小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.004 8



 八つ当たりで子供に暴力を振るうなんて、と自己嫌悪に陥る間もなかった。
「く、くそ」
 ユンファは、両手首と両足首を、「手錠ガム」と呼ばれる粘着質の拘束具で固定され、床に転がっていた。電子執事の防犯機能が作動したのだ。
「さすがは根暗の保護者さま……っ、抜かりなくねちっこいわ……!」
 ユンファはぎりりっと歯軋りして、
「ちょっと! 反省してるわよ、反省してるからこれほどいてよ!」
「……なぜ?」
「嫌味!? いきなり暴力働いたクソババアを、何でこの私が相手してやらなきゃならないのかしら、って言いたいのか、チクショー!!」
 ユンファの喚きにも応じず、ニナは我関せずで、部屋の掃除をつづけた。
「ちょ……それゴミじゃないし! 捨てるな……あ、やだ、うっわ、そんなもん本棚に仕舞わないでよ、アホ娘ぇ!!」
 もはやわだかまりの欠片もなく叫びながら、ユンファは内心で安堵していた。
 ――ショックだった。自分があんなに感情を爆発させるなんて。
 ”感情”ってものが、あんなに暴走するものだったなんて。
 ピピピ。
 監視役のつもりなのか、掃除用ロボットがイモ虫ユンファの周囲をくるくると回っている。
 拘束されて、やることのないユンファは、ちらりとロボットに目をやった。
「……ねぇ。あたしの秘密、教えてあげよっか」
 あの根暗中古屋を真似して、目の前のロボットに囁きかけてみる。
 単眼が点滅する。馬鹿みたいと思いながら、反応のあることが妙に嬉しい。
「あたしね、やっと物心ついたばかりの、五歳のガキなのよ」

 自分は五年前、この世に生まれた。
 もちろん嘘だ。今年で十九歳になる。だが時々、本気でそう思うことがあるのだ。
 生まれも育ちも、マンハッタンの表世界。父と母、姉の四人家族だった。
 その頃のことについて言うことは何もない。
 何と言えば理解してもらえるだろう、自分にとって表世界で生きた記憶は、ただの「メモリ」だ。記憶はきちんと残っているが、そこには何の感情も伴わない。
 花を「花」だと認識することはあっても、「きれい」だとは思わなかった。
 目に映る全てのものを「見て」はいたけれど、「感じて」はいなかった。
 空っぽな、それはまるで脳みそのない、お人形。
 ――十四歳のとき、父が事業に失敗した。
 表世界は一度つまづいた者に容赦なかった。それまで中流階級だった家は、あっという間に落ちぶれた。事業を立て直そうにも、表世界の発展速度はあまりに速く、もはや追いつくことは不可能だった。
 そうやって表世界から「落ちる」人間が案外多いらしいことを知ったのは、すでに自分たちがとことんまで落ちた後だ。
 需要があれば、稼業が生まれる。落ちる人間がいれば、拾う人間がいる。ユンファの一家も、住民権を違法取引する組織に拾われた。
「住民税を滞納し、住民権は奪われるより先に、我々に売ったほうが利益になる」
 そう言って、組織は住民権と引き換えに、家と仕事を用意してくれた。
 場所は、「第一裏通り」。
 第三裏通りに比べれば手狭な、廃墟群。
 この日を境に、ただの「メモリ」でしかなかった記憶が、色鮮やかになる。
 
 父親は第一裏通りの生活に馴染めず、気を違えて、あっさりと死んでしまった。母親は子供二人を育てるため、廃墟の奥にある娼館で働きはじめた。
「見るものぜんぶが鮮やかだった。何もかもが不思議に満ちてて、あたしは好奇心のかたまりになったわ。……娼館なんて、この世の掃き溜めみたいなとこにいたのにね。でも、」
 ユンファはごろりと仰向けになり、自分の部屋と同じ色の天井を見つめた。
「裏通りに来たあの日、あたしはようやくこの世に“生まれた”の」
 あの頃の一番のお気に入りは、裏通りの人間を観察することだった。娼館の玄関口にある屏風裏からひょっこりと顔を出し、個性豊かな裏通りから客たちを見ては、くすくすと笑っていた。
 だから表世界から客が来ると、途端に頭が混乱した。
 人形が歩いてくる。
 裏の住民となって、初めて表世界の人間を見たとき、ユンファは本気でそう思った。
「あいつらのこと、娼婦はみんな”メトロノーム”って呼んでたわ。意味わかる? あいつらの腰使いが、まるでメトってこと」
 ユンファはけけけと下品に笑って、ふと口を閉ざした。
 自分も五年前まで、彼らと同じ表世界の人形だったのだ。
 両親は姉と自分の住民権だけは、売らずにいてくれた。アリシアの言う通り、そういう意味ではまだ、自分は「表世界の人間」と言えるのかもしれない。
 けれどもう、想像もできない。
 感情もなく生きる、ユンファ・フリーマンの姿など。
 ――自分が五歳のガキだというのはそういうことだ。体はとっくに成熟したけれど、心に感情が生まれたのはほんの五年前。だから、まだ慣れていない。感情をコントロールすることに。さっきみたいに歯止めを失い、自分でも制御ができなくなる。
 こと、ウェイに関しては。
 何でこんなに苦しいのだろう。
 ウェイが自分を助けてくれなかったからって。ニナを助けたからって。アニーとキスしてたからって。何故、こんなにもあの薄汚い中古屋に心をかき乱されるのか。
 全然、理解できない。やっぱり自分は五歳の子供だ。

 一定の時間が過ぎて、手錠が自動で開錠されると、ユンファは渋々顔で掃除を手伝った。何しろニナの掃除っぷりときたら、あまりにひどすぎる。
 娼館での暮らしで掃除はすっかりお手の物なので、少女が散らかしてゆく端から手際よく片付ける。一時間ほどかけて、ようやく元通りになった室内を見渡し、ユンファは額の汗をぬぐった。
「ようし、完了! これで文句ないでしょ、中古屋め」
「……文句ないでしょ、中古屋め」
 いつの間にか、ユンファの見学に回っていたニナが、真似して呟いた。
 ユンファはちらりとニナの様子を伺った。何を考えているのかは相変らず謎だが、ニナが先ほどのことを気にしている様子はなかった。ユンファはほっと息をつき、どっかりとソファに座った。「ところで」と目の前のテーブルに目をやる。
「これが家捜しの結果なわけだけど」
 堂々と、掃除の合間に探しだした「ウェイを知る手がかり」だ。大したものは見つからなかったが、それでも興味の引くものをひとつだけ発見することができた。
「なんて書いてあるか分かる? あんた」
「……“STAND BY ME”」
「ピンポン。……ジャンク映画よ、これ。ビデオ・テープってやつ。そのパッケージね」
 ガラステーブルに積み重ねられたいくつかの箱。掃除中、なぜか床に落ちていたのを拾って集めたものだ。
「ジャンク映画ってなに?」
「2000年以前に撮影された、ガラクタ映画のことよ。なにが良いんだか知らないけど、ウェイがマニアでしょ。あんた、知らないの?」
 大人げなく勝ち誇るユンファに、ニナは無感情に「知らない」と答えた。自慢のしがいがない。
 とはいえ、ユンファもジャンク映画には興味がない。以前、表通りの百貨店のスクリーンに上映されていたパニック映画を見たことがあったが、何て下らないんだろうと思った。アメリカ人が全人類を守るため、ヒーローになるとかいうあれだ。
 だがその映画を、ウェイは地べたに座って、静かに見つめていた。
 第一裏通りの路地で彼に出会ってから、ユンファはウェイを探しつづけてきた。一年前、ようやく見つけたその男は、タイムズ・スクエアの中心で、百年以上昔の映画を見ていた。
 目の回るような世界の流れから外れ、ひとりっきりで。
「……ふん、けっこーコレクション充実してんじゃない」
 ユンファは十箱ほどある中からひとつを取り上げた。開けてみると、中には黴臭い匂いのするビデオ・テープが入っていた。
「コレクション?」
「あんた、ほんと言葉知らないわねー。みみっちい物欲を満足させるための収集癖のことよ」
「みみっちい?」
「……ね、ねぇ、ニナちゃん? 言っとくけどあたしが使う言葉、むやみやたらと覚えないでよね? 急に不安になってきたわ! ……なによ、何すんの?」
 少女が箱からテープを取り出したので、ユンファは思わず目を見張った。
「ちょっと、扱い気をつけてよ。ジャンク映画関連の骨董品って、すっごい高いって噂なんだから……指紋つけただけでも殴られそ――アイヤー!?」
 ユンファは悲鳴を上げた。
 一体何を思ったのか、ニナがビデオテープを、よりにもよって掃除用ロボット・エッグの足元に置いたのである。しかもそれだけならまだしも、掃除中はちっとも手伝う気配を見せなかったエッグが、いきなりビデオをアームで掴んで、ゴミを処理するためにある穴に放りこんだのだ。
「……っちょ!? は!? な、な、え? なんで!? なんで食った!?」
「見る」
「見れるかー! ビデオは、専用の再生機器がないと見れないの! そいつに食わせたって、見れないわよ、小娘!! うっわやばい、絶対それウェイの秘蔵のコレクションなんだから! ウェイに殺されるわよ!」
「殺される?」
「殺さ……い、いや、殺す……え、わ、分かんないけど! でもそれ非常好貴的東西……へ!?」
 唐突に、エッグの単眼から光が溢れだした。
 唖然とするユンファを前に、光は真っ直ぐ壁を指し示す。やがて映し出されたのは、映画配給会社のロゴと、「スタンド・バイ・ミー」の文字、そう、ビデオテープの中身だった。
「うっそ、何で!?」
「見る」
「……。そ、そう」
 まったく動じず、ついでに質問にも答えず、ソファに座って映像を見始めるニナに、ユンファはついに理解しようという意思を放棄した。

+++

 スタンド・バイ・ミー。
 1986年に公開された映画で、物語の舞台はさらに古く、1959年のオレゴン州だ。思春期に差しかかった四人の少年が、行方不明になった少年の死体を探すため、線路を歩きながらの冒険に出る話。
「な、なによ、これ……」
 約九十分、しっかり結末まで見たユンファは、震える拳を握った。
「なによこれー!!」
 以前に見た下らないヒーロー映画とは比較にならない。流行りの現代映画ともまるで違う。面白かった。話自体は単純なのに、中身がまるで単純でない。平面画像の、ざらついた映像だったのに、そんなことすら気にならなかった。
 1959年のオレゴン州なんて、写真でだって見たことはないのに、あの高層ビルなどひとつもない世界が、歪んだ線路と剥きだしの空が、不思議と懐かしく感じられる。懐かしいなんて、現実世界でも思ったことのない感情だ。
「何よ、ジャンク映画いいじゃない! あのアメリカ人が世界を救います的な下らないやつばっかだと思ってたのに!」
「いい?」
「面白いってこと! 他は? 他はないの?」
「……“フロム・ダスク・ティル・ドーン”」
「何それ、どんなの?」
「見る」
「見る!」
 ニナが適当に箱を取って、ビデオテープをまたエッグに食わせた。
 再生された。
 死ぬかと思った。
 色々な意味で凄まじすぎる内容に、ぎゃーっとか、ひえぇっとか、ユンファはニナにしがみついて悲鳴を上げる。後半はほとんど絶叫しっ放しで、それでも表情ひとつ変えないニナをちょっと尊敬した。
「あ、あいつ絶対頭おかしい……なにこの映画!? 超キモ!」
「ウェイは頭おかしい?」
「絶対おかしい!!」
 ニナは目を瞬かせ、また箱を取った。
「“スターシップ・トゥルーパーズ”」
 調子に乗って見始めた三本目。
 ふたたびの凄まじい内容に、ウェイが変人であることを、確信する。


 ニナはジャンク映画が相当気に入ったようだ。
 ユンファも気に入りはしたが、さすがに少女が四本目を見始めた辺りでダウンした。
 気付いたら眠っていた。
 賑やかな音だけが、眠りの中にまで入りこんでくる。
 色に溢れた音だ。百年前はこんなにも色彩豊かな世界だったのかと驚く。表世界から裏通りに来たときですら驚愕したというのに、ジャンク映画の世界はさらにそれよりも色鮮やかだった。
 大げさに見えるほど、表情豊かな人間たち。
 喜怒哀楽がはっきりしていて、ユンファの先ほどの激昂など日常茶飯事みたいに。
 人形なんて、ひとりもいなかった。みんな、生きた人間だった。
 いったい何を失ってしまったんだろう。あの時代から百年を経て、自分たちは。
 ああ、昆虫型異星生物が追いかけてくる。線路を走って逃げるユンファの足元に、死体が転がっている。やっと死体を見つけたと喜んだら、振りかえった先に銃を乱射するヴァンパイアがどーん、ウェイが隕石に爆弾を仕掛けてどーん……。
 ――最悪な夢見の狭間で、ユンファは時おりうつらうつらと現実に戻る。
 部屋は暗くて、もう夜だと知れる。
 ニナは、まだ映画を見ていた。
 エッグの目玉から放射される光の向こうを、食い入るように見つめている。
 不気味なほどに整った横顔に光が反射し、ぞくりとするほどきれいだった。
「……目、悪くなるわよ……」
 寝言のように呟くと、光の中で、ニナがふっと微笑んだ。
「大丈夫。”ありがとう”、ユンファ……」
 それはまるで、ジャンク映画の中の登場人物みたいに、色鮮やかな――。


 次に目を覚ました時には、もう明け方近くだった。
 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。見慣れた天井だが、どこか雰囲気が違うと気付き、ようやくウェイの部屋で眠ってしまったことに思い至った。
「……やだ、寝ちゃったんだ……。うわ、夕飯食ってないし、化粧落としてないし……あああ最悪」
 寝起きの唸り声を上げながら、ユンファはソファから立ち上がった。
 ニナはすでにいなくなっていた。エッグもいない。寝室にでも行って、ベッドで寝ているのだろう。昨日はかなり遅くまで映画を見ていたようだし。
 ユンファは開きの悪い目を擦って、ふと顔を上げた。
 窓の向こうに目をやると、表世界の高層ビルが暁色に染まっていた。
 静謐な朝の風景はいかにも心地よく、その反面、室内の静寂を浮き彫りにした。
「……ウェイ?」
 ユンファは頬を掻きながら、寝室の立て付けの悪いドアを開けた。
 中を覗くと、ベッドの上では案の定、ニナが布団に包まって眠っていた。エッグは部屋の脇で、スリープ・モードに入っている。
 だがそこに、ウェイの姿はなかった。
「……なによ、子供ほったらかして、保護者様は帰ってないわけ?」
 ユンファは乱れた黒髪を手櫛で直して、リビングに戻った。
 ソファにふたたび腰を下ろして、沈黙する。
 手持ち無沙汰に目を泳がせ、廊下につながるドアを見つめた。
 無機質なドアは、開く様子もなく、ただ口を閉ざしている。
 ユンファは息を詰めて、ドアの白に見入った。
『おはようございます!』
「……ぅひ!?」
 いきなり天井のスピーカーから大音量が降ってきて、ユンファはぎょっとした。
『朝の七時になりました。ラジオステーション「グランド2000」、ニュースの時間です』
「……シャ、嚇死了ッ(死ぬかと思った)」
 ウェイが目覚まし時計がわりに、ラジオをセットしておいたのだろう。ばくばくする心臓を押さえて、ユンファは「ああ、もう!」とソファに寝転がった。
『ニューヨークは今日も快晴です。農業特別区は本日午後より、日照時間の調整を行います』
「おはよう」
 仰向けになって死んでいるユンファの視界に、いつの間に起きたのか、ニナの顔が現れた。
「……お、はよ」
 朝起きて、おはようを言われる生活は久しぶりで、ユンファは少し動揺した。
 いや、それよりもあの無表情なニナに挨拶をされるとは思ってもみなかったのだが。
「あんた、ウェイと……その、……毎朝そう挨拶してるの?」
 何となく気になって訊いてみると、ニナは少し首を傾げて、うなずいた。
「そう。”おはよう”と、”おやすみなさい”をするの」
「……へぇ」
 あのむっつり男とニナとが、おはよう、おやすみの挨拶をする図は実に不気味である。だがそのことよりも、ユンファは違う部分に違和感を覚え、眉をしかめた。
「……なんか……、あんた……」
「なに?」
「…………」
 昨日は、こんなに会話が成り立ったっけ。
 そんな変な疑問が頭に浮かび、ユンファは自分自身で呆れた。
「……何でもない」
 それ以上特に会話が思いつかず、ユンファはソファに寝転んだまま、腹を押さえた。
「あー……腹減った……」
『続いて、クイーンズ・ボロ橋崩落の続報をお伝えします。昨日未明、イースト川のクイーンズ・ボロ橋一帯で、大規模な爆発が起こりました。広範囲に渡って、地面がクレーター状に陥没していたことから、当初警察は、橋のたもとを不法占拠している違法船舶が爆発事故を起こしたのではないかとの見解を示していました』
 ユンファはラジオを聞くともなしに聞きながら、虚空を見つめた。
『しかし発見された身元不明の遺体から、複数の弾痕が見つかったということで、警察は事件の可能性を視野に入れ、調査を開始しました。この爆発による死者は十五名を超えますが、いずれも住民登録のない遺体ということです』


 ――じゃ、俺はそろそろ仕事に行く。
 ――どこ行くの?
 ――イースト川。違法運送屋のメッカ、クイーンズ・ボロ橋。


「……!?」
 ユンファは目を見開き、勢いよく身を起こした。







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