小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.003 2



 分かっていた、最初から。
 掃除用ロボットが消えていた。だがあれがきっと自分を見つけ出すことなど、予想はついていた。どんなに逃げても、どんなに撒いても、必ずロボットは自分勝手についてくるだろうと。
 だから同時に、予想もしていたのだ。

『……俺のコート、どこやった』

 質問の答えは、空虚な瞳と、無言。

NO.003 NAME-LESS PUPPETS



 ジリリリリリ……。
 デジタル表示の目覚まし時計が、朝の九時という遅い時間を示して、鳴りはじめる。
 夢の中にまで無遠慮に侵入してくるその音に、薄い毛布の下から不満げな呻き声がもれた。セットしたのは自分のくせに……時計に人工知能が搭載されていたら、きっとそう思っただろう。
 ジリリリリ……。
 毛布から伸びた手が、目覚しのスイッチを壊れる勢いで叩き切った。それきり機械音はピタリと止む。しばらくそのまま時計に乗せたままだった手は、外の寒さに耐え切れず、ぶるっと震えると再び毛布の中へと引っこんだ──その直後。
「……!?」
 耳をつんざく破壊音が聞こえてきた。ウェイはまどろみも吹っ飛ばして飛び起きると、枕元を手で探り、見つけたサングラスを慌てて鼻に引っかけた。
 ガラスが粉砕した音だった。それも恐ろしい近くだった気がする。
 そう、恐ろしいほど近く。
「……嘘だろ」
 毛布を放り投げ、転がる勢いでベッドから飛びおりる。
 途端、ウェイは右足から崩れ落ちた。怪我をしていたことを失念していたのだ。
 激痛に意地で気づかぬふりをし、ウェイはどうにか立ち上がると、隣の部屋へと続くドアに向かった。センサーなどとっくの昔に壊れた自動ドアを手で押し開け、狭いリビングに踏みこみ、そこで見たものにウェイは絶句した。
 リビングの窓が、木っ端微塵に粉砕していた。
 強烈な寒風が、吹き抜けとなった窓から容赦なく吹きこんでくる。ウェイはガラスの破片をバリバリ踏んで窓に飛びつくと、外に顔を突き出した。
 ――浮遊人工太陽光が造りだす、冬の白い陽光。
 最高高度2200メートルを誇る超高層型都市ファースト・ジオ・マンハッタンの、天をも貫くビルの群れが、窓の外に整然と展開している。空の見えぬ超高層ビルを背景に飛び交うエアジェットの群れ。喧しいクラクションが、はるか地上から、はるか上空まで連なり、幾重もの音の層を作っていた。
 顔を左方に向けると、数メートル先で何台かのエアジェットが折り重なるように衝突していた。浮遊素材の破片がこちらまで漂ってきて、ウェイの目の前を通りすぎてゆく。どうやらエアジェットが事故を起こし、窓にぶつかってガラスを粉砕し、さらには玉突き事故にまで発展したようだ。
「ふざけ……」
 ウェイが寝癖のついた頭を抱えたそのとき、起床時間に合わせて自動起動を設定しておいた室内ラジオが、ブ……ッと音をたてて始まった。
『……の交通事故ワースト一位を記録中のファースト・ジオ・マンハッタン。主な原因は、居眠り運転、飲酒運転です。安全運転に心がけください』
 ウェイは渋い溜め息を落とし、色素の薄い髪をガシガシとかきむしった。仕方ない。窓はあとで、ビニールとガムテープで応急処置するしかない。ガラスを入れるのは財布の中身を確認してからだ。
 窓がなくなったせいで、天然冷凍庫と化した室内を横切り、ウェイはソファに放ってあったマフラーを装備した。一緒にコートと手袋を探すが、見当たらず、ウェイはサングラスのフレームを叩く。
 先ほどから何かが頭に引っかかってるのに、思い出せない。
 いや、あるいは思い出すことを頭が拒否しているのか。
『次のニュースです。昨夜六時ごろ、タイムズスクエア上空で起きた車両爆破事故は、脱獄したフレデリック兄弟によるものと断定されました。フレデリック兄弟は警察の追撃を逃れ、そのまま逃走。現在、消息はわかっていません』
 ウェイはふと顔を上げた。
 視線が、泳ぐように室内を行きかう。
 狭いリビング。皮の破れたソファと、セットになったテーブル。ぎっしりと中の詰まった本棚。割れた窓。簡易キッチン。部屋の隅の間接照明。そして視線はやがて、躊躇いがちに、先ほど出てきたばかりの寝室のドアへと向けられた。
 そこに、少女が立っていた。
 昨日見たままの姿、人形のように左右対称な体に漆黒をまとって。
 忘れていた。
 昨日、自分は少女を拾った。
「……おはよう」
 緊張と焦燥とが押し寄せ、どくりと心拍数が速まった。途端に感じる息苦しさをごまかすため、ウェイは何でもないふりをして、少女へと無愛想に声をかける。
 だが挨拶の返事は期待していなかった。事実、少女は口を開くことすらしない。
 ただ、昨日と同じように、じっとウェイを見つめている。
 感情のまるで読めぬ、不気味なその視線。耐え切れず、ウェイは無意識に掃除用ロボット「EGG」の姿を探した。奇妙な話だ。人間である少女よりも、機械であるはずの掃除用ロボットに、心の安らぎを感じるなんて。
 だが救いの手となるはずのエッグはいなかった。考えてみれば、昨夜、部屋に戻ってから何をするにも付きまとってきた挙句に、伸縮アームを伸ばし、ベッドにまで侵入しようとしてきたものだから主電源を落としたのだ。
「……座れよ」
 あの変態ロボットめ、と心中で罵ってから、ウェイは仕方なしに少女にソファを促した。


 だからといって状況がよくなる訳でもなく。
 ウェイと少女は、微妙な距離を置いて、並んでソファに腰かける。
 なおさら気まずい距離感だった。ソファに座ってしまったのでは、逃げることもできない。幸いにも少女はウェイから視線を外し、じっと正面の壁を見つめているが、壁紙の剥がれた薄汚い壁だ、そんな食い入るように見られると、それもそれで気まずい。
 会話がない。
 どう少女に対応していいのかがまるでわからない。
 そもそも、少女がこの部屋にいるという状況自体が、理解不能だった。
 ――仕方なかったのだ、とウェイは自分自身に言い訳をする。どうやって知ったのかは謎だが、少女は掃除用ロボットに乗ってきた。エッグは衛星でウェイの動きを追跡することが出来る。そのエッグが少女の味方をしたとなると、あそこでいかにウェイが少女を撒こうと、もはや無駄な足掻きでしかなかった。
 それに、疲れていた。
 脳も体も、考えることを拒否していた。
 半ばヤケクソでマンションへ入り、エレベーターホールを抜け、少女がエレベーターに乗るのを待ってから「218階」のスイッチを押した。高階層まで一気に上昇すると、汚い廊下を足早に歩いて「5-14号室」まで向かい、ドアをセンサーに触れて開け、少女を自室へと招きいれた。あとは正直あまり記憶にない。急速に眠気が押し寄せてきて、浴びる予定だったシャワーを放棄。食事も抜いた──というより、屋台街で買った夕飯はどさくさで失くしてしまったため、食べるものがなかったのだが。足に鎮痛剤を打って、適当に包帯を巻きなおすと、流れ作業か何かのように、寝室の狭く汚いベッドに倒れこんだ。
 そこまで思い出して、ウェイはふと眉根を寄せた。
 そういえば、少女はどこで眠ったのだろうか。
 先ほど寝室から出てきたことを考えると、そこまで着いてきたのだろうが――その先を考えるのが何となく恐ろしくなって、ウェイは無理やり思考を止めた。
 横目で少女の様子を伺い見る。
 少女は相変わらず、面白げもなく壁を見つめている。
 手持ち無沙汰になり、ウェイは無意識に新聞を探した。『路地裏の酒場』の女店主がくれる紙新聞は、習慣で、朝、目を通すようにしているのだ。だが思い出す。あの新聞も、少女がどこかへやってしまったコートの中だ。
「警察に追われている理由は聞かない」
 ウェイはもはや溜息を落とすことすら厭って、ぼそりと陰気に声をかけた。
「俺には関係ないことだ。……ラジオ、うるさい」
 八つ当たりされたラジオは、文句を言うでもなく音声指示認識を働かせ、ブツリと電源を落とした。一瞬、耐えがたく静寂化する室内だったが、いくらもせず、粉砕した窓から都市の喧騒が聞こえてくるようになり、ほどよい安静が訪れる。
「……家は」
 少女と目を合わせもせず、ウェイは尋ねる。彼の視線もまた正面の壁をとらえ、壁紙のめくれた部分が、風を受けてべろべろと揺らぐのを見つめる。
 少女からの返答はなかった。
警察署ポリスステーションに行くなら、道案内はする。家に帰るなら、タク代も払う。……家は、表世界だろ」
 裏世界の人間が提示するには破格の親切だったが、やはり少女に反応はなかった。
 ウェイは片手で顔を覆い隠すと、うんざりと膝に肘をついてうなだれた。
 少女が表世界の住人だろうという推測は、あくまで推測ではあったが、外れてはいないだろう確信があった。随分な懐古趣味オールドスタイルだが、少女が着ている服は、裏通りの人間が着るには小綺麗すぎる。滑らかな肌も、弾くような光を放つ黒髪も、色は悪いが荒れの一つもない唇も、裏通りの人間とは似ても似つかない。この完璧な美は、全てが完璧な表世界でしか造り得ないものだ。
 それ以上に、少女のこの無表情さは、表世界の人間そのものである。
 あの完璧の都市。塵も埃も、汚れなど何ひとつ存在しない、清潔な世界。
 ウェイは少女の返答がやはりないことを確認してから、テーブルの上に散らかしっぱなしにしていた映画雑誌を取りあげた。
 前世紀に販売されていた紙媒体の雑誌だ。今も同名の雑誌は発刊されているが、紙ではなく、デジタル書物としてのみの販売だ。だが現代映画に興味のないウェイには、何十人もの人間が回し読み、挙句ゴミ箱に捨てられたところを骨董屋に拾われて命を永らえた、黄ばんでよれよれになったこの雑誌の方が、はるかに読み甲斐があった。何せ、今ではガラクタ扱いされている当時の映画が、雑誌の中では、インタビュー記事や映画試写会などの情報と一緒に、盛大に取り上げられているのだ。マニア垂涎の書と言える。
 すでに、内容など端から端まで覚えているそれを適当にめくりながら、ウェイは再び口を開いた。
 一瞬、ためらった。
 だがどうせ返事などないと諦め、ウェイは投げやりに問いかけた。
「で、名前は?」
 それは交流を始めるための、最初のキーワード。
 そしてその言葉に、少女は、意外にも反応を見せた。
 少女は顔をかすかに持ち上げ、ゆっくりとウェイを振りかえる。
 つられて、ウェイもまた少女へと顔を向けた。
 少女は一瞬、ウェイの手元に視線を落とすと、色の悪い唇を開いて、こう名乗った。
「ニナ」
 その返答は、ウェイから言葉を奪うに十分な威力を秘めていた。
 中古屋は息を吸うことすら忘れ、少女に見入った。喉の奥で何かが詰まっているような息苦しさに見舞われ、笑うように息を吐き出した。
「……ニナ?」
 思わず問い返すと、少女はやはり全くの無表情のまま肯いた。
 呆然とするあまりに、手にしていた映画雑誌を落としかけ、ウェイはハッと雑誌を取り直す。──そこでようやく我に返った。
 ちょうど開かれていたページには、あるSF映画の特集記事があった。
 その見出しには、でかでかと『主人公の恋人ニナに配役されたのは、新人のカリータ・ヴァルロー』の文字が躍っていた。
「そう、か」
 思わず脱力する。驚愕がでかかっただけに、脱力も半端でない。
 偽名、だ。
 ウェイはしばらく沈黙してから、不意に笑った。
「……へぇ。そりゃ、親のセンスが良かったな」
 妙にこみあげてくる笑いを必死に抑えながら、ウェイは皮肉まじりの言葉を口に乗せる。少女は中古屋が小刻みに笑うのをじっと見つめていた。不思議そうに、と形容できるほど表情は存在していなかったが、やはりそれはどこか不思議そうな顔に見えた。
 と、少女が黒い瞳を瞬かせ、カクリ……と首を傾げる。
「あなたの、名前は?」
 同じ問いを返される。ウェイの顔から一瞬で笑いが消えた。
 自分で聞いておいて何だが、名前を聞くのも答えるのも、裏通りではひどく非常識だということを急に思い出したのだ。
 名前は相手に、最も簡潔でありながら、もっとも利用幅の大きい情報を与える。本名であれ偽名であれ、名前を知られるということは、相手に付け入る最初の隙を与えるということだ。
「……ウェイだ」
 相手に名乗らせ、自分が名乗らないのはルール違反だろう。
 ウェイは躊躇ったすえに、答えた。
「ウェイ」
 サングラス越しの視線を受け止めて、少女が彼の名を反芻する。
 名前を呼ばれ、背筋に奇妙な緊張が走る。たとえ子供であっても、見知らぬ相手に名を呼ばれるのはひどく居心地が悪かった。
「ウェイ」
 覚えようとしているのか、少女が再び名を口にする。
 そして、思いもよらぬ反応を示した。
「……親のセンスが、いい」
 まだ幼い、舌ったらずな口調で、抑揚なく呟かれた一言。
 もしかして冗談のつもりだろうか。それとも、からかわれているのだろうか。
 一瞬だけ和んだ空気は、一瞬にしてまた凍りつく。窓からは冬の寒風、室内の気温は急速に下降中。ウェイはやはり気まずい気分で、いるはずもない掃除用ロボットを探した。


 結局、名前以外のやり取りもないまま、ウェイは無言でソファを立った。
 合皮製ソファが、壊れたスプリング独特の嫌な軋みを放つ。痛む足を引きずりながら寝室まで戻り、部屋の隅で停止していた掃除用ロボットに主電源を入れた。
 ピピ、ピピピ。
 小鳥の声に似た起動音がすると同時に、エッグは青い単眼を輝かせ、ぐるっとその場で回転した。そして回転を止めると、ウェイの足元へと擦り寄ってくる。
「おはよう、エッグ」
 ピピピ。
 中古屋の悲しい性か、機械相手に朝の挨拶をすると、エッグはどこか嬉しげに機械音を奏でた。少女よりも数百倍は愛嬌のある反応だ。昨日の爆破で凹んでしまっている頭を撫で、ウェイは疲れたように笑った。
「あとでバグは修正するから、お前もあの子と表に戻れ」
 人工知能非搭載のロボットになど理解できるわけもない言葉をかけ、ウェイは硬い寝台に腰を下ろした。
 右膝を寝台の上で立ててズボンの裾をめくると、足首の白い包帯はどす黒い赤へと変色していた。痛みを奥歯で噛み殺し、ぺりぺり……と固まった包帯を剥がす。包帯の下に巻いていた布も一緒に取ると、無残な状態の足首が露わになった。
 ピピ。
 楽しげにエッグが寝台の下で回転する。ウェイは汚れた包帯と布を投げつけると、足首を手で動かしながら様子を見た。傷は、ひどく綺麗な形をしていた。モンキーボックスの、敢えて形容化するなら「筒の形」をした光線がかすめたのだ。足首の外側部分が、ちょうどスプーンで抉ったような形に窪んでいた。
 幸いにも深くはない。ただ走り回ったせいで筋の損傷がひどい。当分、右足はまともに動かないだろう。――もう少しまともな治療をしない限りは。
 ウェイは立てた膝に顎を落とし、沈鬱に目を伏せた。
 ピピピ、ピピピピ、ピピ。
「……うるさい」
 ぼそっと文句を吐くと、ウェイは顔を持ち上げ、さっさと新しい包帯と布とで足首を固定した。ついでに枕元から注射器を取り上げ、もう一本だけ、鎮痛剤を打っておいた。
 彼はベッドを下りると、再びリビングへと戻った。
 エッグがその後をついてくる。
 壁際に設置された簡易キッチンまで歩くと、ウェイは台の上に放置してあったクッキーの箱を取り上げた。
「……腹、減っただろ」
 振りかえると、少女は未だにソファに座っていた。微動だにせずソファに座るその様子は、まさに骨董人形そのものだ。
 本当に、少女がただの人形な気がしてきて、ウェイは息を呑む。
 なぜ、瞬き一つしないのだろう。
 なぜ、寒さに震えることすらしないのだろう。
 背筋に冷たい物を感じて、ウェイは思わず目を逸らす。すぐにそれが馬鹿らしい妄想であることに気づいて、彼は後ろ首を掻きながら、箱をテーブルへと放った。
「何か、買ってくる」
 ピピピ。
「お前にじゃなくてな」
 足元のエッグを足で小突き、ウェイは室内ラジオのスイッチを再び声でオンにした。
『は度重なる失態に、遺憾の意を表明しています。……次のニュースです。』
「ついでに寄り道もしてくるから、そのクッキーでも食べてろ。……水は冷蔵庫。お湯は勝手に沸かしていい。寒かったら、寝室に行ってろ。トイレもあっちだから」
 口早に言いながら、ウェイは少女の前を横切り、隅に放ってあったセーターを着た。
 そしてドアの脇にあるプレートに手をかざす。こちらはまだセンサーが生きていて、ドアの開閉要求が認知された。
 シュンッと音をたて、ドアがスライドする。
 ウェイは少女を振りかえらず、現れた廊下を見つめ、突き放すように言った。
「……それから、出てくなら、自由に出てってくれ」
 どうせ返ってこないだろう返答を待たずに廊下へと出ると、エッグがドアにぶつかって鳴く音を最後に、ドアが閉ざされた。


『……機械に人工知能、AIを搭載することを禁じたAI搭載禁止法が定められ、十年。昨日アウトラス社の工場からAI搭載ロボットが脱走したことにより、今、抜け道だらけといわれるその法律が、再び論争の的となっています』


 聞く者を失くしたラジオが、室内に流れ続ける。
 掃除用ロボットが開かない扉に、何度も体当たりしては鳴いている。
 ただ少女だけが、音もなく、動くこともせず、ソファに座っていた。
 まるで人形のように。







…お返事 
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