小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 6



 機械の墓場に近い一帯は、人通りが極端に少ない。
 裏通りの東端は表通りにぶつかって終わり、西端は墓場を囲う隔壁にさえぎられて終わる。つまりここは裏通りの終着点、片側の一番外れに当たるわけだ。
 店々もシャッターの閉まったものが多く、歩く人々も買い物目当てではなさそうな、油断のない目つきをしている。あちこちにうずくまる闇の中では、厳つい顔がぼそぼそと話しこみ、時折、通行人たちに警戒の視線を向けている。
 そんな中を、ウェイは担架を支えにして、可能な限りの早足で歩いた。
 予想以上に傷が深かったようだ。一歩歩くごとに痛みが増し、いまやそれは吐き気を催すほどの激痛へと変わっていた。
「おー、中古屋かぁ?」
 足取りと呂律の怪しい酔っ払いの横を通りすぎて、妖しげな看板をいくつも頭の上に通り越すと、やがて頭上に「薬」と書かれた漢字の看板が現れた。
 彼は今にも崩れおちそうな錆びた階段を上って、二階にある薬屋の扉を押しあけた。


 黄熱球が薄っすらと照らし出した店内。
 両脇の壁をずらりと占める、天井まである薬棚。
 虫に弾かれて揺れる明かりに、陳列した怪しげな薬瓶が、影を伸ばしては縮める。朱塗りの柱には流麗な水墨画や、唐童子の絵。真っ赤な菱形の紙に「福」という漢字が描かれたポスター。薬瓶の間々には、紙で封をされた白陶器が置かれている。
 胡散臭いほどに「漢方薬の店」を演出しているが、ここはまさに漢方薬の店である。
「中古屋か……」
 カウンターの脇で、小鳥に餌をやっていた老人は、細い目をウェイへと向けた。
 慢悠老人。怪我の絶えない中古屋がよく訪れる店で、彼はそんな名で呼ばれている。
 ウェイは訪れるたびに胡散臭さが増す店内を見渡し、どうにか担架から身を起こした。どうにかカウンターまで歩くと、鳥の鳴き声が彼を迎えてくれる。
「和むな」
「裏通りではあまり見かけんがな。だから人の心も荒むのだろう」
 挨拶代わりの言葉に小気味よく切りかえして、慢悠老人は薬棚の鍵を開けた。
 ずらりと並ぶ薬効不明な瓶。ウェイは胡乱げにそれを見渡して、
「包帯と、切り傷に効く塗り薬。臭くないやつな」
「注文が多い」
「注文つけないと、また萬金油タイガーバームを出すだろ……あと短時間用の鎮静剤も」
 老人は渋い顔で首を振ると、包帯の束と塗り薬をコトリと置いた。
 のろのろと十露盤を弾き始める老人を待ちながら、ウェイはぼんやりと鳥籠を眺める。微かに漂うお香のせいか、鳥の恩恵なのか、不思議と緊張感が安らいでいった。
「十元だ」
「ドルで払う」
 硬貨と引きかえに、老人が品物を紙袋に入れて渡してくれる。
「鎮静剤は今刺すんだろ」
 老人は小さい注射器を無造作に差しだした。針を向けて渡すなと文句を言いつつ、ウェイは注射器を受け取り、やはり無造作に足首に突き刺した。老人が嫌そうな顔をする。
「……これだから中古屋は」
「機械のメンテナンス以外は大雑把?」
 ウェイは笑って、空になった注射器をカウンターに放った。
 即効性のある鎮静剤は、みるみると足の痛みを和らげていった。かわりに感覚が少し鈍くなったが、歩けないほどでもない。
 ようやく痛みから解放されたウェイは、安堵の息を落として、乾いた笑いを浮かべた。
「中古屋、か。フレデリックが脱獄したってニュース、もう知ってるか?」
「知らんわけがなかろうに……」
 渋い顔をする老人に、ウェイは苦笑する。
「おかげで昨日から話しかけられっぱなしだ。中古屋、中古屋、中古屋……どいつもこいつも、人を動物園の珍獣だとでも勘違いしてるんじゃないか?」
 老人は鼻で笑った。
「フレデリックをまた退治してもらおうと、必死なんだろうよ……」
 ウェイは自嘲するように、薄暗く微笑んだ。
「中古屋全員が、"英雄"ってわけじゃない……」
 小さく息をつき、ウェイはふと思い出したように担架を叩いた。
「ああそうだ、この担架、買わないか? もういらないんだけど」
「担架だと? わしの客を、病院に譲れというのか」
「そりゃそうだ」
 愚問でしたと首根を掻いて、ウェイは朱塗りの入り口を振りかえる。
 さっさと鳥の世話に戻っている老人を振りかえり、カウンターの向こう側、老人の背後にある裏口を示した。
「裏口、借りていいか?」


 薬屋の裏口はこの辺りの店々を切り盛りする人間たちの居住区となっていて、まだ開店中の時間帯なためだろう、人通りはほぼ皆無だった。これなら視線を気にすることもなく歩けるだろう。
 しっかり通行料を取られた裏口を閉めると、居住区の小道を歩き始めた。
 麻酔のせいか、疲労からか、体がひどく重い。一刻も早く帰って、シャワーでも浴びて、さっさと寝てしまいたかった。
「て、シャワー壊れてんじゃねぇか……」
 数日前から冷水しか出なくなったシャワーを思い出し、ウェイはがくりと肩を落とした。
 居住区の間を曲がりくねる道は、どこからか漏れる明かりだけで、ほとんど真闇に近い暗闇だ。
 比較的工場地帯に近いため、墓場で聞こえる、工場の作業音がかすかにだが聞こえてくる。
 ウェイは心中で役立たずのシャワーを罵倒し、修理するか諦めるかを暗然と考えながら歩く。
 ふと暗闇の中で、担架の稼動ランプがチカチカ瞬いた。


 瞬いた、



 ──黒い瞳。



「!?」
 ウェイは唐突に脳裏をよぎった光景に、驚いて目を見開いた。
 慌てて周囲に首をめぐらせるが、そこには今までどおり、暗い居住区が広がるだけだ。
 跳びはねた心臓を抑えるように、ウェイは左胸に手をやる。
(今のは、何だ?)
 突然、眼前で、閃光が弾けたような気がした。暗い視界に白い光が弾けたかと思うと、今の今まで忘れ去っていたあの黒い瞳が、光の向こうで瞬いたのだ。
 墓場で眠っていた、黒い衣服をまとった謎の少女。冷蔵庫を背にして、少女は一度だけ黒い目を開いた。モンキーボックスから逃げるウェイを、空虚な眼差しは確かに捕らえた──記憶が急速にフラッシュバックを始める。まるで今目の前で起きているかのように、墓場で起きた出来事が次々と脳裏に蘇ってくる。
 やはり置き去りにしたことが、無意識下で気にかかっているのだろうか。
 だがあれは最善の処置だった。警察ほど彼女を的確に保護してくれるものはないだろう。いったい何を気に病む必要があるというのか──何故、突然脳裏をあの瞳が過ぎったのか。
 まるで何かを訴えているようだった、あの目。
 硝子を埋めこんだように、無感情だった。にもかかわらず、まるで何か信号シグナルを発したかのように、その目には何か強烈な「意思」があった。
「……なんなんだよ」
 ウェイは疲れた気分でうなだれる。
 忘れることにしたはずだ。そして実際、ウェイは少女のことを墓場を出た瞬間には忘れていた。
 思い出そうとして思い出したわけじゃない。誰かに故意的に記憶を呼び起こされたかのように、まったく唐突に、少女を思い出した。
 いったい、何故。
 ウェイは渋い顔でガリガリと頭を掻きむしる。
 しかしその顔には、困惑と動揺がいつまでも消えずに残っていた。


「おお、すまんのう……」
 漫悠老人は客が裏口から去るや否や、ふたたび甲斐甲斐しく小鳥の世話を再開していた。実は近々、この界隈に住む老人たちと、鳥の美麗美声を競う茶会を開くのだ。
 別に一番美しい鳥に選ばれたからといって、賞金が出るわけでもなんでもないが、誇りという何にも代えがたいものを得ることが出来る。西欧系の男にはなかなか理解の出来ないところだが、中華系の男たちにとって、鳥飼いは何よりもの楽しみである。
「お前が一番だろうて」
 チチチと美しく鳴く小鳥を愛でていると、ふと耳に扉の開く雑音が入りこんできた。また客か、と商売っ気なくうんざり思いながら、彼は首をめぐらせた。
 しかし、そこには誰もいなかった。
 わずかに開いていた扉が、ゆっくりと閉じてゆく。
 だが客の姿はない。
 老人はカウンターの中へとゆっくり戻ると、薬棚の萬金油の箱にしまっておいた小銃に、そっと手をかけた。
 小鳥が鳴く音に合わせて、扉がカタンと閉ざされる。
 老人は音をたてぬよう激鉄を下ろし、銃を薬棚から出す。
 ずらりと並ぶ棚のせいで、店内の視界はひどく悪い。揺れる黄熱球のせいで、物という物の影が伸び縮みして、そのどれもに気が殺がれる。
 不意に物音は、思いもよらぬところから聞こえてきた。
 驚いて目を向けた先は、自分の真横──そう、店の裏口だった。
 始まりと同様に、裏口の扉がゆっくりと閉じてゆく。だがいつの間に? 人の気配など一切感じなかったというのに。
 漫悠老人は銃を構えたまま、閉まりかかった扉を引っつかんで、そっと小さく開けてみた。
 扉の向こうは、いつも見ている景色と変わりなく、無秩序に立つ灰色の居住区だ。人の気配はいつも通り存在しない。先ほど出て行った中古屋の足音だろうか、遠くの方からコツコツと音が聞こえていた。
 眉をひそめていると、小道の向こうで、靴音とは異なる微かな物音を聞いた気がした。
 しかし、それも耳を澄ました時にはもう聞こえなくなっていた。







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