小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.007 6



『ウェイ。あなたがいなくて、さびしい』
 映像の中で、ニナが囁く。
『待ってるから』
 ニナが手を振り、映像が終わる。
 ウェイは記録媒体を再起動させ、ふたたび現れるニナの立体映像に意識をこらした。
『あのね、ユンファとおっさんが帰ってこないの。情報屋のクグカに会いに行くって言ったっきり』
 背後で物音がした。ウェイは媒体のスイッチを切り、部屋の入り口を振りかえる。
 エニグマが、ガイの私室の作業机に座るウェイを見つめていた。
「マイケルから話は聞いたよ。本気なの?」
「マイケル?」
「……ああ。いえ。ガイ・フレデリックのこと」
 マイケル。そういえば、ガイの本名はマイケルだったか。
「本気だ。俺は、龍海幇の頭目クグカに会いに行く」
 エニグマが黒い眉をひそめた。
「クグカのところに行ってどうなるの?」
「わからない」
 ウェイは正直に答える。
「以前、俺が連れていた子供を覚えているか?」
 フレデリック兄弟がアルカトラズ監獄を脱獄し、第三裏通りに帰還した日のことだ。
 警察に追われていたニナを、ウェイは気の迷いから助けるはめになってしまったが、そのとき、手を貸してくれたのがエニグマだった。
「ニナって名前だ。事情があって、今、うちに居候してるんだけど……」
 ウェイはこれまでの経緯を簡単に説明する。ガイがウェイにかわって、ニナの様子を見に行ってくれていること。ニナがガイに伝言を託したこと。その伝言のおかげで、ロブとユンファがクグカに助けを求めたらしいことが分かったこと。
「そのクグカが、フレデリックの隠れ家に現れた。多分、俺を助けに来たんだろう。だから、会いに行く。きっと、ファミリーからの離脱に手を貸してくれるはずだ」
「本気でそう思ってる? ウェイ」
「いいや」
 ウェイは苦笑い、ふたたびデスクに向き直って、記録媒体のボディを指ではじいた。
『ユンファとおっさんが帰ってこないの』
 二ナの言葉が気にかかる。
 二人がいつクグカと接触したのかは分からない。だが、ニナの口振りからすると、昨日、一昨日の話ではなさそうだ。
 なぜ、戻ってこないのか。クグカと意気投合して、中華街に長めの逗留をしている、なんてことはあり得ないだろう。ユンファはともかく、ロブが娘のアンジェラを放って何日も帰宅しないなんて考えにくい。
(なにが起きた、ロブ)
 ウェイは太ももの上で、固く拳を握りしめる。
『ふたりとも、ウェイを助けるって言ってた。なにか知ってる?』
 すっかり伸びた爪が皮膚に食いこみ、痛みを放つ。
(俺のことなんて放っておけばよかったのに)
 ウェイはうつむき、強張った体から力を抜く。
 それにしても、だ。
 ニナの口振り、だなんて。
 ウェイが知るニナには、「口振り」なんてものは存在しなかった。
 口振りから、ロブとユンファが何日姿をくらましたままなのか、想像なんてできなかったはずだ。
(本当に、俺がいない間に、なにが起きたんだろうな)
 ガイが、ニナに妙な魔法でもかけたのだろうか。
 ガイなら「It's magic!」の一言で、人形を人間に変えてしまいかねない。
 それとも、ロブだろうか。
 あるいは、ユンファ。
(あんなに手こずったのに)
 道具の使い方を教え、辞書を買ってやり、言葉を仕込んで。
 だというのに、ウェイがいなくなった途端、一気に人間らしくなるなんて。
「…………ふざけんな」
 ウェイはぼそっとニナに文句を垂れる。
「え?」
「あっ、いや、なんでもない!」
 エニグマの存在を忘れていた。ウェイは嘘っぽく咳払いをして、エニグマを振りかえった。
「と、ともかくだ。ガイはあんたに『手を貸せ』と頼んだろうけど、無理強いする気はない。エニグマに害が及ばぬように十分気をつけるけど、それでも危険は大きい。もし乗り気でなければ――」
「まさか。喜んで手を貸すわ」
「……喜んで、なのか?」
「テッドに聞いたよ、ウェイ。ハドソン川の畔で、あなたが私を助けてくれたって」
 ウェイは目を見張る。
「テッドが?」
「私のことなんて捨て置いてさっさと逃げてれば、捕まることも、片腕を失うこともなかったでしょうに」
 エニグマは額に手を押しやり、深々と吐息をつく。
「このまんまじゃ、ユンファに申し訳が立たない。だから、喜んで手を貸す」
「待て。なんでそこでユンファが出てくるんだ?」
 エニグマは非難めいた眼差しでウェイを睨んだ。
「察しの悪い男は、いつか刺されるよ。背後から、グサッとね」
「……あ?」
「まあいいわ。ともかく、ガイとウェイが誰にも気づかれずに、龍海幇のクグカのところに行けるよう手を貸せばいいんでしょう?」
「ああ。策は考えてある。なるべくエニグマに迷惑はかけないようにする」
「別にいいさ。あたしがなにをしようと、たぶん、ジョニーはあたしを殴ることもできないでしょうから」
 ウェイは眉を持ちあげる。
「マイケルって呼び方といい、ジョニーに対するその物言いといい……エニグマはふたりと親しそうだな」
 エニグマは顔をしかめた。
「それはこっちの台詞だわ。ウェイ、いつのまにガイと友達になったの? あの子、ああ見えて、兄弟のなかでもいちばん人見知りで、とびきり神経質なんだよ」
「あー……まー……いろいろあったんだ」
 いろいろありすぎて、一から説明するには時間が足りない。
 エニグマはそれで十分に察したようで、苦笑した。
 そしてふと、やつれてもなお美しい顔立ちを、自嘲するように歪める。
「私がふたりと親しげに見えるなら、答えは簡単だわ。――幼なじみなのよ、私たち」


 狭い電気室に、銃器の類が次々と運ばれてくる。
 フレデリックの一味となった武器商人が手配したそれらを、ウェイは暗い面もちで見つめた。
「武器が必要になることがあるのか」
「アレクセイ・ファミリーに会いに行こうってんだ。丸腰ってわけにはいかねえ。安心しろ、お前には持たせねえよ。いざってときは俺たちの盾になって、『忠義のほどを示す』んだな」
 野太い声で答えたのはブルータスだ。ファミリーの中でも、とくに腕っ節が強いという男で、腕毛がもっさりと生えた腕がやたらと目につく。
 アレクセイ・ファミリーへの挨拶まわりには、ファミリーふたりが付き添うことになった。
 正確に言えば、ガイをリーダーとするファミリー三人に、おまけでついていくのがウェイとエニグマである。
 要するに、見せしめなのだろう。
 中古屋がたしかに陥落した証拠として、ウェイとエニグマのふたりをアレクセイ・ファミリーに見せつける。
「忠義を示せ」だのなんだのと言っていたが、結局、ただそれだけのために連れていかれるということなのだと思う。
 ウェイは、床に跪いて銃器を確認するエニグマに視線をやった。
 ――幼なじみなのよ、私たち。
 エニグマが何者なのか、ウェイはよく知らない。
 ローガン・ストリップ劇場のストリッパーのひとりで、経営者ローガンの秘書。
 道ばたや店先で会えば会話を交わすが、友人と言える間柄ではなかった。
(ローガンの秘書が、フレデリック兄弟と幼なじみか)
 それは、ずいぶん不思議な関係に思えた。
 ふと、べらべらと喋りつづけていたブルータスが不快な笑い方をした。
「だが、エニグマ。あんたは間違っても盾になるなよ。ジョニー坊やの情婦を死なせちまったら、俺がお仕置きされちまうからなあ」
「情婦じゃないわ。顔にお似合いのゲスな勘ぐりはやめてくれる? ブルータス」
 エニグマが冷ややかに答える。
 ブルータスは一瞬、目に殺意を浮かべてから、ふと厚い唇をめくりあげ、エニグマににじり寄った。
「へえ? 俺はてっきり、あんたとジョニー坊やは、毎晩しっぽりとお楽しみなんだと思ってたけどなあ。いつも、これみよがしに一緒にいやがるもんだからよ」
 態度のでかい男だ、とウェイはしげしげブルータスを観察する。
 フレデリック兄弟の前では殊勝にふるまっているが、監視の目がなくなれば、「ジョニー坊や」である。
(中古屋も、フレデリック・ファミリーも、一枚岩ではなかったってわけか)
 ふと、ブルータスがエニグマの顎を掴み、強引に上向かせた。
「クソムカつくよなあ。俺たちのことは、遊ぶ時間もないほど散々こきつかっておいて、自分はしっかりエニグマちゃんとイイコトしてんだからよ」
 エニグマは黒い瞳に怒りを宿して、ブルータスを睨みつける。
「遊ぶ時間がない、だって? よく言う。ジョニーは毎晩、寝る間も惜しんで武器の手入れをしてる。あんたは毎晩、外に遊びに出かけて、明け方になって上機嫌で帰ってくる。ご存じないようだけど、フレデリック兄弟は女と子供には決して手を出さないの。あんたが毎晩、どこでなにをしてるのか知ったら、ビューティはあんたをサンドバックより酷い目に遭わせて、表通りの高層ビルのてっぺんから地上に放り投げるでしょうね」
 ブルータスは顔をひきつらせた。
「……かわいそうなエニグマお嬢さん。ずいぶんイラついてるじゃねえか。なるほど、ジョニー坊やに相手してもらえず欲求不満ってわけだな? いいぜ、なんなら今ここで、俺が体の火照りを冷ましてやるよ」
 ブルータスが彼女の豊満な胸をわし掴んだ。
 ウェイは溜め息をついた。なぜいつもこうなるのだろう。そう思いつつ、備品棚にあったスパナを掴んで、ブルータスに投げつける。
 スパナはブルータスの肩に当たって落下した。大して痛くなかったはずだが、ブルータスは悪鬼のごとき形相でウェイを睨みつけた。エニグマを突き飛ばし、ブルータスがこちらへ向かってくる。よけても無駄なので大人しく待っていると、分厚い手のひらに頬を張り飛ばされた。視界が真っ白になるほどの衝撃。片腕のないウェイはあっさりと転倒する。ブルータスはさらに胸ぐらを掴みあげて、拳をふりあげた。
「やめて!」
 エニグマが叫んだ。
 同時に電気室のドアが開かれ、ガイが姿を現した。
「……ッ」
 ブルータスがとっさに拳を止める。
 ガイは硬直する三人をぐるっと見渡し、腕に抱えたミッキーに頬を寄せた。
「あーあ。また面倒くさい場面に遭遇しちゃったよ、ミッキー。どうする? 逃げる?」
 ブルータスは拳をおろして、ウェイを突き飛ばした。舌打ちしながら、ガイの横を素通りして電気室を出ていく。ガイはブルータスを目で追い、倒れたままのウェイを見下ろした。
「へー」
「……」
 へー、の一言に、百も、二百も、皮肉が隠されていそうである。
「さて、もうすぐ出発の時間だ。その前に、キャロライン。最後に確認しておきたいんだけど、君も僕らに協力してくれるってことでいいんだよね?」
「ええ。好きに使ってちょうだい。このまんまじゃ、ウェイに借りが増えるばっかり」
(キャロライン?)
 ウェイはガイとエニグマとを見比べた。
「なら、今すぐにあのブルドックとバッファローを掛け合わせたみたいな男を追いかけて、懐柔してくることだ。作戦前に、火種は増やしたくないからねえ」
「……そうね。私もだいぶ参ってるみたいね、しくじったわ。ちょっと行ってくる」
 エニグマが溜め息まじりに立ち上がる。
 ふとエニグマがガイとウェイとを見比べた。ウェイが先ほど、ガイとエニグマとを見比べたのと同じように。
「どうしたの? キャロライン」
「いいえ。ただ、変なコンビもできたもんだと思って」
 エニグマはふっと笑い、電気室を出て行った。
 ガイは不満げに「コンビ」とつぶやいてから、ウェイに顔を向けた。
「で。準備はできたかい?」
 ウェイは答えるかわりに、ズボンのポケットにしまっておいたチップをガイに放った。
「こんなに短時間にできるもんなんだねえ。君がマザーを殺すのに使った〈螺旋の虫〉とやらは」
「……今回の”相手”は、マザーとは比べものにならないほど矮小だからな。マザーのときほど、複雑なロジックを組む必要がないんだ」
 ガイは「ふーん」と言って、チップを指でもてあそぶ。
 ウェイは気まずさを覚え、違う話題を探す。
「エニグマは幼なじみ、なんだってな」
 ガイはあっさりと肩をすくめた。
「まあね。僕の母親はローガンの妻のひとりで、ストリッパーをやってたから。小さいころは僕もたまに、ストリップ劇場に遊びに行っていた」
 あんまりに簡単に話すので、ウェイは最初、ガイがなにを言っているのか理解できなかった。
「……なんだって?」
「そのころのことは正直、あんまり覚えてないんだけどねえ。でも、キャロラインのことはぼんやりと覚えてる。母さんと仲がよくて、僕ともよく遊んでくれた。当時はまだ下働きで、エニグマって名前じゃなく、キャロラインっていう名前だったけど」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話についていけないんだが」
 ガイがため息をつく。
「君たち中古屋は、本当になにも知らないんだから笑っちゃうよ」
「さっき、お前の母親はローガンの妻のひとり、って言ったか?」
「そう。名前は、エニグマ」
「エニグマ?」
「エニグマという名前は、ローガンが自分の情婦につける愛称なんだ。だから、僕の母さんの名前はエニグマ。兄さんと、ジョニーの母親もエニグマ。気持ちの悪い話だ。だから僕は、キャロラインのことをエニグマとは呼びたくない。小さいころに遊んでくれたお姉さんが、父親の情婦になっちゃったなんて、胸くそ悪いにもほどがあるからね」
 ウェイはぽかんとする。
「つまり……お前、ローガンの息子なのか?」
「血液を化学的に調べれば、そういう結果になる」
「ビューティと、ジョニーとは異母兄弟?」
「そう。本当は三人兄弟じゃなく、もっといた。当時、エニグマはぜんぶで二十人いたからね」
「二十人!?」
「アラブの王様みたいでしょう」
 初耳だ。まったく知らなかった。ウェイは絶句する。
 ローガンは正体不明の男だ。中古屋に仕事仲介システム「LENO」の設置場所を提供してはいるが、彼と会ったことがある中古屋は少ない。ロブですら、ローガンの顔を見たことがないと話していた。
(フレデリック兄弟の父親だって?)
 頭が混乱してくる。
「待て。つまり、ローガンは実の子供を殺すために、中古屋を傭兵として雇ったということか? なぜそんなことを?」
「なぜ、ね。んー」
 ガイはしばしミッキーと見つめ合う。
「……まあ、話してもいいか。君は”相棒”なわけだし、出発の時間までもう少しあるし。それに」
 不自然に言葉を区切るガイ。
 眉をひそめると、ガイはドアを封じるように背中をもたれかけ、物憂げに腕組みをした。
「君にとっても、無関係な話じゃなさそうだから」
「……え?」
 まずいことを聞いた気がしたが、もう遅い。
 ガイは説明書を読むように淡々と語りはじめた。
「さっき、エニグマというのはローガンが情婦につける愛称だって言ったけど……正確に言うと、エニグマというのはコードネームなんだ」
「コードネーム」
「ローガンと二十人のエニグマは、アウトラス社の超高層型都市開発部門に属する技術者だった。そして、そのときのチーム名が〈エニグマ21〉」
 ウェイは目を見張る。
「アウトラス・コーポレーションの技術者……」
「そう。世界初の超高層型都市建造を実現するため、ありとあらゆるシステムの開発、構築にいそしんだチームだよ」
「エリート集団じゃないか」
 アウトラス社の社員数は、末端まで含めて七万人規模と言われる。その中でも、チーム名のつけられた部門に属しているのは、ごくわずかだ。超高層型都市のシステム開発に従事した技術者であるならば、エリート中のエリートである。
「それがどうして、第三裏通りなんかでストリップ劇場を?」
「ローガンとエニグマは、超高層型都市のシステム構築をしながら、社には内緒で、あるゲームを開発した。僕らは『オセロゲーム』って呼んでる。ゲームには説明書はなくって、クリアしたらなにが起きるのかは誰も知らない。知っていたはずのエニグマは全員殺されてしまったし、ローガンはあの通り、ストリップ劇場の奥深くに身を隠してしまったから」
 ウェイははっとする。
 表を裏に。白を黒に。
 ガイが今「オセロゲーム」と呼んだのは、ジョニーがドア越しに話していた例のゲームに違いなかった。
「超高層型都市をつくりあげたチームが開発したゲームか。聞くからにやばそうなゲームだな」
「でしょう。なにが起こるのか楽しみだよねえ」
 ガイは薄ら笑う。だが、言葉とは裏腹に大して楽しそうには感じられなかった。ウェイはふと「エニグマは全員殺されてしまった」という言葉を思いかえす。
「お前の母親は殺されたのか」
「そう。二十人のエニグマも、その子供も、みんな殺された。生き残ったのは、僕と兄さん、ジョニーの三人だけ。あとは、ローガンだね」
「いったい誰に」
「兄さんは表世界の人間だと言っている。僕はよく覚えてない。でもたぶん、アウトラス社の人間じゃないかな。あの会社には闇の暗殺部隊が存在するそうだから。知ってる? 〈狩人ハンター〉って」
 ――知っている。
 ウェイはごくりと息を飲む。
 アウトラス社の暗殺部隊〈狩人〉。
 社にとって害悪となる存在を狩り殺す、影の組織だ。
「ローガンとエニグマたちは、超高層型都市の完成間近にアウトラス社から出奔した。そして、この町にストリップ劇場を開き、身を隠した。アウトラス社はずいぶん彼らの行方を探したようだけど、まさか裏通りでストリップ劇場を開いているなんて思いもしなかったようだねえ、僕が三歳になるまでは平和そのものだったよ」
「〈狩人〉が送りこまれたのは、ゲームの存在がアウトラス社に知られたからか?」
「たぶんね。でも、もしエニグマたちを殺したのが、本当にアウトラス社だったとしたなら……直接の理由は別にあったと僕は思ってる」
「別の」
「マザーだよ、ウェイ」
 ガイは言った。
「ローガンたちはアウトラス社を出奔するとき、あるものを盗んでいったんだ。ゲームの礎となる存在、人工知能マザーだ」
 ウェイはサングラスの奥で瞠目した。
(ああ、だからか……)
 実際に相対したからこそ分かる。
 マザーの性能は、ウェイが知るどのAIと比べても桁外れに優れていた。
 たかだか第三裏通りのチンピラごときに生み出せる人工知能ではない。
 人間と見まがうほどの繊細な表情。
 本物の人間よりも深みのある感情表現。
 マザーは、アウトラス社が開発した人工知能だったのか。
「当時、世の中に出回っていたAIの多くは、人工物の域を超えるものではなかった。でも、アウトラス社のAIは違った。彼らが開発した新型のAIは、世に出れば間違いなく、世界を変える人工知能になるはずだった」
「それが……世に発表される前に、ローガンたちによって盗まれた」
「そう。そりゃあ、アウトラス社は暗殺部隊を送ってでもAIを取り返そうとするよねえ。しかも、AIを使って、わけのわからないゲームを始めようっていうんだもの。怖すぎて放置なんてできやしない。けど、彼らはエニグマたちを殺すことには成功したけど、AIを見つけることは最後までできなかった。……実のところ、僕らがゲームの存在を知ったのも、エニグマが死んでずいぶん経ってからのことだった」
 ガイは両腕に抱いたミッキーを見つめる。
「エニグマは、アウトラス社に命をねらわれていることを知ると、ローガンに内緒でゲームをある場所に隠した。パスワードまでかけてね」
「ローガンに内緒で……って、どうして」
「さあね。知らない」
 ウェイは眉を寄せる。
「エニグマは、秘密の隠し場所のパスワードを、お前たちに教えておいたわけか」
「いいや、兄さんたちは知らなかった。教えられていたのは僕だけ。もっとも、僕もそれがパスワードだとは知らなかったんだけど」
 ガイは呟く。
「怪物の歌だ」
「怪物の歌?」
 ガイは悲しげに吐息をつく。
「偶然だった。僕はたまたまそのパスワードを口にした。そして、ゲームの隠し場所が開かれた。僕と兄さんたちはゲームの存在を知り、そしてゲームを始める決意をした」
「なにかの歌か?」
「怪物も、歌っていうのも、ただの比喩だよ。世のママたちが口にする『怪物』っていうのは、なんのことだと思う?」
「……わからない。なんだ?」
 あまり答える気はないようで、ガイは肩をすくめた。
「絶妙なパスワードだよ。ワードそのものを分かっていたって、僕以外には開けない。いや、僕にももう無理だ」
 ウェイは好奇心に駆られて、しばしパスワードに思いを巡らせてみる。だが、そもそも「怪物」がなにを意味するのかすら分からない。
「どっちみち、もう不要なパスワードだ。ゲームは取り出してしまったし、それが隠してあった場所はすでに空っぽだ。でも、もしも僕がなにかを隠したくなったら、そこに隠すつもりでいる。きっと開けられる人間は現れないけど」
「お前にも、お前以外にも開けられないなら、パスワードをかけて仕舞いこむ意味なんてなにもないんじゃないか? 捨てたほうが早い」
 ガイはふんと鼻で笑った。
「分かってないねえ。僕がそれを開けられる人間に会いたいんだよ」
「……分からない」
「分かるわけがない。君のそのつまらない正義感でいっぱいの脳味噌には、ロマンの欠片もないんだから。ねえ、ミッキー?」
 悪かったな。ウェイは反論する。面倒なので、心の中で。
「ともかく、ゲームのせいで母さんたちは殺された。でも、ローガンは殺されなかった。なぜか。ローガンはアウトラス社が自分の命をねらっていると知ると、ひとり、劇場の地下室に閉じこもったからだ。エニグマが次々殺されていくなか、ローガンは身を隠しつづけた。自分の命惜しさに」
 吐き捨てるように言うガイ。
「ローガンが僕らを殺そうとしているのは、僕らがゲームをはじめたことを知ったからだよ。せっかくアウトラス社が手を引いてくれたのに、僕らがゲームを始めれば、またローガンも命の危機にさらされることになる。あの臆病者は、自分が助かりたいためにエニグマを見殺しにし、さらには自分の子供まで殺そうとしているってわけだ。君たち中古屋を利用してね」
 そこまで言って、ガイは小首をかしげた。
「これで疑問はとけたかな? ウェイ」
 ウェイは呆ける。話の展開に驚きすぎて、自分が「なぜローガンは自らの子供を殺そうとしているのか」とたずねたことも忘れてしまっていた。
「……ああ。理解した」
 ウェイは詰めていた息を吐きだした。
「それで……そのゲームを終えたら、なにがどうなるんだ?」
「さあ。それを知っているのは、もうローガンだけだ。兄さんたちは、表世界と、裏世界がひっくりかえるような事態を期待している」
「お前は期待していないような口振りだな」
 ガイはミッキーに視線を落として、しばらくして口を開いた。
「僕も、この世界を変えたいと思っている。でも、僕は自分の手でそれを成し遂げたいんだ」
 その意味を口にはせず、ガイは嘆くようにため息をついた。
「どちらかといえば、僕はゲームそのものよりも、エニグマや、マザーを殺した人間を痛めつけるほうに興味を持っていたんだ」
「……へー」
「見つけだして、生きたまま解剖してやろうと思っていた。冷酷な殺人者どもの腸が、どんな色をしているのか確かめてやりたかった」
「あー……なるほど。つまりお前が俺を殺さずに生かしているのは、いつか解剖する日のためってわけか。やっと納得がいった」
 自嘲して笑うウェイを、ガイはサングラス越しに眺める。
「違う」
 端的に、否定される。
「もし、マザーを殺したのが君ではなく、たとえば中古屋のテッドであったなら、僕は本当に彼を生きたまま解剖していたろう。最後には標本にして、トイレの棚にでも飾ったろうね。まあ、大して楽しくはなかったろうけど」
「……俺にそうしないのは、ニナのためか?」
「それもあるけど、でも違う」
 ガイは、ミッキーの腕を物憂げになでる。ウェイが修復した右肩だ。
「僕が知りたかったのは、冷酷な殺人者の腸の色だ。冷酷な殺人者でないのなら、腸の色なんてどうでもいい」
「俺は、冷酷な殺人者だ」
「いいや、違う。君は冷酷とはほど遠い男だ。さっき改めてそう確信した」
「さっきってなんだよ」
「エニグマを庇った」
「……あれは、ただ」
「言い訳はいい。ともかく僕は確信したんだ」
 ガイは言う。
「君に、マザーは殺せない」
 ウェイは目を見開く。
「僕は今朝、君に言った。『君はマザーを殺したことを後悔しているように見える』と。あの言葉を撤回する。君が後悔しているのは、マザーを殺したからじゃない。殺せなかったからだ」
「……、なにを言ってる?」
「何度考えても、そういう答えしか頭に浮かばないんだ。もしも本当にマザーを殺したなら、きっと君は後悔なんてしない。無慈悲に命を奪っておいて、後になってそれを悔いるなんて、そんな残酷なこと君にはできない。それができるのは、真に冷酷な人間だけだ。でも、君は冷酷な人間じゃない」
「ちょっと待ってくれ。お前の思考回路がまるで理解できないんだが」
「君は、本当にマザーを殺したのかい?」
 ガイはウェイの困惑を無視して、先ほど渡されたチップを指の中でくるりと回した。
〈螺旋の虫〉。マザーを殺害するために開発したハッキングウェア。
 ガイは、ウェイを見つめ、同じ言葉を繰りかえした。
「君は、本当にマザーを殺せたのか。ウェイ」








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