小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.005 2



 こっちだ、とビューティに手招きされて、ガイは鉄格子の前を通りぬける。格子の先は、天井近くまで積み重ねられた段ボールが作る渓谷になっていた。ビューティは鼻歌まじりに、段ボール渓谷を通り抜けてゆく。
「開けるぞぉ」
 突き当たりに現われた、防音だろうドアに向かって律儀に声をかける。ドアはツッコミを返すでもなく、認識したボイスを照合し、義務的にドアをスライドさせた。
「よーう、苺ちゃん」
 意気揚々としたビューティの背を追って、ガイも室内に足を踏み入れた。いったい誰の趣味だろう、床にも棚にも人形やぬいぐるみの類がわんさと置かれ、やたらと可愛らしい内装になっていた。
「女の子の部屋だね」
 ミッキーにこっそりと語りかけ、ガイは部屋の中央に据えられた、中世ヨーロッパを思わせる天蓋付きのベッドに目をやる。
 ビューティが、ベッドを覆い隠した天蓋を、そっと分け開いた。
 その中身を見て、ガイは彼には珍しく単純に驚いた。
「キャロライン……」
 マットの上には、ドレッドヘアの、黒い肌をした女性が寝そべっていた。
 何故だか、『不思議の国のアリス』を連想させるエプロンドレスを着ている。似合っているような、似合っていないような可愛らしい服の理由はすぐに知れた。手足や顔、首、胸元、肌が露出した部分のほとんどに、血の滲んだ包帯を巻いている。この調子では、もともと着ていた服など、服と呼べない代物になっていただろう。
 だが、彼女はそれでもなお、息を呑むほどに美しかった。
 ビューティは「ぎゃはは」と笑って、首を振った。
「違ぇぞ、ガイ。俺やお前と同じだ。こいつはもう、キャロラインって名前じゃねぇ。今は“エニグマ”ちゃんだ」
 呼びかけに答えるように、閉じていた目がうっすらと開く。長い睫をしばたかせ、彼女は小さな呻き声をあげ、ふと、自分を見下ろす人影に気づいてはっと身を強張らせた。
 途端、両手首に嵌められた手枷が、がしゃりと耳障りな音をたてる。エニグマは手枷を、ベッドのヘッドに繋がった鎖を、次いでエプロンドレスを順繰りに見つめ、最後にビューティを見上げた。
「トム……」
「おおっと、俺様の名前を呼ぶなら、ビューティ様、だ!」
 ビューティは笑って、マットレスに土足を踏み下ろした。スプリングが効いて、エニグマと、ベッドの上のぬいぐるみたちが一斉に跳ね上がり、またマットの上に落下する。
 容易く弄ばれたエニグマは、半ばまでめくれたスカートを見つめ、艶かしく溜め息をついた。
「……めくれたわ。直してちょうだい、トム」
 ビューティは手を打って笑い転げ、親指と人差し指でスカートを摘まみ、無骨な指に似合わぬ丁重さで裾を整えてやった。
「久しぶりだな、キャロライン。昔、あんたは俺たち兄弟の憧れのお姫様だった。今も変わらずに美しいが、まさか、“エニグマ”になっちまうとはな。お前は、“何番目のエニグマ”だ? ええ?」
 エニグマはビューティから視線をそらし、枕に頬を埋めた。
「さあ。算数は苦手だよ」
「おお、あんまりだ。これじゃあ、ジョニーがあんまりに可哀想だ。淡い粉雪のように散る、我が弟の初恋。苺ちゃんのショートケーキは、涙のお味」
 芝居がかって天井を仰ぐビューティは、不意にガイを振りかえった。
「まったく、親父の絶倫っぷりには、少子化が進む現代人を代表し、心から尊敬の念を贈りたいところだぜ、なあ?」
 ガイは答えない。ビューティは無言の弟からエニグマへと視線を戻し、子供の無邪気さで首を傾げた。
「それで、我らが偉大なる創造主は元気にしてるか? あんたの飼い主、ローガン・ストリップの経営者様は。……いいや、我らが父上、フレデリック・ローガン殿は?」

NO.005 A MONSTER WAS BORN!

 怪物の歌を教えてあげる。
 顔も、声も、名も知らぬ兄弟を、優しくそっと結ぶ歌。
 さあ、目を閉じて。明日、ママはいないけれど。
 ひとりぼっちの朝に歌えば、きっと兄弟が、虹のかなたから迎えに来るでしょう。
 だから、おやすみなさい。私のちいさな怪物さん。
 さようなら、愛しいフレデリックの子。


 ジョニーは苛々していた。ソファにどっかりと腰を下ろし、足を組んだり、解いたり、また組み直したりを繰りかえす。遠巻きに、恐れおののいた様子でそれを眺めてくるファミリーの存在が、また彼の神経を逆撫でさせた。
 中古屋と長兄の様子を見に行くといって階下に降りたきり、ガイが戻ってこない。中古屋が自分の足元にいるというだけでも気が滅入るのに、ビューティが奴らを生け捕った理由も分からずでは、苛立ちは募るばかりだ。
 深い溜め息をつき、ソファの前にそびえたつ機械を見つめる。
 機械の小型化がとことんまで進んでいる現代社会において、それは呆れるほど巨大な図体をしていた。世の科学者が見たら「品がないからやめてくれ」と悲鳴を上げそうな代物だ。
 機械というよりも、形状は教会などにあるパイプオルガンに近い。床に据えられた超旧型のHDDを中心に、無数のパイプが天井の換気扇近くまで伸び、表面の割れた計測器、ローターやスピーカーなどが、蛇の巣よろしくのたうつ配線で繋がっている。冷却機のつもりか、周囲には呆れる数の旧時代扇風機が並べられていた。
 第三裏通りに帰還し、かつての隠れ家だった倉庫に戻って以来、ジョニーが時間を見つけては組み立てていたものだ。日に日に巨大になってゆく機械に、ファミリーは理由も分からずに感嘆していたが、実際にはただのガラクタの寄せ集めにすぎない。
 まだ、足りないのだ。
 ガラクタに入れるべき、肝心の脳みそが。
「どうぞ」
 顔の脇から差し出されたジュースに、ジョニーは面倒そうに背後を見やった。そこには運転手が、どこかの高級レストランの店員のように、背をピンと伸ばして立っていた。ジュースを載せた盆を片手に、もう片手は太ももの脇に、爬虫類の目には社交的な笑みまで宿っている。
「出来立てのフレッシュジュースです。新鮮なオレンジとりんごが手に入ったので」
 ジョニーは舌打ちし、ジュースをぶん取って、酒でも煽るように一気飲みした。裏通りではそうそう味わえないほど、美味い。ジョニーは空のグラスを見つめ、顔をしかめた。
「……おい、変な技術を磨いてんじゃねぇよ。気色悪ぃな」
「なにしろ暇なので。今のうちに、転職のための新しいスキルでも身につけておこうかと」
「はーあ?」
「冗談です。ビューティ・フレデリックに、倉庫への立ち入りを禁じられまして、すっかりやることがないもので。貴方からご命令をいただけるなら、状況を見てきますが」
「んなことしたら、俺が兄貴に怒られるだろうが。馬鹿は怒ると手に負えねぇんだよ。俺の兄貴は、思いつきでクイーンズ・ボロ橋を吹っ飛ばすような馬鹿なんだぞ、くそ!」
「クイーンズ・ボロ橋の件ですが」
 運転手は空のグラスを、素早く駆けつけたファミリーに渡して声を低くした。
「表世界では、古い地下施設に残っていたガスが爆発したとかで、片がついたようです。警察も軍も動く気配がありません」
 ジョニーは胡散くさげに運転手を見上げ、もう一度舌打ちした。
「運転手様お得意の、警察筋からの情報ってわけか。……確かか?」
「はい。死傷者が裏通りの人間と、イースト川の川辺を不法占拠していた運送屋のみであったことで、幸いしたようです」
「貴重な歴史的遺産のオンボロ橋様がひとつ、吹っ飛んでんだぞ? イースト川の形まで変わっちまった」
「あの橋は以前から、老朽化による倒壊を懸念しての撤去計画が持ち上がっていました。観光資源としても価値はありませんし、それに、橋の先にあるルーズベルトアイランドも、難民によって不法占拠された、いわばマンハッタンの火薬庫。無価値な橋を無費用で解体できた上、アイランドの難民をマンハッタンから切り離す口実ができて、GPSとしては万々歳だったのでは」
「地図を書き変えるような爆発だったんだぞ。そんな簡単に済む話かよ」
 ジョニーは獣の眼光で彼を鋭く睨み据えた。
「あの日、何があった。何をどうしたら、あんな規格外の爆発が起きる。気づいてないってんなら言ってやるが、俺たちはあれだけの破壊力がある武器なんて持ってねぇぞ」
「ええ」
「それに……兄貴が何を考えてるかは分からねぇが、中古屋を生け捕るのが目的だったなら、あんな爆発、意味がなさすぎる」
「おっしゃるとおり、あの爆発が我々側が起こしたものでないことは確かです。ビューティ・フレデリックも戸惑っていたようでした」
「……つまり、爆発の原因は分からねぇってわけか」
 ジョニーは剃りあげた眉を歪め、考えを巡らせる。無意識に、サイドテーブルに積んだゲームソフトの一枚を手に取った。視線を虚空に向けたまま、ソフトをくるりくるりと裏表に引っくり返す。
 運転手はその様子を眺め、ふと目の前にそびえる機械を見上げた。
「“これ”の完成はいつ頃になりますか」
 ジョニーはソフトを弄ぶ手を止めた。ちょうど表面を向いたそこには、マジックで「5/20」と書かれている。ビューティが倉庫に閉じこもり、ずっと遊んでいたゲームソフトだ。
「まだ、五枚分のプログラムしか組めてねぇ。あと残り十五枚だ。お前もやるか、エロゲー? 刺激が強すぎますってんなら、全年齢対象の恋愛シュミレーションゲームもあるぞ。ああ、ハードゲイものもあるぜ。人の便所を覗くような奴には、こっちがいいかもな」
「……いえ。結構です」
「つっても、五枚分のプログラムだけでも、もう歌ぐらいは歌えるんだぜ」
 それまで不機嫌そうだったジョニーの顔に笑みが宿った。彼はゲームソフトを、機械のHDDのソケットに突っこんだ。
 ソケットが今にも壊れそうな読みこみ音を発し、自動で扇風機が回りだす。ローターが軋みながら回転を始め、無数のパイプが次々と白い煙を吐き出してゆく。
 ヴン……ッと音がして、機械の真正面に備えつけられたモニタに、胎児の姿が映し出された。
 羊水の中で、ようやく目鼻立ちが形になってきたばかりの、嬰児だ。
「ファミリーの中核を成す、母体電脳マザーだ。三年前にぶっ壊れちまったやつの作りなおしだからな、言うなら「マザーU」ってとこか。美人だろ」
 ジョニーは薄笑って、ソファの背もたれにどっかりと体を預ける。
「人工知能マザーU。プログラミングがすべて終われば、そりゃあ色っぽい女になる」
『ア……アァ、ァ、ア……』
 不意に、気色の悪い呻き声が、HDDの深部から溢れだした。
『ァア……ッ、アァアアアアア!!』
「はは、歌ってやがる。マザーはご機嫌らしい」
「これが、歌ですか」
 歌とは思えぬおぞましい声に、運転手は眉を潜める。
 胎児は身悶えしながら、大きく開いていた口を閉ざした。ボンレスハムのような腕が、呻きに合わせ、ぶんぶんと羊水の壁を殴りつけ、まるで出来の悪いグロテスク映画のようだった。
「ああ、歌だよ。“怪物の歌”だ。……ああ、てめぇにはまだ聞かせてなかったな、俺たちの昔話」
 彼はくるりと運転手を振りかえり、疎ましげに笑った。
 それはひどく歪な、それでいて拗ねた子供のようにも見える笑み。
「安心しろよ、短ぇ話だ。昔々あるところに、で始まる。――昔々、あるところに一人のクソったれな王様と、二十人の美しいお后様がおりましたとさ」
 物語を聞きつけたのか、胎児がモニタの中で蠢き、苦しげに足を突っぱねた。
「彼らにはたくさんの子供がいましたが、ある日、子供たちが目を覚ますと」
 やめろ、やめろ、とむずがるように、胎児が再び歌声を発した。
「傍らに、お后様の無残な死体が転がっていました」
『ァア、アァアアアアア……ッ! ァァアアア……!!』
 悲鳴のような歌声が、倉庫中に響き渡った。


 ビューティが小躍りするように部屋を出ていったのを見送ってから、ガイはベッド脇のサイドテーブルから鍵を取り上げ、エニグマの手枷を開錠した。
「……マイケル」
「ガイ、だ。兄さんは、ビューティ。ジョニーはジョニーのままだけれどね」
 手枷と鍵をサイドテーブルに置きなおし、ガイは抱えたミッキーの鼻を、辛そうに身を起こすエニグマの鼻にくっつけた。
「ハイ、僕ミッキー! 僕を覚えてる? キャロライン」
「もちろん覚えているさ、ミッキー。鼠のマイケルだね」
 エニグマは悲しげに笑い、ミッキーの冷たい鉄の頬を撫でた。
「大きくなったね」
「ミッキーは大きくはならない。永遠に」
「いいえ、あなたのことよ、マイケル。……いえ、ガイ。最後に会ったとき、あなたはまだ十三歳だった。アルカトラズ刑務所にいる間に、すっかり立派な青年になったようだね」
「僕は君を“エニグマ”とは呼ばないよ」
 エニグマはガイの表情の読めない端整な顔を見つめてから、静かにうなずいた。
「キャロラインでいい。エニグマの名前は、私にとっても特別な意味のあるものだから。あなたたちの母親は……特にあなたの“エニグマ”は、ずっと私の憧れだった」
「だから君も“エニグマ”になった。憧れていたから。ふぅ、分かるような分からないような話だね、ミッキー?」
 ガイは反論のために口を開きかけたエニグマを手で制し、イスに腰かけ、ベッド下から引きずりだした救急箱から、消毒液と包帯、ガーゼなどを取り出した。横たわるエニグマの足や手から、血の滲んだ包帯を取り去って、新しいものに替えてゆく。肌に触れないよう、傷に触れないよう、痛くないようにと、丁寧で紳士的な手つきに、エニグマは緊張を解いた。
「……私と一緒にいた中古屋たちは、生きてるの」
「外に十三人いる」
「十三人……」
「中古屋と武器商人、あとはたぶん、運送屋だろうね。君たちは明日、ジョニーの誕生日プレゼントになる」
「どういうこと」
 ガイはくすくすと笑った。
「フレデリックファミリーには、今、役に立つ人材がほとんどいない。それをジョニーは毎日のように嘆いてる。自分ひとりが忙しい、てね。つまりは多分、そういうことじゃないかな? 兄さんの考えていることは神秘的すぎて、僕には分からないけれど」
「それは……私たちをフレデリックファミリーに引き入れるということ?」
「さあ。でも考えてみれば、中古屋は面倒な存在ではあるけれど、面倒っていうことは腕が立つということだ。仲間に引き入れれば、確かに役立つ人員になる。まあ、ジョニーは中古屋が嫌いだからねえ。ジョニー次第では、ただの憂さ晴らしがわりに使われるかもしれないけど。たとえば……」
 治療を終え、救急箱の蓋をぱちんと閉じて、ガイは楽しそうに肩を踊らせた。
「ダーツの的にするとか、踏み潰して遊ぶとか、大きなお人形さんごっこに使うとか。僕だったら、パイ投げパーティを開くかな? 子供たちをたくさん呼んで、夜通し盛り上がるんだ! ねえ、ミッキー?」
「――ローガンを、許してあげてちょうだい」
 ガイは、懇願の眼差しで自分を見つめるエニグマを見つめかえし、笑みを深めた。
「なにが?」
 その時、ふと部屋のどこからか、チッ、と小さな声がした。足元に目をやったガイは、「ああ」と笑って、ベッドの下に手を伸ばした。
「兄さんのペットだ。とっくに食べられちゃったかと思ってたよ」
 エニグマは、顔の前に差し出された掌に、ちょこんと乗った鼠を見つけて目を丸くする。
「名前は、腹立たしいことに、マイケルだ。アルカトラズ刑務所生まれの、ドブ鼠。そうそう、屋根裏に閉じ込められた小公女セーラは、鼠と友達になって、寂しさを堪えるんだよ。知ってるかい?」
 鼠をエニグマの足元に放して、ガイはベッドの側から離れる。エニグマが名を呼ぶのも無視して、部屋を横切り、扉を開ける。
「それじゃあ、おやすみ。小公女」
 閉ざす前に微笑みとともに呟き、ガイは視界からエニグマを消した。







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