司貴の予想に反して、紅は口を噤む。これには浅海も首を傾げたが、彼は黙って司貴の背中を指さした。 「……起こしてしもたら可哀想やん」 「そうだよぉ……うん、折角、眠ってるもん」 司貴は二人の声ににこやかに微笑んで頷くと、背中の万要を優しく揺らす。 「それにしても眠りながら悪質な不良を改心させるなんて、万要ちゃんは将来が楽しみな子だ」 「……」 ―紅の拳が司貴の横で虚しく空を切った。 本来ならばかなりの料金を払わなければ立ち入る事の出来ない場所ではあるが、何しろ今は彼等の貸し切りである。四人はエレベーターで最上階まで上ると、スウィートルームの扉を開けた。 「すごぉい!キレイだよー」 「視界が高いね」 「へぇ」 浅海は美しく整えられた家具類よりも先ず、窓に広がる夜景に目を奪われていた。司貴も万要をベッドにそっと降ろすと、浅海の隣に立つ。紅は何時の間にか持たされていた全員のカバンを隅に固めて、部屋を探索している。 ―三人が一通り観察を終えた所で、紅が口を開いた。 「んで、部屋は全員一緒でええんか?」 「あたしは、別にいいよー。何かあったら、危ないし」 「致し方ないだろうね、状況が特別だ」 そして三人がお互いに顔を見合わせる―……直前だったか、直後だったか。 ―天井のシャンデリアが小さく揺れた。部屋自体にも僅かに振動が走る。 「何や!」 紅と司貴が辺りを見回しても特に異変は見当たらない。しかし、窓際に居た浅海が小さく声を上げた。 「車が、刺さってるー……」 「は!?」 「……おやおや」 窓から見下ろしてみると確かに車が突き刺さっていた。車体が半分も見えないということは、それより後ろはホテル内部に突入していると言うことに他ならない。 「あれぇ、ちゃんと、前向いてる……」 だがよくある交通事故と異なる部分としては、まるできちんと駐車をするように―バックの形で車がめりこんでいる事か。 「とにかくココで物が動くっちゅう事は、そこに俺らと同じような”参加者”が居るんやろな」 「行ってみるかい?」 「万要ちゃんは……」 「ええよ、とりあえず俺が様子見てくるわ。おっさんと浅海ちゃんはここで休んどき」 有無を言わさず―とはいっても、反論するといえば司貴だけなのだが―言い放ち、紅は扉を開ける― 「あぁッ!?」 「ん……」 振動にも目を覚まさなかった万要だったが、突然耳に入った男の大声にびくりと身体を反応させた。 「ちょっとー……」 「全く、君は―」 浅海と司貴が紅を睨み見ると―……叫びこそしないものの、そのまま目を丸める。 扉の向こうに、丁度眼球のような形状をした機械が四つ―それも綺麗に整列して浮いていたのだ。 ◆ ―二つに割れた目玉のような物体が、稲光と小さなノイズを発しながら床に転がった。 阿小夜(あこや)は乱れた息を整えて、手にした刀を静かに鞘に収める。何気無く額に手を当てると、指先にじんわりと汗が滲んだ。 「惑わされるな、敵はきっと落ちる……!」 「疾風(あこや)に惑わされるな!進めェ―……!」 馬の鳴き声。刃の交わる音。崩れ落ちる者。降り注ぐ矢。 「うわぁっ!あ、あ……っ」 「……私の名を捜しているのか」 「あ、あこ……あこや……」 震える肩。零れる涙。大地に転がる刀。煌く剣閃…… ……つい先程まで、阿小夜は血腥い空気に満ちた戦場に居た。しかし歩兵の首を一つ跳ねた瞬間、自分の視界を朱以外の何かが染める。それを振り払う様に眼を固く閉ざした時から、自分はこの場所に立っていた。透明な板に囲まれた空間……奇妙なものに取り囲まれた、何とも非現実的な世界である。 「お……」 彼女は暫く呆然としていたが―やがて何かに取りつかれたように、得体の知れぬもの全てに向かって刃を振り翳し始める。跳ね返った硝子の破片に頬を掠められるのも構わずに、一心不乱に破壊を繰返した。 (私は……命を落とした、と?) ―それからどれだけの時間が経過したのか解らないが、床一面に残骸が散らばったところで阿小夜は漸く我を取り戻した。乱れきった色素の無い長髪を整えながら、自らの手で破壊した異世界を改めて見回す。 彼女がここに来て初めて”動くもの”を見たのは、その直後のことだった。 「これは……」 阿小夜は転がる目玉の残骸を眺めながら、自分の中で何かが熱く込み上げてくるのを感じていた。 (そうだ―……例えどんな場所であろうと、自分が存在していて、はっきりと意識も保てているならばそれで構わない。その中で生き抜いてみるだけ……) ―自然と、笑みが込み上げる。 きゃら、きゃら、ぱきっ。 きゃら、きゃら、ぱきっ。 (……) ふと―阿小夜は小さな足音に気が付いた。だが一歩その音に近づくと同時に、鋭い視線を感じる。 (一人ではない……?) 無用心に立てられる足音の主と、鋭く自分を見据える視線の主が同じだとは考え辛かった。 奮ったばかりの刀を再び空気に晒して、阿小夜は強く地を蹴り視線の元へと飛び掛かる。 「!?」 「物騒な事をするね……」 しかし彼女の渾身の一撃は標的に届く事無く、無用心な足音を立てていたであろう人物― いや、小さな機械人形に遮られていた。 |
written by 茸紗織 2003年03月09日公開 |