小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 2



 機械の上に広がったスカートから伸びる、折れてしまいそうに細い足。
 爪先を包むエナメルの靴は、黒々とした光沢を放ち、肩で揃えられて髪も同様に黒い。
 非人間的なまでの美しさ、そこには冷たさすら感じる。
 左右対称な美。完璧なる造形。


 まるでアンティークドールだ。


「おい、しっかりしろ……って、あー、くそ」
 ウェイは何度目とも知れない呼びかけを、投げやりな溜め息とともに放棄した。
 漆黒に身を包んだ少女は、死地から辛うじて逃れたことなど知るよしもなく、ウェイの足元に横たわって、静かにただ眠りつづけている。
 脈は正常に打っているし、触れれば体温は確かに感じる。だが目を開ける気配は一切ない。
(こんな風体の骨董人形を、どこかの店頭で見たことがあったな)
 あのとき見た人形は、横に寝かすと目を閉じて、体を起こさせると目を開くというものだった。この少女もそれだけで目を覚ましてくれるなら、どれだけ楽だったかと、ウェイは重い溜め息を落とした。
 だが──。
『人間……!?』
 もしあの一瞬、少女を振りかえっていなかったら、自分は少女を人形だと思ったまま、あの場を去っていただろう。少女は光線処理され、血も体液も流すことなく、一瞬にして粉末とされ、「死」と呼ぶにはあまりに機械的な最期を迎えていたはずだ。
 そして自分はそれを知りもせずに、いつも通りの生活をしていたのだ。少女が死んだこの墓場で、呑気に飯代でも稼ぎながら。
 そう思うとゾッとする。
 ウェイは自分の掌を持ち上げて、眼前に掲げた。
 機械油で黒ずんだその手は、収まらない動揺と緊張、そして安堵とに小刻みに震えていた。
 脳裏に響いてきた、あの「声」。
 あの声がなければ、自分は決して少女を振りかえりはしなかっただろう。
 あれは一体、何だったのか。
 ウェイは眠りつづける少女の青白い頬を、もう一度だけ叩いてみた。反応はやはりない。だがわずかに感じた体温が、ウェイにかすかな笑みを作らせた。
「さて」
 ウェイは笑みをかき消すと、周囲に視線をやった。とにもかくにも、一刻も早く墓場を出た方がいい。怪我もしている。次にモンキーボックスと遭遇したら、今度は先ほどのように逃れることはできない。助かったのは単に運が良かったからだ。不利な運試しはもうごめんである。
 墓場を出よう。
 ウェイはそう判断し、瞬間、凍りついた。
 墓場を出る。少女を抱えて?
 誰が。
「…………」
 思わず自分の足を見下ろす。
 足首を覆ったたコートの裾は、赤くぐっしょりと濡れている。
 ウェイは額に手を押しあて、深々とうなだれた。
「……かんべんしてくれ」

NO.002 THE ANTIQUE GIRL



『……今日のニュースを終わります』
 大音量で流れていたニュースが終わりを告げ、酒場はひとときの静けさに満たされた。
 眉を持ち上げていたラジオの客は、おかわりを頼むために掲げていたグラスを無言で下ろすと、何ごともなかったように、新たに始まった番組に耳を傾けた。
『ダンスレッスンの時間です。今日のゲストは、テリー・金・トムスンさん。テリー、今日はよろしくお願いします』
 カウンターの内側で立ち尽くしていたアニーは、番組司会者の馬鹿明るい声に、静かに吐息を零して軽く首を振った。
「……いやね、手が滑ったわ」
 気だるげに呟いて、カウンターの背面を覆う酒棚の、すぐ脇にある物置を開ける。
「もったいない」
 掃除用具をいくつか取りだすと、それを目にした客がまるで子供のように目を輝かせた。アニーは自分の手の中に収まった骨董品「ちりとり」と「小箒」、それに使い古した「モップ」を見下ろして、口端に得意気な笑みを浮かべる。
 ふと、彼女は首を振った。
「私がやるわ」
 カウンターに座っていた少年がびくりと肩を震わせた。
 彼の手元には、先ほどまで少年が飲んでいた水入りのグラスが、破片となって飛び散っていた。フードを微かに震わせ、破片に伸ばしていた指先を躊躇いながら引っこめる。
「驚かせたみたいね」
 少年がグラスを落としたのは、アニーがボトルを落とすのとほぼ同時だったように思う。ボトルが割れる音は、あまりに唐突だった。ただでさえ怯えた様子だった少年が、驚きつられてグラスを落としてしまったのも、責められたことではない。
「あ、あの……!」
 少年が思い切ったように顔を上げる。
「……ご、ごめんな、さい」
 ラジオの音に消え入りそうなほどの声で、少年は小さく呟いた。
 アニーは眉根を寄せて、萎縮する少年の揺れるフードを見下ろした。
『ではラジオの前の皆さんも、ご一緒に。今日の音楽は……』
 不意にカウンターの隅で丸くなっていた機械動物が、少年の方へカツカツと爪音をたててやってきた。
 反射的に身を縮こませる少年にはおかまいなしに、機械動物は小さな舌を出すと、テーブルに乗せられた彼の指先をぺろりと嘗めあげる。
 ざらりとしたその感触と温かな温度に、少年は大袈裟なほどにびくっと手を引っこめた。その反動で、背もたれのない椅子から落っこちそうになり、少年は慌てて手を振りまわす。それに驚いて、機械動物は兎の耳をぴんっとたて、猫の背中をうんと丸めて少年を睨みあげた。ご丁寧に毛まで逆立っている。
「……あ」
 どうにか転がり落ちずに済んだ少年は、やがて好奇心に負け、逃げ腰ながらも機械動物に顔を近づけた。
 たかが小動物にすら怯えた様子だった口元が、徐々に楽しげな笑みで彩られてゆく。
 それは、フードによって口元しか見えないにも関わらず、はっきりと「笑み」と分かる、心からの微笑だった。
 アニーは眉根を寄せたまま、ラジオの男へと視線を向けた。すると生きている者には大した感心を寄せないはずの彼もまた、不審そうに少年を見つめていた。
 少年が二つの視線に気づいて、怯えたように身を縮める。
 アニーは我にかえり、再び床を掃除しはじめた。
『ポイントは手先の動きです。魚の尾びれのように、常に緩やかに、流れるように……』
 少年は色の失せた唇を噛みしめて、深くうつむいた。フードの下からわずかに薄茶の髪が見え隠れする。ちらちらとラジオの方に視線をやり、落ち着かない様子で、拳を握ったり開いたりを繰りかえした。
 しばらくもせず、少年がカウンター席から立ちあがった。
 アニーが顔を上げると、目にかかった赤い前髪の向こうで、少年が何か言いたげにする。
「三ドル」
 細く煙を吐くように言うと、少年はコートのポケットをもたもたと探った。カウンターの上では機嫌を直した機械動物が、長い尻尾を楽しげに振りまわして、小さな足を踊るように跳ね上がらせている。少年はその様子に小さく笑みを浮かべて、そっと硬貨をグラスの破片の脇に置いた。
 そしてアニーとラジオの男とを見比べると、まるで逃げだすように身をひるがえした。
「ごちそうさま、でした」
 扉の前で振り返り、少年はおずおずと頭を下げた。


 酒場の外へと少年の姿が消えてゆく。後にはジャズピアノの軽やかな音色と、常連客のラジオの音が交差するのみだ。
 機械動物がカチカチとカウンター席の上で飛びはねていた。その視線はじっと少年の去っていた扉の方へと向けられている。
「……そう」
 それに気づいたアニーは、少し躊躇ったすえに、小箒とちりとりをその辺に置いて、メモ帳にペンで何かを書きつけた。
 機械動物には、生きている愛玩動物がそうするように、主を自ら選ぶ性質がある。──意外に早く飼い主が見つかったものだ。
 アニーはメモ帳を引きちぎると、機械動物の背を軽く叩き「行きなさい」と囁いた。
 機械動物はちらりとアニーを振りかえると、カウンターを飛びおりて、傾いだ扉のわずかな隙間から、するりと外へと出ていった。
 アニーは再び小箒を取りあげながら、カウンターの上の輝く破片に目に留めた。
 グラスの破片が散ったカウンター席。今は誰も座っていない、背もたれのない丸椅子。
 その目が静かにすがめられる。掻き回されたコーヒーの色に似た瞳に、一瞬何か複雑な感情が宿る。その目に映るのは、少年が残していった新品な輝きを放つコイン。
 ふと思いかえしてみれば、その席は今ごろ機械の墓場で機械を掘りかえしているだろう男の、気にいりの席だった。
 耳に入ってくるラジオの音に、ニュースの余韻はどこにもない。
 ──AI搭載ロボットの逃亡……。
 アニーは静かに目を伏せ、ひっそりと溜め息を落とした。

+++

 少年は外に出るなり吹きつけてきた寒風に、ぞくりと首を竦めた。
 マンハッタンの冬は身を切るほどに寒い。最寒の時期はまだまだだが、太陽の光が差しこまないこの通りでは、真冬並に気温が下がる。
 フード付きの、薄手のコートだ。手袋もマフラーもなく、頑丈そうなブーツだけが爪先を温めている。酒場が暖かかっただけに、外の強烈な寒さが、手先や耳を容赦なく痛めつけた。
「どこかで買えるといいな……」
 彼は風に揺れるフードを深く被りなおして、心もとなく呟いた。
 その途端、耳の奥に先ほどのニュースが蘇ってきて、少年は息を飲んだ。
 ──AI搭載ロボットの逃亡……。
 建てつけの悪い酒場の扉からは、ラジオの音がわずかに漏れている。それに気付いて、彼は反射的に耳を塞ぐ。
「……早い」
 少年は唇を噛みしめながら階段を降りると、脱力した様子で耳から手を離した。
 路地はひどく汚い。嫌な匂いが立ちこめていて、風に流されることなく滞留している。無意識に息を止めている自分に気づいて、少年は疲れたように溜め息を吐いた。
 壁ぎわには、何人かの浮浪者たちが字がびっしり書かれた紙で体を覆って眠っていた。何だろうあれ。大丈夫なのだろうか彼らは。こんなに寒いのに。色々なことが頭をよぎっていくが、それらもやはり彼の意識を完全に捕らえることはできない。
 耳の奥で、ニュースの余韻がいつまでも響いていた。
「つっ」
 がむしゃらな気分でポケットに手を突っこんだ少年は、右手の指先に鋭い痛みを覚えて声を上げた。慌てて外に出すと、グラスの破片で切ってしまったのだろうか、人差し指の先端が深く切れて、赤い滴が浮かんでいる。
 少年は足を止め、指先を凝視した。
 滴はみるみるうちに膨れ上がり、やがて糸を引くように真っ直ぐと、足元の水溜りへと落ちていった。


 落ちて、いった。


『失敗か……』
 透明な。
『処分するか』
 透明な──。


 透明な、トウメイな、トウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナトウメイナ──


 少年は短い悲鳴を上げた。水溜りに微かな波紋が広がってゆく。彼は狂ったように両腕を振りあげ、首が折れてしまいそうなほどに強く強く頭を抱えこんだ。
 それからどれほどの時間がたったか。体の震えが収まるのとともに、少年はうなだれたまま、ゆっくりと歩きだした。
 そのとき、背後から小さな足音が近づいてくるのが耳に入った。
 少年はのろのろと背後を振りかえる。
「あ、あれ」
 そこで彼は驚いて足を止めた。ついてきていたのは、酒場にいたあの機械動物だった。
 機械動物は猫の鳴き声をあげると、立ち尽くす少年の足に器用に爪をたててよじ登り、肩へと飛び乗った。そして少年の頬に、自らの頬をこすりつけて鳴く。
「え、あ、だ、だめだよ、ついてきちゃ……え?」
 戸惑って機械動物と、遠くになった酒場とを見比べた彼は、遅まきながら動物の背中に紙がくっついていることに気がついた。首を傾げてそれを取り上げ、少年は頬を赤くする。
 紙には流暢な英字で、「貰って」とただ一言が書かれていた。恐らくあの女店員の字だ。
「……いいのかな」
 どういうことか分からず、おろおろとその場を行ったり来たりする。
 しかし機械動物が肩の上で心地よさそうに丸くなるのを見ると、返してしまうのは惜しい気がした。もちろん、返しに行く勇気など端からないのだが。
「僕についてくる? いいことないよ。僕、この町のこと何も知らないんだ」
 顎の下を撫でてやると、機械動物は嬉しそうに目を細めた。少年も「そっか」と躊躇いがちに微笑み、静かに溜息をついた。
 本当にこの町のことは何も知らない。本当は酒場の店員に泊まれる場所を聞きたかった。なのに逃げるように出てきてしまった。
 これからどうすれば良いだろうか。どこへ行けばいいだろう。また来た通りに引きかえせば、あのにぎやかな通りに出ることができるだろうが、果たしてまともな宿屋が見つかるだろうか。
「どうしようか」
 少年は機械動物を不安げに見つめて、頼りない足取りで路地をとぼとぼと歩きはじめた。
 ふと脳裏に、大通りでマッチを投げてきた男の顔が浮かんだ。うつむいていたからはっきりとは覚えていない。ただ緑色のサングラスをしていた気がする。少年よりもずっと背が高かった、髪は薄い茶色で……。
 少年は背後に見える通りを振りかえり、逡巡した。
 あそこに行けば、あの人に会えるだろうか。もしかしたらまた、ちょっとした手助けをしてくれるかもしれない。ポケットの中の「マッチ」を放ってくれたように。
 ──それにちゃんとお礼もしたい。
 だが。
「……駄目だ」
 少年は力なく肩を落とし、たった今名案に思えた考えを自ら否定した。
 探してる時間はない。
 そんな余裕は、自分にはない。


 ──AI搭載ロボットの逃亡……。


「僕は、アイツを探すのだから」


 機械動物が顔を上げて、少年のフードの下に隠れた顔を、深い色の眼で見上げた。
 少年は歩きだした。まるで何かから逃げるかのように、足早に。
 握りしめられた拳が、血を流しながら、小刻みに震えていた。







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