小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.003 7



 走りはじめると同時に、前方で何かが閃いた。
「……!?」
 本能的に右へと避けた途端、左耳が弾けとんだ。
 運転手は絶句する。だが状況を理解するより前に、続けざまの発砲が始まった。的をはずした銃弾が靴先をかすめて、床に小さな穴を穿つ。運転手は手近な扉を突き破って室内に転がりこんだ。
「……っ」
 横転し、勢いあまって家具にぶち当たり、呻き声をあげる。どうにか体勢を整え、射抜かれた左耳に手をやると、指に血がべっとりとついた。幸いまだ耳はついていたが、上半分を弾丸に持っていかれたようだ。
「……何が隠れん坊だ」
 舌打ち、指についた血を、血よりも赤く染めた舌で嘗めとる。
 しかし運転手は、フレデリック兄弟の前では隠した素顔をむき出しに、歪んだ笑みを浮かべた。
「面白え。遊んでやろうじゃねぇの……ご主人様」
 腰に下げた銃に手をかけ、ふたたび飛び出した廊下は静まりかえっていた。慎重に足を進めながら、視線を前方に走らせる。
 そのとき、脈打つように痛む左耳が、鋭い音を聞きつけた。反射的に身をかがめた直後、一瞬前まで頭があった場所を、無数の針が過ぎ去る。狙いを外れた針は壁に突き刺さって、コンクリートをどろりと融解させた。どうやら何かの融解物が仕込まれていたようだ。
 だが運転手はそれを確認するよりも先に、針が飛んできた部屋へ飛びこんだ。瞬間、天井からガイが逆さづりになって現れた。両手には二挺の銃。引き金に掛けられた指がかすかに動く。運転手は身体を横倒しにさせ、弾道から無理やり自らを回避させる。銃声が弾けた。外れた。運転手は虚空に身を投げ出したまま、構えていた銃の引き金を引いた。
 しかし発砲した時には、すでにガイの姿はなかった。床に落ちたと同時に、運転手は身を起こして天井を見上げる。いかにも安っぽい天井には、正方形の小さな穴が開いていた。ガイはここから逆さづりになって現れたのだ。恐らくまた天井裏に身を隠したのだろうが……そう推測した運転手は、虚をつかれて息を呑んだ。
 穴の向こうに見える暗がりから、鉄骨人形のミッキーがひょいと顔を出していた。
 金属の鼠顔に、どんぐりまなこ。愛らしい顔立ちは、この殺伐とした状況ではひどく不気味に見えた。
 運転手は顔を歪め、ゆっくりと、銃口をミッキーに向けた。
 ミッキーは小さな手を振って運転手にさよならを告げると、両手を口に当てて小刻みに震えた。まるで笑っているかのような動きを見せた人形は、また穴の向こうへと引っこむ。
 運転手は天井に向けて、続けざまに五発、発砲した。木片が飛び散り、それとともに天井板には五つの穴が穿たれた。だが呻き声もなければ血が垂れてくる気配もない。
「薄気味悪ぃ人形が」
 鼻を鳴らし、運転手は銃を腰のホルダーにしまう。
 助走をつけ、壁を蹴って跳ね上がり、正方形の穴に片手を掛けてぶら下がる。懸垂の要領で、天井裏に身を滑りこませると、黒い暗闇が視界を覆い隠した。
 そこで運転手は目を見張った。
 上の階との間に、四つん這いでやっと歩けるぐらいの狭い排気管ダクトがあるのだろうと推測していたが、そこに広がっていたのは、排気管どころか、巨大な通路トンネルだった。
 表通りの地下鉄ほどはあるだろう、トンネルは後方、前方に向かって湾曲しながら延びている。一定の間隔を置いて、壁の上部には裸電球がぶら下げられていた。弱々しく点滅しているものの、とりあえずは生きている。つまり今現在、誰かしら、あるいはガイによって、何かの目的で使われている通路ということだ。
 ただの雑居ビルの天井裏に、何をどうしたらこんな通路が存在しえるのか。
 完全に物理的観念を無視した通路を見回し、運転手は納得げにうなずいた。
「なるほど、ね」
 ジョニー・フレデリックから指示を受けたのは、今朝のことだ。
 ここ三日、フレデリックは外に出ることもなく、武器の調達や改造、隠れ家の整備などに取り組んでいた。ファミリーはジョニーの指示のもと、何かしらの作業を手伝わされたりしていたが、運転手として雇われている彼には、あの赤いエアジェットの整備をすること以外にやることがなかった。せいぜい、プレステで遊ぶビューティ・フレデリックに「変スーツ、対戦しようぜ!」と持ちかけられるぐらいだ。
 正直に言えば、失望していた。
 表通りにも名の知れた、世紀の犯罪者フレデリック兄弟。三年前、脱獄不可能と言われるアルカトラズ監獄に放りこまれてからもなお、警察を脅かし続けていた凶悪犯。ニューヨークの裏世界に巣食らう大犯罪者たちが、すべて彼に組し、そしてフレデリックとともに監獄送りになり、あるいは警察や中古屋との抗争の中で殺された。
 それがどれほどのカリスマ性を持った連中なのか、興味があった。
 だから、脱獄に手を貸したのだ。
 運転手の手引きで、見事に脱獄せしめたフレデリック兄弟と、とうの昔に閉鎖されたケネディ国際空港で落ち合ってからは、彼らの有能な運転手として付き従った。だが最初の第三裏通りの襲撃以降、フレデリックが動く気配はまるでない。時おり、思い出したように裏通りにバズーカを撃ち込むぐらいだ。
 あの襲撃にしても、武器を事前に準備したのは運転手。フレデリック兄弟自身の功績といえば、
「一体何が挙げられる?」
 エアジェットに背を預け、舌打ちまじりに煙草を吸っていた運転手は一人ごちた。
「何がだ?」
 不意に、ジェットの背後から声が上がった。目だけで振りかえると、ジョニーがそこに立っていた。
「……いえ」
 運転手は煙草を地面に落とし、足で踏みつける。
 ジョニーはジェットの赤い塗装に目をやると、眉をしかめた。
「相変わらずすげぇ色。お前には暇させてるな。あー……変スーツ?」
 つけられたばかりの名前を呼ばれ、運転手は肩をすくめる。
「俺も忙しくてよ。何せ俺以外に指示出せる奴がいねぇ。新しいファミリーの連中、仕事を、一、与えりゃ、半分だけこなして、次は何をすればいいすか、と来たもんだ。は。いっそ死んでろ」
「指示された武器は入手しておきました。倉庫に入っています。改造が必要でしたらやりますが」
 答える代わりに、三日前に指示されていた仕事の完了を伝えると、ジョニーは短く、まるで馬鹿にしたような笑い声をあげた。
「腐ってんじゃねぇよ。お前には、一番ホットな仕事をくれてやろうと思って、この三日、あれこれと考えてたんだからよー、変スーツ」
 運転手は横目でジョニーを振りかえる。
 ジョニーはにやりと笑って、言った。
「一週間、ガイにつきまとえ。……それがお前の名誉あるお仕事だ」
 眉をひそめ、運転手は言葉を探す。
 ガイ・フレデリック、兄弟の三男坊は三日前からずっと行方をくらましているはずだが。
「あいつは今頃、どっかの路地で、小さくて可愛らしい、無垢なお子様とおままごとだ」
「……は?」
「俺たちの三男坊はちょっと変態でな。ロリコン、ショタコン、幼児趣味、呼び方は何でもいいが、まあ体裁よく言えば、そう、子供好きだ」
 嘘くさい笑顔で言われ、運転手はわずかに口許を引きつらせる。
「そんなわけで、ほっとくと一生帰ってこねぇ。ガキどもとあっちでイチャイチャ、こっちでイチャイチャ……実に役立たねぇ。そこでお前の出番だ。お前はこれからガイを見つけ出し、これからの一週間、とことん奴に付きまとえ」
 気色の悪い想像に浸っていた運転手は、それのどこが“一番ホット”なのかと、内心嘆息した。要するに、頭のおかしい三男坊が、変態じみた軽犯罪を犯す前に連れ戻してこい、ということか。
 と、きわめて遠まわしにそう聞くと、ジョニーはあっさりと首を横に振った。
「いや、そら不可能だな。ガイは捕まえられねぇよ。それに連れ戻しても、すぐ出ていっちまうから無意味だし」
 ジョニーは、手にしていた小型の映像投影機をジェットの上に載せ、スイッチを押した。虚空に浮かんだ立体ホログラフィが映し出したのは、複雑すぎるほどに入り組んだ、第三裏通りの立体地図だ。
「この第三裏通りは、常に形が変化している。中央の通りを幹にして、路地も建物も、空中歩行路もしょっちゅう位置が変わるんだ。住民どもが常に改造してる上に、使う木材やら鉄板やらがボロいもんだから、改造した側から壊れていきやがる。俺たちがアルカトラズ監獄にいる間に、ここらも様変わりしちまった」
 運転手は納得した。この地図は恐らく、フレデリックが逮捕される前に作られた古い地図なのだろう。その証拠に、運転手がこの三日で把握した通りは、ほとんど存在しない。
「さて、そこでご注目」
 ジョニーが映像投影機のスイッチを指で弾き、画面を消す。
「裏通りには俺たちフレデリック以外に、いくつかの組織が存在する。一つは中古屋の野郎どもだが、他にも麻薬組織だの、武器商人の組織だの、裏世界の連中がわんさといるわけだ。連中は、味方につけると役立つが、敵に回すと面倒だ。……調べた限りじゃ、もう武器商人の組織は、中古屋連中側についてるようだな」
 運転手は無言でジョニーに注目する。
「もう分かんだろ。要するに、天下のフレデリック様は、今、真っ裸なわけだ。ろくな武器もねぇ。あるとしたら運転手、お前のどこのだか知らねぇ武器ルートだけだ。ファミリーにもろくな連中がいねぇ。頼りになるのは、兄貴と俺とガイ、そして、てめぇだけ」
「……光栄です」
「正直、俺も困ってんだよ。色々やりてぇけど、やれねぇ。やらないんじゃねぇ、できねぇんだわ。兄貴はあの調子で、やたらと強気だが、状況は最悪。中古屋も動き出してるって話だ。……使える味方がいる。武器がいる、情報がいる。だからお前には、まだ中古屋の手がかかってねぇ組織の隠れ家がどこにあんのかを、徹底的に調べあげてほしい。ついでに中古屋の隠れ家もあったら、これも第一優先でだ。そのためには……」
 ジョニーは小型映像投影機を運転手の放った。
「この第三裏通りを、完璧に知りつくせ」
 なるほど、確かに、ホットな任務ではあるようだ。運転手は投影機を受け取り、うなずいた。
「分かりました。ですが、ガイ・フレデリックとこのことに何の関わりが?」
 素朴な疑問に、ジョニーは肩をすくめた。
「奴をつけてみりゃ分かる」
 そこでジョニーは人の悪い笑みを浮かべた。
「途中で殺されねぇようにな。あいつはミッキーとのデートを邪魔されるのが大嫌いだ」
 ――まさか本当に殺されかけるとは思わなかったが。
 運転手は薄っすらと笑いながら、ちぎれた耳に手をやった。じくりと痛みを放つ傷口、同時にぞくりと快感に似た感覚が足元から這い上がってくるのを感じた。
「変態が」
 行き先の見えぬ真っ暗な通路を見つめ、運転手は、ガイに対してか、あるいは自分に対してか、挑発的にそう罵った。


 そして、直感を頼りに歩き始めてからどれほど経ったか、暗闇を歩いているせいで時間感覚は狂いっぱなしだが、精神的には十分は経過した頃、前方から薄い光が差した。
 あの雑居ビルの大きさを考えると、通路はあまりに長すぎる。別の建物にまで貫通していることは確かだろう。とりあえず見えてきた光は、外の光ではないように思えた。赤っぽい色をした光で、もっと人工的なものだ。
 運転手は銃を両手に構えると、慎重に光のほうへと歩んでゆく。
 やがて通路は、壁にぶつかって終わっていた。壁には運転手の身長よりも高さのある長方形の穴が開けられており、赤いベルベットのカーテンが引かれている。ぶ厚いそのカーテンを通して、内側からの光が外に漏れていたようだ。
 全く、理解不能な通路である。だが油断はならなかった。ガイ・フレデリックが、見かけの適当さとは異なり、第三裏通りの精通者であることはもはや分かっている。
 だが、不思議なことに、そのカーテンには見覚えがある気がした。
 運転手は一度だけ背後を振りかえると、いつでも発砲できるよう銃の引き金に指をかけ、カーテンをゆっくりと引いた。
 そして、運転手は目を見開いた。
「…………」
「…………」
 目が合った。互いに呆気にとられて、言葉を失う。
「……おい」
 様式の便器に座り、半ケツ状態で、煙草を吸いながら新聞を読んでいたジョニーは、こめかみに青筋を浮かべ、銃を構えた。
「……死にてぇのか、変態スーツ」
 運転手は、倉庫備え付けの便所の側面に掛けられたカーテンから手を離し、両手を上げながら、「あの変態が」ともう一度吐き捨てた。


 その状況を、暗い通路の脇から眺めていたガイは、縞馬柄の帽子を目深にかぶりなおし、鍔の落とす陰の下で、くすり……と薄笑った。
「ご機嫌よう、愚かで無能なお嬢さん」
 彼は足元にひそかに設置されたペダルを踏む。途端、かすかな起動音とともに、地面から金属板でできた壁が現れ、あっという間にガイのいる側と運転手のいる側とを分断した。かわりに、これまで壁だったはずの右方から壁が床下へと消え、別の通路が出現する。
 ガイは通路に足を踏み入れながら、腕に抱いたミッキーを見下ろした。
「……さて、ミッキー、久しぶりに映画でもどうだい?」
 くすくすと笑い声が、通路に響きわたった。
「え、遊園地? ふふ、今日は入場料分の手持ちがないから、それはまた今度」







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