小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.003 8



 エッグは、単眼を収縮させた。
 人間の視野とは異なる、180度の視界。映し出されるのは、雑然とした室内。
 簡素なシステムキッチンに、薄い雑誌や分厚い書籍がしまわれた本棚、その横には古びたデスク。先日割れた窓は強力接着剤で応急処置され、部屋の中央にあるテーブルには黄ばんだ映画雑誌が三冊、積まれている。
 ゴミと認識すべきものは山ほどあった。だがエッグはそのどれにも反応を示さなかった。
 外から、インターフォンの音がした。
『お客様です』
 ピ。エッグは天井から降ってきた音声に反応して、鳴き声を上げる。
『ご用件を録音にて承ります』
 主人が留守にしている間、来客の対応や防犯など、家の管理全般を行う“電子執事バトラー”の声だ。
 エッグはボディを回転させ、ドアに目を向けた。
『――ウェイ。ウェーイ。バカ。ポンコツ。セールスポイントゼロの、売れない中古屋。……ヘイッ、いるんでしょ! 開けなさいよ!』
 録音が開始されると同時に扉が透明化し、外の客の姿が見られるようになった。短い黒髪に、豊満な胸、短いチャイナドレスを官能的に着こなした、いかにも凶暴そうな女だ。
『開けないと、このユンファ様があんたの玄関の前でカ――申し訳ございません。お客様より不適切な発言がございましたので、ERROR-MESSAGE-NO.094 として、一時保管フォルダに累積しました』
 直後、客がドアに飛び蹴りを食らわせた。防音装置が働いているので音は聞こえなかったが、透明化した扉の向こうから靴裏が飛んでくるのを見て、エッグは慌てて飛びのいた。勢いあまって、ゴロリと横転。ピ。
 再び、しつこくインターフォン。執事が「メッセージを残したい場合は、貴方の声紋認証にかけられたロックを解除してから再度お試しください」と突っぱねている。客はしばらく何かを喚いていたが、もう一度ドアを蹴飛ばすと、鼻息荒く、扉の左手へと消えていった。
 エッグは床に転げたまま、単眼を点滅させた。
 なかなか使える執事だ。凶暴な敵は去った。もう安全。死んだふりは必要ない――果たしてそう思ったかは分からないが、エッグはアームを伸ばしてボディを起こすと、ふたたび単眼レンズを収縮させ、部屋をぐるりと見渡した。
 新しいものを探して、ボディを急発進させる。勢いがつきすぎて、壁際の本棚に体当たりし、衝撃で、四角い箱が大量に降ってきた。エッグはそれを全身で受け止めながら、箱に目を向けた。
 何の箱なのか、表面には写真や絵、文字を配列した紙が貼られている。
『DUNE 砂の惑星』、『スターシップ・トゥルーパーズ』、『蜘蛛女』、『スタンド・バイ・ミー』、『ディレクターズカット ブレードランナー最終編』、『ニューシネマパラダイス』、『アビス』、『フロムダスク・ティルドーン』、『ラビリンス/魔王の迷宮』、『レオン完全版』……。
 エッグはアームを伸ばし、箱を持ち上げた。
 蒼い単眼が、まるで宝物でも見つけたように、ちかちかと点滅していた。

+++

 工場地帯から、金属を打つ甲高い音が聞こえてくる。
 それは機械の墓場を覆う、白いスモッグに反響し、教会チャペルの鐘のように美しく、また荘厳な音を響かせていた。
 ウェイは一時、その音に耳を傾け、また爪先で地面を掘りはじめた。
 冷たい、冬の風が吹きつけてくる。寒さに震え、マフラーを口元まで引き上げたところで、壊れた食器洗浄機の下から金属板が見つかった。しゃがんで取り上げ、手の甲で叩いて音を確かめる。眼前に掲げて、板の表面に傷の有無をチェックし、側面に歪みがないかを確認する。
 静かだった。耳が痛くなるほどに。
 機械の墓場は、いつもに増して人気がない。理由は三つある。中古屋の天敵である機械粉砕機モンキーボックスが出現し、危険が増加していること。表通りからの発注リストを中古屋に提供している「ローガン・ストリップ」が閉店していて、仕事のチェックができないこと。
 そして何より、半数近い中古屋は今、フレデリック兄弟と対決するため、本来の仕事を放棄してまで準備を進めていること――。
 墓場には、ウェイ以外誰もいない。
 ウェイは金属板を地面に置いたザックの中につっこむと、肩に背負って、機械の上を歩きはじめた。


 第三裏通りに戻ったウェイは、シャッターの下りた店の軒下に黒い影を見つけ、眉根を寄せた。
 口を開き、文句を言いかける。だが結局あきらめて首を振ると、それを一瞥し、無言のまま脇を通りすぎた。
 胸ポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。火はつけない。禁煙中だ。
 不意に、遠くから銃声が聞こえてきた。ウェイは煙草の先端を揺らし、思わず背後を振りかえった。
 目が合う。ウェイは気まずく顔をそらし、フィルターを噛みしめて溜め息をつく。
 ふたたび歩き出したところで、また銃声が聞こえてきた。今度は先ほどよりも近い。それが三度、四度と続き、五度目の銃声が間近で聞こえたとき、ウェイはついに堪えきれなくなって、足を止めた。
「……ニナ」
 名前を呼ぶ。顔だけを背後に向けると、三歩後ろを歩いていた少女ニナが、ぴたりと立ち止まった。
 黒いワンピースの上から着た、だぼだぼのトレーナー姿。路地裏のあちこちにいる子供と大差ない格好をしたニナは、目深にかぶったフードの影の下、長い睫毛を瞬かせた。
「さっき、家まで送らなかったか? 炒飯、預けたただろ」
 低く問いかけると、ニナは手にしたままの袋に視線を落とし、こくりとうなずいた。
「じゃあ、何でついてきたんだ。危ないから家にいろと言ったはずだ」
 咎めるように言うが、ニナは無表情に首を傾げるだけだ。
 ウェイは溜め息をついた。気まずい気分で、前髪を掻きむしる。
「何かあったらどうする気だ。……俺はまだ用事があるし……一人で帰すわけにもいかないし……」
 後半は独り言だった。だがニナはそちらに反応し、色の悪い唇を開いた。
「なぜ?」
 ウェイは眉をしかめ、言葉を選んで答える。
「……危ないからだ」
「なぜ」
 少女の声にかぶるように、また銃声が響きわたった。それが何よりもの説明になったはずだが、ニナは瞬きするだけで、その危険を認知した様子もない。ウェイは肩を落とし、拍子に落ちかけたザックを抱えなおすと、また歩きはじめた。
 足音で、ニナが小走りについてくるのが分かる。
 ウェイは躊躇いに躊躇った末、わずかに歩調を緩めた。ニナが追いつき、すぐ後ろをついてくる。ウェイは溜め息をつくと、もう少しだけ歩調をゆるめ、少女と横並びになって歩いた。
 ニナと同居をはじめて、今日で三日目になる。ニナは相変わらず記憶を失ったままだったが、三日間の同居の甲斐あってか、多少は口をきくようになっていた。とりあえず、分からないことには「なぜ」「なに」と問いかけてくる。問題なのは、ニナにとって、見るものの大半が「分からない」という点だ。
 今朝など、パンにつけたバターを見つめて、「これはなに」と聞いてきた。
「……バター」
 どう答えていいか分からず、名前だけを教えると、ニナはわからないと言いたげに首を傾げた。ウェイは悩みに悩み、牛だの牧場だの、だんだん自分でも混乱してくるような説明をした。ニナはその牛だの牧場だのに対しても「それはなに」と問いかけてきた。結局、一応は説明に決着をつけたが、ニナが理解したのか、理解していないのか、その無表情から伺い知ることはできなかった。
(何でこんなことに……)
 ウェイは溜め息をついた。
「それは、なに」
 ほら、来た。また始まった。
 ウェイはニナを振りかえらず、鬱屈と聞きかえした。
「何が」
「それ、なに」
「……だから、何が」
「…………」
 ニナはじっとウェイを見上げると、人形のように冷たい顔で「はぁ」と溜め息をついた。
 ウェイは対応に困って、眉をひそめる。
「……なに?」
「これは、なに」
「…………」
 ウェイはげんなりと溜め息をつき、
「それ」
 間髪いれずに言われ、ようやくウェイはその意味を理解した。
「……溜め息?」
「sigh?」
「……。うんざりしたり、面倒だったり、疲れたりする時につくんだ」
「うんざり?」
 八つ当たり混じりの説明に、変わらぬ無感動さで問いかけてくるニナ。大人気のなさを暗に指摘された気がして、ウェイは唸り声を上げる。
 困り果てて見下ろすと、黒目がちな瞳がまっすぐに見返してきた。感情は読めないが、敢えて解釈をつけるなら、期待のこめられた眼差しといったところだろうか。
 ウェイは観念し、覚悟を決めると、ポケットからくしゃくしゃに丸めた紙を取り出した。
 ニナが背伸びをして手元を覗きこんでくるのを無視して、左手に見える建物の三階を見上げる。
 今にも崩れ落ちそうな階段の上、そこには「無人超市」という看板の掲げられた店があった。


 むっとするほどの黴の匂い、アニーがこの場にいたら瓶に入れて持ち帰るのではないかというほどの、歴史すら感じる古びた匂いが鼻をつく。
 ウェイは蜘蛛の巣を手で払いながら、手にしていた紙を改めて見下ろした。
『第三裏通りナンバーワンの品揃え。あなたの欲しいものはここで見つかる! 無人スーパーマーケットは24時間営業中』
 アニーにもらった新聞に入っていた折りこみチラシだ。一昔前に流行した、店員のいない無人スーパーマーケット。ここならフレデリック襲撃中でも開いているだろうと踏んで、とっておいたのだが、どうにも購買意欲がそそられない店だった。
 縦横無尽に置かれた棚には、もう十数年近く誰も興味を持つことなく放置された、錆びついた何かの部品だの、割れたCDだの、用途不明な皿のような蓋のような物体が並べられていた。
「ひどい店だな」
 ためらっていても仕方ないので、毒づきながらも目当ての商品を探しはじめる。その途中でニナと目が合い、ウェイは気まずく視線をそらした。
 店内をぐるりと一周するが、結局、目的の物は見つからなかった。かわりに、代用がききそうな一冊の本を、棚の一段目に見つける。ウェイはしゃがみこんで、その書籍に手を伸ばした。
 ニナが傍らで膝を抱える。書籍に厚く積もった埃を手で払うと、少女がむせて、小さく咳きこんだ。
「2095年初版か。そんなに古いもんでもないな」
 デジタル書籍が一般的になった現代でも、書籍分野では、根強く、紙製本が残っている。不思議なもので、新聞はデジタル化されても、書籍の完全デジタル化は人類に馴染まなかったらしい。
「S、S……」
 指でなぞって単語を探すと、それはすぐ見つかった。ウェイは無造作に本を広げ、ニナに手渡した。
「sigh【副詞】気苦労や失望などから、また、感動したときや緊張がとけたときに、思わず出る大きな吐息。……アルファベットは読めるだろ?」
「……アルファベット」
 ウェイはまたページを繰って、今度はaのページを見せた。
「alphabet。字母表。特にラテン文字の字母表。本来は西ギリシア系の文字で、それが徐々に西欧世界に使用されるに至った……―意味不明だな」
「alphabet。字母表……」
 ニナが、ウェイを真似てアルファベットの説明を口に出して読みはじめる。
 ウェイは、今度は「字母表」を調べはじめるニナの様子を、不思議な思いで見つめた。
 必ずしも、単語を知らないわけではないのだ。現に、少女は英語をきちんと喋っている。言葉を知らないというよりは、知らない単語が多い、という感じがした。
 記憶喪失ではなく、欠落に似ている。
 データが一部吹っ飛んだ感じだ。
『この子は壊れてしまった』
 不意に、あの時、あの一瞬だけ姿を現した少女のことを思い出し、ウェイはぞくりと身を震わせた。動揺が辞書に伝わったのか、震えたページを見て、ニナが顔を上げてくる。
 黒い瞳。どこまでも表情のない、奥深くて、透明で、そして空っぽの瞳。
『一緒に探して。この子と一緒に』
「決して流されない……」
 少女の言葉を反芻する。だが当の本人は熱心に辞書を見つめるだけで、何の反応を示す様子もない。ウェイは力なく首を振ると、浮かんだ光景を無理やり頭から追い出した。
 そして中古屋はもう一度、ニナを見下ろす。
 ニナは小さな手でページをめくっては、説明文を音読していた。
 手が、躊躇いがちにポケットへと伸びる。
「それ、欲しいか?」
 取り出した硬貨を掌の上で転がしながら問いかけると、ニナが辞書から顔を上げて瞬いた。
「ほしい?」
「……いらないならいいけど」
「ほしい」
「……あ、そう」
 ウェイは首根を掻き、硬貨を棚の横につけられたコイン穴に放りこんだ。薄暗い店内に「お買い上げ、ありがとうございます」と音声が走って、辞書を抜いた箇所に、背面から別の在庫が姿を現した。くまのぬいぐるみだ。
「行くぞ」
 ニナは不思議そうにウェイを見上げ、くまのぬいぐるみと辞書とを見比べ、こくんと首をかしげた。
「お買い上げ、ありがとうございます……」
 店内の音声を真似して、ニナが無表情に呟く。
 ウェイはよく分からない気分で溜め息をついた。
 途端、ニナが顔を上げた。
「sigh。いまのは、sigh」
「……もういい」
 ウェイはげんなりと肩を落とした。


 自分は混乱していると思う。裏通りを歩きながら、ウェイは鬱々と考えこんだ。
 どうせすぐに出て行く存在だ。むしろ厄介な存在である。
 だが、たとえそうであっても、同居している以上、飯は食わさなければならないし、寝る場所も提供しなければならない。少女はまるで人形のようだが、本当に人形なわけではないのだ。
 そう、無表情なくせして、無口なくせして、妙なところで人間くさい。
 朝、目を覚ませば「おはよう」と言う。眠る前には、「おやすみ」と言う。そしてウェイが少女のために何かをすれば、必ず「ありがとう」と言われるのだ。
 慣れなかった。居心地が悪い。自分の部屋だと思っていたマンションの一室が、突然、見知らぬ異世界に感じられた。
 そんな生活に嫌気がさして逃げ出してみれば、少女が後をつけてくる。
 これなら、エッグに付きまとわれる方がまだマシだ。
 少女の調査を依頼したアニーからの連絡はまだなかった。忙しいのか、情報収集に手間取っているのか、アニーの場合その辺りがさっぱり分からない。酒場に押しかけ、催促でもしようものなら、無言で睨まれ、煙草の煙を吹きかけられるだけだろう。アニーは頼まれた仕事に関しては、正確無比に実行する。ただ彼女の都合と気まぐれが優先されるだけだ。
 早くこんな厄介事とは縁を切りたかった。
 ウェイは白い息を吐き出し、脇を歩く、自分の腰ほどの背丈しかない少女を見下ろした。
 ニナは歩きながら、まだ辞書を読んでいる。
 ウェイは落ちつかなげにサングラスのフレームを指で叩く。
 辞書を支える小さな掌。単語を追う、真っ直ぐな眼差し。埃にまみれ、妙に歪んだ中古の辞書。
 そんなに気に入るなら、もっといい辞書を買えばよかった。
 そう考える自分に気づいて、ウェイは煙草のフィルターをガチリと噛み砕いた。
 やはり自分は、混乱している。







…お返事 
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