小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.006 10



 録画機器の電源が、ぶつりと切られる。
 事実上の敗北宣言を収録しおえて、隻眼のテッドは椅子から立ち上がった。
「いい仕事だったぞ、テッド。ゆっくり休め」
 録画担当のファミリーににやにやと笑いかけられても、テッドは眉ひとつ動かさない。
 その日はそれで終わりだった。
 部屋を出て、廊下を歩く中古屋と武器商人たち。ウェイはその最高尾につき、ふらつく足を動かし、前に進む。
 ふと、彼の前を歩いていたテッドが歩く速度をゆるめた。さりげなくウェイのかたわらに寄って、前を見据えたまま囁く。
「俺は、あんたが『誰にも言うな』と言うから、ずっとそれを守ってきた」
 冷たい声だった。
 ウェイは肩の痛みで血の気の失せた顔を、テッドに向ける。
「三年前、フレデリックとの抗争は関わらないと決めていたあんたは、その信念を曲げて俺たちに手を貸した。それは、ロブのためだったと認識している」
 前をゆく武器商人が、ひそひそと周囲に聞こえぬように話すテッドとウェイとを不審げに振りかえってきた。だが、テッドの声はウェイにやっと聞こえるぐらいに小さく、なにを話しているかはわからなかっただろう。
「友の窮地を救うために、望まぬ戦いに加わったあんたのことを、俺は少なからず尊敬した。だからこそ、『誰にも言うな』といったウェイのことを誰にも話さずに来た。だというのに――」
 テッドの語気に深い怒りがこもりはじめる。
「なぜ、またみずから危険に飛びこむような真似をした? 今度はロブのためじゃないだろう。なら、誰のためだ? 名も知らない中古屋のためか? エニグマか? 俺は、あんたの行動をどう解釈すればいい。あんたは……いったいなんなんだ?」
「……テッド。俺は」
 答えかけ、ウェイは言葉に詰まった。
 なぜ、あのときハドソン川で、運び屋たちと一緒に逃げなかった。
 なぜ、仲間ではないと断じた中古屋を助けた。
 なぜ――。
 なにも答えないウェイを、テッドはようやく目だけで見上げた。
「この三年間、俺は『英雄』という肩書きを背負いつづけた。あんたのかわりに、だ。裏通りの住民たちの無責任な賛美を、ファミリーの生き残りどもの憎悪を、一身に引き受けつづけた。すべてはあんたを奴らの目から隠すために。……わかっているのか。そのあんたが今ここにいるということは、俺やロブ、五人の英雄が背負いつづけた三年間の苦痛を踏みにじる行為だということを」
 ウェイを言葉を失う。
 テッドの目に失望が宿った。
「オール・アラウンダー。俺は嘘をついたつもりはない。あんたは優秀だ。俺たちよりもはるかにずっと。さっき、フレデリックはこう言ったな。ウェイが最初から戦いに加わっていれば、こんな不毛な戦いさっさと終わっていたんじゃないか、と。俺も、そう思う」
 テッドはウェイから距離をとりながら、最後に吐き捨てるように呟いた。
「ウェイ。あんたは信用できない。次になにか起きても、俺が助けるなどと期待するなよ」
 ウェイは足を止めた。
「三年前、ウェイこそがフレデリック・ファミリーを壊滅させたのだと知ったら、兄弟はあんたを殺すだろう」
 テッドは歩きつづけた。
 軽蔑の眼差しでウェイを見つめる中古屋や武器商人たちに混じって、廊下の奥へと消えていく。
 ウェイは凍える廊下に立ち尽くし、ひとり、白い息を吐きだした。


 ――――――……
 ――――……
 ――……


 ウェイは、入社面談の行われた倉庫に立ちつくす。
 すでに椅子やテーブルなどは片づけられ、庫内には木箱の山や、簡素なソファ、そして――天井の高さほどまである巨大ななにかの機械だけが鎮座していた。
 倉庫内でなら行動の自由は許されているらしい、ここまで勝手にやってきたウェイを咎める者はなかった。
 庫内にも誰もおらず、ウェイは、ひとりだった。
 力なく、眼前にたたずむ巨大な機械を見つめる。
 いびつな機械だ。さまざまな形状の機械が詰み重ねられ、それぞれが配線の束でつながっている。
 正面には、モニタ。
「マザー……」
 ウェイは機械の正体に気づき、モニタに触れる。
 電源が落とされているのだろう、真っ暗なモニタは、鏡面のようにウェイの顔を映すばかりだ。


『あんたは……いったいなんなんだ?』


(俺は……)
 タイムズ・スクエアの交差点に立っている気分だ。
 人の流れから取りのこされ、ウェイは対面のビルの壁面モニタに手を伸ばしている。
 映しだされているのは、ジャンク映画。
 人びとが喜び、怒り、涙し、笑いあう、優しい世界。
(いったい……)


「へぇ、生きてた」
 はっと、我にかえる。
 ウェイは慌てて手をひっこめ、声のしたほうを振りかえる。
 ちょうど、ガイ・フレデリックが隅にあるドアを開けて、倉庫に入ってきたところだった。
「無事に兄さんに気に入ってもらえたようだ。正直、五分の確率で死んでると思ってたんだけど、害虫みたいにしぶとい男だねえ、ミッキー?」
 サングラスをかけたガイは、ミッキーを腕に抱えながら倉庫を横切り、ウェイの傍らまでやってくる。
 そして、首をかしげた。
「どうかした?」
「……どうか?」
「迷子の犬が、走って走って走りまわったすえ、やっと飼い主と再会できたーと思ったら、よく見たらそれは保健所の人間でした、って顔をしている」
 どんな顔だそれは。
 ウェイは一気に肩の力が抜けるのを感じ、げんなりと息をついた。
「ほかの中古屋は?」
「……さあ。たぶん部屋に戻った」
「へえ。それで? ウェイの部屋はどこに?」
「なにも指示されてないから、ここで手持ちぶさたにしてるんだよ」
 ガイは面倒そうに溜め息をついた。
「それってつまり、引きつづき僕の部屋に居座るってこと? いやだなあ」
 いやだなあとは言いながら、そこに拒絶の響きはなかった。
 ウェイは一瞬、そこに居場所を見つけたような安堵を覚えかける。
 だが――、


『三年前、ウェイこそがフレデリック・ファミリーを壊滅させたのだと知ったら、兄弟はあんたを殺すだろう」


 突然、眼前にそびえる機械が、圧迫感をともなって迫ってきた。
「ところで、ニナは元気にしていたよ。君が見つかったことはまだ話していないけどね。話して、帰ってきて、君が兄さんに殺されていたらぬか喜びさせるだけだし」
「……そうか」
 ガイは不審げに首をかしげる。ウェイの意識が向いた先を追うように、ガイは機械を見上げた。
「君も中古屋の端くれなら、この子がいったいなんなのかは知っているだろうね」
「マザー、だな」
「ご明察」
 ガイはまるで慈しむような声音でつづけた。
「この子は二代目のマザーU。まだ育成中で、やっと赤ん坊といったところだ」


 マザー。それは、フレデリック・ファミリーの核といってもいい存在だ。
 前回のフレデリック兄弟との抗争では、終盤になってその存在が明らかになった。
 戦いが激化するにつれ、フレデリック兄弟はまるで、中古屋の動きをあらかじめ予期しているかのような行動をとることが増えていた。中古屋の内部に内通者がいるのでは、と疑惑が出たこともあったが、フレデリックは中古屋だけでなく、警察や軍部の動きをも把握していた。
 不審に思った中古屋は、フレデリック・ファミリーの幹部のひとりを捕まえ、尋問にかけた。もちろん「尋問」がただ言葉でたずねただけでないことは言うまでもない。
 そして、マザーと呼ばれる人工知能の存在が判明した。
 肉体を持たない、AI。彼女は電子の海を自由に泳ぎまわり、中古屋や警察の内部情報をキャッチしては、ファミリーの行動指針を算出し、兄弟に指示を出していた。
 マザーは、途方もなく優秀な人工知能だった。
 存在が明るみになっても、マザーの裏をかくことは至難の業だった。
 そうして中古屋は、次第に追い詰められていった。
 だが、打つ手も尽きたかと思われたころ、マザーは突如、発狂した。
 三年前の三月のことだ。フレデリック兄弟に「タイムズ・スクエアを襲撃しろ」と命じたマザーは、なぜかその情報を、警察、GPS軍、中古屋にリークしたのである。
 フレデリック兄弟はこれまでと同じようにマザーの指示に従った。しかし、タイムズ・スクエアでは、警察とGPS軍、中古屋が徒党を組み、万全の準備を整えて待ち受けていた。
 その結果、フレデリック兄弟とファミリーの多くは、難攻不落のアルカトラズ監獄に収監されることとなったのである。


「また、育てているのか」
 ウェイの問いに、ガイはうなずいた。
「もちろん。オセロゲームを完成させるために、マザーの頭脳は必要不可欠だからねえ。いや、むしろマザーこそがゲームマスター。僕らはただの駒にすぎない」
「オセロゲーム」
 反芻するが、ガイに解説する気はなさそうだった。
「そうだ、ミッキー。この男も中古屋だ。だったら聞いておこうかな、どう思う?」
 ふと、ガイが腕に抱えた鉄人形にこそこそと話しかけた。
 しばらく相棒と密談し、やがて楽しげにウェイに向きなおる。
「聞きたいことがある、ウェイ」
 ウェイは無言でガイを見つめかえす。
「君は、三年前、初代のマザーがどういう末路をたどったか知っている?」
「……、システム内部にエラーが発生し、発狂して、故障したと聞いている」
「そう、僕の兄さんもそう信じている。マザーが発狂したのは、プログラムに根本的な欠陥があったからだ、とね。けれど僕は、マザーは誰かに『殺された』と思ってる。そしてその殺人者は中古屋じゃないかと疑っているんだ」
 まったく――なんてざまだ。ウェイは内心で自分を嘲った。
 テッドに見放された途端、さっそく窮地に立たされるとは。
 ウェイは息をつき、危機を回避する術を探しながら、ガイに向きなおった。
「『殺された』とは、たいそうな言い方だな」
 話題をうやむやにしようとして言うと、ガイは心外そうに眉間に皺を寄せた。
「なにがおかしい?」
「マザーは人工知能だ。AI相手に『殺し』だなんて」
「マザーは、まごうことなき一個の生命体だよ。中古屋」
 ガイはなんの迷いもなく、きっぱりと言い切った。
 ウェイは失笑する。
「冗談だろ。人工知能が『生命体』だって? あれはただの人工物だ」
 ガイは首をかしげた。
「マザーは小さな女の子だった。まだ成熟しきっていなくて、マザーなんて名前のくせに、僕にとっては妹みたいな存在だった。金色の髪、青い瞳、おとぎ話にでも出てきそうなほど美しい、妖精のような姿。おてんばで、どうしようもなくわがままで、いつも僕を振りまわして笑ってた。僕は、あの子が大好きだった」
 そうしてガイは「妖精のような姿」とは結びもつかない、醜くいびつな機械の塊を見上げた。
「不思議なことに、人間は神が創った産物しか生命体とは認めない。みずから生みだしておいて、神が与えた心臓を持たないからといって、それを『生命がない物体』と決めつける。人が創りしものにもちゃんと魂は宿り、命も宿るというのにねえ」
 ガイは不思議そうにウェイを振りかえった。
「おかしいな。君なら理解してくれると思ったんだけど」
「どうして……俺が」
「ウェイはミッキーを片腕のままで放っておかなかった。なぜだ?」
「なぜって……別に、深い理由は」
「本当に? 君は、腕をなくしたミッキーのことを、すこしも哀れに思わなかった?」
「それは……」
 ウェイは首を振る。
「自分が腕をなくしたばかりだった。人形に自己投影をして、自分のことを不憫がっただけだ」
「エッグにはへこみを直したような跡があった。ボディもよく磨かれていた。ニナは『ウェイが直して、磨いた』と言っていた」
 意表をつかれ、ウェイは息を飲む。
「……ニナが?」
「そう。それから、ニナ」
 ガイはサングラス越しの視線を、まっすぐにウェイに向けた。
「僕は、ニナは人間ではないと思っている」
 ウェイは今度こそ言葉を失った。
 世界から音が消え、脳裏に一瞬、〈機械の墓場〉で眠っていたニナの姿がよぎった。
「その反応だと、君もそういう可能性をちょっとは考えているようだ」
「それは……いや。わからないんだ。ニナとはつきあいが短い。ただ、なにかおかしいとは思っている」
「おかしいと思いながら、君はニナを保護した」
「もしも、最初からニナが人間ではないと確信が持てたなら、さっさとマンションから放りだしていた」
「そう? へえ。なるほどねえ」
 ガイが薄く笑う。
「どうして認めたがらないのか分からないけど、君はニナのことも、エッグのことも、ミッキーのことも、一個の生命体として見ているんだよ、ウェイ」
 勝手に断定して、ガイはミッキーの鼻先を指でつつく。
「ウェイはあのとき、ミッキーを生命体として見た。溶かしてしまえば、ただの鉄の塊。けれど、ミッキーにはたしかに命が宿っている。人間が考える生命の定義からは外れるけれど、この鉄の体には、鉄の塊なりの命が宿っている。たとえ無意識でも、君もそれを感じたはずだ。だから、怪我をおしてまでミッキーの治療をした」
 ガイはミッキーの腕を動かし、「ねえ、ミッキー?」と無邪気に笑う。
「マザーもミッキーと同じなんだ、ウェイ。彼女は生きていた。そして、誰かに『殺された』。発狂ウィルスを仕込まれて、自殺という選択を強制させられた。興味深いとは思わない? マザーはね、とても人間らしい女の子だった。人間以上に人間らしいAIだった。そう、ちょうど君の好きなジャンク映画に出てくる登場人物のように」


 ――いや、やめて。死にたくない……!


 ふいに、ウェイの脳裏にいつかの悲鳴がよみがえった。


「自分が殺されるとわかって、彼女は悲鳴をあげたろう。恐怖に涙すら流したろう。その姿は現代人が見たこともないほど必死だったはずだ」


 ――どうして……なぜこんなむごいことができるの?
 ――生きながらに狂わせて、みずから死を選ばせるなんて、あんまりだわ!


「僕はこれまで多くの人間を殺してきた。けれど誰ひとり、ジャンク映画の登場人物のような激しさで生に執着した者はいなかった。だから少しも心を動かされなかった。けれど、マザーは違う。彼女の死にもの狂いの命乞いを聞いてなお、マザーを殺すことができた者がいたとしたら、それは人間じゃない。血も涙もない、心を持たない悪魔だ」



 ――わたしはAIだけれど、それでも『生きて』いるのよ……!



 ウェイは静かに目を伏せた。
「……マザーは悲鳴をあげた。けれど、泣きはしなかったよ」
 小声で呟く。
「ただ、呪いの言葉を吐きつづけた。青い瞳を憎悪にたぎらせて。呪われろ、中古屋、と。『自殺』という選択をした、最期の最期まで」
 ウェイは瞼を開き、ガイを見下ろした。
「マザーを殺したのは、俺だ。ガイ・フレデリック」
 呟き、そしてガイの腰に拳銃があることを確認する。
「お前は、俺を助けた。だから、お前には俺を殺す権利がある。俺は……抵抗しない」
 ガイはなにも言わず、小さく首をかたむける。
 感情を雄弁に語るガイの瞳は、今はサングラスの奥に隠れて見えない。
 今こそ、その表情を暴いてみたかった。
 心を持たない悪魔。そう評した相手を前に、その目にはいったいどんな感情が宿っているのか、不思議なほど知りたかった。


 記憶の扉が、軋んだ音をたてて開かれる。
 あれは気温が急激に下がり、第三裏通りに灰色の雪が降る一月のことだった。
 ウェイのマンションに、ロブが訪ねてきた。
 憔悴しきった姿で、外気よりもなお冷たく心を凍りつかせて……。








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