小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|ポインセチアの赤い夢




「ポインセチアの赤い夢」


 クリスマスはほんの一夜限りの、儚い夢にすぎない。


 大都市の磨き抜かれた表通りには、ポインセチアの植わった煉瓦造りの花壇が、路肩を華やかに彩っていた。赤い花壇は冷気で白く凍てつき、街燈の光を受けてきらきらと輝きを放っている。
 その煌きの上に、無遠慮に腰を下ろしたウェイは、白い息を吐きながらそう思った。
 通りを闊歩する親子連れや、恋人たち。普段よりも少しばかり洒落気のある服を身にまとって、目の前を通り過ぎてゆく彼ら。
 対照的に、着古したコートのポケットに手を突っ込んで、一人息でサングラスを曇らせている自分は、クリスマスの雰囲気に満ちた表世界には、およそ似つかわしくない。
 ウェイは凍えるような寒さに身をすくめながら、遥か頭上にまで聳え立つ大都市の岸壁を見上げた。見えない空からは、小さな白い妖精がふわりふわりと降ってきているが、それらは積雪防止のため、地上に届くよりずっと前に、暖風浮遊装置によって溶けて消えてしまう。まるでホログラムの雪でも見ているようだ。
 上空には灯りの燈ったリースや、サンタとトナカイの飾りが浮遊していたり、あるいは建物と建物の間に吊り下げられていたりと賑やかだ。地上にも、上空を走る空中遊歩道にも、天使たちが宿る大から小のツリーが設置され、きらきらと幻想世界を創り出している。
 クリスマスだ。
 厳粛な気持ちと、温かな笑顔をくれるはずのクリスマスだ。
 彼らはそれを、演じている。
「……」
 ウェイは嘘じみた、氷の微笑を浮かべる通行人たちを無言で見つめて、そっと目を伏せた。
 絡めた腕の温かさも、繋いだ手の柔らかさも、彼らはまるで感じていないのではないかと思う。年中行事の一環として、ただ事務的にクリスマスを「こなす」かのような彼らの目は、一度たりとツリーやポインセチアに見とれたりはしない。
 それは虚構のメリー・クリスマス。


 数分後、誰もいなくなった煉瓦造りの花壇を、再び白い霜が覆い始めた。

+++

 人口の大森林の中に根付いた、超高層型都市ファースト・ジオ・マンハッタンの裏側には、一部で「塵市場」「風俗通り」などの蔑称で呼ばれる、薄暗い裏通りがある。一般にそれは「裏通り」とだけ呼ばれるが、実際には通りなどと小さな区分で呼べるような、狭い区域ではない。一本の大通りを幹にして、大小様々な小道が入り組むその界隈は、ちょっとした町を形成しているほどに巨大で、そして奥深い。
 表通りが美しく清楚なクリスマスを演じるその裏で、裏通りでもまた彼らなりのクリスマスを楽しんでいた。寒い洒落が好きな連中に言わせるところの「狂いスマス」だ。
 薄汚いサンタの衣装を身にまとい、「メリークリスマス!」と叫んでは他人の家に侵入し、多少の食べ物を頂戴して去ってゆく。置いてゆくプレゼントは、その前の家から強奪した、プラスチック製の銀燭台──強奪サンタなどと悪名高い強盗団である。
 娼婦や男娼は華やかな衣装に、赤や白の造花をぶら下げて、通行人たちにあでやかな手招きをする。不思議と普段よりも色っぽく見えるのは、クリスマスマジックのせいだろうか。
 通りの随所に無秩序に置かれたツリーは、歯車や鉄筋、廃棄パイプなどを組み立てて、緑色に塗っただけの無骨なもの。けれど黄熱電球をぶら下げて、暗い通りを彩るさまは、なかなか素朴な美しさだ。
「メリークリスマス。神に商売繁盛を祈る、ウェイ」
 表通りから裏通りへと戻ってきたウェイは、火を燃したドラム缶で暖をとる男に声をかけられ、口端に笑みを浮かべた。「メリークリスマス。神に絶えぬ炎を祈る、ジャン老人」と同じ韻で答えて、花壇から失敬してきたポインセチアの花束を彼に手渡した。
 早速、通りを歩く住人たちに売りさばこうと歩き出す老人を、苦笑して見送って、ウェイは普段以上に賑やかな裏通りをゆっくりと歩きだした。
「赤鼻のトナカイはいかが」と、この寒いのに短パン一丁、上半身素っ裸、頭にトナカイの角を被った商売男が手招きする。七面鳥をその場で捌いて、部分売りをしている男が「捌きたてだ」と売り文句の声をあげる。脇を走り抜けてゆくのは、ぼさぼさの髪をした男の子と女の子だ。笑いながら互いをおっかけっこして、ウェイの周囲をぐるぐると回った。
 奇妙な仮装をした恋人たちは、暖めあうように体を寄せ合って、そこらの裏道へと入ってゆく。親子連れは、中古品の大きなくまのヌイグルミを抱えて、階段を上って家へと入ってゆく──クリスマスには程遠い、だが笑顔と活気で満ちた、それは型破りではあるものの、「楽しいクリスマス」の光景だった。
 表通りのそれよりも、はるかに溶け込めるのを感じて、ウェイはふと感情の判別できぬ表情を浮かべた。
「ウェイ、後で中古屋の集まりに寄ってけ!」
 しかしそれもすぐに掻き消える。頭上の歩道から中古屋の知り合いが声をかけてきたのに手を振って応え、ウェイは小脇に抱えた小さなプレゼントを抱えなおすと、のんびりした足取りで横道へと入っていった。


 横道にそれると、裏通りの活気は途端になりを潜める。
 それでもかすかに聞こえてくる、「そりすべり」の曲に合わせて鼻歌を歌いながら、彼は横道に静かに扉を構えた、一軒の酒場の前で立ち止まった。
 扉にかけられたのは、アンティークな色合いをした、古典的な形のリースだ。
「セットでちょうどいいかな」
 ウェイは笑って、ノブに手をかけた。
 カランカランとベルが鳴って、扉が軋んだ音をたてて開かれる。途端、冷気を追いやる暖かな空気が、爪先や指先、鼻先に耳の端を溶かしていった。
「……いらっしゃい」
 薄暗いカウンターの向こうから聞こえてくるのは、いつも通りの気怠けな声だ。
 店内に目をやると、先ほどまでは客がいたらしい、隅のテーブルに数本、赤と緑の銀紙に包まれたシャンペンの瓶が置かれたままになっていた。しかし客の姿は既にない。
 自分が来ることなどとうに分かっていたようで、アニーは銜えていた煙草を灰皿に押し付けると、紫煙を吐き出しついでに、かすかな微笑を浮かべた。


 琥珀色の液体は、空のグラスに注がれると、心地よい音とともに次々と弾け飛ぶ。
「今日もジャンク映画の帰りかしら……」
「いや、今日は人間観察、はついでで、表通りまで買い物しに」
 ウェイは小脇に抱えていた包みを、少し気恥ずかしげにアニーへ差し出した。その上には、一本だけ抜き取っておいた、一輪のポインセチア。
「さすがに物の質は、表の方がいいからな」
 ウェイはシャンペンの瓶を取りあげた。
 アニーは微笑し、赤いリボンを解き、緑の包装紙を開ける。中から出てきたのはアンティークの小さなクリスマスツリーだ。
 クリスマス当日の、ツリーのプレゼントに、彼女はくすりと楽しげな笑みを浮かべた。
「一夜限りの贈り物ね」
「そう。明日が終わったら、さっさと仕舞う。幻の夜の贈り物は、一夜限りの幻でいい。目覚めた後も夢を見続けるのは、少し味気ないだろ」
 クリスマスの賑やかさも一夜限りだ。それなりに美しく、楽しげに見える裏通りも、明日には雑多で排他で住みにくい、ただのゴミ溜めに戻ってしまう。そんな中で見るクリスマスの名残は、今日見るよりも遥かに嘘と偽善にまみれて見えることだろう。だからツリー。ただクリスマスの時だけを彩る、次の日には存在しないもの。幻のような美しい一夜とともに消えゆく、幻のプレゼント。
 ツリーのガサガサした葉先を指でそっと撫でると、アニーはふと面白そうに笑った。
「夢……そうね、確かに夢のようだわ。知ってる? ウェイ。裏通りの奇跡の話を」
「奇跡?」
「統計では、クリスマスの一夜、裏通りの殺人事件件数は普段の十分の一になるんだそうよ」
「……そりゃ奇跡だ」
 眉を持ち上げて本当に驚くウェイに、アニーはくすくすとそれこそ奇跡のように、普段では見られないような笑い声を零す。犯罪者の巣窟である裏通りで、それだけ事件件数が減るのは、確かに奇跡に他ならない。
「表では、奇跡は起きていたかしら」
 ふと笑みを打ち消して、そんなことを言う。ウェイは彼女用に用意されたグラスにシャンペンを注ぎながら、口を引き結んだ。サングラスで見えない眼差しは、ただ弾ける気泡を見つめる。
「……殺人事件の統計上は?」
 聞きかえすと、アニーは受け取ったグラスに指を絡めて、意味深に目を眇めた。
「そういうことだ」
 ウェイは自分自身も冷えたグラスに手を添えると、あの殺伐とした表通りのクリスマスを思い浮かべた。
 表向き、クリスマスそのものな世界。けれど恐ろしく嘘寒く見える彼らの笑顔。一方、神をも恐れぬ裏通りのクリスマスは、狂喜と錯乱に満ちた型破りだが、人々は幸福そうに見える。
 どちらのクリスマスが本物かと言えば、世間的に見れば表通りの方が本物なのだろう。あれこそがまさしく、「正常」なクリスマスなのだ。サンタクロースが強盗に入るクリスマスなど、どう考えたって狂ってる。
 だが──。
「裏通りが偽物だなんて、誰が言える? あの笑顔が偽物で、あちらの笑顔が本物だなんて……誰にそんなことが言えるんだ」
 カウンターの細かな木目を見つめて、独り言のようにウェイは口走る。
「表の人間だって、あれはあれで楽しんでいるんだろう。裏に住む俺には分からないだけで。けれど──だけど俺は……」
 そこまで言って、ウェイは口を噤んだ。
 彼が何を思うのかは、眼差しを覆う濃緑のせいで、他者に読み取る事は出来ない。
「メリー・クリスマス」
 突然の台詞に顔を上げると、アニーがグラスを掲げて、こちらを見下ろしていた。
 艶やかな赤い髪。表通りのポインセチアは気づけば彼女の襟元を彩っている。花で飾られた酒場の女店主は、まるで夢の中の主のように美しかった。
 ──そう、これはすべて夢だ。
 赤い花壇が色づく表世界も、赤い花を売る老人のいる裏世界も、そしてウェイ自身もまた。
 今、彼らは赤色の夢を見ている。
 そこに本物と偽物の境界などないのだ。
 ウェイはまだ口をつけていないグラスを真似て掲げると、ふと穏やかに微笑した。


「メリー・クリスマス」


 合わせたグラスが、チンッと音をたてた。
 それはたかが、一夜の夢。
 ポインセチアの赤い夢。


おわり





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