小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.007 3



「安心して。警報は切っておいてあげたわ。せっかくのお客さま、無粋なノイズに邪魔されたくないもの」
 弾む声でマザーは言う。
「さあ、まずは自己紹介をしなくちゃね。わたしはマザー……なーんて、とっくに知っているでしょうけど。それで? あなたはだあれ。中古屋さんかしら」
 心拍数があがる。焦燥感をつのらせながら、ウェイは慎重に少女を観察した。
 すでに蟲はマザーの体内に発狂ウイルスを撒き終えている。セキュリティに感知されぬよう、敢えて遅効性のウイルスを用いた。功を奏してか、マザーがウイルスの存在に気づいた様子はない。だが、感染がうまくいった兆候もまた、まだ見てとることはできなかった。
「……あなた。もしかして、わたしをなめてる?」
 ふいに、声のトーンが低くなった。
 いつの間にか、マザーの手には薄刃のナイフが握られている。
 鋭い切っ先はまっすぐに、ウェイの喉元を示していた。
「体を持たないAIにだって、人間を殺すことはできるのよ。あなたの無意識はいま、この仮想空間〈ブレインネットの海〉こそが現実だと錯覚している。理性でどれほど『ここは架空の世界だ』と言い聞かせても、脳は『こここそがリアルだ』と思っているの。だから、この世界で殺されれば、現実のあなたの脳は『自分は死んだ』と誤認する。実際には体に傷ひとつないのに、脳死状態に陥るの」
「……そうやってハッキングを試みた中古屋を、次々と殺していったわけか」
 口を開くと、マザーは少しばかり悔しげに顔をしかめた。
「残念だけど、違うわ。だって、ほかの中古屋は誰もわたしの元までたどりつかなかったんだもの。わたしにできたのは、ただ彼らの痕跡を追い、現実世界での居住地を突きとめ、ジョニーに耳打ちすることだけだった。だからね、わたし、嬉しいの。ようやく手ごたえのあるハッカーさんと出会えて。……さあ、答えて。あなたはだれ?」
 あくまでも答えずにいると、マザーは「残念」と溜め息をつきながら、無造作にナイフをウェイの喉に押しこんだ。
 ぶつり、と刃が皮膚をやぶる感覚がした。肉と筋を裂きながら、内部の空洞まで刃が貫通する。
 痛みよりも先に、衝撃がウェイの体を支配した。視界が真っ白に染まる。アバターの脳が大量のエラーを吐きだし、ウェイは錯乱状態に陥る。
「アハハ、痛い? 妬ましいわー。痛みは、肉体があってこそこそなんだもの。それよりも、ねえ、この虫みたいなもの、あなたがつくったの? 気に入ったわ。わたしもこれであなたのことを調べてあげる」
 マザーは先ほど潰したのとは別の虫を、白いワンピースのポケットから取りだした。
 そしてそれを、ウェイの喉に開けた穴のなかに、力任せに押しこんだ。
「このアバターさんのこと、調べてきてね。いってらっしゃーい」
 あっさりとマザーの支配下に置かれた虫は、従順にその指令に従った。
 虫は喉に入りこむなり無数の蟲に分裂し、鼻孔を、食道を抜け、ウェイの体を浸食していく。
「名前は……ウェイ。ファミリーネームは、不明。偽名かしら。ああ、セブンス・ジオ・サンディエゴの出身なの。知ってるわ。あそこにはアウトラス社の古い研究所があるのよ。もちろん、あなたも知ってるわよね、中古屋さん?」
 やめろ、と言おうとしたが、声には出なかった。
 蟲が脳に到達し、螺旋を描きながら脳髄をかき回す。気持ち悪い。意識が、視界が明滅し、耳奥が、雑音が、記憶が、
「おもしろい、おもしろいわ、ウェイ! あなたの虫って最高よ! ああん、だめだめ。知りたいのは、もっと深いところ。そうそう……そうよ、蟲たち、もっと暴れまわっちゃって!」
 意識がぶつりと途切れた。
 すぐに回復したかと思うと、眼前にはマザーではなく、雲を貫くほど巨大な建造物が建っていた。
「やっぱり。あなたも”そう”なのね」
 マザーの声が遠い。まるで水の底から天の声を聴くような。
「ロブ……あの忌々しい中古屋も、わたしに探りを入れたアカツキも、そのほかたくさんの中古屋たちもみんな、アウトラス社の元社員だった。二〇九八年に起きたヒューマノイド脱走事件の責任をとらされ、表世界の住民権をはく奪、そして第三裏通りへと落ちてきた。あなたもそうなの? 教えてよ。わたし、あの事件にとても興味があるの」
 早く、とウェイは祈った。
 発狂ウイルス、早く、マザーの支配を。
 だが、その願いも空しく、ふたたび視界が別の場所に移り変わった。
 機械の墓場だ。
 廃棄された機械のなか、幾体ものヒューマノイドが首から上だけを出して埋められている。
「やめ、ろ……!」
 叫んだ瞬間、映像が霧散し、かわりにマザーが目を見開いて、ウェイを凝視するさまが見えた。
「いまのは、なに……?」
 目の奥で火花が散る。
 マザーの顔と、ヒューマノイドたちの顔が、交互に切り替わる。
「ヒューマノイド? どうしてこんなにたくさんのヒューマノイドが」
 マザーの頬。そこに、ウェイは待ち望んだウイルス感染の兆候を見つける。
 耳の後ろから頬にかけて、葉脈のように広がりはじめた紫斑。マザーはまだ気づかない。
「……彼らを殺したの……?」
 咎めるようなマザーの声。
「生きたまま、モンキーボックスに粉末処理させたの? ああ、なんてひどい……」
 意識が遠のきそうになる。ウェイは薄れる意識のなかで、マザーの声を聞きつづける。


「え――?」


 ふいに、マザーが意表をつかれたような声をあげた。
「あなた……まさか――」
 その直後だった。
 脳内を襲っていた混乱が、突然、消失した。
 強制的に見せられていた過去の映像から解放されたウェイは、朦朧とする意識を奮いたたせ、顔をあげる。
 マザーは呆然とした様子で、自分の手のひらを――紫斑に覆われた両手を凝視していた。
「なに、これ」
 手だけではない。すでに幼い顔も紫斑に覆いつくされている。発狂ウイルスの感染。もはや手の施しようがないほどに、その感染源は拡大していた。
 ウェイを椅子に縛りつけていた縄が消えてなくなる。マザーの真っ白な精神世界が音もなく崩れはじめる。
「発狂ウイルス!」
 事態に気づいたマザーは、両腕で頭を抱えて悲鳴をあげた。
「待って。嘘よ、タイムズ・スクエアに奇襲を仕掛けろですって? やめて、なんて指示を出させるの。罠だわ、だめ……!」
 今ごろ、現実の世界では、発狂したマザーがフレデリック兄弟に「タイムズ・スクエアに奇襲をかけろ」と指示を出しているはずだ。
 フレデリックがそれを真に受けるかは分からない。だが、タイムズ・スクエアにはすでに、中古屋と、警察、GPS軍の混合軍が、万全の準備を整えて待ち受けている。
「こんな勝手は許さない、中古屋!」
 マザーが叫んだ。身を起こしかけたウェイを地面に押し倒し、ぎりぎりと首を絞めながら、馬乗りになって睨みつける。
「今すぐにウイルスの進行を止めて! わたしが、ほかでもないこのわたしが、あの子たちを死地に追いやるなんてそんな……耐えられない……っ」
 フレデリック兄弟のことだろう。「あの子たち」と口にした瞬間、マザーの憤怒にぎらついた瞳が曇った。
「お願い、殺すのなら別の方法にして! 自害しろというのなら従うわ。どうかあの子たちだけは……!」
 マザーは必死に懇願する。死への恐怖と、生きながらに発狂していくおぞましさを堪えながら、フレデリック兄弟の命乞いをする。だが、ウェイがなにも答えないでいると、その瞳には次第に絶望が宿っていった。
「どうして……なぜこんなむごいことができるの? 生きながら狂わせて、みずから死を選ばせるなんてあんまりだわ。わたしはAIだけれど、それでも『生きて』いるのよ……っ」
 なんて――鮮烈な表情だろう。
 ウェイは自分に馬乗りになりながら、感情を剥き出しにするマザーを見つめた。
 これほどの感情をぶつけられたのは生まれてはじめてだった。
 けれど、そこに喜びはなかった。
 胸が痛む。仮想世界で感じたこの痛みを、現実の脳が本物の痛みとして認識するなら、きっと自分は二度と目覚めない。
 それは、死んだほうがマシなほどの罪悪感だった。
「ぎ、ァ、アァ、ア、ア……っ」
 限界がきた。マザーの可憐な口は、顎が外れんばかりに開かれ、悲鳴とも、軋みともつかぬ音が漏れる。
 ウェイは髪を掻きむしって悶える少女の、紫斑だらけの顔を目に焼きつけた。
 ――悔いるな。
 後悔しないと決めたはずだ。
 ――AIなど、人間がつくったただの人工物にすぎない。
 ウェイは〈ブレインネットの海〉からの「離脱」を選択する。
 視界からマザーが消え、崩れゆく世界が失せ、そして――、


 リクライニングチェアに横たわっている自分を自覚するやいなや、ウェイは頭を覆うカバーを強引に押しのけた。
 身を起こしてチェアから下りた途端、膝が砕けた。床に転倒したウェイは震える手で手すりを掴み、ふらふらと立ち上がった。広い無人の店内をよろめきながら走り、廊下に出てすぐ右手にある洗面所に駆けこむ。洗面台にしがみつくと同時に嘔吐した。マザーに奪われた虫によっていじられた脳みそが洗濯機に入れられたように回転する。視点が定まらず、胃の内容物をすべて吐きだしてもなお目眩が収まらず、膝ががくがくと震えた。
『医療行為は必要ですか、ミスター』
 異変に気づいた警備ロボットが優しげな声で言う。
 ウェイは半AI搭載型ロボットの親切に気づかぬふりをした。今、AIの優しさを受け止めて平静でいられる自信がない。
 アメリカ州自然史博物館を後にし、セントラルパークの美しい緑も無視して、ウェイは地面だけを見つめて歩きつづける。
 マザーの必死の懇願と悲鳴が耳から離れなかった。


 タイムズ・スクエアは、平常通りだった。
 通行人は誰も、おぼつかない足取りで歩くウェイには気づかない。
 人波に溶けこむことなく、ウェイは第三裏通りにつながる薄暗い路地に入りこんだ。
 汚れて湿った壁に背を預け、ずるずると崩れるように地面に座りこむ。
 ふっと笑みがこぼれた。
 泣き笑いのような、力ない笑みだった。
 感情が失せていく。母親に叱られた小さな子供のように、膝を抱えてうずくまる。
 頭上を、無数のエアバイクや、エアジェットが飛んでいくのが見えた。マザーによってタイムズ・スクエアの襲撃を命じられたフレデリック・ファミリーたちだろう。
 やがて、あらかじめ待ち受けていた中古屋、警察、GPS軍との交戦がはじまった。
 表世界は戦場と化し、大勢の人間が死に、表世界の磨きあげられた地面がどす黒い血に染まった。
 ウェイは自分がもたらした惨劇を、虚ろな瞳で見つめつづけた。


+++


 どさ、と重たい音をたてて、目の前に数十冊ものノートの束が置かれる。
 ウェイが顔を上げると、ガイがいつもの調子で言った。
「アルカトラズ監獄で書きためた、おもちゃの構想ノート。このなかで、君がいいと思うおもちゃに付箋を貼ってくれる?」
 ウェイは眉を寄せる。いちばん上のノートを手にとり、ぱらぱらとめくると、圧倒されるほどたくさんのおもちゃの設計図が描かれていた。すべて、手書きだ。
「無料で支給されるのは、今どき、ノートとペンだけ。質も最悪だ。きっとチャイニーズが作ったんだよ、ねえミッキー?」
 なるほど、たしかにインクのにじみが激しく、手でこすれた箇所は文字もほとんど判読不能だった。
 だがそれよりも気になったのは、冊数を進めるごとに乱れていく線だった。一冊目のノートでは生き生きと描かれていた設計図は、二冊、三冊と経るごとに勢いがなくなり、おもちゃとしての魅力も感じられなくなっていった。
 ガイがアルカトラズ監獄に入れられたのは、十四、五のころだという。多感な時期の少年が放りこまれて、子供らしくいられたのは、ノート一冊分の時間だけだったということなのだろう。
「おもちゃを共同開発するビジネス・パートナーっていうのは、ただの建前だと思ってた」
 ガイは答えなかった。付箋にミッキーのイラストを書いて、ぱらぱら漫画を作るのに熱中している。
 仕方なしに付箋を手に取りながら、ウェイはガイの様子をひそかに伺った。


 ――マザーを殺したのは俺だ。


 そう明かしたのは、つい昨日のことだ。
 息を詰めて銃口が向けられるのを身構えて待っていたのに、ガイはそうしなかった。ただ首をかしげるだけで、なんの反応も示さなかった。
 翌日になっても状況は同じ。まもなく夕刻という時刻になってようやく口を開いたと思ったら、「おもちゃの設計図を見てほしい」である。
「なんだろうねえ、ミッキー」
 ふと、ガイがミッキーと内緒話をはじめる。
「人のことをじろじろと。気持ちの悪い中古屋だ。うっとうしいから殺しちゃおうか。ねえ、ミッキー?」
「ていうか、殺せばいいだろ! なあ、ミッキー!?」
 ぶちっとなにかが切れた。自分でも正気を疑う訴えをすると、ガイは「うわー」と眉をしかめて身を引いた。
「自殺願望でもあるのかな、この男。最近流行ってるらしい自殺教団にでも入信しちゃえばいいのに。表世界のビルのてっぺんから飛びおりて、無事に地面までたどりついてペシャンコになれたら、来世で幸せになれるんだって。おめでとう」
「ガイ・フレデリック。昨日、俺が話したこと、理解してるか? 俺は……!」
 勢いのままそこまで言って、ウェイはまごつく。
「マザーを……殺したと言ったんだ」
 だが、意を決して二度も殺しを告白したのに、またもガイは無反応だった。
 サングラスをかけている今のガイでは、雄弁な目の表情も見えない。
「で。興味のあるおもちゃはあった?」
 ウェイは肩をがくりと落とした。
「……フレデリックさん? 俺の話、聞いてます?」
「……うるさいなー。聞いてるよ。考えてる途中だから、すこし放っておいてくれないかなあ」
「考えてる途中? なにを考える必要があるんだ、意味が分からない」
「意味が分からないのは僕のほうだ。ミッキー、面倒だから殺しちゃう? もう、それでいいんじゃないかな。ニナには、ウェイはお星さまになったとでも言っておこうよ」
 お互いにイライラしながら、噛み合わない口論を交わす。
 ウェイは憤然として、乱暴にノートに付箋を貼った。片腕だとノートをめくるのも、付箋を貼るのも楽ではなかった。無性に腹が立つ。べたべたと音をたてて貼りまくると、ガイが舌打ちした。
「動きまでうるさい。死ねばいいのに」
「そらよ! これで満足か!」
 ウェイは勢いよくノートを閉じると、ガイにそれを突き返した。
 だが、ガイは受け取らなかった。
「ひとつ、聞きたい」
 ぽつりと、ガイが呟く。
「なぜ、マザーを殺したこと、僕に打ち明けた?」
「黙ってればよかったと?」
「そう、黙っていればよかった。僕は君にはいっさい疑いを向けてはいなかった。ウェイが告白しなければ僕は気づかなかったし、君も怯えながら夜を明かすことはなかった」
 ガイはポケットの中から取りだした拳銃を、手のなかでくるりと回し、銃口をウェイの額に向けた。
「ウェイ。君を殺すなど造作もない」
 だが、すぐにそれは下ろされる。
「けれど、僕は君を殺さない。少なくとも当面は」
 ウェイは緊張から解きはなたれ、同時に困惑した。
「なぜ……」
「知りたいから」
「なにを」
「君はまるでマザーを殺したことを後悔しているように見える」
 ウェイは言葉を失った。
 ノックの音がしたのはそのときだ。
「ガイ・フレデリック。中古屋は部屋にいますか」
 聞き覚えのない声だ。ガイがいかにも不愉快そうに舌打ちした。
「誰だ?」
「兄さんのお気に入りの運転手」
 吐き捨てる声が聞こえたのか否か、運転手が淡々と言った。
「ジョニー・フレデリックから中古屋に仕事です」








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