小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.005 8



 ソファに浅く腰を下ろし、じっと壁紙の剥がれた壁を見つめていたニナは、ぱちりと瞬きをし、立ちあがった。
「だめ……」
 小さな呟き。足元でスリープモードに入っていたエッグが、単眼をぐるりと回転させる。
「やっぱり、わたしがウェイをさがさなくちゃ……」
 どこか遠くで起きた異変を察知したように、ニナは突然、落ち着きなく歩きだした。
 だが、ユンファと交わした「外に出ないという約束」がニナの足を止めさせる。しかし約束を脇に追いやる勢いで、焦りが体の奥から溢れ出し、ニナはまた数歩、玄関の方へと歩を進めた。
「ウェイ……」
 彼の名を口にすると、さらに焦りが深まる。だがふたたびニナの足はぴたりと止まり、少女はどこか呆然としたように立ち尽くした。
 ――ニナだけではとても探せない。玄関を出たあと、まずどこに行けばいいのかすら検討がつかない。ユンファとロブとは別に、誰かの手助けが必要だ。
(それは、だれ……?)

+++

「ふぅ……」
 その頃、地上の大通りに軽やかに舞い降りたガイは、黒傘を畳みながら、たった今ふわふわと降りてきたビルの谷間を見上げ、溜め息をついていた。
「誰か銃撃でもしてくるかと思ったけど、撃鉄を上げる音すら聞こえなかったね。どうやら三年ぶりの第三裏通りは思いのほか臆病になってしまったようだよ、ミッキー」
 数分間の遊覧飛行をともに楽しんだ相棒に語りかけ、ガイは悩ましげに眉根を寄せる。
「つまらない」
 まるで撃ってくれたらよかったのに、と言わんばかりの口調だが、実際、ガイはそう思っている。五年前に引き続き、自分たちに戦いを挑んできた中古屋たち。その中心となっていた数人の中古屋を、ちょっとビューティが捕えただけで、第三裏通りは牙を抜かれた獅子のようなありさまになってしまった。
 三年前にタイムズスクエアで起きた、警察、GPS軍、中古屋とフレデリックファミリーとの攻防によって、ファミリーは有能な仲間の大半を失ってしまった。同じく中古屋も、そこに至るまでの過程で、多くの仲間を失ってしまっていた。
 あれから三年を経て、中古屋の戦力は回復しているかと思ったが――実際、人数自体はそれなりに回復したようだが、戦力自体は前回とは比べものにならないほど衰えている。
 中古屋は、明らかに弱体化した。
「予想に反して、今回は早々に第三裏通りを制圧できそうだ。中古屋はもう敵ではない。彼らが屈したとなれば、住民たちもフレデリックファミリーに従うほかなくなる。……中古屋以外の誰かが、またヒーローぶって挑んでくるなら、話は別だけれど……」
 そこまで呟いて、ガイは微笑した。
「まあ、そんなことはどうでもいいか。面倒くさいことはジョニーに、きな臭いことは兄さんに任せて、僕らは久々に羽根を伸ばして遊ぶとしよう!」
 なにしろ、せっかく忌々しいアルカトラズ監獄を脱走し、第三裏通りに帰ってきたというのに、気色の悪い運転手に付きまとわれ、まるで自由を満喫できずにいたのだから。
「楽しいねえ、ミッキー」
 たんたたん、と革靴の踵でリズムを刻み、瓦礫と黒煙の焦土で踊る。手には、黒傘。まるでジャンク映画『雨に唄えば』で、土砂降りの雨の中、タップダンスを披露する主人公のようだ。緊迫した空気に響きわたるその音は、靴裏から音符が飛びだしているかのように軽やかで、音楽を奏でる楽しさに満ちている。
「さあて、ニナはどこにいるだろう?」
 ガイは傘の柄に手を引っかけてくるりと一回転させ、小粋に右肩に載せた。
「以前は、アニーの店の前で会ったんだっけ」
 そこでガイはまず、第三裏通りと表通りの境にあるアニーの酒場「アーレイズ・バー」を訪ねた。
「おや?」
 だが、酒場の扉は固く閉ざされ、カーテンを閉ざした窓には、張り紙がセロテープで貼りつけてあった。
『しばらく休業いたします。店長アニー』
 ガイは首を傾げる。
「珍しい、あのアニーが店を休むなんて……」
 どこかでアニーが店を閉めてでも行きたくなるような骨董市が開かれているのだろうか。
 ガイは「ふむ」と小さく息をつき、くるりと身を反転させた。
「休業中なら仕方ない。僕とニナの小指が赤い糸で結ばれているなら、きっとすぐに会えるだろう。ということで、次は……」
 次に向かった先は、二十四時間経営の「無人超市」だ。ずいぶん昔に流行った無人スーパーマーケットで、表通りではとっくの昔に廃れてしまったが、裏世界ではいまだにあちらこちらに点在している。すべての商品が自動で入荷・販売される無人経営のため、たとえ世界が滅びようともシャッターを閉めることのないスーパーで、定期的にマフィア間で銃撃戦が起きたりするここ裏通りでは、有事の際にひそかに重宝されているのだ。
 建物の三階にある「無人超市」に続く階段を登りながら、ガイは艶やかに微笑した。
「さあ、ミッキー。楽しいお買い物の時間だ。兄さんは、連中を「ラッピングする」なんて言ってたけど、可愛いラッピング用品を揃えているとは思えないから、僕が見繕ってあげないとねえ」
 最後の段を軽やかに蹴り、自動ドアの前にたんっと両足で着地すると、「いらっしゃいませ」の機械音声が聞こえ、左右に開かれたドアが二人の珍客を店内へと招き入れた。


「わあ……」
 ビューティやジョニーなどは「ガラクタしかねぇじゃねぇか、あんな店行くか馬鹿野郎!」と罵倒の対象にしているが、ガイにとってここはまさに宝物の山だ。
 店内は、自動販売機形式。床から天井まで無数のガラス窓が秩序よく並び、その中に商品がひとつずつ詰めこまれている。蜘蛛の巣や埃で汚れたガラス窓を、服の袖でごしごしと拭うと、透明になって窓の向こうに、割れた青色の洗面器だの、使いかけのハンドクリームだの、糸が絡んだままのボタンやビー玉、壊れたエアガンなどが現れた。
 ガイは興奮を抑えきれずに、鼻頭が触れるほどガラス窓に顔を近づけた。
「見て見て、ミッキー。あの、鳩が飛びだしたままになっている鳩時計、とても可愛らしいとは思わないかい? あ、ほらほら、ビール瓶の王冠が三つもある! ドイツ産だ、欲しいなあ……ああ、あの二つセットの英国国旗バッチ、僕のネクタイと、君の服の胸元に刺したら、きっと素敵だよ。そうは思わない?」
 ガイは財布に手を伸ばしかけ、はっと我に返って立ちあがった。
「いけないいけない。ラッピング用品を探しに来たんだった。……おや、見てごらん、ミッキー! このピンクと茶色の水玉リボンなんか、最高にラブリーだ!」
 ついに目当てのものを見つけたガイは、床にしゃがみ、商品の置かれた棚の横にあるコイン穴に小銭を放った。薄暗い店内に、「お買い上げ、ありがとうございます」と音声が走って、幅広のリボンの束のかわりに、背面から別の在庫が姿を現した。良く分からない物体だが、パッケージには「DENDEN-DAIKO」と書かれている。
 プラスチックケース入りのリボンをためつすげめつ眺め、ガイは満足げに微笑んだ。
 ――と、そのときだった。手に載せたリボンのパッケージに、ふと、影が落ちた。
 ガイは顔を仰け反らせ、背後を見やる。彼の背後に立った人物もまた、しゃがんでいるガイの顔をうつむいて見下ろした。
 ふっと、口元に笑みが零れる。ガイはこれ以上なく柔らかに微笑み、口を開いた。
「やっぱり君と僕とは、ふたたび出会う運命にあったようだ、ニナ」
 背後には、大きすぎるセーターに身を包んだ、ニナが立っていた。


「こんにちは。愛らしいお嬢さん」
 ガイは立ちあがり、ニナに向きなおると、ミッキーを片手に抱き、帽子を取って優雅に一礼した。
 ニナはきょとんと首を傾けると、スカートを両手でつまんで、軽く膝を折った。
「こんにちは。ミスター」
 ガイは驚きのあまりにミッキーをしっかと抱きしめ、「Wonderful!」と声をあげた。
「なんて可愛らしい挨拶だろう……! 見たかい、ミッキー!?」
 ガイは上機嫌で、手にしたミッキーの鼻先で、ニナの小さな鼻の頭をちょんと突いた。
「ハァイ、僕、ミッキー! 久しぶりだね!」
 腹話術のミッキーにも、ニナは躊躇なく「こんにちは。ミッキー」と挨拶を返してきた。たまらなく可愛らしい仕草にひとしきり感激してから、ガイは小さなレディの前に跪く。
「僕のことは「ガイ」でいいよ、ニナ。君もお買い物かな?」
 ニナは黒目の大きな瞳を瞬きさせ、寒さでか、色の悪い唇を開いた。
「……さがしものがあるの」
 ほんの少し、困ったような声。
「探しもの? それはどんなものだい?」
「…………」
 ニナは足を揺らし、埃っぽい床を黙って見つめる。
 ガイはにこりとした。
「言いたくないことは言わなくていいんだ。それより、君はとても寒そうな格好をしている。手袋ぐらいした方がいい。指先をあったかくしていると、体もぽかぽかしてくるよ」
 言って、ガイは立ちあがって商品棚をあれこれと検分し、子供用の手袋を見つけだす。甲の部分に小さなりぼんのついた、白い毛糸のミトンだ。第三裏通りでは、あっという間に黒い手袋になってしまいそうだったが、小銭を入れて購入し、ニナのところに取って返す。
「手に触れてもいいですか、レディ?」
 ニナは不思議そうにしながらも、こくりとうなずいた。
 ガイは冷たく凍えた掌を掬いとり、白いミトンをそっとはめてやった。もう片手にも同じようにはめて、顔を覗きこんで微笑む。
「さあ、これでぽかぽかだ」
 ニナは両手を顔の前に掲げて、ぴったりサイズのミトンをまじまじと見つめた。
 そして、言った。
「ありがとう」
 ガイは目を丸くして、しばし言葉を失った。
「君は……ずいぶん自然に、その言葉を言うんだね」
 ニナは小首を傾げた。
「感謝を伝えるときは、「ありがとう」と言うの。ジャンク映画ではそうしていた。間違っている?」
 ジャンク映画。
 思わぬ言葉を聞き、ガイは思わず顔を綻ばせた。
「なるほど、確かにジャンク映画の時代の人々は、「ありがとう」という言葉をごく自然に使っていた。……間違っていないよ、ニナ。感謝の気持ちを相手に伝えることは、とても尊く、大切なことだ。――けれど、」
 ガイはニナの唇に、ミッキーの掌をちょんと当てた。
「心を許した人以外には、その言葉は使わないほうがいい。この世界では、「ありがとう」という言葉はもうあまり使われていないんだ。きっととても驚かれてしまう。その驚きは、時に人を悪魔に変えるんだ」
 意味が分からなかったのだろう、ニナはガイとミッキーの顔をじっと見つめる。
 だが、ガイは詳しい説明をするかわりに、微笑みを深めた。
「大丈夫。君のもとに悪魔が来ても、きっと僕が助けるよ。もちろん、ミッキーもね」
 ニナは目を瞬かせ、ミッキーとガイとを見比べた。
「たすけてくれるの……?」
「お姫様を守るのは、騎士の役目だからね。……それに、子供を守るのは、大人の役目なんだ、愛らしいお嬢さん」
「おとな……」
 そこでガイはふと、眉根を寄せた。
「そういえば、ニナはひとりでここまで来たのかい? 誰か一緒ではないの?」
 ニナはなぜか怒られたように首をすくめた。
「……ううん、エッグと一緒」
「エッグ? たまご?」
「ロボットなの。あの子は階段を登るのが苦手だから、下で待っているわ」
 ガイは目を瞬かせ、ニナと一緒に店内を横切り、自動ドアから外階段の上へと出る。階段の下を見下ろすと、表世界で良く見かける掃除用ロボット「PLUMP MOP tyle V」、通称「EGG」が、メタリックボディを輝かせ、じっと主人の帰りを待っていた。
「へえ、珍しい。掃除用ロボットが裏世界にいるのを初めて目にしたよ。でもあの子じゃ、なにかあっても君を守ることは……」
「――家を出ないって約束したの。でも、エッグと一緒に出てきてしまった。約束をやぶったの。わたしになにかあったら、ユンファが、ウェイに怒られる……」
 ニナがぼそぼそと呟く。意味はよく分からないが、そこでようやくガイは、「保護者」だとか名乗った男の存在を思いだした。そう、確かウェイ。興味がないから忘れていた。
「ウェイはいないのかい?」
 ニナはぶんと首を横に振る。
「そう……」
 保護者などと抜かしておきながら、まったく、大した無責任じゃないか。ガイは憤慨して鼻を鳴らすが、ふいに太腿の脇に垂らしていた腕に、ニナのミトンに包まれた手が触れた。
「……ガイとミッキーは、わたしをたすけてくれるの?」
 ガイは眉を持ち上げる。 硝子玉のような透明な瞳の奥に、懇願するような一生懸命さを見つけて、ガイはミッキーと顔を見合わせた。
「もちろんだよ、僕の可愛いお姫様」
「さがしものをしているの。さがすのを手伝ってくれる?」
 先ほどの言葉が繰りかえされる。ガイは冷たい階段に膝をつき、うなずいて先を促がす。
「いいよ。それはどんなもの?」
 ニナはミッキーを見つめ、ガイをまた見つめて、口を開いた。
「ウェイ」
 ん?と、ガイは首を傾げた。
「ウェイは、どこかにお出かけ中なのかな」
「帰ってこないの。ずっと。クイーンズ・ボロという橋に行ったっきり、帰ってこない」
「……クイーンズ・ボロ?」
 聞き覚えがありすぎるその名に困惑し、頭上の灰色のビル群を「ええと」と仰ぎ見る。クイーンズ・ボロ橋は、なぜだか知らないが、ビューティが地形が吹き飛ぶほど木端微塵に壊した橋の名だが、あの橋に行ったきり、帰ってこないということはつまり――。
「もしかして、ウェイは中古屋さんかな?」
 以前、アニーの酒場で玩具の万年筆について熱く議論を交わしたことを思い出す。クイーンズ・ボロ橋の爆破に巻きこまれたのだとしたら、中古屋か運送屋、武器屋あたりだが、万年筆のインクについて議論できるほどの知識があるとしたら、中古屋以外には考えられない。それに、あのエッグの存在。
 果たしてニナはこくんとうなずいた。
 ガイは、彼には珍しく動揺した。
「そ、そう……それは……困ったねえ」
 ニナはガイの困惑には気づかずに、あまりに澄んだ黒い瞳でガイを見つめた。サングラスの奥底までを覗きこみ、隠された心の奥にまで訴えかけるように。
「ウェイを探して」
 囁かれた懇願が、白い息となって闇に漂う。
「ウェイは、「危ないから家にいろ」って言った。家の外が危ないというのは、悪魔がいるからなのね? じゃあ、ひとりぼっちで迷子のウェイは、きっととても危ない……」
 ガイの手を両手で包みこみ、ニナは繰りかえした。
「ウェイを探して。そして、彼を守って。……お願い、ガイ」
 ガイはどう答えるべきか判断に困って、唸るように呻いた。







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