小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.003 11



 ――それは、イメージだった。
 抽象すぎて何を意味するのかまるで分からない。


 半分に切ったオレンジに集る黒蝿。
 葉脈を伝って流れる白い血。
 琥珀に閉じこめられた虫が足をばたつかせる。
 黒い花が歓喜に赤い花弁を開く。
 骨董人形に硝子の瞳を入れる顔のない職人。
 機械でできた丘で踊る大きな猿。


 生き埋めにされた殉教者の笑い声。


 体が痛い。
 男たちに撃ち抜かれた箇所が、心臓の鼓動に合わせてどくどくと脈打っている。
 なのに自分は、濃い霧の立ちこめる白濁した世界に立ち、スコップで、地面に穴を掘り続けていた。
『ロボットに対するAI完全搭載は、2083年に制定された、国際AI法により禁じられており、同社は逃亡・製造の可能性を、強く否定し──』
 スコップの先端が、穴の下に埋まっていたラジオのスイッチを押した。少年は壊れたスピーカーから聞こえてくるニュースを聞くなり、軋んだ笑い声をあげた。ラジオを手で掴みあげ、憎悪に顔を歪ませ、投げ捨てる。
 ラジオは、幾千幾万ともつかぬ膨大な数の機械の上を跳ね、濃霧の先へと消えていった。
 首筋に視線を感じた。振りかえると、背後の虚空に眼球の形をした不気味な浮遊物体が浮かんでいた。これは――第三機械処理場を監視する、監視カメラEYE。
「……見るな」
 何を、監視しているんだ。こんな壊れた機械しかないこの場所で。
 見るべきものなんて何もない。ただの墓だ。機械の死骸しかない、ただの墓場だ。
「見るな!」
 少年は耳を塞ぎ、逃げるようにコートのフードを目深にかぶり直した。
 霧の向こうから、複数の足音が近づいてくるのが耳に飛びこんできた。濃灰色のスモッグを抜け出てきた人影は、肩に背負っていた裸体の人間を、少年の掘った穴や自分たちで掘った穴の中に、頭だけを外に出した状態で埋めた。
 笑い声が聞こえる。
 機械の墓場に、壊れた機械と一緒に埋められた、三十近い数の人間の頭部が、合唱するように笑っている。
 無表情な、精巧すぎる骨董人形のような顔。左右で対になった硝子の瞳には、何の感情も宿ってはいない。ただ薄く開いた唇から零れる、小刻みな笑い声――まるで壊れかけのオーディオ機器が、残されたわずかな電力を使って、時折思い出したように音声を発しているかのような、痙攣じみた笑い声だった。
 いや、それともそれは、泣いているつもりなのだろうか。
「……馬鹿じゃないの」
 少年は不意に込みあげてくる嘲笑に、口端を歪めた。
「馬鹿だなぁ。それで泣いているつもり?」
『これには致命的な欠陥が──』
『おかしい、こんなはずでは。理論上では間違いないはず──』
『処分するか──』
 少年は頭の横にしゃがみこみ、膝についた肘で頬杖をついた。
「所詮は、シッパイサクのくせに」
 不意に、背後から肩を叩かれた。
 振りかえってみると、ずっと先の方、霧が薄く漂う辺りにぼんやりとした人影が見えた。
 少年は立ち上がり、そちらへ行きかけて、足を止めた。


 半分に切ったオレンジに集る黒蝿。
 葉脈を伝って流れる白い血。
 琥珀に閉じこめられた虫が足をばたつかせる。
 黒い花が歓喜に赤い花弁を開く。
 骨董人形に硝子の瞳を入れる顔のない職人。
 機械でできた丘で踊る大きな猿。
 生き埋めにされた殉教者の笑い声。


 人影の脇には、穴が開いていた。
 スコップを手にした影は、少年を促すように穴を指差している。
『これには致命的な欠陥が──』
『おかしい、こんなはずでは。理論上では間違いないはず──』
『処分するか──』
 少年は目を見開き、首を振って、後ずさった。
「違う……」
 透明な、
「僕は、違う。僕じゃない、アイツが……アイツが!」
 トウメイナ、
「僕は、違う!」
 トウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナ――。
 監視カメラEYEが、じっと彼の挙動を見ている。
 少年は首を振り、幾度も幾度も首を振り、やがて悲鳴を上げた。
 埋められていた無数の頭は、全て同じ顔をしていた。
 全て、少年だった。


「っぁぁあああああ――!!」
 少年は悲鳴を上げた。口を極限まで開き、枯れた喉の奥深くから、生理的な悲鳴を上げた。頭を抱え、抜けるほど激しく髪をわしづかみ、まるで身を守ろうとするように本能的に胎児の体勢になる。
「いやだ、やめて――やめてください、殺さないで、コワサナイデ……!」
 伸びた爪がぎりぎりと頭皮を破って、赤い液体が溢れ出た。
「イヤだ、僕は違う、違う違う違う違う違う違う違う違う!」
 それでもなお狂ったように爪を突き立てて、悲鳴を上げ続ける。
「ボクハ、コワレテナイ!」
 冷静さは突然やってきた。強烈な冷気が首筋をかすめ、少年は冷や水を浴びせられたように悲鳴を止め、頭皮を裂く指を止めた。とっくに見開いていたのに、何も見てはいなかった目が、ようやく現実の光景をとらえる。
 少年は、明るい部屋の中にいた。
 広い部屋だ。いや、部屋というよりは、どこかの地下道を壁で仕切ったような、無理やりな感じのする不恰好な部屋だった。
「……」
 いまだ激しく鼓動する心臓を服の上から押さえ、ゆっくりと上体を起こす。途端、想像を絶する激痛が体中を襲った。歯を食いしばって見下ろすと、着ていた服がどす黒く染まっているのが分かった。流されてから何日も経過した古い血なのだろう、繊維にまで浸透して、服をガチガチに固めてしまっている。
 真っ白な息が顔の前に漂う。痛みがわずかに治まってゆくのと同時に、身を芯まで凍らせるような寒さが裸足の爪先から這い上がってきた。
 少年は自分の置かれた状況が理解できず、警戒に眉をひそめ、顔を巡らせた。
 そしてようやく彼は、自分のすぐ傍らに見知らぬ男が座っていることに気がついた。
 半ば本能的に、手元に置かれていた銃を構えた。側に銃があることすら知らなかったはずなのに、体がまるで知っていたかのような反応を見せた。
 グリップを掴む手が激しく震えた。歯がかちかちと鳴り、思わず笑いそうになる。
 寒いのか、怖いのか、楽しいのか、自分でも分からない。
「……撃てるのか」
「……!?」
 少年は歯を食いしばり、銃を両手で掴み直すと、体の下に敷かれた麻布の上で後ずさった。
 意識が研ぎ澄まされてゆく。目元まで深くかぶったフードの奥から、男を捕らえる。同時に、裏通りで受けた悲惨な扱いの数々を、路地で男たちに襲われた事実が脳裏によみがえった。
 激しい感情が身の内から溢れ出した。
「そうか、撃てるのか。それはいい……」
 男は陰鬱に笑って、緩慢な動作で拍手をした。
 年齢の読めぬ男だった。黒の混じった斑白髪は水分を奪われた枯れ枝のようだ。ひどく色の悪い肌は木皮のように乾き、唇は白くヒビ割れている。何より、薄く開いた目には何の光もなく、凍結処理された死体を思わせた。ただ、拍手を繰りかえす屈強な手だけが、男が見た目よりも若いことを物語っている。
「安心しろ。珍しくはない。そう、珍しくはない……」
 男は薄暗い笑いを引っこめ、低く、何ら感情の読ませぬ声で続けた。
「お前のような、“ヒューマノイド”の逃亡など」
 そしてその一言に、少年は弾かれたように反応した。
「僕はヒューマノイドじゃない!」
 とっさに放たれた言葉は、動揺に上擦っていた。
 男は無感動に自分に向けられた銃口を見つめる。
「人間のつもりか。これはいい。アウトラス社が作り出したAI搭載型の……なるほど、お前こそが人間か、愉快だな」
 少年は、目を見開いた。
 アウトラス社。世界最高峰の機械開発社Autrus Corporation。
『これには致命的な欠陥が──』
『おかしい、こんなはずでは。理論上では間違いないはず──』
『処分するか──』
「っぅぁああああ!」
 銃を握る手が激しく震え、少年は引き攣った笑いを口端に浮かべた。銃口が面白いぐらいに揺れて、実際、それがひどく面白かった。
 殺した。殺した。路地で僕に発砲した男たち。殺してやった。
「黒服に気をつけろ……」
 男が淡々と続ける。向けられた銃口など気にも留めない様子で。
「そう、黒服を着た男たち……、まるでオレンジに集る黒蝿のようだ……」
 男はまた口を開いた。
「それよりも、"狩人ハンター"に気をつけなければ。逃げたヒューマノイド……、逃がしてはならない……」
 少年は引き金を引いた。体を跳ね返すような反動とともに、銃口から銃弾が放たれる。
 銃声。銃弾は男の頬を掠め、対面の壁に穴を穿った。
「ぁ、あ……」
 少年は白い息を荒く吐き出しながら、震えた声を発した。
「は……はは、撃った、撃った……――違う、僕じゃない、僕じゃない!」
 男は頬から流れる血にも興味がない様子で、のそりと立ち上がると、少年の側を離れた。
 少年はまるで糸の切れた人形のように、銃を掲げていた腕をがくんと下ろし、床に仰向けに倒れこんだ。
 部屋は明るかった。白々とした明かりが天井付近に浮遊し、部屋を影の一つもなく照らし出している。少年には分からなかったが、それは表通りに設置された浮遊人工太陽光と同じものだった。
 その眩しすぎる白光に、天井に書かれていたものが、照らし出されていた。
「アウトラスの狂った人形ども……」
 もう視界の隅にいない男が、再び、独り言を呟いた。
 ぎりり、と何かが軋む音がした。歯を執拗に食いしばった音だった。
「アウトラスの、操り人形どもめ……!」
 少年は男の独白を意識の外に聞きながら、天井のそれを見据えた。
 床に倒れた衝撃で、頭からフードが脱げ落ちていた。路地で自分が撃ち殺した男たちの悲鳴が、一瞬頭を掠める。だが今はそれもろくな思考につながらない。
 白々とした光に照らし出された天井には、真っ赤な文字で、無数の数字が躍っていた。
 2095、と書かれていた。
 狂ったような血文字で、ただひたすら、2095と書かれていた。
 人の気配がした。首を傾けると、先ほどの男とは別の、それでいて男によく似た無気力な顔の人間たちが、外と繋がっていると思しき階段を下りてくるのが分かった。
 少年は、短く笑った。
 握りしめたままの銃を抱きしめ、何だか無性に可笑しくて、笑った。
 2095。2095。2095。
 こんなに訳の分からない状況で、その数字だけは知っている。
 何故だか頭の奥深くに、それだけはインプットされている。


 2095年。
 それは、アウトラス社が違法に開発を進めていたヒューマノイド技術が、初めて成功を見せた年だ。
 後に”最初のヒューマノイド”と呼ばれる人型ロボットが、アウトラス社から逃亡を企てた年だ。
 そして事実の露呈を恐れた同社によって同日捕獲され、他二十四体のヒューマノイドとともに、第三機械処理場に生き埋めにされ、機械粉砕機モンキー・ボックスによって光線処理された年。


 すぐ側で、彼の機械動物が横倒しになって、ノイズを上げながら痙攣を起こしている。
 それにも気づかず、少年はひたすらクツクツと笑い続けた。
 いや、それともそれは、
 泣いているつもりだったのだろうか。







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