小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.005 4



 ――ああ、どうしてかしら。
 不思議で、不思議で、ニナは何度もぱちぱちと目を瞬かせる。
 射しこむ日差しの角度が変わるたび、白い天井が、少しずつ色を変えていく。
 白い天井、だと思っていた。けれど薄暗い朝には、白は薄紫色で、ほんの少し外が明るくなると橙色に、黄金色に、薄紅色になって、また昼すぎには白に、そして太陽が沈みはじめると白は灰色に、青に、強烈な紅色に……どんどんと色が変化していくのだ。
 ――世界はこんなにも色とりどりだったかしら。
 ニナは天井の色の変化だけで、何時間でも楽しめる気がした。
 ジャンク映画を見てからだ。ユンファと一緒に、ジャンク映画を見てからずっと、ニナの頭は尋常でない速度で成長をしつづけていた。灰色だった世界に色がつき、その色は眩く輝いている。
 一体全体どうして今まで気づかなかったのだろうか。
 世界はこんなにも美しくて、今もまだ一秒一秒、美しくなりつづけている。
 ――けれど……。
「ウェイ」
 ニナは不思議な天井から視線を外し、胎児のように身を丸めた。
 こんなにも美しい世界なのに、彼が欠けている。
 中古屋ウェイ。ニナの保護者。目覚めてからの三日間、常にニナの側にいてくれたひと。
 きっとウェイなら教えてくれる。どうして世界がこんなにも色を変えたのか。どうして心がこんなにもざわめくのか。「Sigh(溜め息)」をつきながら面倒くさそうに、けれどほんの少しだけ楽しそうにして、ニナに根気よく教えてくれたはずだ。
「ウェイ」
 ふたたび名前を呼んで、ニナは目を閉じる。
 ふと、ベッドのふちから垂らした手に、エッグの冷たいボディが当たった。エッグはピピピと鳴きながら、まるでなにかを訴えかけるようにニナの手に体を摺り寄せた。
「……そう。時間」
 ニナは目を開け、痩せっぽちの体を起こした。
 寝室を出てリビングに行くと、たったいま外から入ってきたばかりといった風情のユンファが、厳しい顔つきで立っていた。
「行くわよ、ニナ」

+++

 ユンファは自分の手が震えていることを自覚していた。
 片手に銃を、もう片手でニナの手を握りしめ、物陰から物陰へと慎重に移動していく。一方で、油断すると足は勝手に安全な場所――ウェイが「安全だ」と保証したマンション街に帰ろうとする。
 それでもなんとか前に進めるのは、ニナの小さな手のおかげだった。
 その温かさ。小ささ。自分が守らなければならない。
 なんていうのは、もちろん嘘だ。正義感なんてものをユンファは信じない。自分の心にそんなご立派な精神があるとも思っていない。
 認めたくないれど、本当は、ニナに手を引かれている。
『わたしは、ウェイをさがさなくちゃ』
 ユンファがニナの手を引くよりも少しだけ、ニナが前を行く。
『彼を、失ってはいけない』
 ユンファの手を少しだけ引っ張って。
『手伝って、ユンファ』
 ユンファがこの小さな少女と行動を共にするようになってから、すでに三日が経過していた。つまりそれは、ウェイが三日もの間、自宅に帰ってこないということであり、クイーンズ・ボロ橋の爆破事故に巻き込まれたのは、ほぼ間違いないということでもある。
(生死不明のまま、すでに三日。アニーはもうなにかしらの情報を掴んだだろうか)
 三日前、ユンファはウェイの部屋から探し出した電話帳を参考に、ロブに助けを求める電話をかけた。ロブはユンファに「アーレイズ・バー」に来いと言い、ユンファはニナを連れて、渋々ながらアニーの店を訪れた。
(あの日のことは、思いだしたくない)
 ユンファは唇を噛みながら、意思とはまるきり裏腹に、三日前の記憶が脳裏に蘇ってくるのを感じた。


 ――三日前。


「アーレイズ・バー」にたどり着いたユンファは、古風な扉を前に立ち尽くした。
 扉には「CLOSE」の看板。扉の上部にある窓にも内側からカーテンが引かれて、中が覗けないようになっている。
 ロブはもう中にいるのだろうか。
 アニーは、当然いるのだろう。
 ウェイは――ウェイはいったい、どこに。
 さまざまな思いが去来し、動けずにいると、ニナが先に前階段を上りはじめた。
「ちょ……、……」
 反射的に呼び止めかけたが、相応の理由が思いつかずに口を閉ざす。ニナはユンファが買い与えた新しいワンピースの裾をふわふわと揺らしながら、扉を内側に押し開いた。
 店内は、殺伐としていた。開店時にはかかりっぱなしになっている旧時代の音楽も今は止められ、冷たい静寂がしんと積もっている。天井から吊るされた照明も、普段より明るめに設定され、室内の寂れた様子を容赦なく露わにしていた。
 カウンターの向こうで、安っぽい赤毛の女が立っている。地味なシャツに、濃紫色のショールを羽織った普段着姿で、コーヒーメーカーをいじっている。こちらには目も向けず、「いらっしゃい」とつぶやいた。
「座れ、ユンファ」
 カウンターに近いテーブル席に、ロブが座っていた。
「無事に着いてよかった。足は届くかな、嬢ちゃん?」
 ニナはロブの手を素直に借りながら、椅子のひとつに着席する。ロブが背もたれを押して、少しテーブルに近づけてやると、ニナはロブを真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「こんにちは。ミスター」
 ロブはぽかんとし、それが自分に対する台詞だと気づき、苦い薬を飲みこんだような顔をした。
「ミ、ミスター? おいおい、誰にそんなケツの穴が痒くなるような呼び方を教わった。やめてくれ、嬢ちゃん」
「映画では、私ぐらいの女の子が、目上のひとをそう呼んでいたわ」
 懇切丁寧な説明に、ロブは顔をしかめる。
「映画って、ジャンク映画のことか? まったくウェイの野郎、自分の趣味をこんないたいけな娘に押しつけるとはな」
「“ミスター”は、へん?」
 ロブは笑いを引っこめ、まじまじと少女を見下ろした。
「……いや、間違っちゃねぇだろうが、俺はミスターって柄じゃねぇんだ」
「おっさん?」
「そりゃまた極端な提案だが……ロブでいい。呼びにくけりゃ、ロブおじさんだ」
 表情も変えずにうなずく少女を、ロブは不審げに見つめる。
「なんだか、この間とずいぶん様子が……」
 ロブは呟き、しかし今はそれどころではないと考え直したのだろう、ふっと頭を振ってユンファを振りかえった。
「おい、何を立ち尽くしてる? 座れ」
 ユンファは扉の前に立ったまま、ニナとロブの会話を耳にも入れず、カウンターの向こうの女を見据えていた。
「……何で、この店なの」
 低く呟く。アニーはユンファには目もくれず、カップを三つ用意し、そのうち二つには珈琲をこぽこぽと注ぎ、ひとつにはパンで温めたミルクを注いだ。開店前だからか、暖房がまだ効いておらず、三つの容器から漂う湯気がいかにも暖かそうだった。
「酒場には情報が集まるのが定石だ。アニーは表世界の情報にも、裏世界の情報にも精通している。きっと……役に立つ情報をくれる」
「だけど……っ」
 そこでユンファは、店内に入ってから初めてロブの顔をまともに見た。
 ロブの顔には心労の色が濃かった。先輩ストリッパーの言うことが本当なら、ウェイだけでなく、エニグマもまた、ユンファとロブの共通の知人ということになる。
(だとしたら、きっとロブにも余裕はない。あたしに余裕がないように……)
 ユンファは個人的な不満をぐっと飲みこみ、黙ってニナの隣に腰を下ろした。
 見計らったように、アニーがカウンターから出てきた。ロブとユンファの前にコーヒーカップを置き、ニナの前にはミルクを置く。
「状況はさっき説明した通りだ、アニー。ニュースで、十五人以上の死者が出たという話だが、詳しいことが分からない。誰が死んだのか、何とか調べられないか?」
 アニーはカウンターに戻ると、吸いかけの煙草を灰皿から取り上げ、口に運んだ。たっぷりと時間をかけて肺まで吸いこみ、薄く開けた唇から紫煙を吐きだす。
 その緩慢な挙動に、ユンファは苛立った。同じ心情のロブに対しては不満を飲みこめても、アニーには無理だった。
「ずいぶんのんきね、アニーさん。ウェイが死んだかどうかって話をしてんのに……客のひとりや二人、死んだって気にしないってわけ?」
 ユンファのあからさまな挑発にも、アニーは動じなかった。カウンターの隅、誰もいない席を静かに見つめ、煙の尾をゆらゆらと天井に伸ばしている。
「……返事ぐらいしなさいよ!」
「おい、ユンファ。絡むな。時間がもったいない」
 ロブが溜め息をつくのと同時に、アニーが唐突に口を開いた。
「死体は警察が回収し、今はマンハッタン死体安置所にあるわ。今、死因を特定するための検死が行われている。ただし、ウェイはそこにはいなかった。もう一人、お探しのエニグマという女性も」
 突然、再生スイッチが入ったように、アニーが流暢に情報を語りはじめる。見事に無視をされて、とっさに反応できないユンファに代わって答えたのはロブだった。
「仕事が早いな。ウェイは確かにその中にはいないんだな?」
「ええ。確かよ」
「あの野郎、心配させやがって……っ」
 ロブは安堵のあまりに凶悪な笑いを浮かべ、怒らせていた肩から力を抜いた。
「安心するのは早いわ、ロブ。あくまで“見つかった死体の中にウェイはいなかった”というだけの話よ。あの爆破……回収できないほど体を木っ端微塵に吹き飛ばされていたとしても、不思議ではない」
「怖いこと言うんじゃねぇ。あいつがそんなことで吹っ飛ぶタマか」
「そうね。死んだと仮定しても話は進まないから、生きていることを前提に話すわ。……生存者はフレデリック・ファミリーに捕獲されたという話よ。もしそれが本当なら、ウェイとエニグマはフレデリックに捕まったのかもしれない。捕まっておらず、なおかつあの爆発を免れたのなら、とっくにマンションに戻っているはずでしょうから」
「捕まったとしたら、フレデリックの隠れ家だな?」
「断言はできないけれど、その可能性が高いわ」
「そうか。……畜生、前回も今回も、フレデリックの隠れ家は誰も見つけられてねぇってのに」
 アニーは、頭を抱えるロブを静かに見下ろした。
「ロブ、ひとつ聞いておきたいのだけれど……これらの情報を手に入れて、あなたは一体どうする気?」
 ロブは意表をつかれたように顔を上げた。
「どうするって、そりゃ……」
「あなたはもう、フレデリックとは関わらないと決めたはずよ、ロブ」
 ロブは目を見開き、唇を戦慄かせた。その反応に、傍らのユンファは眉根を寄せた。
「それは……確かにそう言った。だが――」
「ウェイが心配なんでしょうけれど……」
「あいつは、大切な親友だ!」
 ロブはテーブルの上で拳を握りしめ、瞼を震わせながらもはっきりと答えた。だがアニーはなおも冷ややかだった。
「貴方、この間言ったわね。前のときは、欲に目がくらんだばかりに、一番大事なものを失うはめになった、と」
「……そうだ。俺がフレデリックとの抗争に明け暮れている間に、妻はひとり寂しく死んだんだ」
「それで、今回はウェイを助けるために、フレデリック兄弟とふたたび関わり、娘さんを危険にさらそうと言うのかしら」
 表情にも口調にも感情があまり見られないアニーの言葉には、今はどこか棘のようなものが篭められていた。ロブは言葉を失ったままアニーを見つめ、首を横に振った。
「何を怒っている、アニー?」
「怒っている? 私が? なぜ」
 アニーはやんわりと腕を組み、ショール越しに自分の体を抱きしめた。
「暖房の効きが甘いわね……」
「アニー!」
「前回、ウェイをフレデリック兄弟との抗争に巻きこんだのはあなただわ、ロブ」
 話の展開がまるで見えず、黙って耳を傾けていたユンファは、「フレデリック兄弟との抗争に、ロブがウェイを巻きこんだ」という言葉を聞き、思わずロブを振りかえった。
「もしもウェイが生きてフレデリック兄弟に捕まったのだとしたら。もしもフレデリック兄弟が、三年前の「あの一件」がウェイの仕業だと気づいてしまったら。そうしたら、彼はいったいどんな扱いを受けるかしら……」
 ロブは首を横に振る。
「ウェイの話を誰かにしたことはない。あのことを知っている中古屋は全員、口を噤む約束をした。誰もその約束を破ってはいない。フレデリック兄弟が、ウェイのしたことに気づく可能性はゼロだ」
「いいえ、フレデリックは気づいているわ。少なくとも、三男のマイケル・フレデリックは」
 アニーはカウンター席を見つめ、そこにいない誰かを思い出すように目を細める。
「彼はアルカトラズ刑務所から私に連絡をとってきた。「あの一件に関わった中古屋を探しだして、情報を提供してほしい」と。そして「壁の中まで届けてくれ」と」
「な……」
「――ねえ、さっきからなんの話?」
 自分を無視して進行していく話に不穏な気配を感じ、ユンファは堪えきれずに割りこんだ。
「ウェイは、前回のフレデリック兄弟との抗争に参加してたわけ? ずっと戦いには参加せずに、家に引き篭もってたって話を聞いたけど」
 アニーはユンファの存在をいまさら思い出したように口を閉ざした。そしてロブは、ユンファを無視した。
「アニー、だったら余計に俺があいつを助けださなければならない。前回、奴を巻きこんだのは、俺だ。フレデリックとの抗争に関わるつもりはないと断言していたあいつを、俺は……」
 ロブはテーブルの上に載せた拳を、血管が浮き出るほど固く握りしめた。
「前回のつけを払う必要があるのなら、それは俺が支払うべきだ。そうだろう?」
「……あの人は、貴方が好きなのよ」
 前にも言ったわ、と前置きして、アニーは溜め息をつく。
「ウェイが貴方の助けを求める声に応じたのは、あの時、貴方が奥さんを失い、絶望にくれていたからだわ。大切な親友と、その娘の身を案じたのよ。貴方たちのために、中古屋とフレデリック兄弟との不毛な戦いを終わらせたい……ウェイはそう願い、そして実行に移した。そのウェイが、アンジェラを危険にさらしてまで、貴方に助けにきてほしいと願っていると、本当にそう思うの?」
 淡々と言って、アニーは目を伏せた。
「ウェイは私が見つける。あなたたちは今回の件は忘れて、家に身を潜めていなさい……」
 ユンファはあまりのことに、ついに言葉を発した。
「ちょっと。何様よ、あんた。こっちはエニグマ姉さんのこともあるの。そんな勝手に決められちゃ困る!」
「なら、賢く分担作業といきましょう。あなたたちはそのエニグマという人を探したらいいわ。私は、ウェイを探す。だから彼のことは忘れて」
「――!」
 ユンファは席を立ち上がり、ヒールを高々と鳴らして店内を横切ると、カウンター越しにアニーの頬を平手で打った。
 鋭い音に、手がじんと痛む。よける気など最初からなかったらしいアニーは、ゆっくりと顔を戻して、吐息をついた。
「ご満足かしら、お嬢さん」
「……あんたがウェイの何なのかは知らない。けど、ウェイを自分の所有物みたいに言うのはよしてくれない?」
「どうして?」
 アニーは紫煙を吐き出した。その薄暗い瞳に深く、ほの暗い色が宿る。
「ウェイは、私のものだわ」
 ユンファは言葉を失い、気づくと後ずさっていた。テーブルに足をぶつけて、ようやく止まる。
「な、なによ。まさか……恋人同士だとでも言いたいわけ?」
 それに答えはない。すでにアニーはユンファから興味をそらし、虚空を見つめている。
「そりゃあたしは奴にとっては三軒隣の変態でしかないけど、隣人を探す権利はこっちにだってあるはずよ! ウェイを忘れろですって? 冗談じゃない!」
 ユンファは身を翻すと、そのまま扉に向かう。何の反論も追ってこないことを強烈に腹立たしく思いながら、ベルをぶち落とす勢いで扉を開け、外に飛び出した。


「ユンファ」
 外に出て、足を止めると、ニナの軽やかな声が追ってきた。
「……何よ。どうせ馬鹿よ。馬鹿だって言いたいんでしょ」
「どうして?」
 ユンファはニナを振りかえり、また顔をそらす。手のひらに暖かい感触がして、見下ろすとニナが自分の手を握っていた。
「馬鹿じゃないわ。ちっとも」
 小さな少女の言葉に、ひどく胸を突かれて、ユンファは口籠った。
「おい、勝手に出て行くな」
 続いて声がして、ロブが駆けてくるのが見えた。
「あの女、ウェイと……そういう関係なわけ?」
 そんな場合ではないと分かっていたが、ユンファの口からは情けない質問しか出てこなかった。だがロブもまたずいぶんと戸惑った顔をしていた。
「いや、驚いたな。俺はずっとウェイの野郎の片思いだと思っていたんだが」
 率直な答えに、ユンファは歯軋りをする。
 片思い。ウェイの。そんなのはありえない。ウェイの思いは分からないが、少なくともアニーは一方的に彼から愛されているだけの女ではない。
 一度たりと目を合わせなかった。ロブやニナとは普通に目を合わせるのに、ユンファとはまるで。一度たりとも。
 その理由は、二つだ。
 ひとつはまったく興味がない。
 もうひとつは、ユンファが目をそらしつづけたのと同じ理由だ。
 意識をしている。強烈に、目をあわせられないほどに。
 これは女の直感でしかない。
 でも、アニーがユンファを意識からそらしていたのは、きっと後者の理由。
 あの女はウェイに何かしらの感情を抱いている。それはきっと、独占欲に近い。どろどろと穢れたもの。
「あの女がウェイを探すっていうなら、そうさせてやればいいわ。でもこっちもこっちで探す。手は多いほうがいいもの。……でしょう、ニナ?」
 ニナに問いかけると、ニナは当然のようにうなずいた。そのことに、なぜだかひどくほっとした。強力な仲間を得たような、そんな心強さを感じた。
「なんだ? 妙なところで、共同戦線ができたな」
 女同士に奇妙な友情が結ばれるのを目の当たりにしたロブは苦笑した。
「笑ってるけど、あんたはどうする気? アニー様にはずいぶんな言われようをしていたけど」
「ああ。……いや、だが気持ちは変わらない。俺はウェイを探す。奴には、返せないほどの借りがある。アニーの情報収集能力を疑うわけじゃないが、手は多いほうがいいのは確かだ。こちらはアニーとは別の手段で、囚われた連中を探そう。――生き残りがフレデリック・ファミリーに連れ去られたというなら、まずはフレデリックの棲家を探すのが常套だろう」
「前回は隠れ家を見つけることができなかったってさっき言ってたけど……どう探すつもり?」
 ロブは虚空を見つめ、白い息をついた。
「分からん。とりあえずクイーンズ・ボロ橋を探ろう。手がかりが見つかるかもしれない」
「ずいぶん気の長い話ね」
 ユンファは深々と溜め息をつき、しばらく視線をさまよわせてから、腰に手を当てロブを振りかえった。
「とりあえず、こんな物騒な場所で立ち話もなんだから、あんたんちにでも行かない?」
 ロブは目を丸くする。
「なぜ俺の家だ?」
「娘がいるんでしょ。アンジェラって言ってたっけ? 家に残してきているなら、心配じゃないの。……あんたとアニーがなんの話をしてたのかは、あたしには正直さっぱりだけど、ウェイがあんたとあんたの娘さんを心配してるっていうのは分かった。だったら、いつまでも外でふらふらしてたら駄目じゃない?」
 ユンファはふんと鼻を鳴らした。
「それにあたし、あんたよりはマシな考えを持ってるわよ」
 ロブは目を瞬かせ、真剣な目でユンファを見つめた。
「――お前は、どこまで信用ができる?」
「なによ。あたしが信用できないっての!?」
「まじめな話だ。俺は、家の所在を中古屋連中には知られたくない。お前はローガン・ストリップのストリッパーだ。中古屋や、ストリッパー仲間にも……いや、他の誰にも俺の家の所在を明かさないと誓えるか?」
 ユンファはつまらなげに肩をすくめた。
「おあいにくさま。あんたには興味ないし、誰かにあんたん家の場所を話すほど話題に飢えてもないわ」
「そうか。お前のことは気に入ってるがな。付き合いが浅いんで、信じていいか分からないんだ」
 ロブはしばらく迷うそぶりを見せる。
「もうひとつ聞きたい。なぜ、そこまでウェイにこだわる?」
 ユンファは目を眇め、オレンジ色の唇をきゅっと引き結んだ。
「……それは、あたしの一番心の奥。あんたが気安く触れていいとこじゃない」
 ロブは黙ってユンファを見つめていたが、やがて決意にうなずいた。
「分かった。じゃあ、来い」
「え。い、いいの?」
「心の中に、触れてほしくない場所を持つお前なら、俺が触れてほしくないと感じる場所を、無遠慮に突いてくることはしないだろう」
 ユンファは目を見開き、「ついて来い」と言って背を向けたロブに慌てて従った。


 ――ニナにくいっと手を引かれ、ユンファははっと三日前の記憶から解放された。
 鮮明すぎる記憶の余韻を、頭を振って掻き消し、ユンファはニナを振りかえる。ニナは、この三日間ですっかり通い慣れてしまった路地の奥を指さしていた。物思いに耽っているうちに、路地の前を通りすぎようとしてしまっていたらしい、ニナがそれに気づいて止めてくれたのだ。
 三日前に教えられたロブの家は、この路地の先にある。これからユンファはロブと、ウェイとエニグマ救出作戦の、詰めの調整をする予定なのだ。
(あんな女に、奪われてたまるものか)
 唇を噛みしめて、ユンファは私欲にまみれた眼で路地を睨みつけた。
「ウェイは、あたしが助けるんだから」







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