小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.005 7



 第三裏通りは、地上を東西に貫く大通りを境に、南北のブロックに分けられる。
 南と北とでそれぞれに積みあげられた建物群は、大通り上空に架けられた無数の空中歩道によって結ばれていた。
「層」の基準となっているのは、その空中歩道だ。
 地上を「第零層」とするなら、地上に一番近い位置に架かる空中歩道と、その歩道によって結ばれた南北の建物群を、「第一上層階」と呼ぶ。「第十二上層階」と言ったなら、地上から十二番目にある空中歩道と同じ階層にある建物群のことだ。
 その第十二上階層の南ブロックは、大部分が「チャイナ・タウン」によって占められている。
 住民の大半が中華系人種で、多くが、アメリカが国であった時代からマンハッタンに黒社会を形成してきた組織「龍海幇ロンハイ・バン」に属していた。
 チャイナ・タウンの入り口には、「牌楼パイロウ」と呼ばれる、瓦屋根のある極彩色に塗色された門が佇んでいる。瓦屋根の30センチ上空には、第十三上層階の底辺が迫り、上下の空間が極めて狭い階層の入り口に、どんと立ちはだかる牌楼の威容には、客を迎えようという温かみよりも、外敵を排除せんとする華人たちの圧力が滲み出ているようだった。


 ユンファは、牌楼に掲げられた扁額に書かれた「街華中」という左読みの文字を見上げ、また、門の向こうに伸びる細長い道を見つめて、なんともいえない複雑な表情を浮かべた。
 チャイナ・タウンは、複雑に入り組んだ路地を持つ町だが、門から伸びる目貫通りは、通称を「金物街」と呼ばれている。
 名前の通り、鍋や包丁、螺子や釘、鍵などといった金物のほか、貴金属、時計、武器といった品をつくる作業場兼店舗が密集する通りなのだが――。
「普通……だな」
 深々とかぶったフードの奥で、ロブが思案げに呟いた。
 作業場兼店舗の軒先に、ぼんやりと赤く灯った灯篭。赤い灯篭の列は、通りの奥にわだかまる闇へと伸びている。
 その幻惑的な闇に響きわたる、カン、カン、カン、と金槌で鍋の底を叩く音。
 音はそれだけではない。銀食器に、彫刻刀で精緻な彫刻を施すシャリシャリという音。なにかにネジを捻じこむ、ウィーインというドリルの音。職人たちの作業の音が渦を巻いて、狭い通りを賑やかにしていた。
「普通……ね」
 地上の通りにあった静寂や緊張感など嘘のように、金物街では、普通の生活が営まれている。夢でも見ているような気分になって、ユンファもまた困惑して立ち尽くした。
「工具を買いに、たまに金物街には足を運んでいたが、こりゃ以前となんら変わらん光景だぞ」
「そうね。あたしも滅多に来ないけど……前に見たときと雰囲気がまったく変わってないわ」
 ロブはちらりと、頭ひとつ分は背の低いユンファの頭を見下ろした。
「さすがチャイニーズは図太いな」
「……閉嘴(黙れ)」
 ユンファはぎりりと歯軋りをするが、しかしロブは慎重に、平素と変わらぬ光景を見つめた。
 と、牌楼の柱の側に、ひとりの少年が立っていることに気づく。
 じっと見つめていると、少年がこちらを振りかえり、かぶっていた帽子のつばをわずかに持ち上げた。
 情報屋クグカが差し向けた、案内役の少年ニックだ。
「あんたが、ユンファ?」
 近づいて行くと、ニックがぶっきらぼうに問いかけてきた。
 薄ぼけた金髪に、くすんだ茶色の目。白い肌にはそばかすが浮いている。だが、筆で描いたような細い目からは、華人の血が感じられた。
 ニックはいかにも生意気な目つきで、じろじろとユンファを無遠慮に眺め、ふと胸に目を留めると、まったくの無造作に片乳を鷲掴んだ。
「……ッアイヨー!?」
 ニナに続いて、子供に胸を掴まれたのは二度目だ。絶叫するユンファだが、しかしニックは自分の掌を嫌な顔で見つめた。
「シリコンかよ。つまんねえの」
「こ、ここ、こ……っこの……!」
 怒りのあまりに顔を真っ赤にして、ニックの胸ぐらを掴みあげた。
「さっさとクグカんとこに案内しないと、ケツの穴に拳突っこんでヒィヒィ言わすわよクソガキィ!」
「おい、ユンファ……」
 頭を抱えるロブを、ふとニックが見上げた。
「そっちは」
「連れよ! 連れが一緒だってことは、クグカにも伝達済み。名乗る必要があるなら、先にあんたがフルネームで名乗ることね!」
 ニックは鼻の上に皺を刻んでユンファを睨みあげると、その手を乱暴に振り払い、顎で門の奥を示した。
「ついて来いよ」


「ったく。人使いの荒い爺さんなんだから。案内役なんて、リウにでも頼めばいいんだ。金物街ならリウの方が詳しいし、そもそもおれはチャイナ・タウンに住んじゃいないのに……なんでこんな雑用を」
 なにが不満なのか、小声で文句を垂れながら、ニックは背を丸めて足早に歩く。
 しかしぶつくさ言いながらも、時折、ちらりとロブを振りかえっては、期待と興奮と悔しさの入り混じった表情を顔に浮かべるのが不思議だった。
「……ちぇ。どうせなら世話役の方にしてくれりゃよかったのに」
 ユンファは怪訝に眉根を寄せ、変なガキ、と肩を竦めた。
 通りの両脇に、密集して建つ瓦屋根の店々は、すべて二階建てだ。一階が店舗兼作業場、二階が住居になっている。裸電球を手元に置き、白い光の中で工具を振るう鍛冶屋たちは、道の真ん中を歩くよそ者にはまったく興味を示さず、淡々と作業をこなしていた。
「ここはどうしてこんなに普通なの」
 ニックは肩越しにユンファを振りかえり、ふん、と鼻を鳴らした。
「うるせぇ、巨乳ばばあ」
 ユンファは無言で、ニックの後頭部に拳を振り下ろした。
 だが―― 一見すると平穏に見える通りにも、フレデリック襲撃の傷痕が残っているようだった。店の壁面には銃弾に穿たれた孔が無数に空き、家々の瓦屋根は剥がれ落ちて、地面に落下している。薄暗くて最初は分からなかったが、地面にも壁にも黒ずんだ血痕が見られた。
「この血痕は、フレデリックファミリーの襲撃のせい?」
 なおも問うと、脳天を押さえて呻いていたニックは、むっつりと唇を噛みしめた。
「知るかよ! おれはチャイナ・タウンの人間じゃねえ。家なしのニックだ。クグカの爺さんところで、たまに小遣い稼ぎに働いてるだけで、「龍海幇」にも属してねえし、華人だってつもりもねぇし。……おれはただ、個人的に……」
 そこまで言って、ニックはまたロブを振りかえり、仏頂面になって口を閉ざした。


 待ち合わせ場所に指定された孔子廟は、金物街のどん詰まりにあった。
 チャイナ・タウンの牌楼とよく似た門をくぐると、そこは前庭になっていた。石畳の庭を囲って、左右と正面に、橙色の瓦屋根を持つ三つの建物が建っている。
「ここで待ってな。そのうち、クグカが来るから。……じゃ」
 ニックは二人を正面の建物の中に押しこむと、そっけなく言って、あっさりと身を翻した。最後にもう一度だけ、ロブを口惜しげに見つめてから――。
 孔子廟は、しんと静まりかえっていた。
 外では絶えず聞こえていた金物を打つ硬質な音も、廟の中までは届いてこないようだ。
 それは、なんとなく奇妙に感じられた。扉のない、吹き抜けの伽藍堂なのに、一歩廟に入っただけで、こうも外の音が聞こえなくなるものだろうか。
 ユンファは底知れぬ不安を覚え、背後の金物街を振りかえろうとして、
「ほ、ほ、ほ。よう来たのう、巨乳のユンファちゃん」
 ふいに、廟の中央に祀られていた孔子像の影から、小さな人影が現れた。
 古い絵巻物から出てきたような老人だった。真っ白な髭は床まで伸び、ふさふさの白い眉が目を隠してしまっている。華人伝統の裾の長い着物をまとい、杖をついたその背丈は、ロブの腰ほどもない。
「情報屋クグカじゃ。待っておったぞ」
 老人は皺枯れた声で、梟のように笑った。
 ユンファは軽く驚いた。これが、警察の厳重なセキュリティをかいくぐるほどの熟練のハッカー。意外だった。老人とは聞いていたが、目の前の老爺はどう見ても、八十歳は軽く超えている。
 クグカは驚くユンファを、いや、ユンファの背後に立つロブを見やり、口角をにっと持ち上げた。
「どうした、中古屋ロブ・マーキンソン。わしが想定外の姿をしておったもので、驚いたのか?」
 ロブははっと目を見開いた。
「ユンファ、俺の名前をクグカに伝えたのか?」
 ロブは身を硬直させ、ユンファに問いかける。ユンファは慌てて首を横に振った。
「まさか。言うわけない。「連れ」って言っただけ。どうして……」
「わしは情報屋。わしを訪ねてくる相手が誰なのか、事前に知っていて、なにが不思議じゃ、巨乳ちゃん? しかしロブ・マーキンソン、今回は臆病なことにずーっと家に引き篭もっていたようなのに、どういう理由でお外にはいはいしてきたのかのう?」
 あからさまな嘲りだったが、ロブは答えずに、フードの影から鋭い目で老人の一挙一動を注視した。ロブのそんな険しい顔を見るのは初めてで、ユンファはわずかに怯む。
 クグカは抹香臭い廟の中をゆっくりと歩きながら、クツクツと笑った。
「かまわんかまわん。理由など、わしに説明してくれる必要などないぞ。中古屋ウェイの行方を捜してほしいと言うのじゃろう?」
「ど、どうして知ってるの。アポとった時には、依頼内容は話さなかったのに……」
 ユンファが戸惑って、思わず問うた――刹那。
 クグカが、にこやかな好好爺の顔を凄まじい形相に変えて、ロブを睨みつけた。
「ポケットから手を出せ、中古屋! この無礼者めがあ……!」
 憤怒に割れた声が廟の高い天井に響きわたり、ユンファばかりかロブまでがぎょっとなった。
「頼みごとに来たのに、武装解除をしないとは無礼な中古屋め! だから中古屋は嫌いなのじゃ! 嫌い、嫌い、きらい! だあああああーいっきらいじゃあああああ!」
 振り乱された白い眉の奥から、血走った眼が現れる。
 突然晒された狂気に、ユンファもロブも息を飲んだ。老人はばたばたと両脚で地団駄を踏み、気が狂ったように剥げた頭を掻き毟って、あっかんべーっと白い髭の奥から長い舌を突きだす。子どものように拗ねた口調と仕草。だが老人の姿をしているだけに、その様子は狂人の挙動そのものに見えた。
「わ、分かった、手を出す。落ち着いてくれ」
 ロブは言って、慎重にポケットに突っこんでいた手を外に出した。武器を持っていない証拠に、両手を顔の前に掲げてみせると、クグカはぴたりと狂乱を収めて、にこやかに笑った。
「ようし、よし。それでいいぞ。中古屋は大嫌いじゃが、素直な奴は嫌いじゃない」
 言って、クグカは楽しげに孔子廟の中を飛び跳ねはじめる。鼻歌を歌いながら、踊りまわる姿は、明らかに常軌を逸していた。
 狂った老人を唖然と見つめて、二人は立ち尽くした。
「さあて、中古屋ウェイの居場所を調べてほしいということじゃったな」
 クグカは朱色の柱の陰に身を引っこめ、ひょこりと顔だけを出して二人を見つめた。
 ユンファははっとして、慌てて身を乗りだした。
「エ、エニグマ姐さんのこともよ。それに、他の中古屋のことも……!」
「連中は同じ場所に捕えられている。ウェイの居場所を調べれば、おのずと全員の居場所が掴めよう。かまわんよ。というか、おぬしらに頼まれんでも、わしもウェイには相談があって、ちょうど探しておったところじゃし。……ふぅむ、ま、一週間以内に見つけられるじゃろ」
 思わぬ言葉に、ユンファは目を見開いた。
「そんな簡単に?」
「だってわし、天才ハッカーじゃもんねー」
 クグカは髭と同化したふさふさの眉毛を、のれんでも掻き分けるように両手で左右に開き、得意げに目を細めた。
「ともあれ、ウェイとエニグマちゃんを見つけたら、ユンファ、おぬしのアドレスに連絡をする。それでいいかのう?」
 さらりと言われて、ユンファはにわかに動揺した。こんなに話がうまく運ぶとは思っていなかった。それだけに警戒心が先に立って湧きあがってくる。
「……見返りは、なに」
「見返り? いらんわい、そんなもん。言ったはずじゃ、もともと用事があるのじゃ、ウェイに。わしはわしの用事のためにウェイを探し、そのついでにエニグマちゃんと他の中古屋の居場所も調べて、おぬしに伝える。言うなれば、巨乳の同胞に対するサービスってやつかのう?」
 釈然としない気分で、ユンファは言葉をなくす。
 困惑してロブを振りかえると、ユンファ以上の警戒心を目の奥に宿して、ロブがじっと老人を見据えていた。
「情報屋が、見返りを求めないだと? タダで寄こされる情報ほど信用のできないものはないぞ、クグカ。……俺たちをここまで招いたのはなぜだ。最初から依頼内容が分かっていたなら、見返りを求めるつもりがないなら、なんのために俺たちを呼んだ。「ついでだ」と言うなら、ユンファがアポをとったときに、ただ「中古屋ウェイの情報が知りたいのだろう。情報を送ってやるから、家で待ってろ」とだけ言えばよかったはずだ」
「おお、言われてみればそうじゃの。思いつかんかったわ」
 クグカはあっけらかんと笑って、再び孔子廟の中を踊るように歩きはじめた。杖を指揮棒でも振るようにひょいひょいと動かし、なにやら鼻歌を歌って、もはや二人の存在など忘れたようにくるくると踊り回る。
「――正体不明の情報屋か。確かにその通りだな」
 ロブは、ユンファにだけ届く小声で呟いた。ユンファは中古屋の剣呑な顔を見上げた。
「ユンファ。お前は、クグカが正体不明と言われるのは、彼が華人で、「龍海幇」によって身元を固く守られているからだ、と言ったな」
「ええ、言ったけど」
「そうじゃない。奴はまさしく正体不明の情報屋だ。……分からないか、あの老人。姿が変だとは思わないか?」
 ロブの言葉に、ユンファは顔をしかめた。孔子廟の中で踊り狂うクグカの姿は、問われるまでもなく「変人奇人」以外の何者でもない。
「そういう意味じゃない。よく見ろ。電気障害でも起きているのか、時どき、姿がぶれる」
「……は?」
 言われている意味が分からず、ユンファはクグカの小柄な姿に目を凝らす。
 胡散臭いまでに、老人然としたその姿。杖を振りまわし、恍惚と目を伏せ、鼻歌を歌う、年老いた男。
 ふいに、その姿にノイズが走り、首と体とがほんの一瞬、左右にずれた。
「ホログラフィ映像……!?」
 思わず声を上げると、クグカがぴたりと動きを止め、ぐるりと顔を二人に向けた。
 暗がりの中で、クグカの笑んだ眼が不気味に光った。
「その通りじゃ。この姿はホログラフィ映像にすぎない。裏通りはあまり電気の流れが良くなくてのう、時どき、画像がぶれる」
 ロブは眉間に皺を寄せた。
「奴は姿をいくらでも変えられる。声だって、機械を通せば自由自在だ。だから正体不明。実際の姿が、女なのか、男なのか。老人なのか、子どもなのか。今、こうして目の前にしていても、本当の姿が知れない。……お前は今どこにいる、クグカ。人には丸腰でいろと要求して、こちらはお前の本体がどこにいるのかすら分からない。さっき俺のことを無礼と言ったが、客として来た人間に姿を見せないのもまた無礼なんじゃないのか?」
 クグカがロブの言葉に動きを止め、ふいに声を上げて笑い出した。
「これはいい! 一本取られたわい! じゃが、これはわしなりの自己防衛手段でな。おぬしのように、たいていの人間はわしに会いに来るとき、銃を手にしてくる。じゃからわしは姿を見せない。正体不明でいることは、安全なことなのじゃよ」
 ふいに老人の姿が硝子のように砕け散った。砕けた肉片は、数百、数千の光の粒子となって虚空に散らばる。粒子のひとつひとつは、よく見るとすべて文字と数字の形をしていた。万を超える文字数字は、磁石に引き寄せられるように一列に並んだかと思うと、光の螺旋を描きはじめた。螺旋は高速で回転しながら徐々になにかの形を作っていく。人の姿だ。先ほどの老人よりもずっと背が高く、ほっそりとした細腰を持つ、赤い髪の――。
 アニー。
「ウェイが、アンジェラを危険にさらしてまで、貴方に助けにきてほしいと願っていると、本当にそう思うの? ロブ……」
 実体としか思えないアニーの唇が、アニーの声としか思えない音声を紡ぐ。
 その言葉を聞き、ロブとユンファは同時に戦慄する。
 ホログラフィ映像ならば、他人の姿などいくらでも再現できる。戦慄したのは、その姿にではない、その台詞にだった。
 三日前、アニーの酒場で、アニーがロブに言った言葉だ。
 その台詞をなぜ、あの場にいなかったクグカが知っているというのか。
「ちょっとアニーに腹が立っていたもんでな、嫌がらせがしたくてのう。酒場の音声を、無断で拾っておったのじゃ。そしたらおぬしらが来店してきた……話は全部、聞いておったぞ」
 流暢に語る声はどう聴いてもアニーのものなのに、口調が老人のままだ。それだけに凄まじい違和感が鳥肌となって襲ってきた。
「聞いてたって……そんなことが――」
 アニーの姿が水を散らしたように崩れ、数字と文字の螺旋に変わったかと思うと、ふたたびそこには老人の姿が出現した。
「わしの「螺旋の虫スパイラル・ワーム」は、世界最高のハッキングウェアじゃ。スパイラル・ワームにとっては、物理的な障害はなんの意味をなさない。どんな壁さえもすり抜けて、どこだって覗き見することができる。アニーの酒場にこっそり侵入して、聞き耳を立てることなど造作もないことよ」
 意味が分からない。ユンファは困惑するが、ロブは戦きに目の色を変えた。
「じゃあ、俺たちが頼もうとしていた依頼の内容について、あらかじめ知っていたのも……」
「そうじゃ。聞いていた。アニーと話をしていたろう? ウェイとエニグマは自分たちで探す、と。そうしたら、そっちの巨乳ちゃんがわしにコンタクトを取ってきた。だとしたら、答えは簡単じゃ。わしにウェイを探してほしくて来た。いい目の付け所じゃのう! わしには確かに探し出せる」
 クグカは愛らしいと言えなくもない風に首を傾げ、ふとユンファに向きなおったた。
「おお、わしの依頼人はユンファちゃんじゃったの。どうする? 結局、ウェイの居場所が見つかったら連絡するってことでいいのかの?」
 ユンファは言葉に詰まる。ロブの激しい動揺が伝播して、ユンファまでが正常な判断能力を失う。
 この男は、危険だ。
 裏通りで鍛えてきた嗅覚が、とてつもなく危険な香りを嗅ぎつけている。
 ここは、踏み入ってはならない廟だった。特にロブは、アンジェラのためにも危険を冒せないというのに。なのに、気づけばもっとも危険な領域に足を踏み入れてしまっている。
 ――そんな気がする。
 当惑するユンファをじっと見つめていたクグカは、ふっと微笑した。
「四日前、お探しのウェイは、確かにクイーンズ・ボロ橋にいたぞ。……サービスで、ちらっと見せてやろうか」
 クグカが呟いた瞬間、孔子廟が突然、クイーンズ・ボロ橋の映像に切り替わった。
 立体映像だ。知らぬうちに、橋脚のすぐ側に立っていたユンファは、周囲をぐるりと見渡して、はっと目を見開いた。
「……ウェイ」
 ハドソン川の川辺に幾艘もの運送屋の船が並んでいる。運送屋たちは船から下りて、橋の下に椅子やら机やらを並べ、客からの荷物を受けとっては、帳面に届け先、金額、配達日時などの必要事項を記入していた。客足はそこそこ。誰も彼もが違法取引の品を抱えている。
 その中に、ウェイがいた。
 どこで手に入れたのか、自転車に跨ったまま、表世界に送るための中古品を運送屋のひとりに渡している。
 笑っていた。なにか冗談を言われ、冗談で返している。
「クイーンズ・ボロ橋は不法滞在者たちによって占拠されているが、常にGPSによって監視されている。橋の裏側、運送屋の船、川岸などに定点観測の監視カメラが設置され、訪れる客や運送屋たちの動きが常に見張られているのじゃ。音声はないがのう。警察のパソコンにハッキングして、手に入れたものじゃ」
 ユンファの傍らに立ったクグカが、おもむろにそう説明した。
 ユンファは、ウェイの姿を食い入るように見つめた。なんてことだろう、触れれば手が届く距離に彼がいる。ユンファはぼんやりと、ウェイの腕に手を伸ばした。
 だが、指は虚空を掻いた。ウェイの笑顔が自分を振りかえることもない。当たり前だ、これはただの過去の映像。そうと分かっていても、胸がずきりと痛む。
 ふと、ウェイがなにかに呼ばれたように顔をあげた。
 運送屋たちもまた顔をあげて、全員が同じ方向を向く。
 なんだろうか。なにが起きたのだろう。ユンファもまた、ウェイの見つめる方向に顔を上げ――直後、クイーンズ・ボロ橋の昼の光景は目の前から消え、気づけばユンファは、ふたたび孔子廟の暗がりに立っていた。
「映像はまだ続くけど、ここまでじゃ。こっから先も見たいなら、これは別料金を頂戴するぞ。ところでお前さん、ウェイが好きなのか? 恋しげに見つめておったのう」
 老人にまで馬鹿にされて、ユンファはカッとなって顔を歪めた。
「違う! どいつもこいつも……っ黙ってよ!」
「ほほほ。怖いのう、怖いのう。生理中か?」
「っ這個老色鬼!!(変態くそじじじ)」
「けどこれで、わしの情報屋としての技量は十二分に示せたと思う。わしはおぬしらの会話を盗み聞きもできるし、この通り、クイーンズ・ボロ橋の爆破事故当時の映像も容易く入手することができる。ウェイとエニグマはすぐに見つけられよう」
「……これだけの情報を握っておきながら、なぜ見返りを求めない。なにを企んでやがる」
 ロブの鋭い追及に、クグカは嘆息した。
「しつこいうのう。別に見返りがほしくないわけではない。ただ、見返りはウェイに求める予定でな。お願いごとがあるのじゃよ。ウェイがわしのお願いを聞いてくれたら、それでもう大満足なのじゃ」
「ウェイになにを頼む気だ」
 クグカはにんまりと笑い、両手をばっと広げた。
「ヒューマノイド!」
「なに……?」
「生死は問わん。わしはヒューマノイドが一体欲しい! アウトラス社がつくった人間そっくりのヒューマノイドが!」
 あまりに唐突な発言に、ロブは唖然として呻いた。
「……なにを言ってるんだ。なんのためにそんな……だいたいヒューマノイドなんてどこに」
「ほれほれ、最近、新聞に載ってたろう? アウトラス社傘下の工場からAI搭載型ロボットが逃亡したと。あれ、ヒューマノイドじゃ。あれがわしは欲しいのじゃ。あれはの、巧いこと人間に擬態して、人間社会にすでに混じっておるのじゃぞ?」


 ――そんなに似てるの? 人間と。
 ――そっくりだ。目の前にいても、分からないほどに。


 ユンファの脳裏にふとよぎったウェイの言葉。表世界のカフェで、淡々と呟かれたあの一言。
 ユンファはぞくっと背筋を震わせた。
 絶句する二人を見つめるクグカの目に、氷点下の冷徹さが宿った。
「けど、ただ普通にウェイに「お願い」って頼んでも、断られそうじゃしの」
 クグカは白い眉毛の向こう側で、にっこりと愛想良く笑った。
「じゃから、おぬしを呼んだ」
「……っ」
 ロブは目を見開き、光速にも匹敵する素早さで、右手をポケットに差し入れた。
 だが、彼が銃を引き抜くよりも早く、ぱん、と軽い音がし、ロブの首筋と脇腹から赤い靄が飛び散った。
 大柄な中古屋は声にならない悲鳴をあげ、床にどっと倒れこむ。
「……な」
 ユンファは床に倒れ伏したロブの体の下に血が広がるのを見て、よろめき後ずさった。
「な、に。なんなの……」
 突然の事態に錯乱状態に陥ったユンファは、ポシェットの火炎銃のことを完全に忘れて、無意識に退路を探そうと背後を振りかえり、
 今度こそ、慄然とした。
 孔子廟の前庭に、金槌や鋸といったさまざまな工具を握った鍛冶屋たちが集まっていた。彼らはにやにやと笑いながら、孔子廟の中にいるロブを見つめている。
 ――平和だなんて、とんでもない話だった。普通すぎる光景に惑わされ、気づけば二人とも、チャイナ・タウンの懐深く、袋小路にまで追い詰められていたのだ。もう逃げ場はない。退路は断たれた。あらかじめ広げられていた網に、気づけばすっかりとはまりこんでいる。
「いいぞ、巨乳のユンファちゃん。おぬしは逃がしてやる。もともとおぬしはどうでもよかったしの。怖いのじゃろう? 武器を扱ったことがないのじゃろう? 聞いておったぞ、マンション内での会話もぜーんぶな。……ロブを置いていってくれるなら、無傷でマンション通りに帰ることを許可してやろう。おお、ウェイとエニグマちゃんを見つけたら、約束通りにちゃんと連絡も入れるぞ。ウェイが、ロブと引き換えにわしの頼みを聞いてくれた暁には、二人もちゃんとおぬしの手元に帰してやる。もちろん生きたままのう」
 震える眼で、孔子廟の中へと視線を戻すと、そこにいたのはクグカだけではなかった。物陰という物陰に、武器を構えた男たちが笑みまじりに立っていた。
「孔子は、仁と礼に基づく理想社会の実現を志した。仁とはすなわち、人間愛。礼とはすなわち、規範。おぬしを逃がすのは、わしなりの仁じゃ。おぬしとの約束を守るのも、わしなりの規範じゃ」
 鮮血をまき散らす脇腹を震える手で押さえて、ロブが苦痛に呻きながら身を起こした。
「ク、グカ……っなぜこんな――!」
「じゃから、人質じゃよ。ウェイはおぬしが大好きなのじゃろ? おぬしを人質にとられてたら、奴はわしのどんな願いごとだって聞いてくれるじゃろう。……おお、扱いが悪いことは許しておくれ。さっきも言ったが、わし……」
 そしてクグカは、まるで少女のように華やかに、にっこりと笑った。
「中古屋が、大っ嫌いじゃからして」







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