小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.003 6



 ビルの谷間がぐにゃりと捻じ曲がる。
 落下。落下。それを認識する間もなく、意識が先に落ちた。
 ただ最後に、一瞬だけ見えた。
 閉じかけた瞼の間から、誰かの必死に伸ばした手。


 あなたは、誰。


 デジタル表示の目覚まし時計が、音もなく時の経過を告げる。
 午後三時。ブラインドから射しこむ日差しは、すでに昼の鋭さを失っている。時計の置かれたサイドデスクの傍らには、今にも折れてしまいそうな安っぽいべッド。窓の向こうをエアジェットが通りすぎるたび、ベッドの上に影が走る。それはまるで閉じた目の前で誰かに手を振られたようで――ニナは固く閉ざしていた目をゆっくりと開いた。
 白い。いや、染みだらけの天井は白というより斑な黄色をしていたが、闇から抜け出たばかりの目には強すぎるほどの白に映った。
 何かを、思い出させる。
 けれどそれは何だっただろう。
 ニナは天井から視線をはずし、顔を真横に向けた。
 そこには男がいた。
 壁に背をあずけ、片膝に顔を埋めている。眠っているのか微動だにしない。傍らにはアームの修理を終え、ボディもきれいに磨かれたエッグがおとなしく控えていた。
 ニナは身を起こし、細い足を片足ずつ床に下ろして、静かに立ち上がる。
 外からの光が少女の体に遮られ、男の体に影が落ちた。
 エッグの単眼が青く点滅し、影の中で不気味に輝く。
「ウェイ」
 ニナは呟いた。少しだけ舌ったらずな口調。答えはない。ウェイは眠っている。
 ゆっくりと両腕を持ち上げる。細く、白い子供の腕だ。
 身をかがめると、腕をそっとウェイの顔の脇へ、サングラスのフレームへと運び、
 そして――


 ウェイはハッと目を覚ました。
「…………」
 ぼんやりとブラインドごしに表世界の光を見つめる。
 夢の余韻がまだ頭を占拠していた。
 何の夢かは思い出せない。だがひどく静かな夢だったような気がする。
 クラクションが耳に飛び込んできたところで、ようやくウェイは現実に戻ってきた。のしかかるように重たい現実に、気だるい気分で頭を垂れる。
 足元でエッグが鳴いた。冷たいそのヘッドを撫で、よろめくように立ち上がる。かすかに傾いだサングラスを直しながら力なく歩きだすと、愛想よくエッグがついてきた。
 リビングへのドアは、開け放したままになっている。
 ウェイは立ち止まり、観察の眼差しを「彼女」に向けた。
 床に散らばったガラスの上に立ち、表世界をじっと見つめる「ニナ」を。
 気配に気づいてか、ニナがこちらを振りかえってきた。見慣れたと感じるほどには馴染んできた相変わらずの無表情。だがその奥には、「あのニナ」が隠れている。大都市の高みに立ち、真っ直ぐにウェイを見据えたあの少女が。
「おまえ、何者だ」
 ニナが瞬く。
「私は、ニナ……」
「いい加減にしろ!」
 突然の激昂に、少女は口をつぐんだ。
「いい加減に、しろ……」
 もう一度含めるように言うと、ニナは視線をつま先に落とし、うなだれた。
 同情の目で見れば落ちこんでいるように見える。だがもう騙されてやる理由はない。この少女は見かけ通りの子供ではないのだ。
 エッグが足元を離れ、ニナへと近づいていった。懸命にボディを回転させて少女を見上げる。まるで主人を慰める健気な飼い犬のようだ。
 それもあながち間違いではないかもしれない。
 ウェイは少女ではなく、エッグに目を移した。
 偶然と言い切るにはあまりに奇跡的すぎる。あの巨大な大都市の中で、エッグはニナを見つけ出した。サハラ砂漠で、黒く色を塗った一粒の砂を見つけるような確率で。それもウェイを導くように、何度も何度も彼を振りかえりながら。
 彼は確信をこめて、再び問いかけた。
「お前たち・・は、何者だ」
 直後、エッグがぴたりと動きを止めた。
 小鳥の囀りに似た機械音が途絶え、回転することも止め、奇妙な沈黙が落ちる。
 ぶるりと、蒼い単眼が蠢いた。
 ボディの上部に埋めこまれた眼球は、天井を、床を、壁の上を嘗めるように這いずり回る。かと思うと、ウェイをひた……と見つめて停止した。
 ウェイは我知らず息を呑んだ。
 正体不明の息苦しさに身をこわばらせる。何故か、エッグの視線に押し潰さんばかりの威圧感を感じた。
『嘘だ……!』
 動揺する頭の中で、突然、誰かが悲鳴を上げた。
 ウェイは目を見開く。何故忘れていたのか。フードをかぶったあの奇妙な少年だ。
 エッグはあの時、少年を見るなり異常な機械音を放ち、少年は恐慌をきたして逃げ出したのだ。
『嘘だ……!』
 何が嘘だって?
 少年は一体、何に対してあんなに怯えたんだ。
 ――まさか、このエッグに?
 自分を怖いほど真っ直ぐ見据えるエッグの単眼。ウェイは無意識に一歩後ずさる。眼球の中にある拡大鏡が幾度も収縮を繰りかえし、不気味な処理音を立てた。
 長い沈黙の末、エッグがピピピッと軽やかな機械音を立てた。それは先ほどまで変わらぬ愛嬌あるロボットの声。エッグは何事もなかったように近づいてくると、ウェイの足元でくるくると踊りはじめた。
「覚えてない……」
 不意に、ニナが呟いた。
 未だ動揺から抜け出せないウェイは、とっさに反応できずぼんやりと少女を見あげる。
「……覚えてない?」
 ニナが小さくうなずく。
「何を……」
「何も」
 真っ黒な髪。細かいレースで縁取られた古風な洋服。
 まるで人形のような少女。
「あなたは、ウェイ。私は、ニナ」
 少女は首をかしげる。
「ニナは、誰?」
 意味の通らない言葉に、ウェイは眉根を寄せた。
「……何?」
「ここは、どこ?」
 中古屋は沈黙する。何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
 聞き覚えのあるフレーズだった。
 ジャンク映画の中で、時にシリアスに、時にジョークで使われる、それは一種の合言葉。
「ここは俺の家だ。第三裏通りに……タイムズ・スクエアの奥にある通りで――ファースト・ジオ・マンハッタンの……マンハッタン島の……」
 その台詞から連想できる事態は、ただひとつきり。
「わかる、だろ?」
 そして少女の答えは、ジャンク映画的に言えば何の捻りもない台詞だった。
「マンハッタンって、なに?」

 ウェイは一人ソファに座り、ぼんやりと古い映画雑誌の表紙を見つめた。
 ニナが偽名を名乗ったときに見ていた、『IDENTITY RECORDS』の特集号だ。手に入れるのには相当苦労した。人気映画の特集号なら、さすがに100年前の雑誌だ、頻繁にとはいかないものの時おり市場に出回ることもあった。だがこの映画は興行収入が大コケしている。熱心なファンがついていたため雑誌が残っている可能性自体はあったが、マニアックな分、市場に出回らないのだ。ウェイは中古屋で稼いだ金額の優に半年分を注ぎこんで、世界中のジャンク映画専門店に情報収集を依頼した。最後には映画雑誌の収集家と相当危険な取引までして、やっとの思いで手に入れた。抱える犯罪歴の内、五つぐらいはその取引の結果得たものである。
 どうでもいい話だ。
 ウェイは溜め息をつき、表紙の中で微笑むニナ役の女優を見つめた。
 ――記憶喪失。
 冗談のような単語だった。
『マンハッタンって、なに?』
『……嘘だろ』
『うそ?』
『お前、家はどこなんだ?』
『…………』
『――なんで、機械の……機械廃棄場で眠ってたんだ?』
『きかい……はいきじょう……』
『機械が捨てられてるところだ。何であんなとこにいたんだ』
『……覚えてない』
 埒のないやり取りを幾度も繰りかえした末、ウェイはもう一度少女に名前をたずねた。少女はニナだと答えたが、苗字を聞くと『ファミリーネームって、なに?』と逆に訊ねられた。
 あれで記憶喪失でないというなら、大した大根役者だ。
 嘘をついているのか、本当に記憶がないのか。彼女が警察に追われていることを考えれば前者は当然ありえるだろうが、後者についても思い当たる節がないわけではない。
 出会ってから今まで、ウェイが投げかけた質問に少女はろくに返答をしていない。その理由が彼女自身も答えを知らなかったというのなら納得できる。
 そしてそれは、少女が表世界に溶けこめなかった理由にもなる。
 ニナの無表情さと表世界の人間たちのそれとは、種類が全く異なるのだ。ニナは感情が乏しいのではない。ただ本当に空っぽなのだ。骨董人形と変わらない。頭をもげば中には脳みその代わりに空洞が詰まっている。
「人間と人形を見分けたいなら、表世界に連れてゆけ……」
 ウェイは一昔前、裏通りで良く使われていたジョークを口にし、皮肉に歪んだ笑みを浮かべた。しかしそれ以上そのジョークに思いを巡らせることはせず、彼はおもむろに自分の右手を持ち上げた。
『探して、この子と一緒に。決して流されない、涙』
 暗号めいた言葉、まるで別人のようだった少女。あれは一体なんだったのか。
 記憶喪失。本当にそんな単純な話なのだろうか。あの時の少女のことを思い出すと、気分が悪くなる。耳鳴りがいつまでも止まないような不快感だ。
 そして謎めいたエッグの存在。
 だが少女の正体を考えるよりも、記憶喪失だと納得するほうがずっと容易かった。ニナが覚えていないと主張するならそれで納得すべきだ。深くは考えない方がいい。
 見つめた右手が別人の手に思える。
 あの時とっさに少女の腕を掴んだ手。警察からの逃亡を手助けする時も、欄干から落ちた時も、この手は少女へと伸ばされた。
 表世界の誰もが少女を見捨てる中で。
 言い訳を繰り返しながら、結局は少女を助ける。
「……何が巻きこまれるのはごめん、だ」
 首を突っ込んだのは、自分のくせに。
『あの屋台の改造なんてしてみろ。必然的に巻きこまれる。慎重なお前だ、そんなことぐらい分かっているはずだ』
 分かっている。そんなこと。
『俺は仲間が欲しいだけなんだろう……』
「違う」
 ウェイは暗澹と呟く。
「仲間が欲しいのは、俺のほうだ」


 寝室に入ると、ベッドに座っていたニナが顔を持ちあげた。
 ウェイは無表情にそれを見下ろし、独り言のように呟いた。
「……どうせ出てく気はないんだろ」
 少女が黒い瞳を瞬かせ、小首をかしげる。
 ウェイは溜息をつく。
「お前が何者なのか、ある人に調べてもらってる。一週間もすれば答えは出るだろう」
 彼はそこで言葉を区切り、しかし決心して重たい口を開いた。
「それまでは……勝手にここにいればいい」
 どうせ返答などないに決まっている。ウェイは投げやりに言い捨て、さっさとニナに背を向けた。
 けれど少女は不思議と、肝心な場所で、適切な答えを返すのだ。
 ニナは去りかけた中古屋の背に向けて、またあの言葉を呟いた。
「ありがとう。ウェイ」
 ドアに手をかけたまま、彼は目を見開いた。
 不意を突いて、銀幕の向こうで涙を流すニナが頭をよぎった。
 ウェイは苦虫を噛み潰したような顔でうなだれ、深く嘆息した。
「……どういたしまして。ニナ」


 こうして少女ニナと、中古屋ウェイの奇妙な共同生活が始まったのだった。

+++

 お玉で中華鍋を叩く甲高い音が響き渡った。
 早朝の屋台街には、朝もやに混じって、真っ白な湯気がたちこめている。客引きも兼ねた派手な調理の音につられて、幾人かの通行人が足を止めた。誰もが暗い顔をしていたが、いかにも年季の入った黒焦げの中華鍋で玉子炒飯が踊る様子に、ほんのわずかながら安堵の表情が浮かぶ。
 遠慮がちな注文の声と、威勢のいい店主の返事とにかぶさって、どこからか爆音が聞こえてきた。客が大げさに怯えるのを見て、店主は炒飯をパックに詰めながら言う。
「そう近かない。気をつけて帰んな」
「売れてるじゃないさ、旦那」
 客を見送ったところで、隣の、虹色の幌を持つフランクフルト屋の女が不躾に手元を覗きこんできた。きわめて流暢な中国語である。店主は顔をしかめた。
「さきから、うるさいネ。すこし黙る」
 スパニッシュ系と思しき女のほうが中国語が堪能で、中華系の店主の方が嘘くさい中国語を喋る。国という国がGPSの下に統一されてから、こういう光景がたびたび見られるようになった。この女とて嫌味で中国語を話すが、スペイン語はからきしなのだ。
「いいじゃないさ、少しぐらい売れる秘訣を教えてくれよ……」
 言うわりには大して乗り気でもない顔で、女が屋台の柱にしなだれかかる。店主は重たい溜め息をついた。
「せかく一人きり、商売繁盛してたに、三日でこれヨ。一週間後、おそろしいネ」
 細目で屋台街を見渡せば、ほんの三日前までは確かに自分の屋台しかなかった通りに、五つほどの屋台が展開していた。フレデリック襲撃前の活気には程遠いが、それでも一時間に二十人ほどの往来ができるようになった。
 商売人とは元来貪欲だ。ほかの屋台が出ているのに自分が屋台を出さないわけにはいかない。たとえそれが危険のさなかにあっても。
 だが屋台が増え始めた要因はそれだけではないだろう。身を守るように密着した屋台にはすべて改造が施されている。昔のアメリカンコミックに出てきそうな無茶苦茶な改造だ。周囲に熱源を感知したら防弾シャッターが下りてきて、屋台と店主とを守る仕組みになっている。これが実に役立っている。店主は今日までに十回は命拾いをしている。
「商売繁盛してるか?」
 新しい客が来る。店主はにやりと笑って「ぼちぼち」と流暢な英語で答えると、手早く五目炒飯を炒めた。
「二人前だったかな」
「ああ。手間かけるな」
 袋を受け取った男を極力見ないように店主はうなずく。男が去ってゆくのを気配だけで見送り、店主はまたカンカンッと中華鍋を叩いた。
「なぁ、あんた、あの男が来ると何か不自然になるけど――惚れてんの?」
「馬鹿言うネ!!」
 女店主が不気味そうに顔をしかめたところで別の客がやってきたので、店主はまだぶつくさ言いながらも中華鍋を振るった。お客の少年は携帯用の皿を持ってきていたので、そこに炒飯を入れてやる。
 少年は金を払うと、再び喧嘩を始めた二人を尻目に屋台を後にし、未だ放置されたままの瓦礫を越えて路地裏に入った。ゴミだらけの路地を軽快な足取りで進むと、やがて彼は角を右へと曲がった。


「……AI搭載ロボットの脱走」
 ネット上から不正ダウンロードした最新ニュースを斜め読み、青年は興味深げに吐息を落とした。細い指先は薄い唇に宛がわれ、奇妙な色気を醸し出している。
「工場の作業用ロボット、ねぇ。原因は、上司と雇用条件の折り合いがつかなかったってところかな、ミッキー?」
「ロボットなんかに雇用条件もへったくれもあるかよ」
 答えたのは鉄骨人形のミッキー。ではもちろんなく、突然現れた一人の少年だった。途端くすくす笑いが狭い路地に響きわたった。笑い声の主は言うまでもなくフレデリック兄弟の三男、ガイ・フレデリックである。
「それは、ロボットには人権はないということかい、ニック?」
「だってあいつら人じゃねぇだろ。人工知能だか何だか知らないけど、所詮は人間様が労働させるためだけに作り出したお人形。そのために作られたんだから、黙って労働してりゃいいの。脱走なんてすんげぇナンセンス」
「まぁ、確かにナンセンスだね、人工知能なんて」
 ニックと呼ばれた少年は横倒しになったドラム缶の上に座ると、ガイの肩に座っているミッキーを疑わしげに見下ろした。
「なぁ。そいつは人工知能、搭載してないわけ?」
 ガイは笑う。
「まさか。彼にはそんなもの必要ない。ねぇ、ミッキー?」
 ミッキーはカクンとうなずく。ただ単に、肩を揺らしたのに合わせて動いただけなのだが、ニックの目には不思議と本当にうなずいたように見えた。それどころかマジックで塗られただけのどんぐり眼も、キラキラ輝いているように見える。
「本当かよ」
「生命の定義の問題さ」
「……ふぅーん」
 一応うなずいてみるものの、全く理解できないのでニックは不機嫌に顔をしかめた。疑問に思ったことを、素直に聞くことのできない微妙な年頃なのだ。
「それよりさっさと新作を見せろよ、マイケル。そのためにおれ、仕事抜け出してきたんだからな」
「ああ、そうだったね!」
 ガイはそれまで放っていた妖艶な雰囲気を吹き飛ばし、子供のように顔を輝かせた。手にしていたカードのネットワークをさっさと切断して、かわりに腰に下げたバッグから妙な物体を取り出した。
「見ていてごらん、ニック。とても素敵なんだ」
 それはこよりを輪っかにして作った物だった。ガイは輪の端っこに息を吹きかける。そしてそれを地面に放った。
 途端、輪が火花を散らしながら、地面だの壁だのを縦横無尽に飛び跳ねはじめた。
 少年はまだ熱々の炒飯を手で掬って食べながら、その様子をつまらなそうに見つめる。一方のガイはしゃがんだ膝の上に頬杖をつき、飽きることなく火花に見入った。
 輪が尻つぼみな音をたてて沈黙する。ニックは長い間それを見つめていたが、やがて顎を逸らし、「で?」と白けきった目をガイに向けた。
 ガイは抱きしめていたミッキーと一緒に、邪気のない様子で首を傾けた。
「で?」
「だーからー、こっから爆発とか起きんじゃねぇの?」
「まさか。これは玩具だよ、ニック。ねずみ花火と言うんだ。昔の子供はこれでちょっと危険な遊びをしてたらしいけど、僕はそれを改造して……」
「ガキのおもちゃなんているかよ!」 
 楽しげに説明に、ニックは馬鹿にしきった顔で鼻の穴を広げた。
「ばかにすんな! おれが欲しいのは、武器だ。おもちゃじゃない。こんなもん……っ」
 ドラム缶から飛び降りるなり、ニックは沈黙した花火を靴先で蹴飛ばした。花火は壁に当たって悲しげにひっくり返る。しかしガイは怒るでもなく両手を顔の前に組むと、何故か甘美な溜息を落とした。
「ああ、反抗期の少年。なんて可愛らしいんだろう! これだよ、僕はこれがほしかったんだ、ミッキー! あの監獄ときたら夢も希望もないんだから。まぁいるのもどうかと思うけど。ああニック、三年ぶりに会う君はなんて愛らしく成長したものだろう……!」
「……なぁ、牢獄ってそんなにやばいわけ? 前よりひどくなってね? ロリショタぶり」
「ひどいね。僕はただ可愛いものが好きなだけだ」
「どこが違うんだよ。だいたい三年前だってそれで捕まったんじゃねぇの? よりにもよってヨムチャイのガキに手ぇ出して、警察沙汰になったって噂があるけど」
「ヨムチャイ? ああ、あのタイマフィア。そんな噂が流れていたとはねえ」
 ガイは帽子の落とす影の下で笑う。ニックはその答えには関心を寄せず、皿の蓋を閉じるとあーあと頭の後ろで腕を組んだ。
「あんたに武器を期待したおれが馬鹿だった。ディビッドたちがうらやましいよ」
「古着屋の上の子だね」
「あいつらさ、自分の武器をすっげぇ性能よく改造してもらったんだ。しかも改造費が破格だったらしくて……ああ、最高だよ! だって中古屋ロブの手が加わったんだぜ!?」
 それまで絶えずミッキーの腕だの首だのを動かしていたガイの手が、ぴたりと止まった。
 サングラスの奥で目を細め、彼は平坦にニックを見上げる。
 ニックはまだ興奮気味に見えない天を仰いでいた。
「かっこいいよなぁ、武器を出したらその場で改造してくれたんだって。いつも工具を持ち歩いているんだ……すげぇよ、やっぱり中古屋はすごい。手際がすごいきれいだったって。後で武器屋に見せたら、こんな改造されたら新品が売れなくなるって舌打ちしてたって……ああ、何で俺もそん時いなかったんだろう! おれ、たまたまあの時、爺さんに買い物たのまれててさ」
「子供に武器の改造。いったいなんのために?」
 ニックは心底呆れかえった顔をした。
「そんなのフレデリックをぶっ殺すために決まってるだろ!? ……ほんっとあんたって、おもちゃとガキとミッキーにしか興味がないよな。あ、そうだ。なぁ、マイケルのいた監獄ってアルカトラズって噂ほんと? フレデリック兄弟には会った? どんな顔してた? 一番上のやつがゴリラみたいなブッ細工だってほんと?」
 ガイは途端、腹を抱えて笑いだした。
「確かに“ビューティ”はどうかと思ったねぇ、ミッキー!」
「は? ……ま、考えてみりゃ、たかがロリコン犯と世紀の犯罪者が同じ房にいるわけないか。俺もう行くわ。あーあ。ディビッドは中古屋で、何で俺はこんなのにしか縁がないんだろ……」
「ニック」
 散々なことを言って、ニックはさっさと歩き出す。その背に、ガイはふと感情の読めぬ低い声で話しかけた。
「君、その中古屋ロブの居場所を知ってる?」
「知ってたら、とっくに会いに行ってるよ。……あ、でも――」
 ニックは、壁の上の方にある小窓を見上げる。
「金物街のリウに聞いた話なんだけど、ロブの住んでる部屋の窓からは、いつも歌が聞こえてくるんだって。大人は入れないような狭い路地にある窓。だから路地で、ガキが窓を見上げて群がってたら、そこがロブんちだって噂がある」
「へえ、美しい童話のようだ」
「ほんとか嘘かは知らないけどな。ロブを見つけたら俺にも教えてくれよ。約束だぞ」
「そうするよ」
 ガイがばいばーいとミッキーに手を振らせると、少年は素直に手を振りかえして走り去っていった。それをくすくすと笑って見送り、彼は微笑を消し去る。
「中古屋ロブ……懐かしい名前だ」
 転がっていた花火を回収して顔の前に掲げ、ふっと息を吹きかけると、それはまた勢いよく火花を散らしはじめた。生み出された炎に、黒いサングラスが茜色に輝く。
「でも、僕はあの男にはあまり興味がない。それよりももうひとり、――あのとき、突然現れた……」
 光に透き通ったグラスの奥で、ガイは目を細める。
「それで、彼はいったい何の用かな。ねぇ、ミッキー」
 彼の視線は鉄骨人形に向けられている。だが呼びかけに応じて、物陰から姿を現したのは、赤と金のストライプ模様の奇抜なスーツ。
 フレデリック兄弟の運転手だった。


「盗み見するつもりではありませんでした。失礼を」
 運転手は軽く頭を下げ、ふと食い入るようにガイの手にした花火を見つめた。
「見事なものですね。あの子供には、その価値は分からないでしょう」
 一定の酸素を与えることで、半永久的に燃え続ける火薬。武器やエネルギー源として売り出せば、国が傾くほどの高値で買い取られることだろう。
 値踏みする視線に気づいたのか、ガイは不愉快そうに眉根を寄せた。
「……無粋だな」
 花火の先端に蓋をして、さっさと腰ベルトに吊るしたポケットにしまう。
「玩具は子供たちのためにある。彼がつまらないと感じたのなら、これはくだらない失敗作ということだ。ねぇミッキー」
 ガイはミッキーの冷たい頬を撫で、自身も冷たく微笑した。
「それにしても、さっきからじろじろと僕らを見ていた理由は何だろうねぇ、ミッキー。もしかして、君と遊びたいのかな?」
 先ほどまでニックに向けていたものとは全く異なる、冷淡な態度。内容自体は運転手への問いだが、あくまでも会話は鉄骨人形越しである。
 運転手は見つかる前まで吸っていた煙草を地面に落とすと、足で踏み潰し、答えた。
「ジョニー・フレデリックからの使いです」
 そう言うと、手にしていた真っ赤な携帯電話をガイに示してみせた。途端ウィンドウがオープンになり、ジョニーの強面が立体映像となって飛び出してくる。
『三日もどこほっつき歩いてやがる、マイケ……じゃねぇ、あーもう面倒くせぇ、ガイッ』
 三日ぶりに見る兄の姿にガイは微笑し、ミッキーを勢いよくジョニーの顔に近づけた。
「ハァイ、ぼくミッキー!」
『……オイ、キスしちまったじゃねぇか! いい加減にしねぇとキレるぞ』
 ジョニーは心底不機嫌そうに顔をゆがめると、手にした工具で鉄骨人形の頭を叩いた。もちろんホログラフィ映像はミッキーの頭をすり抜けるだけだったが。
『人手が足りねぇんだよ。お前は会議の最中出てってからずっと帰ってこねぇし、兄貴はプレステ22thで遊んでやがるし……畜生、なんで俺ばっかり』
「あんなにたくさんファミリーが増えたのに……彼らを使えば?」
『使えねぇんだよあいつら。武器の改造もろくにできやしねぇ。まともにできたのは倉庫の便所掃除ぐらいだ』
 ガイは形の良い眉を持ち上げ、くすりと笑った。
「お利口さんなファミリーは、みんな三年前に死んじゃったからねぇ……」
『だからお前も単独行動はなしだ。五年前とは事情が違う。人手がまったく足りねぇ』
「え。」
『え、じゃねぇ。前だってお前、兄貴が甘やかすから単独行動ばっかで……』
「おかげで中古屋も警察も裏通りの人間たちも、兄さんに比べてあまり僕の顔を認識していない。僕は実に動きやすい……」
『動きやすいのは結構だが、その利点をガキとイチャつくのに使われてちゃかなわねぇんだよ。……おい、運転手』
 ジョニーはそれまで存在を無視していた運転手を振りかえると、何か合図めいた目配せをした。
『兄貴が変な名前をつけんのは、期待してる証拠だ。俺もお前は今回のファミリーで唯一使えるやつだと思ってる。――さっきの話は任せたぞ』
 運転手は無言のまま畏まってうなずいた。
 ガイは顔をしかめる。
「……何かな、今の会話は」
『んじゃ、詳しくは運転手に聞けや。しっかりやれよ、Mr.ミッキー』
 言うだけ言うと、ジョニーはさっさと通話を打ち切った。
 取り残された二人の間には、奇妙な沈黙が落ちる。
 運転手は携帯を懐にしまうと、丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします、ガイ・フレデリック」
 ガイは露骨に不愉快な顔をして、ミッキーを抱き寄せた。
「何の話か知らないけど、僕はこれからミッキーと遊ぶんだ。邪魔されたくない」
「邪魔はするつもりはありません。ただしばらく、ガイ・フレデリック、貴方に同行させていただきたいのです」
「何のために? 隠れてこそこそと……何を企んでいる」
 運転手は答えず、爬虫類に似た細い目でガイを見つめると、控えめに口を開いた。
「何をして遊ぼうとしていらしたのですか?」
 ガイは運転手を見返し、長い沈黙の後、無表情に答えた。
「……HIDE AND SEEK」
 隠れん坊。古典的な遊びだ。
 運転手は薄い眉を持ち上げて、慇懃無礼に頭を下げた。
「では、かわりに私と遊んでくださいませんか」
 ガイは目を見開くと、途端、弾けるような笑い声をあげて腰のホルスターから銃を引き抜いた。
 銃口は、真っ直ぐに運転手の額へと向けられる。食事のときにフォークを取るのと同じ自然さ、気負ったところなど何もない構え、そのことがいつ引き金を引いてもおかしくないことを物語っていた。
 運転手は冷たい感触を額に覚えながら、沈黙を保つ。
「どこの礼儀正しいお嬢さんかな。薄気味の悪い運転手だ」
 ガイは冷笑し、しかしそれも束の間、投げやりに肩をすくめた。
「まぁいい。ジョニーも困ってるようだし、遊びたいなら遊んでやってもいい。――ただし、」
 ガイは運転手から銃口をそらし、かわりに斜め上空へと向けた。
「僕についてこれるなら、ね」
 銃声が轟くのと同時に発射されたのは、弾丸ではなく細いワイアだった。先端についた金属の銛は一瞬にして右建物の五階壁面まで到達すると、砂礫を吹き飛ばして壁へと穿たれた。直後、運転手の視界からガイの姿が掻き消える。運転手は目を見開き、残像を追って上空の闇を見上げた。ガイの体は虚空を飛んでいた。どうやら放ったワイアを銃口に撒き戻すことで、自分の身体を五階まで引き上げさせたらしい。
 彼は五階壁面に到達すると、壁を蹴って再び虚空に身を躍らせた。振り子の要領で勢いをつけ、下方にある四階の窓を蹴破って、細身の体を内部へと滑りこませる。
 甲高い音から遅れること一秒、鋭いガラス片が空から降ってきた。
 それを巧みに避け、運転手はすぐさま走り出す。頬にちりっとした痛みが走った。避け切れなかったガラスで切ったらしい。彼は乱雑に血をぬぐうと、やがて見えてきた建物の入り口に飛び込んだ。
 中は無人の建物なのか、腐臭の漂うゴミ溜めと化していた。それを入り口に駆け込んだ勢いのまま飛び越え、正面に見えた登り階段を一気に駆け上がる。踊り場で身を翻し、さらに上へと登ると、微かだが軽い足音が聞こえてきた。運転手は手すりを引っ掴み、勢いをつけて更に登る。
 四階に到達した彼の前には、薄闇に包まれた長い廊下が現われた。
 すでにガイの姿はない。ただ闇の奥に射しこむ微かな光と、割れた窓ガラスが見えるだけだ。
 不意に、男の口元に凶暴な笑みが宿った。
 運転手は爬虫類の眼を細めると、再びフレデリックを追って走り始めた。







…お返事 
Powered by FormMailer.