喉笛の塔はダミ声で歌う

第18話 交わされた誓い

 足もとの溝を流れる、よどみ濁った川。
 卵型をした煉瓦づくりのトンネルにわだかまる、深い闇。
 音という音をかき消す、激しい流水音。
 そして、風に乗って流れてくる悪臭。

(七日ぶりの下水道だ)

 懐かしい。
 オースターはなんだか胸がいっぱいになって、歩道に立ちつくした。
(七日前ここに来たときは、まさか次に来るとき自分が皇太子になっているなんて思いもしなかったな)
 まして下水道を「懐かしい」と感じるなんて思ってもいなかった。オースターは苦笑いし、ランファルド地下世界の闇を見つめた。

〈下水道第十八区口〉。
 いつもの待ち合わせ場所だが、トマの気配はどこにもない。

 衛生局には「今日から授業を再開したい」と電信を送り、了承の返信ももらってあった。だが、急なことだったし、まだトマにまで伝達がいっていないのかもしれない。
(はやくトマに会いたいな。会って、君の力になるよって伝えたい)
 喜んでくれるだろうか。頼りにしてくれるだろうか。
 少しはオースターに期待をかけてくれるだろうか。
 オースターは痛みの消えない腹部を押さえ、トマの姿を探して闇に目をこらす。
 ふと、右手に伸びるトンネルの奥のほうで、なにかの影が動いた気がした。オースターはぱっと顔を明るくし、トマ、と口を開く。
 その唇が、動揺にわなないた。
 なんの前触れもなく、黒々とした闇の中からカンテラが放つ白光の中へと、ぬめり竜が顔をのぞかせた。
 全身が緊張し、冷や汗がどっとあふれる。オースターは息を殺し、無意識にあとずさり――背中になにかがぶつかった。
 悲鳴をあげかけた直後、口を塞がれた。とっさにもがくオースターの耳元で、聞き覚えのある太いダミ声が囁きかけてくる。
「お静かに。まだこちらには気づいていません」
 掃除夫だ。オースターはこくこくと何度もうなずく。
 ふいに、かたわらに背後の人物とは別に人の気配を感じた。目だけをそちらに向けると、そこにはトマが立っていた。ぬめり竜を見据えたまま、腰の工具鞄に手を添えている。
 安堵がこみあげてきて、オースターはふたたびぬめり竜の動きに注意を向けた。
 じりじりと時間がすぎてゆく。ぬめり竜はゆっくりと身を転じ、やがて右手に伸びる細いトンネルへと消えていった。

「……やあ、焦った。さ、もう大丈夫ですよ、オースター様」

 長い尾が闇のなかに吸いこまれていってしばらく、口を塞いでいた手が離れた。
「どうもすみません、こんな汚れた手で。ぬめり竜との距離がもうちょっと離れてたら、パパパッとひと洗いしたんすけどね」
 冗談めかした口調に、オースターは背後の掃除夫を振りかえった。
 オースターが悲鳴をあげないようにしてくれたのは、トマが慕ってやまない掃除夫のマシカだった。筋肉質の大柄な体、がっしりとした太い首、顔立ちは温和そのもので、今もオースターを安心させるように頼もしくほほえんでいる。
「びっくりした。こんなところにまでぬめり竜が出るなんて思いもしなかったよ」
 急に気が抜けて、オースターはがっくりと肩を落とした。マシカがさりげなく背中を支えながら、にっと笑う。
「大雨が降ると、たまにこうなるんです。雨で下水道が増水するでしょう? ぬめり竜が巣穴がわりにしている管にも水が流れこむもんで、ときどき運の悪いやつが、押し出されて、流されて、迷子になっちまうんです」
「迷子って言うと、なんだかかわいいけど」
「かわいいですよー。餌場からも離れちゃったもんだから、空腹をおさえきれずに容赦なく襲ってきますからねー」
「わあ、それはかわいいやー……」
 マシカがくっくっと笑った。
「だから雨が降ったあとは、みんなでひととおり下水道をパトロールするんです。普段いない場所にぬめり竜がいないかどうか。流木だとか、大きなごみが管をふさいでいないかどうか。ぬめり竜が巣穴に戻るのに、だいたい三日はかかりますね。……いやあ、走ったのは正解だったな、トマ!」
 マシカがトマに水を向ける。
 ぬめり竜が入っていった管を覗きにいっていたトマは、無言で戻ってきて、気まずげに顔をそむけた。
「走ってきたの?」
 言われてみると、マシカも、トマも、全力で走ったあとみたいに汗をかき、乱れた前髪が額に張りついていた。
「ええ。こいつ、衛生局からの言づてを聞くなり、いきなり走りだしちゃって。なあ、トマ?」
「…………」
「けど、心配が的中したな。よく迷わず、己の予感に従った。えらいぞ」
 トマはずっと仏頂面だ。だが、マシカは気にした風もなく、むしろからかうように、汗に濡れた頭を両手で掻きまわした。そこでようやくトマが「子供扱いすんな」とダミ声をあげた。
「べつにこいつの心配をしたわけじゃないから。うまく食われてくれりゃいいけど、中途半端にかじられて、死なれて、死体が管に詰まったら、後処理が面倒になると思っただけだ」
「またまたー。オースター様が授業を休まれているあいだ、ずーっと『あいつ、具合悪いのかな』とか『寝こんでるんじゃないかな』とか、うるさくしてたくせにぃ。口を開けば、公爵がー公爵がーって、本当うるさ――っもがぁっ!」
 トマが両腕をうんと伸ばして、マシカの口を無理やり塞いだ。マシカはにぃっと目を細くすると、トマの両脇に手をさしいれ、軽々と肩に担ぎあげる。肩のうえで暴れるトマ、豪快に笑うマシカ――オースターは目をぱちくりさせた。
(トマってば、いつも大人びて見えるのに、マシカの前だと子供みたいだ)
 オースターはこらえきれずに笑いだした。
「おろせよ、マシカ!」
 トマがそれに気づいて、浅黒い顔をそれとわかるほど真っ赤にする。マシカはにんまり笑ってトマを床におろした。腹いせにマシカの脇腹に拳を叩きこんだトマは、いらいらした様子で壁ぎわまで下がった。
「さあて、トマ。おまえが待ちに待ったオースター様が来たわけだけど」
「待ってねえ!」
「あ、待ってたわけじゃなくて、首を長くしていただけだっけ?」
「してねえ!」
「で、どうする? 例の計画、今日やるか?」
 例の計画。きょとんとしていると、トマが不本意そうに顔をしかめた。
「マシカがそうしたいなら、べつにいいけど」
「そうしたいのは、トマだろう? ほんと素直じゃないねえ、おまえは」
 マシカは苦笑しながら、ふたたびトマの頭を大きな両手で掻きまぜて、「じゃ、またあとで」と軽く手をあげて去っていった。
「……え、マシカ、どこに行ったの?」
 とつぜんのことに目を白黒させると、トマは固い声音で答えた。
「〈ティリアの葉脈〉」
 オースターは首をかしげる。
「ティリア……ということは、ティリア街道の地下だよね。ええと……つまり、今日はそこで仕事をするっていうこと? トマと、僕と、マシカとで?」
「文句あんのか」
 今日はやたらとつっかかってくる。オースターはますます怪訝に思って、「べつにないけど」と答える。トマはふいっと顔をそむけ、マシカが向かったのとは別の通路に足を向けた。
 オースターはあわてた。
「あ……待って、トマ!」
 トマが足を止め、振りかえる。
「今日、僕は君に伝えたいことがあって来たんだ。マシカもあとで合流するなら、ふたりだけのうちに言っておきたくて」
「……なんだよ」
「このあいだの話。公園でのこと」
 びくり、とトマの体が震えた。
「トマ、僕に言ったろう? 『力を貸してくれ』って。あのことだけど――僕は、君に力を貸したいって思っている。トマがどんな助けを必要としているのか、まだよくわかっていないけど……僕にできることなんて、たかがしれているかもしれないけど。それでも、君が望むなら、僕は君の助けになりたい。今日は、それを伝えにきたんだ」
 決意が鈍らないうちに一気に言いきって、オースターは隠しきれない不安を胸に、トマに顔を向けた。
 トマは呆然と目を見開き、オースターを見つめていた。


 それからトマはずっと無言だった。
 オースターの言葉になにを答えるでもなく、ただ必要最低限のことだけを口にして、あとは黙々と歩きつづける。
 今日の目的地だという〈ティリアの葉脈〉は、すこし遠くにあるという。途中まで汚水回収車ホロロ四号に乗って移動し、幹線をはずれたところで下車、鉄梯子を何度ものぼって、さらに螺旋階段をのぼる。
「ずいぶん上に上にって移動するんだね。これも上に行くんだろう?」
 昇降機に乗りこみながら、オースターは問いかける。
 下水道で昇降機に乗ったのは、これがはじめてだ。大公宮にあるきらびやかな内装の昇降機とは違い、鉄格子で囲われただけの簡素なつくりだった。
 トマがレバーを回すと、不気味な軋みをあげて、昇降機が上昇をはじめる。
「昇降機の扉を開けたら、なかにぬめり竜がいた、なんてことはないよね」
「……さあ」
 冗談を言ってみるが、トマの反応はあいかわらず鈍い。ただ、そういう可能性もあるということを思いだし、気を引き締めたのか、工具鞄にそっと手を置いた。
 ガタゴトと揺られてたどり着いた先は、比較的新しい水道のようだった。
 幸いぬめり竜はおらず、オースターはぱっと顔を明るくする。
「ここ、ずいぶん新しいんだね。いつもの下水道と雰囲気がちがう」
 作業灯のともった幅広の歩道がついていて、顔をしかめたくなるような悪臭もなく、溝を流れる水も透きとおっていた。
「この葉脈にも名前はついているの?」
「あんた、皇太子になったんだってな」
 不意打ちを食らった。
 胃がぎゅっと縮まり、顔から血の気が引く。
「あ……うん。知っていたんだね」
 こちらに背中を向けたまま、トマがうなずく。
 オースターは笑おうとして、笑うことができずにうなだれた。
 朝、ラジェが用意してくれた新聞の記事は、アラングリモ家が次期大公家に選ばれたことを歓迎する論調だった。だが、変装を兼ねた作業着姿で環状線に乗ったとき、市民が大きく広げた大衆紙の一面が目に留まった。「金で買った皇太子の地位」という見出しが躍っていた。
 市民はすでに知っているのだ。アラングリモ家が――母が、オースターを皇太子とすべく、〈喉笛の塔〉改造計画に多額の資金を投じたことを。
 トマはなにを言おうとしているのだろう。
 トマは本音を隠さない。恐れずにオースターをこきおろす。
 それを聞きたくないような、それとも聞かせてほしいような、複雑な気持ちがこみあげてくる。
 だが、トマはそのどれでもない言葉をつづけた。
「あんたが皇太子になったって知ったとき、もうあんたは下水道には来ないだろうって思った。ここの仕事を続けてたのは、名誉とか、ルピィ・ドファールへの面子のためだろう? それが達成されたなら、ここに来る理由なんてもうないから」
 言葉に詰まるオースターに、トマは「ラクトじいじもそう思ったみたいだ」とつづけた。
「あんたはもう来ないだろうから、最初の約束どおり、来月からおれを〈アニアシの葉脈〉の担当にするって、そう言ってくれた。だからおれは、今朝までそのつもりでいた。そのつもりで……準備を進めてた」
 いろいろと、とトマは小さく呟く。
 オースターは目を見開き、青ざめた。
「ごめん。〈アニアシの葉脈〉ってトマが最初に言っていた大公宮の地下にある下水道のことだよね? 僕の教育係にならなければ、トマは今ごろそこで働けているはずだった……」
 トマはうなずき、オースターに向きなおった。
「でも、もういい。おれ、あんたを信じるよ」
 さらりと言われて、オースターは目をぱちくりさせた。
「あんたにはもうここに来ないって選択肢だってあった。いつだってあったし、特に今回はなおさらだ。なのに、来た。しかもおれに力を貸すためだって言う。だから、あんたを信じてみる」
「あの……ありがとう、信じてくれて」
 どう答えていいかわからずに格好のつかない答えを返すと、トマはうつむいた。
「今日あんたが来なかったら、おれはなにもかもぜんぶを終わらせるつもりだった。でも、それをすればマシカやみんなに迷惑をかけるってこともわかってた。ルゥだってかわいそうなことになる。けど、わかっているのに、だめなんだ。もう限界だ。これ以上、耐えられない。……もう自由になりたい」
 心の奥底から絞りだすように言って、トマは唇を噛みしめる。
「それでも、あんたが力を貸してくれるっていうなら信じたい。おれの命を、あんたらと同じだけの価値があるって言ってくれたオースターがそう言うなら、もうすこしだけ耐えてみる。だから――」
 オースターを見つめるトマの瞳に、すがりつくような必死の光がともった。

「おれを裏切るなよ、公爵」

 トマが顔をゆがめる。
「あんたが裏切ったら、おれはもう自分を止められない。みんなを巻きこんで、全部めちゃくちゃにしちまう。だから、ぜったいにおれを裏切るな、オースター」
 トマがいま口にした言葉の半分も、オースターには意味を理解することができなかった。
 けれど――貴族は嫌いだと言ったトマが、貴族であるオースターを信じるということは、どれほど決意が必要なことなのだろう。そこに思いが至るほど、トマは必死に見えた。身の内からあふれてくる怒りを懸命に抑えこんでいるように見えた。

 オースターの体が恐れに震えた。
 それと同時に、熱い力がみなぎっていく。
 トマが自分を信じると言ってくれた。
 体のなかの空っぽが、トマの期待で満たされていく。

「僕は君を裏切ったりしない。誇りたかきオースター・アラングリモの名にかけて」

 手をさしのべる。握手を求める手だ。
 何度も無視されてきたけれど、今日はちがった。
 トマは今にも泣きだしそうな顔でオースターの手を見つめ、思いがけないほどそっと指に触れた。
 まるで壊れものに触れるように。ちょっとでも力をこめれば、この約束は砂となって消えてしまう、そう恐れてでもいるかのように。

(僕の約束は、そんなに柔いものじゃない)

 オースターはトマの手を強引に掴んだ、両手でぎゅーっと握りしめた。
 トマは目を見開き、そして、これまで見たことがないほど穏やかにほほえんだ。
「いてぇよ」
 オースターはくっくっと笑って、しっかと握った手を離した。
「さっそくだけど、今日、仕事のあとに時間をもらえる? トマがいまどんな問題を抱えているのか、僕にいったいなにができるのか、いろいろと相談したいんだ。話もたくさん聞かせてほしい」
「それなら仕事終わりじゃなくて、〈ティリアの葉脈〉で話をしよう。聞きたいことはなんでも教えてやるよ」
 これが本来のトマの表情なのだろうかと驚くほどに柔和に顔をほころばせて、トマがランタンを前方に掲げた。

「あの管に入るぞ」

 つられて前方に目をやったオースターはぎょっとなった。
 少し先で、複数のトンネルが合流し、それぞれから流れだした水がひとつの大きな流れをつくって、奥の暗闇に向かって消えていくのが見えた。
「管って、あの奥の真っ暗闇のこと? 飛沫があがっているけど」
「そう。螺旋状の下り勾配になった管だ。傾斜はゆるいけど、水量が多くて流れが強いから、この縄でおれとあんたをつなぐ。おれが先に行くから、あんたは背中にでもしがみついて流されないように注意しろ」
 ふたりは暗闇の近くまで歩道を使って近づく。
 螺旋状の管とやらには歩道がなく、どうやら飛沫をあげる水の中を下っていかなくてはならないようだ。
 トマが怯むオースターの腰ベルトと自分のベルトとを縄で固定した。「行くぞ」と声をかけ、流れの中に足を踏み入れる。
 深さは足首程度だが、水圧はなかなかのものだ。
「ぼやっとするなよ」
 トマが壁に刻まれた溝に指をひっかけ、管をおりはじめる。水が防水靴を容赦なく叩き、隙あらば足をすくいあげようとする。
「おい、気を抜くと体を持ってかれるぞ」
「わ、わかっているけど……うわ!」
「なにしてるんだ。掴まれ、ばか」
「だから、すぐにばかって言うのやめ――うわあっ!?」
 流れに押され、オースターはトマの脇腹にしがみついた。
「ちょっ、脇はやめ――」
「あっ」
 くすぐったそうに身をよじったトマが体勢を崩した。さらに、無謀にもそれを支えようとしたオースターが水流に足をとられる。
 あっという間だった。ふたりは折り重なるように転倒し、水の流れに呑みこまれ、錐揉《きりも》みされながら、すさまじい勢いで螺旋状の管を滑り落ちていった。
 天も地もわからない。
 無我夢中で足掻くうちに水が口に入る。
 溺れる!
 呼吸ができずにパニックになる。

「っげほ!」

 突然、地面に放りだされた。ごろごろと転がり、ようやく止まったところで水を吐きだす。
 必死に呼吸を整え、トマの姿を探すと、すぐそばでずぶ濡れになったトマが猛烈に落ちこんだ様子で呟いた。
「……悪ぃ。……ぼやっとした……」
 オースターは突然、笑いの発作に見舞われた。
 咳こみながら笑い転げて、ぜえぜえと身を起こす。
「し、死ぬかと思った」
「悪かった」
「も、もういいよ、笑い死んじゃう」
 水と涙を一緒に濡れた手で拭って、オースターははっと青ざめる。
「ここの水って。の、飲んじゃったけど……」
「大丈夫。下水じゃない。飲料用ってわけでもないけど」
「下水じゃない? わああ……!」
 オースターはそのときはじめて自分がどこにいるのか気づいた。

 そこは静謐《せいひつ》な空気をたたえた地下神殿だった。

 広々とした空間に列柱が並んでいる。壁に開いた無数の穴から水が滝のように流れ落ち、地面に張りめぐらされた水路を通って、どこか別の場所へと運ばれていく。
 驚いたことに頭上から光の帯が幾筋も射していた。
 見上げると、天井には樹木のものと思われる無数の根がカーテンのように垂れさがっており、その隙間から陽光が射しこんでいた。
「すごい! ここ、なに!?」
「公共用水の貯水槽だ。ティリア街道の西側にある〈死者の酒樽広場〉の下にある。公園の噴水や、清掃用、消火用の水を溜めておくとこらしい。ちゃんとした名前があったと思うけど知らない」
「トマでもわからないことがあるんだね」
「本に載ってるようなことはなにも知らねえって、前に言っただろ」
 ぶすっとして言うので思わず笑ったとき、視界にひょっこり幼い顔が飛びこんできた。
 黒い三つ編みをした、つぶらな瞳の少女――ルゥだった。
「あれ! こんにちは、ルゥ。僕のこと覚えている?」
 ルゥがうなずき、どこか嬉しそうに顔をほころばせる。
「前は葉っぱを鼻に詰めるといいって教えてくれてありがとう。すごく役に立ったんだ。今では葉っぱいらずになったけどね」
 ずっと言いたかったことを伝えると、ルゥが口を開けて笑った。
 あんまり大きく口を開けたので、前歯が一本、抜けているのが丸見えになった。生えかわり途中のようだ。
(可愛すぎる!)
 無防備な笑顔に内心で悶えるオースターである。
「豪快な溺れっぷりでしたね、オースター様」
 今度は、野太いダミ声が頭上から降ってきた。
 姿を探すと、壁面に設置された鉄梯子にマシカがしがみついているのが見えた。
 ずぶ濡れのふたりに向かって、陽気に手を振る。
「今日はここで仕事をするんだよね? マシカと、それにルゥもいっしょに?」
 期待をこめて、頬を赤らめて再確認すると、地上までおりてきたマシカが苦笑した。
「なんだよ、トマ。まだなにも話してないのか?」
「……こいつがうるさいから、言うタイミングを逃しただけだ」
 トマが気まずげに答え、オースターに横目を向けた。

「今日は、仕事をサボる。あんたも付きあえ、オースター」

第19話へ

close
横書き 縦書き