小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 7



 その頃、中古屋依頼提供所「LENO」のある「ローガン・ストリップ」では、いち早く、店じまいのシャッターが下ろされた。
 ストリッパーたちは早上がりを命じられた。ステージで享楽にふけっていた客たちは、理由も知らされぬままに、しかしステージガールの巧みかつ艶美な誘導によって、何の疑問も抱かずに店の外へと追い出された。
「なんだってんだろうねぇ、ローガンたら」
 ステージの裏手にある楽屋では、女たちがステージ衣装から、露出度では大差ない普段着に着替え、気怠げにさえずっていた。ファンデーションと甘い体臭、どぎつい香水の匂いが混じりあい、楽屋の空気は眩暈がしそうなほどに濃厚だ。
「フレデリックを恐れてるんじゃないかい?」
「早すぎじゃない? 昨日脱獄したばっかりでしょ。今日中に戻ってくるなんて有り得る? ま、ローガンはいつだってお早いけど」
「女にゃ到底好かれないタイプね。アタシら男だって、お早いのにはガッカリ」
 おどけた女言葉で肩をすくめる、女装の男性ストリッパーは、自分で言った下品な台詞に、ぷっと吹きだした。女たちもゲラゲラと笑いながら、楽屋を出てゆく。
「下品だねぇ」
 徐々に人が去ってゆく楽屋の隅、照明でギラギラに照らされた鏡と向かいあっていた女は、彼女たちの当て推量な「下」の話題に、苦笑を浮かべた。
「ローガンと一度でも寝てたら、あんな台詞は出ないはずだけど」
「エニグマ姉さんは寝たことあるんだ? 姉さんが売れてる理由って、それ?」
 小指で丹念に口紅を塗る女エニグマに、すぐ側で着替えをしていた少女は興味津々と尋ねた。ぺらぺらと早口な少女の問いかけに、エニグマは口紅の蓋をパチンッと閉じて、さて……と立ち上がった。
「それよりもアンタ」
「はぐらかした」
「あいにくと、ひがみに答える口は持たないんでね。……せっかくの早上がりなのに、急いで帰らなくていいの? いっつも時間が合わない合わないって愚痴ってるくせに」
 きかん坊な妹でも諭すような口調に、少女はオレンジ色のカツラの下から現れた短い黒髪を、ぶすっとかきまわした。
「もちろん急いで帰るよ。ただどのパンツ履いてったら、あの鈍ちんがアタシの魅力に気づくか、悩んでるだけ」
 真剣にそんなことを言う少女を口角で笑い、エニグマはふと楽屋の入り口を振りかえった。ちょうど扉の隙間から、三人の仕事仲間が、エニグマを遊びに誘おうと顔を出すところだった。
「じゃ、私は行くよ。せいぜい頑張りな、ユンファ」
 裏口で「早く」と手招きする仲間の元に向かいながら、エニグマは本当に下着を選んでいるユンファに微苦笑して、楽屋を去っていった。
「今日こそ捕まえてやるんだから、ウェイ」
 一人残されたユンファは、独白をオレンジ色に染めた舌の上に転がした。そして色とりどりの下着を前に、「奴は白が好きそうよね」と真剣に腕組をするのだった。

+++

 人気のない居住区を歩くウェイの顔は険しかった。
 彼を不快にさせているのは、背後に感じる視線だった。
 ウェイは何気ないそぶりで、後ろを振りかえる。
 灰色の壁が延々とつづく家屋群の果ては、闇に没している。すでに薬屋の裏口は見えず、闇の向こうには何の姿も感じられない。
 だが、視線を感じた。
 裏口を借りたのは、また「中古屋」「中古屋」と声をかけられるのが面倒だったからだ。
 まさか声をかけるだけではなく、後をつけてくる住人までいるというのだろうか。
 しかし、少し奇妙な気分がした。
 妙なのだ。それはひどく、奇妙な視線に感じられた。
 どう例えれば良いか、背後の視線は、ひどく無感情なものに思えた。仮にも、尾行をしているのだ。普通、緊張感ぐらいは帯びているものだ。
 しかし背後の視線には、それを感じられない。
 否、視線であるかも判別できない。
 たとえるなら、宝石店に入ったときの感覚に似ている。数台の監視カメラが一斉に客の動向に注目する、レンズごしの視線。あれは視線でありながら、視線ではないだろう。レンズの向こうは無人なのだから。
 ウェイは疲れた手つきでサングラスのブリッジを押し上げた。
 ウェイを中古屋だと知って、すがるチャンスを窺っている住人の視線なのだろう。双眼鏡やオペラ・グラスなどで、こちらの一挙一動を観察しているのだ。
 そういうことにしておく。
 ウェイは担架の後部に飛び乗った。コントローラーパネルに指を走らせ、時速20キロまで速度を上げる。担架は一直線に伸びる薄暗い道をぐんぐんと進みはじめた。
 視線は、あっという間に遠ざかっていった。これで視線は撒けるだろう。
 しかし、何故か気分が晴れない。
 ウェイは現れる角をいちいち曲がっては、大きく回り道をし、すでに感じられない視線をさらに撹乱させた。警戒にすぎるほどだったが、どういうわけか、その苦労を厭う気にはなれなかった。
 数十分の後、担架は左前方から赤い光が差し込んでいるのを見つける。
 裏通りの幹である大通り──裏世界の繁華街だ。


 裏通りはもっとも華やぐ夜へと向けて、いよいよ活気を増してきていた。
 ずぼらな住人のために、様々な夕飯を提供する屋台の群れ。紅いネオン看板の下では、客引きの娘たちがその人数を増やして、懐の重そうな通行人にしなだれれかかっている。男娼も負けじとばかりに、落とす下着の枚数を増やし、焦れた吐息をバルコニーの下へと吹きかけていた。
 それらの喧騒を眼下に一望して、裏通り上空に、横幅3メートルほどある空中歩道がかかっていた。無数にかけられた空中歩道の中でも、幅・長さともに、巨大な部類に入る。歩道には、地上と同じく屋台が軒を連ねていたが、店を覗く人よりも、歩道の手すりに腰をおろして、世間話をする住人の方が多いようだった。
 歩道に出た途端、押し寄せてくる喧騒に、ウェイはいくらかホッとする。
 時間をかけた甲斐もあってか、視線を再び感じることはなかったのだが、それでも背後に誰かがいると思うと、不愉快な圧迫感があるものだ。だがこれだけ人通りが増すと、奇妙な視線はおろか、自分の足音すら聞き取るのも不可能になる。
 もっとも、人目につく賑やかな通りを歩くことと、人気のない通りを視線を背後に従えて歩くこと、どちらが厄介かと聞かれると、非常に微妙なところではあったが。
「あら? そこのあんた」
 空中歩道を半分ほど行ったところで、ウェイは誰かに声をかけられた。
 早速おでましか、と内心溜息を落としながら、彼は顔を上げる。
「やっぱり。ハイ。中古屋さん」
 少し行った先で、数人の女たちが手すりに腰をかけていた。
 その中の一人、ドレッドヘアの黒人女がこちらに手を振っていた。眉根を寄せていたウェイは、それが見知った人物であることに気づいて、表情を和らげた。
 ローガン・ストリップのストリッパーたちだ。
 ステージに足を踏み入れたことはないが、にもかかわらずも彼女たちの大半を知っているのは、入り口にあるショウウィンドウで過去に見たことがあるからだ。狭いショウウィンドウの中で、いつも艶やかに客引きをしているのは、まだステージには上がることの出来ない見習いストリッパーたち。ウェイが中古屋をはじめたのは六年前だが、彼女たちのほとんどが見習いストリッパー時代に見ている顔だった。
「エニグマ。珍しいな。休憩か?」
 中でも、手を振ってきたエニグマという名の女は、今やトップ・ストリッパーである。普段こうして会うことは稀だが、中古屋にとっては馴染みの存在だ。気安い口調で声をかければ、エニグマもまた軽く笑った。
「ローガンは休憩をくれるほど優しい男じゃないよ」
 ローガンとは、その名の通り、ローガン・ストリップのオーナーである。
「店自体がさっきっから臨時休業なのさ」
「臨時休業? さっきはやってたけど」
「ほんの数分前の話だよ」
 女は黒く凛々しい眉を、安っぽく持ち上げる。
「フレデリックが脱獄したからだろ。あそこには、LENOがあるからね。フレデリックの報復を喰らう可能性が高い」
 エニグマは古代の西欧貴族が穿いていそうな、しかしこの時代に穿いていると品のない娼婦にしか見えない、裾を大きく膨らませたスカートを、細い指先でツイと持ちあげた。
 官能的に見せられた太ももに吊るしてあったのは、口径60MMはある「BombGun」。掌大の爆弾を弾丸に使う銃で、正確な照準が必要ない武器である。
「ローガンはあたしらの代わりに、軒先にバズーカを並べてる」
 エニグマはたっぷりとした裾を下ろし、代わりに高々と足を組んで口角を持ちあげた。
「ま、フレデリックは女子供には優しいからね。あたしらに武器は必要ないだろうけど」
「フレデリックが優しくても、ファミリー全員がそうとは限らない。武器は賢明だ」
「改造を頼んだら、やってくれるかい?」
「必要ならいつでも。バズーカが並んでるんじゃ、LENOのチェックにも行けない。しばらくまともに仕事が出来なくなるからな。……連絡は穴倉に回してくれれば、指定の場所に受け取りに行く」
「よろしく頼むよ、中古屋さん」
 穴倉とは、機械の墓場に通じる中古屋たちの横道のことだ。通称で穴倉と呼んでいるのだ。
「ところで、これ、誰かいらないか? 下に降りる前に手放したいんだけど」
 担架を示すと、エニグマは楽しげに微笑した。ぺろりと出した舌は、毒でも含んだように黒い。
「あんたが付いてくるなら、買ってあげるよ」
 その意味を問う前に、エニグマは身を乗り出して、浮いた担架の上に色めかしく頬杖をついてみせた。長い指を担架の平面になぞらせて、黒い睫毛の下から上目遣いをくれる。
「興味ない? 不安定な担架の上でヤッたら、どんな快楽が得られるか……さ」
 吐息混じりに囁くエニグマの背後で、他の女たちが腹を抱えて笑いだした。
「やめときな、エニグマ。その中古屋、ウェイだよ。ユンファに殺されちまう」
「生娘は今頃、下着選びに四苦八苦中。ばれやしないって」
 ウェイは苦笑した。
「いらないなら、誰かに売り払ってくれ。飲み代ぐらいにはなる」
 担架をエニグマの肘の下に捨て置いて、ウェイはそのまま歩道の中心あたりから下へ向かって伸びている階段へと向かった。ストリッパーたちは純情だねぇとゲラゲラ笑った。
 ふとエニグマが、階段を下りるウェイの背へと声をかけた。
「ああそうそう、ユンファが会いたがってたよ」
「あー……」
 その言葉に乾いた笑いを浮かべてうなずき、ウェイは階段を下りはじめた。
 女たちは去ってゆく中古屋の背を見ながら、くすくすと互いの肩を叩いた。
 ストリッパーにとって、中古屋はもっとも華やぐ話題のひとつだ。
 寡黙な人間の多い中古屋だが、彼女たちを口説くためにいらないことまで喋る男に辟易しているストリッパーにとって、その寡黙さは気持ちよく映った。
 ショウウィンドウで踊っていた頃、何よりも楽しみだったのが、中古屋たちの到来を待つことだ。厭らしい眼差しをした客たちの間を、無愛想にすり抜けて、ガラス越しにカードを見せる中古屋の真っ直ぐな視線。言ってしまえば職業馬鹿、下心なく自分たちを見る彼らの鼻の下を、いつか伸ばしてやろうと、彼らが来るたび腰の振りに気合を入れたものだ。
 そうやって、中古屋と結ばれたストリッパーは、少数だがいることにはいる。それは彼女たちにとっては、ちょっとしたシンデレラストーリーだった。
 中古屋をネタにした、やっぱり下世話な話題に、エニグマも楽しげに笑い転げる。と、その耳が不意に奇妙な物音を捕え、彼女は何気なく顔を持ちあげた。
 物音はさきほど中古屋が歩いてきた方向から聞こえていた。
 笑いの同意を求めて肩を掴んでくる同僚を無視し、エニグマは歩道の向こうにうずくまる闇の先をじっと見据えた。
 闇の中に、何かがきらめいた。
 エニグマは目を見開き、美しい黒い指先で、スカートの下のBombGunを探る。
 やがて、薄汚れた光の中に現れた「それ」は、エニグマの警戒に気づいた様子もなく、滑るような足取りでこちらに向かってきた。
 そう、文字通り、滑るような足取りで。
「それ」は、銃を握る手に力をこめるエニグマの前を通りすぎると、真下に伸びる階段の前で、ぴたりと立ち止まった。先ほど、あの若い中古屋が下りていった階段だ。
 他の女たちも、ようやくその存在に気が付いたらしい。妖艶な微笑を波のように引かせて、それぞれの武器に手をかける。
 しかし「それ」は、そんな警戒態勢にすら見向きもしなかった。
 そして。
 ──ガツン、ガンガンガン……!
 鉄骨で出来た階段を、「それ」は物凄い音をたてて落ちてゆく。思わず手摺に駆け寄って、階下を見下ろした女たちは、大通りまで転がり落ちていった「それ」を唖然と見送った。
 女たちは怪訝な表情を互いに見合わせる。
「それ」はいまや、大通りの人ごみの中を、緩やかに走り去っていた。

+++

 ロブは人を押しのけて、道を急いでいた。
「おう、この間のあんたの、これ! 調子いいぜ。今度は赤いのを頼む」
 夕方になると屋台が並び始める、活気ある通り「屋台街」。マンションから大通りへと出るのに、必ず通らねばならない道だ。
 脇を通ったベトナム料理の屋台の主人が、屋台の上空でふわふわと浮かんでいる光る看板を指差して、親指を立てた。先日、小遣い稼ぎのつもりで作ってやった、浮遊電光看板だ。もしも昨日言われていたのなら嬉かった客の言葉だが、今は厄介きわまりない褒め言葉だった。
 屋台を物色していた通行人たちが、次々とロブを振り返ってくる。あちこちで中古屋、という囁き声が起こり、ロブはうんざりとした。
 主人に適当に返事をし、彼は再び人ごみへと紛れこんだ。
「ロブさん……」
 騒ぎを聞きつけたのか、どこからともなく黒い箱を背負った男が現れ、ロブに並行して歩き始める。黒い箱はある商売人たちの旗印──武器商人だ。
「銃はもう仕入れたか? 今度もやってくれるんだろ?あんたなら安くしとくぜ」
 口早にわめきたてる商人に、ロブは気のない様子で手を振った。
「このポケットに入ってる小銭以下なら、買ってやるよ」
 そう言ってポケットを鳴らすを、商人は見込みがないと即断し、さっさとロブから離れていった。ロブは満足げに鼻を鳴らし、ふと片眉を持ち上げた。
「ナイスタイミングだ、あの野郎」
 黄熱球の柔らかい光と、立ちのぼる白い湯気で、ぼんやりと霞んだ世界。ざわりと揺れる人波の中、のんびりと歩く友人の影を、中古屋の鋭い観察力は見逃さなかった。


「フランクフルト二つと、ベーコンサンドの……ソルトで」
 虹色の幌をくぐり、鉄板の向こうに立つ女に注文を入れると、すぐさま肉が鉄板に転がされた。
 油の熱せられる音を背にして、ウェイは屋台街をぼんやりと眺める。普段は歩けなくなるほどの通りだが、今日はそれほどではなかった。フレデリック脱獄ニュースの影響だろう。
「……そらよ」
 屋台の女が、着色料でどぎつい赤色をしたフランクフルトと、ベーコンサンドをパックに入れて、さし出してくる。この寒空で湯気すらたっていないそれを、ウェイは憮然と受け取った。裏通りの屋台といえばこんなものだ。交渉をする気力もなかったので、ウェイは渋い顔で、隅に置かれた輪ゴムで透明パックを固定した。
「一パックにつき、一輪だからね」
 じっとりと睨んでくる女店主に肩を落とし、薬屋の紙袋の中へ、無造作に透明パックを押し込む。
「おい、ウェイ」
 そこへ背後から声がかかった。振りかえると、屋台と人と黄熱球の明かりとでごった返した通りの向こうから、ロブの大柄な姿が駆けてくるのが確認できた。
「ロブ? 何してるんだ、お前」
 紙袋から腕を引き抜いて、ウェイは自分より頭一つ分は高いロブを、呆れた顔で見上げた。
「家に帰ったんじゃなかったのか」
「帰ったんだが、一杯ひっかけたくなってな。これからアニーのとこに行くんだ」
 ロブは厚い唇をにやっと笑って、ウェイの肩に太い腕を回した。
「彼女に会う口実を作ってやる。感謝して一杯奢れや」
「阿呆。手を離せ。俺は帰って寝るんだ」
「寝るだと? 湿気ったパンみてぇなこと言いやがって。最後の自由な数日だぞ。外に出れるうちに出ておけ」
「……どこが自由だよ」
 ウェイは眉をしかめて、周りのちらちらとした視線をうんざりと睨んだ。
「呪われそうだ」
 吐き捨てるような言い方に、ロブはからかいの表情をふと改めた。
「ああ。俺も一杯やったら、さっさと帰るつもりだ。……お前は?」
「冷めたフランク食って、水しか出ないシャワー浴びて、さっさと寝る」
 紙袋を抱えなおして、ウェイは再び人ごみを歩き始めた。すかさず呼び止めてくる店員に舌打ちして、きっちりフランクフルトの金を放って渡し、改めて虹色の幌の下から出る。
「どうかしたか? 死人みたいな顔色してるぞ」
 ロブが訝しげに問いかけてくる。ウェイは一瞬ぎょっとしてから、肩を落とした。
「……ああ、そうか、顔色ね。考えてなかった」
「顔色のいい人間なんざ、裏通りにゃいないがな。腹でも壊したか」
「足を猿に引っかかれた」
 ロブはそれで事情を察したのだろう、「じゃあ、奢りは諦めよう」とだけ言った。
「にしても、無謀な奴だな。こんな中、飲みに出るなんて……自販機で買えよ」
「部屋にこもって、プルタブ開けろと? いよいよ、名折れた中古屋の行き着く先だ」
 二人は視線を避けるように、屋台の影ばかりを選んで進む。会話は自然と低く小さくなった。
「評判なんてすぐに回復するだろ。……お前は俺とは違うんだ、ロブ」
 サングラス越しの視線からは表情は窺えない。だがウェイの怒ったような口調に、ロブはふと笑みを返した。いや、それは結局笑みにはならなかった。中途半端な微笑は、苦い溜息とともに消えうせる。
「……ガキに仲間にしてくれと頼まれた」
 ウェイは無言でロブを見上げる。
「オレを"英雄"だとよ」
 その声音に篭められているのは、自嘲だ。
 ――三年前、フレデリック兄弟と戦った中古屋。
 騒動以来、すっかり株を上げた中古屋たちだが、中でも当時、中古屋のリーダー的立場にいた四人の中古屋は、"英雄"と呼ばれ、賞賛された。
 その一人が、ロブだった。
 ウェイが声をかけられるのは、彼が中古屋だからにすぎない。しかし、ロブは英雄であるがゆえに、声をかけられる。
 住人たちは期待しているのだ。ロブがふたたび中古屋を率いて、フレデリックに立ち向かってくれることを。
「面白いもんだな。誰からも聞かれたことがない。何であのとき、突然立ち上がったのかってな。英雄…………英雄か。は」
 ロブは冗談めいて肩をすくめた。
「その英雄様が、今回は戦わないと知ったら、連中はどうするだろうな」
 賑やかな喧騒に消されて、それは周囲の人々には決して聞こえなかった。
 そんなロブをサングラス越しに見つめて、ウェイは顔をそらした。
「……知るか」
 いっそ無情とも思える、ぶっきらぼうな調子。ロブはしばらく空を見つめていたが、やがて口角にひん曲がった笑みを宿し、クツクツと逞しい肩を震わせた。
「薄情な野郎だ。……まあ、俺も知ったこっちゃないがな?」
 二人の中古屋は互いに横目で見合って、中古屋らしい錆びた笑いを浮かべた。
 ロブはふと真摯な目で、友人を見下ろした。
「お前は、どうする気だ?」
 ウェイは目をそらしたまま、小さく首を振った。
「俺は、前回と同じだ、ロブ。――動く気はない」
 ロブはしばらく沈黙し、複雑な笑みを浮かべた。
「……そうか」
 やがて道が二手に分かれると、ロブはウェイの右肩を軽く叩いて笑った。
「せいぜいお大事に。商売繁盛を!」
「どうも。……そらよ」
 いつ出したのか、フランクフルトを一本差し出しているウェイから、ロブは苦笑気味に、しかし素直にそれを受け取った。
「言っとくけど、お前にじゃないぞ」
「分かってる」
 ロブは人ごみにまぎれる寸前にウェイを振り返った。
「今度、奢る」
 数週間先まで守られないだろう約束を、無責任に吐き出して、ロブは黄熱球の光の中へと溶けて消えた。
 残されたウェイは、口端に残っていた笑みを消す。
「英雄、か」
 ウェイは紙袋を抱えなおすと、動きの鈍い足を動かし、人ごみを器用にかいくぐった。
 ──次の瞬間、足を止めなかったのは、素晴らしい偉業だったと思う。
 ウェイは目を見開いた。
 嫌な汗が手の平をじっとりと濡らし、鼓動がドクッと早まる。
 戦慄が、走った。
 往来の激しい賑やかな屋台街。人々の視線は、今のところ怪我した様子も見せず、中古屋らしいそぶりも見せずに歩く自分を見ない。時折、ウェイのことを知っているのだろう、視線を向けてくる者もいたが、人通りが激しくて、それはすぐに消えてなくなっていった。
 今、この瞬間までは。
 ウェイはとっさに、今去ったばかりの友人の姿を探した。しかし大柄な姿はすでになく、見知らぬ人の不審げな目線が返ってくるばかりだ。小心を起こした自分に一瞬笑い、彼は唇を噛んだ。
 あの正体不明の、無機質な視線だ。
 居住区で確かに撒いたのだ。住人ですら迷う裏道を抜け、それでも足りないと、執拗なほどに回り道を繰り返して撒いた。にもかかわらず、あの視線がついてくる。
(まさか、嘘だろう)
 ウェイは突然、ある直感を抱いて、戦慄を強めた。
 確か自分は、墓場でも奇妙な視線を感じはしなかっただろうか。まさかとは思うが、背後のこれは、あれと同じ視線ではないか?
 墓場で感じた視線はすぐに途切れた。しかし住人たちの視線が次々と立ち消えてゆく中、居住区をついてきていた視線は、決して見失うことなく自分をつけてきている。だとしたら、あの墓場の視線が同一のものでないと、どうして断言できるだろう。
 墓場からついてきているのか。
 ずっと? 何のために。
 ──何のためにだって?
 墓場からついてきているのなら、あの少女が関わっているに決まっている。
(やはり厄介ごとだったか)
 ウェイは内心で舌打った。
 もはや彼は躊躇しなかった。あれだけ撒いても、なお確実に追ってくるというのならば、もう視線の正体を気にする段階ですらない。
 冷静さはすぐに蘇り、ウェイは冷えた右手をコートのポケットに突っこんだ。指先が銃の引き金に絡められる。紙袋を抱えた左手は、とっさにそれを投げつけることができるよう抱えなおした。
 ウェイは人の多い屋台街から、人気のない薄暗い路地へと足を踏み入れた。
 路地は彼の肩幅よりも少し広い程度のものだった。先は闇に呑まれていて分からないが、足音の響く具合が路地の長さを物語っている。
 人気はない。
 しかし視線は気配を隠す様子もなく、律儀にもきっちりとついてきている。
 どんどんと屋台街の喧騒が遠くなってゆく。
 かわりにつけてくる足音と、自分の足音、それに鼓動が高まっていった。
 ウェイはポケットの中で、静かに銃を握りしめた。
 覚悟は決めた。
 そして彼は勢い良く、背後を振り返った。


 銃を掴んだ右手が、自分へと向けられていた銃口を正確に薙ぎ払った。レーザーガンを握っていた相手の拳は、壁へと叩きつけられて銃を取り落とす。
 すぐさま飛んでくるもう一方の拳を本能的に避け、ウェイは左脚を振り上げて、相手のがら空きな腹部へと一打を加えた。
 悲鳴が上がる。ウェイは相手が衝撃から立ち直るより先、自分の小型銃を相手の額に押し付けた。
「ひ……っ」
 情けのない怯えた声があがる。レーザーガンを背後から向けてきた男は、額に当たる銃口の冷たさに、そのまま凍りついた。
 ウェイはそこで初めて、男の顔を見やった。
 暗くて良くは見えない。だが恐怖に血走った目だけが、爛々と輝いているのが分かる。
 ウェイは銃を男に突きつけたまま、訝しげに眉を潜めた。
 これが視線の正体か?自分を脅かしたものの正体が、たかがこれだけの男だったのか?
 感じた視線は、もっと得体の知れない無気味なものだった気がするのだが。
「……何の用だ」
 脅す口調でもなく、ウェイは静かに男に問いかける。
 男は歯の根を鳴らしながら、最後のプライドでだろう、小さく呟いた。
「その紙袋を……よ、よこせ……」
 ウェイはしばらく沈黙した後、がくりと肩を落とした。
 大した勘違いだ。神経質になった自分が馬鹿らしくて仕方ない。
 男は汚れきった衣服からも分かる、ただの、そこらにいる、ごく普通の、物取りだった。
「……あーそう」
 気の抜けたウェイは幾度かうなずいて、ふと顔を険しくさせた。
「冗談でした、と言え」
 固く口を引き結ぶ男に、ウェイは銃口をぐいっと押しつける。男は悲鳴を上げて、「冗談でした……!」と引きつった声で張り叫んだ。
 ウェイは溜め息を吐き出して、銃口から力を抜いた。
 途端、男が拳を振り上げた。
「……ぐっ」
 しかし悲鳴をあげたのは、男の方だった。男が拳を振り上げるとほぼ同時に、ウェイが片脚を持ち上げていたのだ。
 腹への二打目を喰らった男は、今度こそ唾を垂らしてその場に膝をついた。ポケットに仕舞おうと銃を持ち上げたウェイに、男は勘違いしたのだろう、慌てて「冗談です!」と繰りかえす。
 苛立ちを通り越して、疲労だけがのしかかってきた。
「……冗談は休み休みにしろ」
 ウェイは無造作に銃をポケットに押しこんで、腹を押えてうずくまる男を大股にまたいで、再び来た道を逆戻りしはじめた。背後ではいつまでも男が情けなくうめいている。追ってくる様子もまるでない。
 どうやら神経が過敏になりすぎたらしい。視線もこうなってくると、本当にあったのかどうかすら疑問だ。単なる被害妄想なのではないかという気がしてきて、ウェイは自分自身に呆れ果てた。
 やれやれと頭を掻いて、彼は狭い路地から再び屋台街へと戻ろうとする。
 その直前、ゴン、と足元ですごい音がした。
 それ以上にものすごい激痛が、ウェイの体を右足から駆け抜けていった。
「───!」
 彼は声もなくその場に崩れ落ち、足首を抱えて穴ぼこだらけのコンクリートに倒れこんだ。鎮静剤など意味を成さないほど強烈な勢いで、何かがウェイの足に衝突してきた。何だかは良く分からない。痛みで頭が真っ白になり、ウェイは少しでも痛みから逃れようと、バシバシと地面に拳を叩きつけた。
「っこの……!」
 ウェイは怒りと気力だけで、どうにか上体を起こした。そしてぶつかってきた「何か」に文句をつけてやろうと、衝撃のあった方を見やったウェイは、


 ピ。


「それ」と、目が合った。
「……」
 ピッピピピ、ピピ。
 機械音が「それ」から発せられる。
「それ」は踊るように転げたウェイの周囲を回り、ふと止まっては目玉のようなガラス玉をチカチカと点滅させ、その場でぎゅーんと回転を始めた。
 まるでどこかのテーマパークのイメージキャラクター・ロボットが、歓迎のダンスでも踊るかのように。
「EGG?」
 ウェイは痛みも忘れ、足元で回転する「それ」をまじまじと見下ろした。
 それはロボットだった。
 シルバーとメタリックブルーでコーティングされた、ずんぐりした卵型のボディ。頭には……どこから頭でどこから胴なのかはまるでわからないが、ともかく上の方には、擬似眼球だろう、青いガラス球が埋め込まれている。
 通称「EGG」。正式名称「PLUMP MOP typeV(太ったモップ)」。
 道に落ちているゴミを、探知センサーを備えたガラス球で認知し、光線によって処理する、表の大都市ではお馴染みの掃除用ロボットである。
 そのエッグが、ゴミを見つけた時のように目玉をチカチカさせ、ゴミを処理するときのように体を回転させている。ウェイの足元で。
 ウェイは憮然と額に手を押し当てた。なんだそりゃ、と思わず低い呻き声が零れる。
 まさになんだそりゃ、だ。散々、視線に戦慄させられておいて、実はそれはただの物取りの視線で、がっくりきているところに、まるで畳み掛けるようにこのエッグのキックだ。
「なんでこんなところにコイツが」
 ウェイは薄暗い気分で独白し、しばらくその場にへたりこんでいたが、やがて地面に放ってしまった紙袋を拾い上げると、無言で壁を支えに立ち上がった。エッグは目を輝かせ、その場をぐるぐると高速回転始める。
「どけどけ」
 ウェイは前を塞いでくるエッグを、乾いた表情でまたぎ越すと、やさぐれた背中をして屋台街の流れへと戻っていった。







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