小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.004 4



「ニナ、炒飯食え」
 ウェイは紙袋から炒飯の入ったタッパーを取り出し、テーブルに置いた。エッグと戯れていたニナはすっくと立ち上がって、ソファに腰かけた。
 昨日までに比べて、幾分か動作が軽い。こびりついた垢がよほど重かったのだろうか……ウェイはしみじみと反省しながら、少女にスプーンを手渡した。
 すっかり遅い昼飯になってしまった。疲れていたし、のんびり食べたかったが、この後も用事がある。それも、今から気落ちするほど面倒な用事が。ウェイは炒飯を口に放りこみ、水で手っ取り早く流しこんだ。
「……さすがに三日も炒飯は飽きるな。揚州炒飯、五目炒飯、トマトと卵の炒飯……注文は変えてるのに同じ味だ」
 屋台料理といえばそんなものだ。品数は少ないし、味付けは基本的に同じ。炒飯などは、全て中国伝統の化学調味料「味精あじのもと」の味だろう。
「それは、なに?」
 紙袋の底から取り出した、油染みのついたメモ書きに目を通していたウェイは、答える。
「仕事の依頼リストだよ」
「いらいりすと……?」
「屋台の親父が袋に入れたものだ。親父以外にも、屋台の防犯強化の依頼が何件か入ってくるようになったんだ。今回の分で六件目」
 予想通りの展開だった。昨日、屋台の店主に耳打ちされ、瓦礫の陰でひそかに相談した結果、店主が依頼を取りまとめ、炒飯と一緒に依頼者リストをウェイへ渡す算段になった。これはウェイの身を守るための方策だ。ウェイの行動が広まれば、フレデリックに目をつけられる可能性が高まる。余計な危険を回避するための、防衛策というわけだ。
 ウェイは、ニナが見ていることに気づき、そっけなく言った。
「安心しろ。お前のことも忘れたわけじゃない」
「わたしのこと?」
「そう。――言っとくけど、"涙"を探すって方じゃないからな。そっちは忘れた。お前が忘れてるんだから、俺が覚えている理由はない」
 記憶喪失者を相手に、深入りの完全拒否を念押しして、ウェイは空になったタッパーを紙袋に戻した。
 その目に、テーブルの隅に置き去りにされた新聞紙が飛びこんできた。
「……俺は、フレデリックのことにも、お前のことにも、関わる気はない……」
 ウェイは目を固く閉じ、心の平静さを確認する。
 さっきは散々な目に遭ったが、ユンファが来たのはある意味では助かったのかもしれない。あの一件がなければ、どれほど冷静でいられたか分からない。ウェイは自嘲する。よりによって、ニナまでヒューマノイドではと疑うなんて――正気じゃない。
 今は頭が冷えている。ウェイは小さく呼吸を整えた。
 視界の隅に映るのは、こちらを見つめるニナの無機質な眼差し。
 心臓がどくりと鳴る。
「……ありえない」
 口にして、心中でもう一度同じ台詞を呟いた。
(ありえない……)
 ニナは、いや、本当の名前すら分からぬ少女は、ソファの上に静かに腰かけ、骨董人形のような静謐の美しさを湛え、小さく瞬いた。

+++

 ついに来た。チャンスの到来だ。
 自室に戻ったユンファは、ものすごい勢いでクローゼットを漁る。口元が緩まるのを抑えることができなかった。
 この数カ月、あの根暗中古屋をひたすらに追い続けてきた。わずか三軒隣に住んでいるというのに、これまでほとんどチャンスと呼べるチャンスがなかった。原因は、中古屋の不規則な生活と、ユンファの見習いストリッパーならではの多忙さゆえだ。姉さん――つまり先輩ストリッパーたちの雑用は全て見習いの仕事で、数時間の残業は当たり前なのだ。フレデリック兄弟のせいでローガン・ストリップが臨時閉店にならなければ、ウェイと会う機会は今もなかっただろう。
「はん、フレデリック万歳だわ」
 ユンファはいつものチャイナドレスに、毛皮の縁取りがされた革のジャケットを羽織り、伸縮自在のブーツを官能的な太ももにオートフィットさせる。鏡を覗いて、シャワーで剥げた口紅を適当に塗り、豹柄の耳当てがついた帽子を被って、ポーズを決めた。
「パンツはあいつの好きな白、ブラも同色、色褪せなし」
 自信満々に微笑し、今度は、クローゼット脇の蛇腹扉を開いた。
 扉の向こうにずらりと立て掛けられているのは、無数の武器。
 ユンファは表情を消し、ゆっくりと白い腕を伸ばす。
 指先に、かすかな震えが走った。
 ユンファは右手を、そっと胸元に抱き寄せた。
「……大丈夫よ。落ち着け、ユンファ」
 気を取り直して顔を上げると、光放射爆弾を三個、握りにハートマークが入った小型の火炎銃を取り上げた。火炎銃はポシェットに仕舞い、爆弾はアクセサリー代わりに腰のベルトからぶら下げる。
「完美!(かんぺき)」
 自己称賛とともに、ユンファは足音高く部屋を横切った。


 中古屋の部屋に戻ると、ドアは開け放したままになっていた。もたれかかって室内に目をやると、ウェイはこちらに背を向け、一抱えもある帆布製の袋に何かを詰めているところだった。
「男の準備も案外長いのね」
 意気揚揚とやって来たのに、服の変化に気づく様子もなく準備に耽るウェイに腹が立って、皮肉まじりに声をかける。その言が面白かったのか、ウェイは短く笑った。
「中古屋の荷物だ。買い物が終わったら仕事に寄る」
「仕事の虫ね……今ぐらい休めば? どうせLENOだって空いてないし」
「LENOが閉まる前に受けた依頼を仕上げたんだ。その運送手配。……急な出費が嵩んでて、正直生活が厳しい。収入がなけりゃやってけない。家賃も滞納してるしな……」
「え。家賃滞納って可能なの? 一日でも滞納したら、大家の警備ロボットに眉間を撃ち抜かれて即死、って契約の時に言われたけど」
 期待の篭った眼差しを向けると、ウェイは肩を竦めた。
「そう、大家特権で殺される。ここじゃ、大家の地位は大統領並みだからな……俺は二ヶ月滞納中。でも、いい加減払わないと、そろそろ勘付かれる」
「方法、教え」
「嫌だ」
「……どケチ」
「人に教えるには危なすぎる」
 不満の青筋を立てるユンファを無視して、ウェイは皮手袋とマフラーを装着して袋を肩に背負うと、それで準備万端とばかりに背を伸ばした。
「……ちょっと、寒くないの? それ」
 手袋とマフラー以外の防寒具は一枚もない。上は厚手のトレーナー一枚だ。ウェイは自分の衣服を見下ろし、ユンファをつま先から頭の上の帽子まで見つめた。
「……そっちは暖かそうだな」
「当たり前じゃない。十一月よ。路地のあちこちで家なしの方々が、冷凍食品になって転がってるってのに、あんたはそれ? コートは? いつも着てるじゃない、あの野暮ったい緑の」
「ああ……よく見てるな」
 ユンファは羞恥に顔を真っ赤にした。
「べ、別に……! あまりの野暮さに図らずも記憶に残っちゃっただけよ、凄い不愉快! 二度と着てくんな!!」
 思いきり罵倒するが、ウェイは顔をしかめるだけで大して気にした様子もない。
「安物の古着だからな。でもあれは失くして、もうないんだ。新しいのを買わないと……」
「失くした? どうやったらコートを失くすわけ。酔っ払って道端でストリップでもやった?」
「ストリップはそっちだろ……」
 ウェイは随分と布地の薄くなったトレーナーを、ニナがそっと掴んでいるのに気がついて、溜息を零した。
「……連れていかないからな」
「何故?」
「何故って……お前、今朝さんざん……」
「ニナ、あたしたちは、あんたの買い物に行くのよ」
 二人のやり取りに焦れたユンファは、助け船を出した。
「なんか主張ある? 子供っぽい服と大人っぽいの、どっちがいいとか、好きな色とか」
「……?」
「……まあいっか」
 ユンファはおもむろに指輪を持ち上げると、宝石に埋めこんだ記録チップで、ニナの全身写真を撮影した。目をぱちくりさせるニナに、「必要なの」と説明する。
「はいはい、あんたはお留守番。掃除でもすれば。……そこ、何か散らばってるわよ」
 ニナの視線が指差した方に向いた途端、ユンファはウェイの腕を掴んで、ドアの外へと引きずりだした。
「あれ? ビデオのパッケージが――」
「なに? あーいいから閉めて閉めて」
 気付いて追いかけて来る二ナとエッグを、ウェイは反射的にドアを閉めて遮る。外側からパネルを操作して、内側からは鍵が開かないようロックした。
「さ、行きましょ」
 これで邪魔者はいなくなった。ユンファは憮然とするウェイに、愉しげに笑いかけた。

+++

「それで、どの店に行くん――何だよ」
 自動ドアが開くに任せて、マンションの外に出たウェイは、いきなり背後から腕を掴まれ足を止めた。ユンファは及び腰でウェイに縋りつき、用心深く、また不安げに階段の先に広がる通りの様子を目で探った。
「そんな無造作に外に出て、大丈夫なの?」
「……何が」
「フレデリックファミリーよ。武器を構えて歩くとか、物陰から物陰へ猛ダッシュとか……寒!!」
 ユンファは身を切るような寒さに体を震わせた。冷たい突風に巻き上がる砂埃を追って、ウェイもまた薄暗いマンション通りに視線を走らせる。
「大丈夫だろう、多分」
「多分って……あ、ちょっと!」
 ウェイは玄関前の階段を下り、完全に人気のない通りを躊躇なく歩き出した。なかなか一歩を踏み出せないユンファも、躊躇ったすえに駆け足で隣に並んでくる。
 マンション通りは、まるでゴーストタウンのようだった。建ち並ぶ巨大な箱型マンションは、実用性を重視し、装飾が何もない。平たい灰色の壁が延々と上空まで続き、最後は闇に飲まれて消えている。人の行き来がない今は、ことさらに寒々しい。
「フレデリックの襲撃があってから外に出るのって初めてなのよ」
 白い息が幽霊のように靡いて、背後へと消えてゆく。通りは汚れていた。歩くたびに、乾いた米粒や害虫が貼りついたタッパーなどの塵を踏んでしまい、嫌な音が響きわたる。
 ユンファは靴裏に下敷きになった紙屑を、不気味そうに拾い上げた。
「好奇心で一回だけ、あっちの道まで顔出したんだけど、銃撃戦の音が聞こえたし、瓦礫が散乱してたし……血みたいのも地面にべっとりついてたし、気持ち悪くてすぐに帰ってきたんだ。……趣味の悪いちらし」
「それ、初めて見た……」
 紙切れに描かれていたのは、三色の風船を持ったピエロの絵。夢いっぱいの題材なのに色味が強すぎた。毒々しく、体に悪いと丸分かりのガムの色。
「あの日、空から降ってきたのよ。赤いエアジェットが飛び回って、空から撒き散らしてた。ふざけた連中よね、わざわざこんなもん用意してるんだから」
 赤いエアジェット。アニーも赤いエアジェットの情報を口にしていた。
 不意にどこかで銃撃の音と悲鳴が響き渡った。ユンファが身を縮こませ、腕にしがみついてくる。
「ちょっと、本当に大丈夫なの!?」
「買い物に誘ったのは、そっちだろ」
「だってウェイ、しょっちゅう外出てたじゃない。あたしもいい加減、部屋に篭ってるの嫌になってたし……大丈夫なのかと思って」
 ウェイは上空を見上げる。
「大丈夫だ。マンション通りは襲撃されない」
「何でそんなこと分かんのよ」
「前回がそうだったろ? 中立地帯なんだ。ファミリーの人間もマンションにいるんだろ。暗黙の了解になってるらしい」
「そうなの? ……なんだ。――実はあたし、第三裏通りに来たの、半年前なのよね。前は第一裏通りにいたんだけど、あそこは被害がなかったから、フレデリック兄弟のこともよく知らないわけ。みんな妙に怖がってるけど、正直、何が何だかさっぱり」
 ウェイは眉を持ち上げる。
「第一裏通りか、珍しいな。ソーホーの方だっけ? あそこはほとんど廃屋だって聞いてた」
 何気ない話題のつもりだった。だが、突然だった。
 ユンファの表情が一変した。
「……廃屋の奥が、結構華やかな娼婦街になってるの。表世界の連中もよく来るような、それはそれは清潔な。表には娼婦街なんて何もないから、欲求不満なんでしょうね。第三と違って、第一は道一本で表世界と繋がってたし」
 そう言う声に、どこか怒りや憎しみのような色が滲みだす。
「表の連中が作った店も何軒もあるわ。どっかからセクシャロイドを大量購入して大儲け。ここ数年じゃ、生身の人間は相手にされなくなってた。生きた女ははした金で金のない男に抱かれて、塵みたいに扱われて……」
 ユンファは歯を食いしばる。
「あんな連中、死んでしまえばいいのに……」
 その横顔からは、普段の快活さは消え失せていた。ただ深い影が落ち、黒い瞳は拭っても消せない虚ろな闇に没している。
「……何も、覚えてない?」
 ユンファは足元を見つめたまま、小さく口を開いた。
「え?」
 唐突な問いかけに、ウェイは戸惑った。ユンファは震えた溜め息をついた。白い息が肩先を漂って、儚く消えてゆく。
「……あんたって、どこ出身?」
「――いったい何の」
「いいじゃない、たまには答えてよ。あたしは、ウェイのことが知りたいの」
 訊ねる声にいつもの覇気がないせいで、ウェイは答えずにいることにひどく躊躇いを覚えた。
「……セブンス・ジオ・サンディエゴ」
 口を開く。それはマンハッタンから数えて七番目に建設された、カリフォルニア州の超高層型都市の名だ。大西洋に面した巨大都市で、アメリカ行政区では随一の美しさを誇る。
 ユンファはちらりと半目でウェイを見上げた。
「それ、嘘でしょ」
 そしていつもの調子で鼻を鳴らすと、どこか投げやりな口調で続けた。
「別にいいけどー。……裏通りの連中って、ほんと秘密主義者ばっか。表面ばっかで交流して、人との付き合い方をまるで分かってない」
 ユンファはウェイの鼻先に指を突きつける。
「当ててあげる。あんたは表世界出身。それもここ、マンハッタンのね」
 沈黙するウェイに、ユンファは確信的に断言する。
「エニグマ姉さんが前に言ってた。中古屋はほとんどそうだって。ファースト・ジオ・マンハッタンの表世界出身。それも、わりと最近まで表世界で生活をしていた。……興味あるわ。中古屋が裏通りにいる理由――ウェイがここにいる理由」
 ウェイは無言のまま、サングラス越しにユンファを見つめた。
「……知ってどうする」
 やがて発せられた平坦な声に、ユンファは色硝子に隠されたウェイの目を睨みかえす。
「単なる好奇心よ。秘密があるなら知りたい。鍵が掛かった箱があれば開けたい。それだけ」
 しばらくそのまま二人は互いの視線を探った。
 ウェイは不可解さに眉をひそめ、ふと足を止めた。
 マンション通りが終わり、目の前には瓦礫の山と化した別の道が現れていた。
「こっからは武器が必要なわけね?」
 ユンファは強制的に話を打ち切った。話はここまでと言わんばかりの、元通りの底抜けに明るい声だった。
 ウェイは溜め息をつき、改めて最初の問いを投げかけた。
「で、目的地は? 無人超市か?」
「冗談でしょ!? あんなとこ死んでもお断り。……こんな時に安全に買い物できる場所なんて、一箇所しかないじゃない」
 怪訝に眉をひそめるウェイに、ユンファはにやりと笑った。

+++

 表世界に足を踏み入れた途端、いつもの喧騒が全身を包みこんだ。
 何の匂いもしない世界。不自然なまでに清潔な、光溢れた表通り。
 ウェイはマフラーを鼻先まで引き上げた。表世界を歩く時の癖だ。裏通りから表に出た瞬間に、ふっと匂いが消失する。あの感覚が、彼は苦手だった。
 タイムズ・スクエアを越えて、上層の繁華街「五番街」を歩き始めた奇妙な二人連れを、通行人があからさまに避けて通る。おかげで混雑した道だというのに妙に歩きやすかった。
「はい、次あそこ!」
 買い物を始めてからたった三十分で小山になった荷物を、ウェイはげんなりと抱えなおす。
 示した店の前に辿りつき、自動ドアの前で軽やかにステップを刻んでいたユンファは、上機嫌で店内の様子を観察していた。
「……さっきから、関係ない買い物してないか?」
 全面硝子張りの店内は、どう見ても大人向け衣料専門店だ。今持たされている荷物の中身もそうである。
 ユンファはこともなげに答えた。
「当たり前でしょ! あたしのカードで買い物してるんだから、文句言うな! あ、でも見て見て、子供服もある。ちょうどいいじゃない! ね?」
 ウェイは物言いたげに口を開閉させるが、結局、何も言わず首を振るに留めた。
 ――何せ、表世界での主導権は、完全にユンファの側にある。
 表世界には、住民権と呼ばれるものがある。
 世界統一国家GPS認可の住民権は、表世界に生まれた人間なら誰もが持っているものだ。住民権があれば、表世界で家を持つことができる。その他にも、都市の提供するあらゆるサービス――例えば図書館などの公共施設の使用、都市の随所に設置された各種案内板の使用、医療福祉施設の使用が全て無料で提供されるし、公共の交通機関も同様だ。
 逆に、住民権がなければ、何も出来ない。
 住居が持てないどころか、ホテルにだって泊まれない。会計時には住民カードを提示しなければならず、まともに買い物ひとつできやしない。
 裏通りの人間の多くは、最初から住民権を持たぬ者、住民権を犯罪等の理由で剥奪された者たちだ。
 当然、ウェイも住民権を持っていない。
 だがユンファは、なぜか持っている。
「何で住民権を持ってるんだ?」
 ウェイは憮然として問いかけた。
 住民権は、裏通りの人間たちが人を殺してでも奪いたいと思う代物だ。住民権を巡って、マフィアの抗争が勃発し、血で血を洗う大暴動が起きたこともある。それだけ値打ちが高いし、取得が難しいのだ。
 別にウェイは住民権などどうでもいいのだが、表世界でしか手に入らないジャンク映画グッズもあるので、何となく不満である。
 ユンファは優越感たっぷりに、ポシェットから取り出した住民カードを見せびらかした。
「だって、別に住民権、剥奪されてないもの」
 それは予想外の答えだった。
「今でも、表で暮らすことができるわ。でも、あたしは好き好んで裏通りにいるの」
 言って、さっさと店内へと消えてゆくユンファ。
 ウェイは彼女の背を見送り、初めてユンファに対して興味が芽生えたのを感じた。
「……へぇ」
 誰にともなく返事をして、ウェイはもう一度荷物を抱えなおして、彼女の後を追った。

 店内は大袈裟なまでに天井が高く、しかも呆れ返るほど豪華な装飾が施されていた。
 天井から鎖で吊るされた水晶のシャンデリア、表通りを臨む巨大な硝子窓に飾られた深緑色の厚手のカーテン。アンティーク調を目指しているのか、壁際には小棚や卓、化粧台などの骨董品が並べられ、とろりとした飴色の光沢を放っている。
 どこか統一感がないのは、多分、奥の壁一面に表示された衣装の見本映像が、全て近代的なデザインのものばかりだったからだろう。
 目が眩む。女服売り場というだけでも居た堪れないのに、薄汚い格好をしたウェイは卑屈さにすら見舞われる。そのうち通報されるんじゃないだろうか。元からいた客が密かに退散し、店員が冷ややかな表情を浮かべるのを感じながら、ウェイは疲れた溜め息をついた。
「あ、ほらほら、子供服も結構ある。へー。あれ、可愛くない? あの三番の」
 さっぱり気にした様子のないユンファは、見本映像を指差してはしゃいだ。
「高いのを買われても、後で金を返せないんだけど」
「ちょっと! 店の中でお金の話なんてしないでよ、みすぼらしい」
「仕方ないだろ。実際みすぼらしいんだから……」
「卑屈。ダサ。大丈夫よ、改装セール中だから。ウィンドウに表示してたじゃない。全品40%オフ。安いやつ、五着ぐらい買うわよ」
「……五着!?」
「まけて、三着ね。あと下着類も買わないと。ルームウェア基本で選ぶから」
 頭の中で貧乏ったらしく金勘定をして、途方に暮れる。買えても二着だ。
 ふと、壁の隅から直径三十センチほどの円盤が飛んできて、二人の背後で静止した。浮遊形態の簡易椅子である。ウェイは顔をしかめて椅子を見下ろした。防菌作用があるとはいえ、座ったら店員がさぞ嫌がるだろう。肩を竦めて、座る。
「お客様。ご登録はお済みですか」
 蛍光色のスーツで着飾った女店員が、ユンファに声を掛けてきた。
 貼りついた、全く瞳の笑わぬ営業用の笑顔が、鳥肌が立つほど不気味だった。監視カメラのような感情のない眼球が、一瞬ウェイを捕らえて細められる。見定められている気がして、ウェイは不愉快な気分で顔をそらした。
「あたしのじゃないから。こっち、よろしく」
 店員には目もくれず、ユンファは指輪を嵌めた手を差し出した。店員は手にした機械で、そっと指輪の表面を撫でた。
「こちらのお嬢様ですね」
 床に光の輪が出現し、その中に等身大の「擬似ニナ」が立体映像として投射された。まるで本人がそこにいるかのような、リアルな映像だった。触れれば体温すら感じられそうだ。
「そ。後は勝手にやるわ」
「どうぞごゆっくり」
 ユンファが浮遊椅子に座ると同時に、手元に「試着操作パネル」が出現した。ウェイは肘掛で頬杖をついて、その様子を見つめる。
「えーと、三番、三番……っと」
 片手でパネルを操作し、壁に表示された見本映像の「三番」を指定すると、立体映像である擬似ニナが、見本通りの衣装を身にまとって再出現した。
 厚手だが、羽毛のように柔らかそうな素材で作られたワンピースだ。温か味のある紅色の布地に、カラフルな兎の模様が施されている。フリルのついた南瓜パンツをワンピースの下に履いていて、暖かそうだし、可愛らしい子供服だった。
 服を着たニナは、本人の性格など無視して、くるりと陽気に一回転し、スカートの裾をつ……と持ち上げて優雅な挨拶をした。別にふざけているわけではない。動いた時の素材の質感をこれで確認するのだ。
 ――……?
 大して感心もなく、擬似ニナを眺めていたウェイは、ふと眉根を寄せた。
 ニナは見たことのない笑顔を浮かべて、挨拶をしたまま静止する。
「アイヤーッ。服は可愛いのに、ぜんっぜん似合ってないわ。……ループ、ループ。あ、これ」
 別の衣装を着たニナが、ふたたび陽気に一回転し、笑う。
 ウェイは身をわずかに乗り出して、笑顔の擬似ニナを観察した。
 ――……なんだ?
 ユンファは顎に手を当てて、首を振った。
「駄目だわ。……ループ」
 壁に表示された見本映像が、数百着もの在庫を次々に表示してゆく。目ぼしい子供服を見つけては試着させて、くるりと一回転。見つけてまた試着、くるりと一回転。
 そのたびに、ニナは笑う。とても楽しげに。
 唸りながら試着するユンファが、次第に意識の外に消えてゆく。
 ウェイの視界には、ただスポットライトを浴びたように、ニナの擬似映像だけが回転する。
 何かが引っかかった。頭の中で不可解な靄が渦を巻く。
「あー! 駄目だわ、ぜんぜん」
 ユンファが悩ましげに足を高々と組み、分析した。
「面白いぐらい、明るい色の服が似合わない」
 擬似ニナは着せられたばかりのピンク色の服の裾を、笑顔で翻して遊んでいた。
「……これは、どうかな」
 ユンファが再びパネルを操作し、最後にニナに試着させたのは、今までと変わらぬ黒を基調とした服だった。
 薄紫色の長袖の上から、黒地に濃紫色の刺繍が入ったワンピースを羽織っている。色彩に乏しく、際立った唯一の色といえば、袖の縁や胸元のリボンに使われた明るい藤色だけ。
「着心地はどう?」
 多少戸惑った様子で、ユンファはニナに問いかける。ニナは、外見と骨格から想定される想像上の音声でもって、「良好」と堅苦しい答えを出した。
「……子供って、無条件で明るい色が似合うもんだけど」
 ユンファは手を顎に宛がい、考えこむ。
「この子、可哀想なぐらい黒しか似合わないわ。葬式に参列するために生まれてきました、そんな感じ。悲劇ね。……これでいい? 保護者さん」
 ウェイは曖昧にうなずく。
「……そうだな」
「ああ悔しい、センスには自信あるのに、結局同じようなのじゃない! せめて、リボンとフリルの色は変えてやる。靴下も大改造だわ。襟の形もこれじゃ固すぎる。もうちょい羽っぽいふわふわしたやつに……」
 ぶつぶつ言いながら、ユンファは衣装に手を加えてゆく。決定パネルを押せば、数秒で格納庫から機械人形が作ったばかりのオーダーメイド服が出てくる仕組みだ。
 それらを意識の奥で捕らえながら、ウェイはただじっと、笑うニナを見つめた。


 笑ったその顔を見て、初めて気が付いた。
 記憶の奥深く、何かが軋んだ音をたてる。


 自分は、過去にも、ニナを見ている。







…お返事 
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