小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.004 5



「ウェイ、ちょっと、ウェイったら!」
 背後から腕を引かれて、ウェイはふっと我に返った。
「どんどん先歩いてかないでよ、女性のエスコートもしないで」
「……女性?」
「ちょ……っあたしよ、あ・た・し!」
 鼻先に指を突きつけられて、「ああ」と気のない返事をする。ユンファが罵声と奇声を同時に発して頭を叩いてくるのを適当に受け流しながら、ウェイは再び考えに耽った。
 見たことがある、確かにそう感じた。
 だが、いったん店を離れると、途端に自信がなくなった。
 やはり、気のせいだ。以前にも見たことがあるなら、機械の墓場で出会ったあの時に思い出したはずだ。その後だって三日間も生活を共にしている。機会はいくらでもあった。
 ――そうだろうか?
 見たことがあると感じたのは、ニナの「笑顔」に対してだ。普段の無表情なニナではない。
 軽やかな笑い声すら聞こえてきそうな、満面の笑顔だった。
 現代の人間たちが決してしない、ジャンク映画の中でのみ見られる無邪気な笑顔。
 ウェイは額に手を押し当てる。
 まただ、と思う。また耳の奥で、壊れたテレビに似たノイズがする。
 エッグに導かれ、ニナを探して、表世界を探しまわったときに感じたのと同じノイズだ。
 ――これ以上、追求するなと、警告音が頭の中に鳴り響く。


「あんたは、なに注文すんの?」
「……コーヒー。一番、安いやつ」
「だからもういちいち安いとか何とか言うなっつの」
 疲れたとごねるユンファに引きずりこまれる形で、二人はカフェにいる。ゴシック風建築のプレスバイテリアン教会に隣接した、小さな喫茶店だ。午後の三時頃で混み合ってはいたが、うまいこと窓際の席が空いていた。うまいこと、というのはもちろんユンファにとっての話で、壁という壁が柱のない一枚ガラスになっており、眺望が素晴らしいのだ。
 そりに乗ったサンタクロースが、窓ぎりぎりを「HI-HO!」と叫びながら飛び去ってゆく。
「ほんっと、中古屋って……」
 ユンファはまだぶつぶつ言いながら、テーブル中央にぱかりと開いた穴から出現したトロピカルジュースを乱暴に掴んだ。
 ウェイも続けて出てきたコーヒーを引き寄せ、口に運ぶ。苦い喉越しに、多少気分が晴れた。
 ウェイは機嫌を損ねてそっぽを向いているユンファに目をやり、カップをテーブルに戻した。
「ユンファ、今日はいろいろと助かった。ニナも喜ぶと思う。……金は後で忘れずに払うから」
 ユンファは、ぎょっと目を丸めた。
「……た、助か――?」
 何故か口ごもる。首を傾げると、おもむろにグラスの縁に刺さっていたオレンジを引っこ抜き、口に放りこんだ。皮ごとだったのだが気づいた様子はない。
 もしかして、照れているのだろうか。
「そ、それより、あんたこれから仕事行くわけでしょ!?」
 勢いこんでたずねられ、ウェイも思わず反射で答える。
「え、あ、うん。中古品の運送を……」
「ああそう! んじゃ、買い物の荷物、こっからはあたしが持つから。ニナのも一緒に持ってってあげるわ。邪魔でしょ。せっかく苦労して選んだのに、汚されたら嫌だし」
 今度はウェイが目を丸くする番だった。
「……まあ、最初から自分の荷物は自分で持っていただきたいところだけど。ニナのはいいよ。重いだろ、自分の買い物分だけで十分に」
「ちょっとそこ! 皮肉りまくってんじゃないわよ!」
 すかさずの突っ込みに、ウェイはふと、自分でも思いがけずに吹き出した。
「……何よ。ぜんっぜん、笑うとこじゃないんだけど」
「いや……そうだな、そうなんだけど」
 言いながら、ウェイはそれでもクツクツと笑う。
 奇妙な気がした。数時間前まで、確かにユンファを苦手と思っていたのに、今はカフェで面と向かって普通の会話などをしている。これまでまともに喋ったことがなかったから気づかなかったが、改めて話してみると、ユンファとの会話はボールが坂を転がるようにとんとんと進んで、面白かった。
 買い物自体は疲れたが、ユンファといるのは予想に反して苦痛ではない。
『あたしは好き好んで、裏通りにいるのよ』
 あの一言は多分、思っている以上に効いた。
「……理解できない。中古屋って。ていうか、ウェイが」
「俺もお前が理解できない。でも思ってたより、面白そうな奴だと思って……」
「面白いぃ? 女を褒める言葉じゃないでしょ、それ!」
「褒めてないからな」
「褒めなさいよ、この野郎。あんたなんか一生女に縁のない生活するはずだったのに、あたしって美女が現れてあげたんだから。たまには褒め言葉の一つでも囁いてごらんなさいっての」
「……たとえば?」
「ああ、君の唇は朝露の中でもいだばかりの柑橘のようだ! その黄色い肌に触れられるなら僕は死んだっていい。豊満な胸に顔を埋めて、濡れたような黒髪を、出来るなら一晩中思うままに乱してやりたい。官能的な太腿に熱い口付けを送って、折れてしまいそうに細い君の腰を」
「も、もういい……」
「ふん」
 方向性が怪しくなってきたので制すると、ユンファは何故か勝ち誇ったように鼻を鳴らした。心なしか、周囲の客が何人か目線をそらした気がする。
「そういう話をしなきゃいいのに……」
 ウェイがユンファを避けるのは、話すと毎回、この手の下世話な話題を振られるからだ。
「あたしがあんたとしたいのは、そういう話なの。というか、そういう行為」
「だから……何で……」
「じゃあ、ウェイはどういう話をしたいわけ、あたしと?」
 ウェイはとっさに口を開きかけて、気づき、閉口した。上手いこと誘導された。ウェイに近づいてきたのはユンファのはずなのに、気づけばウェイがユンファと話したがっているという流れに持っていかれている。腹立たしい。それでいて、軽妙な言葉遊びがやはり面白い。複雑な気分で、適当にはぐらかす。
「さあ。天気の話か?」
「あたし、晴れの日が好きなの。あなたは? まぁ、あたしと一緒。……馬鹿じゃないの?」
 ユンファは憮然とし、ウェイは笑いを噛み殺した。
「まあそれはいいから、ニナの荷物。いいわよ。どうせ配達ロボット雇うもの。ついでにニナのも部屋に届けといてあげる。だから、鍵ちょーだい」
 笑顔で両手を差し出される。
「……鍵が狙いだろ、それ」
「当然」
 ウェイは呆れかえるが、それでも助かる申し出ではあった。
 実際、今から仕事で行く場所は、表世界で買った服を持って歩くには不似合いすぎる。
「分かった。じゃあ一度だけドアを開けるよう、電子執事に指示を送っとく」
 さすがに、むやみやたらと鍵を渡すほど信用するわけにはいかない。だが、一度ドアを開けるぐらいならば、問題はないだろう。電子執事は防犯機能も備えているから、ユンファが不審な行動をとればそれなりの制裁を食らうことになる。
 ユンファがにやりと笑った。
「さすが用心深いことね、可愛いあたしの中古屋」
「仮にも子供の”保護者”だからな。最低限の用心はするさ」
 自嘲気味に笑って、ウェイは、窓の向こうを見つめた。
 ガラスを隔てた都市の谷間では、浮遊型公共媒体「キュービックビジョン」がちょうど午後のニュース番組を流していた。
 放映されていたのは、アウトラス社の工場から脱走したAI搭載ロボットのニュースだ。
 ――AI搭載ロボットの違法製造疑惑。
 ――そのロボットによる工場からの逃亡疑惑。
 ――アウトラス社は全面否定しているが、ロボットは現在も逃亡中である可能性が高い。
 全てが疑惑のままで、新聞で読んだ以上の情報もなければ、事態の進展もないようだ。
「このニュース、最近よくやるわよね。何でこんなに問題になってんの? ロボットなんてそこらにいるじゃない。それが逃げ出したぐらいで何?」
 ユンファが、つまらなそうに頬杖をついて、けちをつける。
 ウェイは横目でユンファを見つめ、またビジョンに目線を戻した。
「……逃げ出したロボットはAIを搭載してるって話だ。だから問題になってるんだろ」
「都市にいる掃除用ロボットだって、半AI搭載じゃない。それとは違うわけ?」
「違うな。……半AIとAIの違い、知らないか?」
「残念ながら、あたしは無知なストリッパーなもので?」
「馬鹿にしてるわけじゃない。中古屋の間だと、AIだとか半AIだとか、そういう会話は普通にするから……」
 そもそもAIとは、人間が脳を使って行う作業を、機械が代わって、より早く、より効率的に行うために開発された「システム」のことである。現代の機械の多くにはAIが搭載されているが、それらは一般的に「半AI」と呼ばれている。
 半AIというのはただの俗称で、正式な用語ではない。むしろAIの本来の形は、この半AIだ。
 その俗称が出来たのは、2070年代。「感情モジュール」という、新たな機能を備えたAIが開発され、既存のAIと区別する必要ができた。そのため、感情モジュールの備わっているAIを「AI」、備わっていないAIを「半AI」と呼び、認識の差別化を図ったのだ。
 感情モジュール、それは人間の喜怒哀楽を人工的に作り出す機能のことである。
「半AIには、感情は存在しない。あっても人間レベルじゃない。だがAIには感情がある。それも極めて人間的なね。その違いだ」
 AI開発が急速に進む反面、社会はまだAIの存在を受け入れる準備ができていなかった。
 AIに人権はあるのか。AIは生命か。AIを搭載したロボットを破壊すれば、それは殺人になるのか。生命の定義を覆しかねない、AI論争。
 人々の混乱を避けるため、2083年、国際AI法が定められ、ロボットに対するAIの搭載を全面的に禁止した。「AIに体を与えてはならない」という絶対の法をつくったのである。
 だが、その禁忌は、破られた。
「アウトラス社は、人間と同じ、感情のあるロボットを作り出した。そしてそのロボットが、逃げ出したんだ。だから問題になっている」
 ウェイは説明をしながら、再びニュース番組に目を向けた。
 キュービックビジョンは、アウトラス社の傘下にある工場の内部映像を公開していた。無数のロボットが一列に並んで、決められた作業を行っている。彼らは半AI搭載型ロボットだ。仕事に不満を持つこともなければ、将来の夢を思い描くこともない、まして脱走など決して企てたりなどしない、ただの機械。
(だが、あの中に、「それ」はいたんだ……)
「ふぅん。でも感情を持っているって言っても、ロボットでしょ? 掃除用ロボットみたいなの。可愛いもんじゃない。ほっといたらいいのに」
 ウェイはユンファに顔を向けた。
「――じゃあ、もしも逃げ出したロボットが、人間そっくりだったら?」
 低い声音に、ユンファがつまらなげだった頬杖から、顔を上げた。
 ウェイは目線を外へと戻し、冬の冷たい陽光に顔をさらした。
「六年前、似たような事件があった。アウトラス社が製造したAI搭載型ロボットが、傘下の工場から脱走したんだ。……人々が震撼したのは、その形状。監視カメラに映っていたのは、どう見ても人間だった。ヒューマノイドだったんだ。それが都市に逃亡したという。表世界の連中はみんな、疑心暗鬼に駆られた」
 目の前にいる人間は、果たして本物の人間だろうか。
 家族は、友人は、隣人は、本当に人間なのだろうか。
 今、道を歩いている数多の人間たちは、ヒューマノイドではないのだろうか。
 一度あおられた恐怖心は、恐ろしい勢いで、伝播した。
 ヒューマノイド脱走の一報から数日と経たずに、表通り中が半狂乱になった。その時にはすでに、当のヒューマノイドが捕獲され、処分されたというニュースが報道されていたが、関係なかった。都市のあちこちにいるAI非搭載のヒューマノイドや、非人間型ロボットが、次々と破壊された。驚いたことに、生きた人間までが、何人も殺された。
 自分こそが本物の人間だ!
 ロボットを壊し、人間を殺し、破壊者にして殺人者となった者たちはそう叫んだという。
「……そんなに似てるの? 人間と」
 ウェイの淡々とした口調にぞくりと身を震わせて、ユンファは問う。暖められているはずの室内の温度が、わずかに下がった気すらする。
 ウェイは薄く笑った。
 断言する。
「そっくりだ。目の前にいても、分からないほどに」
 ユンファは息を呑んだ。
「人間かヒューマノイドか。誰も見分けがつかなかった。区別をつける手段がなかったんだ。……昔の映画では、AIの血は白かったりしたけどな、でも逃走したヒューマノイドは血の色すら赤かった。だから疑いを晴らす手段もなく、手当たり次第に、殺すしかなかった」
 そして、狂乱の熱が下火になりはじめた頃、誰が言い出したのか、奇妙な話が出てきた。
『人間と人形を見分けたいなら、表世界へ連れてゆけ』
 今も裏通りにジョークとして残っている、人間とヒューマノイドを見分ける唯一の方法だ。
 アウトラス社傘下の工場地帯は、表世界とは直接繋がっていない。表世界に逃げるならば、まず機械廃棄場か、第三裏通りを通らなくてはならないのだ。ヒューマノイドは最初に見た裏通りが、世界の全てと思うだろう。だが裏通りを抜け、表世界に足を踏み入れると、驚嘆に値する美しい大都市が広がっている。
 つまり、表世界を見て驚嘆している人間はヒューマノイドだ、という理論だ。
 自分こそが、本物の人間だ。
 それは実に、表世界の人間たちらしい発想だ。
 裏通りで生まれ育った子供もいる。超高層型都市の外で生まれた人間もいる。表世界を見て驚嘆するのは、何もヒューマノイドだけではない。だが表世界の人間たちは、超高層型都市で生まれ育った者だけが、「本物だ」と言ったのだ。
 本物の、人間だ、と。
 ウェイは微かに震える指先で、コーヒーのカップを捕まえる。
 口に含むと、コーヒーはすっかり、ぬるくなっていた。
「……まあ、今回のニュースはただの疑惑だし、ヒューマノイドっていう報道でもないけどな」
「ぞっとしないわね……」
 ユンファは、おおいやだ、とばかりに自分の体を抱きしめた。
 その軽い反応を横目で伺い、ウェイは訊いた。
「あの事件、知らなかったのか? ニューヨークどころか、世界的ニュースだったのに」
「知ってたけど、あたしその頃、十三歳よ? 頭ん中はお花畑。どうやってママからお金をくすねようかとか、早くお化粧をしたいわとか、キュートな男の子にキスしたいとか、さっさとバージン捨てたいとか、そういうことしか考えてなかったわ」
「……なるほど」
 十三歳の普通の少女といえば、そういうものなのかもしれない。
 ――そういえば、ニナは表世界を見て、驚嘆したように見えた。
 三日前のことを思い出し、ウェイは思う。
 だとしたら、ニナはやはりヒューマノイドだ。
(馬鹿らしい……)
 皮肉げな笑みが口端に浮かぶ。
 ビジョンの映像が切り替わった。警察に関するニュースのようだ。警察署内のコンピューターが何者かによってハッキングされたという。ハッキングの手口は実に鮮やかで、足跡一つ残されていなかったらしいが、データが多数改ざんされており、中には警察を馬鹿にしたコメントなども残されていたことで、事態が発覚したという。そのために都市警察は、天地をひっくり返した騒ぎになっているようだ。
 映像は、残されていたコメントの一部を紹介していた。
『爺は巨乳がお好き。by MASTER of SPIRAL WORMS』
 さっぱり意味が分からないが、こういう馬鹿げたことをするのは裏通りの住人と相場が決まっている。警察との些細な攻防は、日常茶飯事だ。
「……じゃ、俺はそろそろ仕事に行く」
 ウェイは荷物を手に立ち上がった。ユンファは手をひらひらと振った。
「はいはい。さっさと行って。……ところでどこ行くの?」
 去りかけた背に問われて、ウェイは肩越しに振りかえって答える。
「イースト川。違法運送屋のメッカ、クイーンズ・ボロ橋」

+++

 偵察から連絡が入ったのは、ビューティ・フレデリックが恋愛シュミレーションゲームに完全に飽きた頃だった。
 隠れ家にした煉瓦造りの倉庫、その中央にどんと置かれたソファに寝転がっていた彼は、通信機器に向かって何事かを話しているジョニーに目を向けた。
 ジョニーは得た情報をキーボードに打ちこみながら、相手に返答をしていた。
「……ああ、分かった。引き続き、定時連絡忘れんなよ」
「おい、今の現状教えろやー」
 通信が終わったのを見てとると、ビューティは鼻をほじりながら問いかけた。
 途端、ジョニーがぎょっとした顔で、長兄を振りかえった。
「……あ?」
「い、いや、もう涅槃像にでもなったかと思ってた。びびった」
 ビューティがゲーム機「プレイステーション20th」から顔を上げるのは、実に三日ぶりのことである。三日間、口を利くこともなければ、トイレ以外でそのポジションから動くこともなかったので驚いたのだ。
 戦力的に全く役に立たず、倉庫の掃除を任されているファミリーの一人が、すかさずオレンジジュースとメロンパンをトレイに乗せて、運んでくる。
「おー、気が利くじゃねぇかー。……つか、お前誰だっけ?」
「……兄貴よー。そいつ三日間ずっと食事運んでたんだから、名前ぐらい覚えててやれよ、かわいそうじゃねぇか」
 いいんですいいんです、と低姿勢で頭を下げて、下っ端の配下は後ずさりで去ってゆく。厨房と直結した扉のないドアの向こうでは、他の下っ端たちまで恐怖と尊敬をない交ぜにした顔でこちらを伺っていた。
「現状は、大したことになってねぇよ。見ての通り、ファミリーの大半がここの掃除番。使えそうな奴らは裏通りの偵察と、破壊工作に回してるけどな。成果はほとんどねぇ。最初に警察が動いたのは痛かったなー。……まあ、捕まっちまった連中が残ってたとしても、何が出来たとは思えねぇけどよ」
 ジョニーは手元のキーボードを叩きながら、愚痴混じりに報告した。ビューティは「んぁあ〜」と唸りながら奥の奥までほじってほじり出した鼻くそを、弾丸のスピードで床に放った。
「いっそ前のファミリー、刑務所から脱獄させるか?」
 ジョニーが、は、と笑いながら提案をする。もちろん馬鹿げた提案だ。当然、フレデリック兄弟が脱獄した時点で、刑務所の警護は強化されており、脱獄など完全不可能となっているはずだからだ。ビューティは鼻を鳴らした。
「で、今の連絡は何だ、弟よ? ああん?」
「今日、中古屋どもが武器屋らと密会するらしい。連中に資金提供してる組織も交えて、大規模な武器の受け渡しがあるって話だ」
「がはは、ご苦労様だな」
 ビューティはオレンジジュースでメロンパンを流しこみ、巨大な舌で唇を舐めまわして、残った甘味をねちっこく堪能した。ついでにゲーム機からソフトを抜いて、ジョニーに放り投げる。
「そらよ、このゲームも遊び終わったぜぇ」
「……はぁ!? もうかよ!」
 ジョニーは思い切り顔をしかめた。
「キャサリンに無理やりちゅーしたら、往復ビンタ食らっちまったぜ、ぎゃはは! でも最後はハッピーエンドで締めたぜぇ。エロシーンも全パターン制覇だぜ」
「兄貴、手加減してクリアしろよ。まだ次のソフトが準備できてねぇんだって。つーか、プレステはいったん放っておいていいから、俺の作業手伝ってくんねぇ?」
「んだよ、プレステは必要だろーがよぉ」
「まあ、確かに“必要”だけどよ……」
 受け取ったソフトを――明らかに手製と分かる、ラベルも何も貼っていないソフトを受け取り、ジョニーは不満げに掌で転がす。渋々と、マジックで直接ソフトに記したのは、「5/20」という数字。
 ビューティは弟の苦悩など気にも留めず、生あくびを豪快にかまして、ゲームのし過ぎで傷んだ目を擦すった。まじまじと倉庫内を見渡し、太い首をかしげた。
「ガイのカマ野郎はどうした?」
「運転手に裏通りの地理を把握させるために、好き勝手させて、跡つけさせてるよ」
「ああ、変スーツな。んじゃ、あいつら呼び戻せ」
「……あ?」
 ビューティはズボンの隙間から股間に手を突っ込み、ぼりぼりと掻きながら、つまらなそうな顔で言った。
「ちょっくら遊びに行ってくるわ」


「マイケル、携帯電話がさっきから鳴ってるけど、いいのか?」
「ああ、いいんだよ。どうせ針鼠みたいな頭した、電脳オタクの、口うるさいセールスマンか何かだろうから。ねぇ、ミッキー?」
 ガイは爽やかに答えて、襟元から顔を出している人形のミッキーに声をかけた。
「……なら、いいけど」
 実は電話が鳴っていることなどどうでもいい。ただ、鳴り止まない着信音は、緊張でいっぱいの頭にはあまりに鬱陶しかっただけだ。
 ニックは恨めしげにガイを見下ろし、彼のさらに下方に広がる深い闇を、ごくりと喉を鳴らして見つめた。
 彼ら二人と一匹は、闇の中に伸びる長い長い梯子をひたすら上っていた。上りはじめてすでに十分近いが、いまだに梯子は尽きないし、とうに最初の一段は見えなくなっている。
「本当にこんな道で間違いないの?」
 ガイは両手にこびりつく梯子の錆を、何が可笑しいのか楽しげに見つめながら、「もちろん」と答えた。いかにも胡散臭い。
「……本当かよ」
「おや、僕がこれまで嘘を言ったことはあったかい?」
「ないけど。でもあんたは、本当のことを言ったこともないね」
「ふふ、頭のいい子だ」
 うっとりと目を細められて、ニックは、け、と吐き捨て、また上段に手を掛けた。
「まあ、怖がらなくても、そろそろ金物街のゴミ捨て場に着く頃だと思うよ……多分ねぇ」
「やめろよ、そういうあいまいなこと言うの!」
「僕も上るのは久々だから、保障はしない」
「あああ、もう勘弁してくれよ! 爺さん、時間に遅れるとすっげぇ怖いんだぜ!? 怖いっていうか、キモい! 自分で加工したエロ画像、大量に見せてくんの! 超キモイ!」
「……何だいそれは変態かい」
「……あんたに言われたら、爺さんも救われないだろうよ」
 ガイは帽子の落とす影の下で、ぞくぞくと体を震わせた。
「楽しみだねぇ、ミッキー。どんな変なお爺さんなんだろう。期待してしまうね。おひげにヒヨコが住んでいたり、左耳に美女が、右耳に野獣が暮らしていて、恋の駆け引きをしていたりしたら、ああ、どうしよう!?」
「あんたの想像する変態爺って、どういうのなんだ?」
 ニックは呆れかえりながら、鼻を鳴らした。
「第一、楽しみにされても、別に会わせるなんて話、してねぇし!」
「ええ?」
「ええ、じゃねぇよ、ええ、じゃ」
 そこでようやく、ガイの携帯電話の着信音が途切れた。だが今度は梯子のさらに下部、闇に呑まれた下の方で別の着信音が鳴った。ニックはまたうんざりして、ガイの先に伸びる暗い縦穴を見下ろした。
「つーかさ、大丈夫なの? あの趣味の悪いストライプスーツの男……」
 ガイは笑顔できょとんと首をかしげる。
「え? 誰のことだい? 分からないな」
 にこにこと笑いながら、ガイは腰の鞄から二つの白い球体を取り出し、ぱっと手を離してやった。真っ直ぐに落下してゆく球体。しばらくしてベチャッという音がして、かすかな呻き声が聞こえてきた。
 ニックは唖然として、近所の婆さんが死ぬ数日前に必死で唱えていた「南無阿弥陀仏」を穴に向けてやった。


 落ちてきた玉子を頭からかぶった運転手は、気持ち悪くぬめった前髪を掻きあげながら、鳴り続ける携帯電話の応答に答えた。相手の姿と、自分の姿を立体映像で表示することもできたが、今の状態を見られるのは屈辱だったので、こちら側からオフにする。音声だけが受話器から聞こえてきた。
「……はい。……いえ、大丈夫ですが。別に。何てことは。ガイ・フレデリックですか? 目の前に……いえ、頭上にいます。……はあ、電話は先ほどから鳴っていたようですが、出る気はなさそうですね」
 運転手は梯子に片腕でしがみつきながら上空の闇を見上げる。
「子供とお楽しみのようですから」
 受話器の向こうから飛んでくる罵声を無表情に聞き流し、ふと運転手は眉を持ち上げた。
「……分かりました。車を用意します。ガイにもそのように伝言を――」
 再び降ってくる玉子を今度はちゃんと避けて、彼は眉根を寄せる。
「可能な限り、連れてゆく努力をします。……はい、分かりました。場所は? ええ。はい、分かります」
 運転手は爬虫類の目を細めた。
「イースト川。クイーンズ・ボロ橋ですね」







…お返事 
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