小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.007 1


 ――お前はどうするんだ?
 その言葉を発したときのロブの顔をよく覚えている。


 今から五年前の、二〇九六年。
 第三裏通りではまだ「フレデリック兄弟」の名は知られておらず、せいぜいギャングたちが「どこにも属さないチンピラ兄弟」程度にしか認識していなかった。
 そんな無名のチンピラ兄弟が、突如、第三裏通りの地上階を火炎放射器で住民ごと焼きつくしたのは、夏の終わりのころだった。
 数ヶ月後には、ストリップ劇場『ローガン・ストリップ』の支配人ローガンが、中古屋たちの情報端末LENOに、異常な仕事依頼を表示した。


 仕事内容:フレデリック・ファミリーの壊滅及び三兄弟の殺害
 報酬:表世界の住民権が買えるだけの額


 簡潔且つ具体性に乏しい依頼。
 ましてそれは、中古屋の仕事とはかけ離れたものだった。
 なぜ。どうして。ローガンはなにを考えているのか。
 中古屋たちはローガンに面会を求めたが、本人が事情を説明することはなく、かわってストリップ劇場に属するストリッパー、エニグマが中古屋たちの応対をした。
 エニグマは、ローガンの依頼が嘘偽りのないものであることを口先だけで保証し、同時に「武器や通信費などの実費は、仕事の成功不成功に関わらず随時支払う。中古屋としての仕事ができない期間は、ローガン・ストリップが相応の日給を支払う」と約束した。
 最初こそ疑ってかかった中古屋たちだったが、成功報酬だけでなく、不成功であっても日当を得られるのは旨みがあった。ひとり、またひとりとローガンの依頼を受注する者が増え、彼らが実際に実費、日給を受け取っていると知った中古屋は、次々とLENOの端末の前に立った。
 ロブ・マーキンソンは、何番目に名乗り出た中古屋だったろう。彼はLENOに「受注する」と入力したその日に、ウェイのマンションの扉を叩いた。そして言った。「お前はどうする?」と。
 ウェイは面食らった。
 ロブは、見たことのない表情をしていた。
 まるでその顔は、ジャンク映画のなかの少年たちが、放課後に「遊びにいこうぜ」「お前はどうする?」と誘いあうときのような気軽な無邪気さで輝いていたのだ。
 ウェイ、お前ももちろん仲間になるだろう? と。
 困惑するウェイに、ロブはポケットにしまっていた拳銃を取りだした。ワルサーP38。今は滅びた日本という国が制作したアニメーション『ルパン三世』の主人公が愛用している銃を改造したものだ。ロブは「俺はあのアニメが好きなんだ。せっかくだからこいつを買った。ローガンも太っ腹だ」と笑った。
 黒光りする拳銃と、それをおもちゃのように扱うロブを見比べ、ウェイは戸惑ったまま呟いた。
「それで、ひとを殺すのか?」
 瞬間、ロブの顔が引きつった。
 浮かれた気持ちに水を差されたかのように、顔を強張らせる。
「……お前はどうするんだ?」
 もう一度、ロブはそうたずねた。
 最初の遊びに誘うような問いかけとはどこか違う、牽制に似た響き。
「関わるつもりはない」
 そう答えると、ロブの顔は失望の色にくすんだ。


 ――関わるつもりはない。
 ウェイはそれから毎日のように、その言葉を繰りかえした。それだけ多くの中古屋が参戦を決め、ウェイにロブと同じ質問をしてきたということだ。
 彼らはみな友人だった。アルカンジェロ、アネット、ハリム、アカツキ、サンドラ、ヴィッキー、イスハク、ベルンハルト……。よくいっしょに汚い食堂でまずい飯を食べ、酒を飲みかわし、見えない未来について零すように語りあった。
 ウェイの答えを聞き、彼らは「ああ、わかるよ」「ひとりひとり事情は違うからな」と理解を示した。
 けれど、彼らの目にはロブと同じ失望が宿り、そして彼らは「友人」ではなくなった。


 戦況が悪化する。
 フレデリック兄弟は数百人のファミリーを従えるまでになり、圧倒的に戦力不足の中古屋は苦戦を強いられた。
 それでも、抗争から距離を置いてみれば、ウェイにとって世界はさほど変わらぬままだった。
 ウェイにとって恐るべきは、フレデリック兄弟ではない。もちろん中古屋でもなく、住民でもない。ただ、どちらが放ったかもわからない流れ弾がいちばん厄介だった。
 それらをうまいこと避けて、「機械の墓場」に行く。監視カメラEYEの目をかいくぐり、モンキー・ボックスの魔の手から逃げながら、壊れた機械を掘る。
 裏通りの住民たちは、次第に中古屋を、第三裏通りの平和を守るために戦う正義の味方のように見、一方でウェイのように戦いを放棄した中古屋を「引きこもりの中古屋」と臆病者扱いしはじめた。
 中古屋にとっても、住民たちにとって、戦わぬ中古屋は異端だった。


 ウェイは世界から外れた存在になった。
 不思議だと思う。そもそも裏通りにいる人間たちは、なんらかの理由で表世界から外された人間たちだ。それでもやはり、裏通りにも表と裏があり、世界の内と外とに分かたれる。
 世界の外側から見ると、命がけでフレデリック・ファミリーとの抗争に臨む中古屋たちは、生き生きと輝いて見えた。
 金のために武器を取り、人を殺すことを決意した中古屋たち。抗争の結果、住民が巻き添えとなり、何百人もが犠牲になった。中古屋の顔は疲労で痩せこけ、その手は洗っても拭えない血で染まってゆく。
 それなのに、彼らの目は輝いていた。
 たぶん彼らは実感していたのだろう。表世界からゴミのように捨てられ、裏世界にいても「墓場荒らし」と揶揄されつづけた自分たちが、今、裏世界の正義の味方として存在価値を認められたことを。


 二〇九八年、冬。
 その日は朝から雪がちらつき、ファースト・ジオ・マンハッタンは灰色の空と、地面を徐々に覆いはじめた雪のなかにあった。
 戦況が泥沼化する一方で、ウェイは変わらぬ日常生活を送っていた。
 かつての友人たちの中には、死んだ者もいると聞いた。せめて花でも手向けたかったが、第三裏通りの人間には墓場など存在しない。信仰する宗教によって差はあれど、だいたいはただドラム缶で燃やされ、灰となってそこらに撒かれるか、ハドソン川のほとりに違法に埋められるかだ。どうしようもない。
 ――ロブは、奥さんのアリシアを病気で亡くしたという。
 ロブとは疎遠になったが、アリシアとは数か月前までメールでやり取りがあった。中古屋のなかで孤立したウェイをずっと気にかけてくれていたのだ。第三裏通りの汚れた空気が不似合いなほど、清らかな美しいひとで、ウェイは彼女がとても好きだった。
 三か月前、最後のメールを受け取ってから連絡がつかなくなった。訃報を知ったのは、住民たちの噂話を聞いたからだ。
『もう、やめさせて』
 最後となった短いメールには、そんな言葉が書かれていた。
 その日、ロブがマンションを訪ねてきた。
 一年以上ぶりに姿を見るロブは、様変わりしていた。
 頑強だった体は痩せ細り、汚れた黒いコートには、払う気力もないのか灰色の雪片が薄っすらと積もっていた。背は丸まり、瞳にもあの日の輝きはない。
 部屋に招き入れると、ロブは無言でソファに腰かけ、感情の失せたまなざしで表世界を臨む窓を見つめ、呟いた。
「頼みがある。お前がフレデリックとの戦いに加わる気がないのは、知っている。それを知った上での頼みだ……」
 ひどくよそよそしい口調でロブは切りだした。
 ロブが言うには、フレデリック兄弟のもとには「マザー」と呼ばれる人工知能がいて、彼らの行動を陰から手助けをしているのだという。それさえ破壊できれば、ファミリーを破滅に追いやれると中古屋たちは考えているのだと。
「そのためには優秀なハッカーが必要だ。生き残っている中古屋のなかに、マザーを掌握できるほどの腕を持ったハッカーはいない。だがウェイ、お前になら……お前なら……」
 うなだれていたロブは顔をあげ、すがる目でウェイを見つめた。
「ウェイ、アリシアが死んだんだ」
「……分かってる」
「彼女が衰弱していくのを、ただ見ていることしかできなかった。そうするしかできなかったんだ。……いいや、違う、俺は見てすらいなかったよ、ウェイ。最後の数か月、彼女の記憶がほとんどないんだ。ある日、家に帰ったら死んでいた。死んでから何日経っているのかも分からない」
「ロブ、俺は――」
「頼む、ウェイ。俺は娘にまで……アンジェラにまで、同じ想いはさせたくない」
 ウェイは目を見開いた。対面に座るロブを呆然と見つめて、震える手を額に押し当てる。
「ロブ……」
「身勝手だとは分かっている。だが、頼む。これ以上、犠牲を増やしたくないんだ。協力してくれ。お願いだ」
 友よ、とロブはかすれた声で囁いた。


「手を貸す必要はない。ロブは身勝手だわ」
 アーレイズ・バーのいつものカウンター席に腰かけ、ウェイはいつになく感情的なアニーを見つめた。
「彼は私欲のために抗争に身を投じた。その結果、奥さんを亡くした。それは誰でもない、ロブ自身が招いたこと。なぜあなたがそれを助けてあげる必要があるの。一年以上も連絡を絶っておいて、今さら『友』だなんて……虫の良い話だわ……」
「助けるなんて大げさだ。ただ、マザーを潰すというだけだ。それぐらいならなんてことはない。危険もない」
「いいえ、危険だわ。分かっているはずよ」
 アニーが訴えかけるように手が伸びてくる。冷たい指がウェイの頬に触れた。
「なぜ自分が第三裏通りにいるのか、忘れてしまったの? ウェイ」
「……そのことと、今回のことは関係がない」
「いいえ。あなたは『関わらない』のではない、『関わってはいけない』の。そうでしょう?」
 指先が頬骨を下から上へとなぞり、ふいに止まった。
「アウトラス社で起きたことを思い出しなさい」
 アウトラス。その社名を聞いた瞬間、心臓がどくんと震えた。
 だが――それでも胸に宿った決意の火は、消えそうになかった。
 ウェイの気持ちがすでに固まっていることを察したのか、アニーは懇願するように身を乗りだした。
「そう。あなたは『お願い』と言ったら、なんでも言うことを聞いてくれるのね。なら、お願い。私のためにやめてちょうだい。私は……あなたを失いたくはない」
 アニーの指がサングラスのフレームに触れた。そのまま顔からサングラスを抜き去ろうとする。ウェイはとっさに顔をそむけ、アニーの指先から逃れた。
「……ロブはもう限界だ。見捨てることはできない」
「あなたを見放した人間がどうなろうとどうでもいい!」
 鋭い声。アニーは普段は決して見せない焦りの表情で、ウェイを睨みつけた。
「勝手は許さないわ、ウェイ。あなたはこれまでどおり部屋に閉じこもって、誰にも関わらず、じっと息をひそめていればいいの」
 ウェイは眉を曇らせた。
「……そうして世界の片隅で目を閉じ、耳を塞ぎつづける俺は……この世界に存在していると言えるのか」
 アニーは答えない。答えを求めてもいなかった。
 ウェイは小銭をカウンターに置き、黙って席を立った。


 爆煙で灰色に曇った第三裏通り。
 黒い地面に、焼け焦げた死体が放置され、瓦礫の散乱している。どこからか、ぱらぱらと乾いた銃声。
 中古屋たちの隠れ家は、ローガン・ストリップ劇場の支配人ローガンが所有するマンションの地下にあった。
 闇へと吸いこまれるように伸びた階段を見つめる。
 ――後悔はしない。
 角度の急な階段は、まるで奈落の底へと落ちていくかのように見えた。
 ――これでいいんだ。
 階段を下りきった先にある扉を開くと、薄暗い闇のなかで、複数の人影が蠢いた。
 こちらを振りかえる中古屋たちと、その奥にたたずむロブ。
 ロブの驚きに満ちた顔が、やがて破顔に変わる。こちらに駆け寄ってくるロブの目には、あの日、目にした輝きが宿っていた。
 眩しさに耐えきれず、ウェイは顔をそむけた。
「俺はなにをすればいい?」
 小さく問いかけると、ロブは仲間を迎え入れるために両腕を広げ、笑って言った。
「マザーを破壊してくれ!」









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