小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.006 1


 狂った色彩のマーブル模様が、脳みその中で晩餐を開いている。
 ぐるりぐるりと色付きの線が渦を巻き、またはとぐろを解いた蛇のように身をくねらせ、形を変えていく。
(熱い……)
 気持ちが悪い。
 その色彩が、渦が、蛇が、不安定に崩れては別の模様を描き出すマーブルが。
 鳩尾をぐっと拳で圧迫されているような、悪心が。
(痛い……)
 燃えるような痛みが、波のように寄せては、引く。痛い。痛くて、熱い。
 助けを求めて口を開く。粘つく咥内、喉は焼けたように涸れ、声は出ない。
 だが、微かながらに声は出たようだ、傍らにいる誰かは愉快そうに含み笑った。
「いいや。僕はアニーじゃないよ」
 年若い男の声。どこかで聞いたことがある気がする。だが思い出せない。
 執拗に渦を巻くマーブル模様に邪魔され、脳みその働きがひどく鈍い。誰だ、と警戒する一方で、聞き覚えのある声ということにひどく安堵する。だが、思わず縋ろうと持ち上げかけた腕の付け根が、ぴしりと軋んだように痛み――恐怖を思い出す。
 だめだ。助けを求めるな。助けるな。やめろ。やめろ! やめろ!!
「大丈夫」
 熱に浮かされた視界に、一瞬、痛みも恐れも忘れるほどの、この上なく無垢な笑みを見た気がした。
「僕は君を守る者だ、中古屋」
 だが次の瞬間、天使と見紛うその微笑は、意識の底から湧きあがってきた無数の文字や数字の群れに掻き消された。


「助けて。殺さないで」
 ふ、っと辺りが静かになった。
 気づけばそこは、見慣れた機械の墓場。
「殺さないで。壊さないで」
 山と積まれた壊れた機械の中に、無数の首が植わっていた。ひとつひとつが個体としての特徴を持つ顔の群れは、ぱくぱくと口を動かし、無表情のまま繰りかえしている。
「助けて。助けて。助けて」
「壊さないで。殺さないで。殺さないで」
 耳が痛くなるほどの静寂で覆われた墓場に、不協和音を奏でる首の群れ。
 呆然と立ち尽くす彼の前に、すっと横からなにかのスイッチが差し出された。
 振りかえると、スイッチを手にした腕の先には、目鼻のないのっぺりとした顔の男が立っていた。白衣を着た胸元では、「アウトラス・コーポレーション AI研究開発部チーム〈 L 〉」のバッチが存在を主張している。
「押したまえ」と研究員の男が言って、スイッチを押しつけてくる。
「猿の起動装置だ。スイッチを押せば、猿があれらを処分する」
 その言葉を聞き、恐怖のあまりに笑いだす首の群れを、監視カメラEYEが見つめている。埋められた首の先では、巨大な猿が虎視眈眈と獲物を狙い、獰猛な毛並みを逆立てている。
「どうした。なにを躊躇う」
 なにを? なにをって、なにをだ。
「押しなさい」
 聞き慣れた声に振りかえると、そこには赤く染めた髪を肩から垂らした女がいた。白衣を羽織った女は、懸念に顔を曇らせ、自分を焦れたように見つめていた。
「あれはただの失敗作だわ。猿に、壊れた機械をクラッシュさせるのと、なんら変わりはない。スイッチを押しなさい」
 失敗作。あれが壊れた機械と同じ。
 あんなに哀しげに悲鳴を上げているのに。恐怖のあまりに笑いすらしているのに。


 半分に切ったオレンジに集る黒蝿。
 葉脈を伝って流れる白い血。
 琥珀に閉じこめられた虫が足をばたつかせる。
 黒い花が歓喜に赤い花弁を開く。
 骨董人形に硝子の瞳を入れる顔のない職人。
 機械でできた丘で踊る大きな猿。
 生き埋めにされた殉教者の笑い声。


「早く押して。お願い、あなたを失いたくないの」
「なにをしている。いったい、なにを躊躇うんだね」


 ――なにを?
 ――……なにを?


「だって」
 青ざめて紫色になった唇を開き、震えながら答えた。
「彼らは、“生きて”います」
 呟いた途端、彼ははっと我に返り、そして気づいた。
 自分を見つめる無数の眼が、「異端者」を見る目つきであることに。


 ふいに視界が暗くなった。
 ざわめきも、無数の眼差しも、鬱陶しいマーブル模様も闇の向こうに遠のく。
 目許が、ほんのりとあたたかい。瞼の上に押し当てられているのは、五本の指を持つ小さな掌だ。
「泣かないで、ウェイ」
 彼の両目を塞ぎながら、掌の主は耳元にそっと嘆くように囁きかけた。
「どれほど願っても、ここにあなたの望む世界はないのだから」
 額にこつんとなにかが触れ、目を塞いでいた掌が離れていく。眩い思いで見つめた先では、掌の主が、少女が、ニナが、鼻先が触れるほど間近から彼を見つめていた。


「だから探して。わたしと一緒に。
 決して流されない、


 ラクリマ――」


 ニナの硝子玉のような黒い瞳が、優しく微笑む。
 ウェイは透き通るような少女の笑顔に見惚れながら、一筋の涙を流し、目を閉じた。

NO.006 MASTER of SPIRAL WORMS:U


 ガイ・フレデリックは、鍵をかけた自室の椅子に腰かけ、優美に足を組んで、ベッドの上の「患者」を見つめていた。
 正確には、患者自身ではなく、患者の容態を数字に変えて映し出しているモニタを。
「可愛くないなあ……」
 患者の心配をしているのかと思いきや、ガイの口から嘆息まじりに零れ落ちたのは、そんな一言だった。
 彼の自室は、長兄いわく「とち狂ったおもちゃ箱」だった。壁の棚や、床に積まれたいくつもの箱からは、カラフルでポップなおもちゃや人形、模型のたぐいが、外にはみ出す勢いでしまわれている。コンクリートの天井にも、トリッキーな色使いで、マンハッタンでは滅多にお目にかかれない「空」が描きだされ、地球や月、土星といった天体模型モビールが吊るされていた。うさぎちゃんの壁紙が張られた四方の壁には、飛行機や鳥、ドラゴン、エアジェットの紙模型。先ほどからガイのぐるりを、ぶんぶん飛び回っているのは、数年前にテレビアニメのキャラクターとして流行した「BEE BEAR★ぶんぶん」というくまんばちのキャラクターだ。
 詳細はともあれ、そんな部屋なので、人命を救うための医療機器の類は、途方もない違和感を放っていた。どちらかというと「違和感」があるのはおもちゃの方なのだが、ガイにしてみれば、モニタやら医療器具やらの方が「違和感」だ。
「モニタは仕方ないにしても、この白くて無機質なボディ……水玉模様で塗ってみる? 支柱にもきらきらシールをいっぱい貼ろうか。あ、ジャイアント・コックのロボットをしがみつかせてみたら素敵かもしれない。特製オニオンドレッシングビーム砲を握らせてさ。ねえ、ミッキー?」
 うきうきと呟きながら、ガイはおもむろに患者の汗ばんだ額に掌を宛がった。指に伝わってくるのは、軽く四十度は超えるだろう体温だ。
「うーん……」
 ウェイの容態は、正直、芳しくなかった。
 額は高温を発していて、冷却ファンの故障した機械のようだったし、いまだに彼の左腕は付け根から先が「ない」ままだった。
 だが、これでもいっときよりはましな状態なのだ。
 ダクトの中でウェイを見つけたとき、中古屋は自発呼吸をしていなかった。左肩の切断面は、ダクト内で出血した痕跡がほとんど見られず、牢獄に閉じこめられた段階で、あるいはもっと前の段階で、限界まで流血し尽くした後だということが分かった。これではファミリーに死体と間違われて、ゴミ捨て場に捨てられたのも無理はない。むしろこんな状態で、よくダクトまでの鉄梯子を登れたものだと思う。片腕一本、しかも体内の血液が激減した状態で、あれを登る力などまったく残っていなかっただろうに。正直、ウェイを見つけた直後は、「これは、ニナにご臨終を告げるしかないかな」と覚悟したものだ。
 だが、ファミリーが所有する計測器を用いて測ったら、微弱ながら、脈反応があった。
 これなら助けられる。ガイは安堵した。現代の家庭用医療機器はとてつもなく優秀だ。自発呼吸は止まっていても、脈が残っていれば、八割の確率で生命反応は回復させられる。そのうち五割程度なら、脳死も回避することができる。そう、その「最新医療機器」とやらがありさえすれば。
「あれだけ苦労したんだから、助かってくれないと困る……というより、腹が立つよねえ」
 ガイは額から手を離し、枕元に頬杖をついて、患者の顔を眺めた。
「最新医療機器」を探すには、なかなか手間がかかったのだ。クイーンズ・ボロ橋爆破事件の余波で、すっかり無人と化した機械の墓場で、三時間ぶっ通しで機械を掘って掘って掘りまくった。その結果、やっとの思いで、一年前にはまだ「最先端」と言われていた中古の医療機器を見つけることができた。
 だが、「最新医療機器」を探す以上に大変だったのが、この男をダクトの中から引きずりだし、梯子から下ろし、誰にも気づかれずに自室まで運び入れることだった。――実は今、ウェイの肉体に残る傷の一部は、ガイがウェイをダクトから下のゴミ捨て場に放り投げたときについた傷なのだが、まあ、それはニナには黙っておくことにしよう。
 そんな涙ぐましい努力の甲斐あって、ウェイは自発呼吸を取りもどすまでに回復した。
 ほんの三十分前には、一瞬だけだが、意識も取り戻した。
「僕に拾われるとは、まったく運のいい男だ」
 ガイは薄笑いを浮かべ、昨日から眺めつづけているウェイの顔を見つめる。
 血の気の失せた白い肌。薄茶の髪。目の色は、閉じた目蓋の下に隠れて見えない。
 面白味のない顔だ。ニナのように愛らしくもなければ、兄弟のように獰猛でもない。
 だが――。
「本当に、君は運がいい。ウェイ……」
 ガイは枕元に外して置いたウェイのサングラスをくるりと指で弄びながら、クツクツと笑った。
 ふいに、外からドアを叩く音がした。
 愉快な時間に水を差されたガイは、面倒くさい気分でドアを振りかえった。
「――ガイ・フレデリック。そろそろ誕生日会を始めるから来るように、とビューティ・フレデリックからの伝言です」
 聞こえてきた運転手のくぐもった声に、ガイは浮かべていた微笑を消し去り、顔をしかめた。
「……時計ぐらい見てる。いちいちあの気色悪い爬虫類男を呼びによこさないで欲しいものだなあ。ねえ、ミッキー?」
 ガイは嘆息して、立ちあがった。
 指に絡めていたサングラスを枕元に戻し、襟元のネクタイをくっと締め直して、黒いスーツのジャケットを優雅に羽織る。最後に、テーブルに置いておいた薔薇の花束を肩に担いで、彼はミッキーとともに踵を返した。
「今、行く」








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