小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 3



「……何で俺が、……こんなことを」
 肩を激しく上下させながら、ウェイは酸素の足りない頭の中で毒づいた。
 気絶した人間というのは、たとえ幼い少女であっても相当に重い。肩の上で不安定に揺れる少女の頭が、鉛のように重く感じられた。
 足首が燃えるようだ。
「ちくしょう」
 歩きはじめてからわずか三分。にも関わらず、凹凸の激しい地面に幾度もつまづいて、すでに体中、痣やらすり傷だらけだ。かと思えば少女は、まるきりの無傷である。
 胸の辺りで揺れている腕を引っ掴み、少女を投げ捨てでもしたら、さぞすっきりするだろうと妄想しながら、何度つまづこうと何度転倒しようと、一度たりと少女を放り出さなかった。
 馬鹿がつくほどのお人好しだ。
 というよりも、馬鹿そのものだろう。
「自分で歩けー」
 うんざりと呟いて、ウェイは軽く少女を背負い直した。


 依頼品を探していたF区画の二区画となりに、H区画がある。
 H区画といえば、「重力制御浮遊装置」を用いた機械が多く見つかる区画だ。重力制御浮遊装置、物体を浮遊させるのに必要な基本装置のことで、携帯電話や傘、あるいはエアジェットなどに使われる。
「あー……」
 機械の丘をいくつも越え、H区画へとたどりついたウェイは、背負った少女を機械の上に横たわらせ、自らもその脇に寝転がった。隣接するG区画が丘状になっており、H区画はちょうどその裾野辺りに位置する。そのため、地面が急角度に傾斜していて、横になった途端、機械がガラガラと音をたてて転がり落ちていった。
「いいかげん目ぇ覚ませよ」
 懇願に近い声で話しかけるが、返事はやはりない。
 あきらめて上体を起こし、立膝に頬杖をついて少女を見下ろした。
 ──改めて見ても、異様な少女だ。
 アンティークドール、確かにそんな表現がぴったりと当てはまる。
 眠る少女は、どう見ても生きているようには見えない。
 思わず首の脈に手を伸ばしかけたウェイは、それがすでに四度目であることを思い出して、溜息を落とした。
 何故こんな少女が、あんな場所にいたのだろうか。
 機械の墓場は人の出入りが禁止された場所だ。いるのは中古屋ぐらいなものだが、この少女が中古屋かというとそれは疑わしい。子供の中古屋はむしろ多いが、彼らはまずスカートを履かないし、エナメルの靴だって履きやしない。
 物思いにふけるうちに、その黒い衣服に意識が引き寄せられた。
 はじめに見たとき、喪服のようだと思った。
「……自殺か?」
 ウェイは躊躇いながら、小さく凄惨な台詞を口にした。
 眠りつづける少女の青白い顔に、今朝の飛び降り自殺の光景が重なる。
 最近のことだ、飛び下り自殺者が異常なほどに増加したのは。毎日のように、新聞で騒がれていることだが、近頃は特に増加が甚だしく、「自殺ダイブ」「飛び下り自殺者ダイバー」などという名称までつけられるようになっていた。
 何故、自殺者が急増しているのかは分かっていない。噂によると、超高層型都市から飛び下り自殺して、もしも無事に地上まで落下できたのなら、来世では幸せな生活が送れるという迷信があるのだとか。もっとも、その出所は自殺教団であるだの、自殺推奨団体であるだのと、到底信じがたいことが囁かれるばかりで、結局はっきりとしたことは分かっていないのだが。
 気色の悪い話だ。たとえ事実でないにしても、噂があるということは、誰かしらがそれを必要としているということだろう。
 誰もが称えてやまない、この『恵まれた美しい世界』に生まれておいて、来世での幸福を願うとは。
「まともな神経した奴が、まだちゃんといるってことだ」
 ウェイはひっそりと呟く。
 もしも少女が死を望んでこの場に来たというのなら、助けるべきではなかったのかもしれない。
 だがだとしたら、少女は目を見開いたあの時、何を思ったのだろう。
 あの奇妙な感覚は、いったい──。
 結局、ウェイは答えを見つけられないまま、少女から目を逸らした。
 知ったところで、どうなるわけでもない。これ以上、少女と関わるつもりはない。墓場から外に出してそれでお終い、そこから先はない。
 そう思考を完結させて、彼は溜息まじりに立ち上がった──そのときだった。
 ウェイは顔をあげた。ごく自然な様子を装って、周囲に鋭い視線を走らせる。
 見えるのは相も変わらず機械だけだ。崩れ落ちる機械のほかには、動くものは見当たらない。
 ウェイは眉根を寄せて、サングラスのフレームをノックした。
 今、何か視線を感じた気がしたのだが。
「またか」
 少女を救った時と同じ状況であることに気がついて、うんざりした。もし振りかえった先に古い型の冷蔵庫があって、そこにもう一人少女が目を閉じて座っていても、今度こそ見捨てる。
 そう固く誓って、ウェイは背後を振り返った。
 だがそこには誰もいなかった。
 もしや他の中古屋だろうか。今まで気にしていなかったが、他の中古屋もあちこちにいるのだ。
 ウェイはコートを脱ぐと、少女の上にそっとかぶせた。背丈の小さな体は、それで爪先から頭まですっぽりと隠されてしまう。その様子はますます死体じみてきたが、他の中古屋に余計な詮索をされるのは御免だった。
 次に顔を上げたときには、視線は立ち消えていた。
 神経過敏になっているのかもしれない。ウェイは思考を切りかえると、機械の地面に鋭い視線を走らせた。
 モンキー・ボックスが出現したとき、すぐにこの区画から離れられるよう、なるべく柱や少女から離れないよう歩きだす。
 少し動くと、すぐさま真冬の空気が指先を凍りつかせた。指を手で包みこみ、息を吹きかけて、完全に冷えきらないよう温める。指が凍ったら、中古屋は生きていけない。この指だけが機械を修理し、明日の飯代を稼ぐのだ。
 ふと、機械の大地に斜めに突き刺さる、白い板が目に飛びこんできた。
 ウェイは一人思案げにうなずくと、板に向かって歩きはじめた。


 胸ポケットから取り出される、中古屋の工具。
 掘り起こしたばかりの医療用担架を、座った膝の上に乗せ、ウェイは工具を口にくわえた。
 軽素材の白い板は随分と汚れてはいたが、浮遊装置と操縦用コントローラーパネルにはさほどの損害はないようだ。それを確認し、ウェイは担架の後部右端に据えられたコントローラーパネルの蓋を開け、ドライバーで盤の螺子を巻きあげた。
 色とりどりのコードが、ドライバーの先を使って引っ張りだされる。切れたワイアは指先で捻って強引に繋げなおされる。壊れているが、最低限の動作に必要のない個所は、壊れた個所の修復材料として活用してゆく。
 やがてコントローラーの作動ランプが点滅すると、起動を告げる機械音が発せられた。修理完了だ。
 道具を内ポケットに放り、ウェイは本日数度目の溜め息を長々と吐きだした。しかし今までとは違い、それは安堵の溜め息である。
 ウェイは少女をコートごと抱え、担架の上に横たえた。コントローラーに手早く指を走らせると、医療用担架が少女を乗せてゆっくりと宙に浮上する。腰ほどの高さで停止したそれを支えに立ちあがり、担架の後部に回って、無事な方の足で地面を蹴る。そして緩やかに前進を始める担架に、彼は素早く飛び乗った。

+++

 機械を積んだコンテナが空から下降してくる。
 処理場の正面に着いたそれは、低空飛行で入り口をゆっくりと通過した。
 噴射口から噴射されエアが、処理場に微風を巻きおこす。機械の陰に隠れていたウェイは、なびく髪を鬱陶しく押さえながら、低速で進むコンテナを緊張した面持ちで見つめた。
 かなりの時間をかけ、コンテナがスモッグの向こうと消えてゆく。こちらに気づいた様子はない。それでもウェイは十ニ分に待ってから、少女を乗せたまま足元に沈ませていた担架をふたたび浮上させ、物陰から出た。
 ここは、機械の墓場正面にある、コンテナ用の出入り口である。
 見上げるほどに高い壁の、切れ目としか例えようのない出入り口から外に出たウェイは、周囲に警戒の視線を走らせる。すぐ外には、古びたドラム缶やへこんだコンテナなどが、無造作に置かれた空き地があり、その向こうには無数の倉庫が建ち並んでいた。
 辺りに人気がないことを確認すると、ウェイは空き地へと近づいた。
 担架を地面に下降させる。少女を抱きあげて、ドラムを背もたれがわりに座らせる。最後にもう一度だけ、少女が起きないことを確認してから、ウェイは入り口脇の壁に設置された、古びた黄色い緊急用電話の受話器を取りあげた。
 受話器が規則正しい機械音を伝える。時折ノイズが電波を歪めるのが、疲れきったウェイにはやけに癪に障った。
 やがて待機音がブツッと途切れ、愛想のない声が「911、都市警察です」と告げた。
「第三機械廃棄場の入り口側で、女の子が倒れています。保護をお願いします」
 そう言った声は、違和感のない女の声に変換されている。
 簡単なやりとりを終えて回線を切ると、仕込んでおいた変声器を取り外して受話器を置く。途端、彼は渋い顔で肩を落とした。
 まさか自分が、警察なんぞに電話をかけるはめになるとは思いもしなかった。金を山と積まれたって、顔も合わせたくない相手なのに。
(やりすぎだろうか)
 ウェイは眉根を寄せて自問する。
 墓場の外まで連れだして放置するのも手だが、そこまで手をかけたのなら、警察に電話をしてやるぐらい大した差にはならない、と思うのだが。
 いや、やりすぎだ。今さら自問するまでもなく、それは最初から分っていたことだ。少女を助けた時点で、自分は十分にやりすぎていたのだ。
 少女を助け、H区画まで少女を背負って歩き、担架を修理し、このくそ寒いのに少女にコートを被せて、警察へ電話などをしている。
 表世界の人間たちが見ていたとしたら、どんな反応をするだろうか。
 容易に想像がついた。
 彼らなら、そもそも少女を助けなかったはずだ。子供が機械動物をあっさりと見捨てる無情さで、少女が死ぬ瞬間から目をそらし、さっさと自分だけを危険から回避させていた。そして自殺者の死体を見て嫌悪に顔を歪ませるように、少女が粉と消えた辺りを眉根を寄せて見下ろすのだ。
 きっと、少女を助けたウェイを、異常者を見る眼差しで見る。
 異常者。あの輝かしい表世界では、他人を助けることは異常なこと。他人に対して関心を持たないのが、あの世界での正常だ。
 ウェイは重い溜め息を落とし、溜め息の途切れるほんの一瞬だけ後悔した。やはり助けるべきではなかったかもしれないと。
 だが──。
 分かっている。今さらだ。
「だから裏通りにいる……」
 ウェイは低く呟き、顔を上げた。
 少女のことは、警察が良いようにしてくれる。本当に「良いように」するかは、知ったことではない。そして知るべきことではない。
 担架の電源を入れて再び浮遊させ、コートを着なおし、もう一度少女に目をやった。
 少女は決して目を開くことはなく、ただ無造作に座っていた。
 脳裏に、少女の眼差しがよぎった。
 あのとき、一瞬だけウェイに向けられた、ガラス玉のような黒い瞳。
 決して目を開けない少女が、まだこちらを見ているような気がした。
「……じゃあな」
 迷いを断ち切るように、ウェイは少女に背を向けた。
 動くほうの足で地面を蹴り、動きだす担架に飛び乗る。
 ゆるやかに進みはじめた担架は、機械の墓場に舞い戻り、そして二度とは戻ってこなかった。


 真冬の風が、空のドラム缶に入りこんで、奇怪な音楽を奏でる。
 少女の黒髪が、風に揺れてさらさらと空を舞った。
 背に当たったドラム缶の冷たさに震えるでもなく、ただ目を閉じて手足を投げだしている。いまだ動く気配はなく、睫毛がわずかでも震えることすらなかった。
 視線は、それを見ていた。
 幾度か瞬いて、視線は少女から目を逸らす。
 ぐるりと機械処理場へと向きなおれば、視界の遠くの方で、担架に乗って去ってゆく男の影が見えた。
 視線は少女を見上げて、ふたたび瞬いたあと。


 ゆっくりと、男の影を追って、動きはじめた。







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