小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 10



「おい、気をつけろ!」
 煮魚の匂い漂う屋台の前で、主人と話に華を咲かせていた男は、前方の人ごみから誰かにぶつかられ、唾を吐き出し怒鳴った。
「アンタが気をつけろ!」
 足も止めずに走りぬけ、去り際に逆ギレじみた暴言を吐いたのは、中華系の特徴を持った娘だった。藍色のチャイナ仕様の洋服を怒らせて、オレンジ色の舌を顔をゆがめて思い切り出す。
「この小むす──おいっ」
 叱り飛ばしてやろうとしたときには、既に中国娘の姿は背後の人ごみへと消えている。
「ありゃユンファだな」
 煮魚がグツグツと音をたてる鍋の横で、やはり中華系の細い目をした主人が苦笑を浮かべた。知り合いかといきり立つ男に、主人は「ここらじゃ有名だ」と軽く受け流した。
「近頃の若い連中は。フレデリックどもといい、なっとらん」
「表の連中よりマシだろ。反応があるだけまだいいわい」
 男が返答に詰まったところで、再び誰かが肩先を男の肩にぶつけてきた。苛立って睨みつけると、緑色のサングラスをかけた若い男が、男を寡黙に睨み返して通り過ぎていった。
 こちらにも文句を言おうとしたが、どこからかピッという目ざまし時計のような音が聞こえてきた気がして、目を瞬かせた。それに気をとられているうちに、男はすでに姿を消していた。
「で、あれは誰だじーさん。え?」
 舌打つ男に、愉快げに笑う主人。
「……ん?」
 彼らの鼻先を、何かがかすめ落ちていったのはそのときだった。
「なんだ?」
 足元を見下ろすと、ノート大の紙片がひらりと地面に滑り落ちるところだった。
 そうこうしているうちに、紙片のすぐ側へ新たな紙が舞い落ちてくる。
 ふと気付けば、警察騒動で賑わっていた周囲が、再び不審げにざわめき始めていた。
 男は二枚目に続いて更に降ってきた三枚目を、腹の高さで捕まえると、読むより先に頭上を見上げた。
 見上げた上空からは、ひらひらと舞い散る雪のように、無数の紙片が降ってきていた。
「広告?」
 広告チラシが空から落とされるのは、旧時代の宣伝方法ではあるが、今でもごくたまに行われる。男は特に気負うこともなく、拳に握った広告を無造作に開いた。
 それは、サーカス団の公演広告に似ていた。
 水色と白の縦縞衣装を着たピエロが、三色の風船を手に、奇怪な化粧をした顔を不気味に笑わせている。あまり趣味の良い広告ではなかったが、興味をそそるには効果的で、男は、恐らくは屋台街の人間ほぼ全員がそうであったように、当然の流れとしてピエロのコミカルな噴出し口に目をやった。


 復活祭へようこそ


 誰もがチラシに気を取られている中、チラシをキャッチできなかった屋台の主人は、話相手がチラシをまわしてくれるのを待ちながら、暇潰しのつもりで人の群れへと目を向けた。
 人ごみの向こうには、薄ぼんやりと大通りの喧騒が見える。
 様々な色のネオンが煌めき、その中を出来の悪い空中歩行路が、破れた網でも張ったよような有様で縦横無尽に走っていた。裏通りでは物取りの標的になる上に、停める場所もないので、エアジェットはめったには飛ばない。改造エアバイクが飛ぶことは結構あるが、ほとんどがチンピラが力を誇示するために乗っているものでしかない。
 そこを、一台の赤いエアジェットが駆け抜けていった。
 何かとごたついた裏通りでは、かなり無茶のある低空飛行だ。それどころか空中歩行路の間々を、障害物アクロバットか何かのように回転してくぐり抜けながら、むちゃくちゃに飛び回っている。
 身を乗り出して目を凝らすと、ドアから何かを撒き散らしているのが見えた。
 主人の中で、直感とも言える警鐘が鳴った。
 危険と隣り合わせにある裏通りに生きる主人の、それはほとんど本能に近い直感だった。
 とっさに友人を振り返るが、男はチラシを食い入るように見つめ、こちらをちらとも振り返りもしない。
 だが、それも仕方のないことだったろう。
 男の目は、チラシの最後に書かれた文字に釘付けとなっていた。
 ピエロの噴出し口の下に書かれた、今日の日付と、今の時間。
 その更に下に書かれていたのは、
「主催、フレデリック……兄、弟――」
 直後、屋台街を含めた裏通りの全六箇所が、大爆発を起こした。


 裏通りの中心部で起こった爆音は、数十分近い距離のある墓場近くの通りにまで轟いた。
 普段は閑散とした通りは、店から飛び出してきた人間や、たむろしていた通行人たち、道の隅で飢えを耐えしのんでいた浮浪者によって、わずかばかりに賑やかとなる。
 立ち昇る爆煙の向こうに、炎が見え隠れしている。どうやら中心部のどこだかが炎上しているようだ。
 爆煙を指差して囁き合う住人たちの背後で、穴倉から這い出した中古屋が顔を見合わせ、影のように方々へと散り始めた。何人かは無関心な顔で暗い路地へと歩いて消え去り、何人かは決意を秘めた顔で墓場へ、或いは爆心地へと走りだす。
 中古屋の動向に気付いた住人の何人かは、すぐさま彼らに従い、動きはじめた。しかしフレデリックの来訪を知らぬ──信じたがらぬ住人たちは、あの爆発を見てもなお、フレデリックの帰還と結びつける様子はなかった。
 数十分が過ぎても、住人たちは的外れな当て推量ばかりで、まだ行動に移ろうとしない。
「おや?」
 そのうち、浮浪者とおぼしき一人の老人が、視界の隅に不思議なものを見た気がして、人々が見つめる方向とは逆──墓場のある方向に首をめぐらせた。
 老人は伸びきった髭の奥で、口をぽかんと開いた。
 一体いつからいたのか、すぐ背後に、見たこともないような美しい少女が立っていた。
 まだ十歳ほどの、幼い少女だ。しかしぞっとするほど整った顔立ちは、人形のように秀逸な美しさを持っていた。
 いや、老人にはそれが人形のようというよりも、人形そのものに見えてならなかった。
 塵混じりの風に揺れる髪は、闇を含んだように黒く、一本一本が作り物めいた光沢を放っている。ふわりとひるがえる時代遅れなワンピースもまた漆黒。どちらも少女の白い肌を、幽鬼的に強調していた。
 そして目が離せないのは、完全に左右対称の黒い瞳。
 感情がごっそりと抜け落ちたような、ガラス球に似た眼球。
「あ、あんた」
 何を言おうとしているのか、自分でも分からぬままに、老人は少女へと震える手を伸ばす。しかし少女はこちらへは一瞥もくれず、ただ真っ直ぐに爆煙に包まれた空を見つめていた。
 その時、人形然と制止していた少女は、まるで誰かに呼びかけられでもしたかのように、顔を持ち上げた。
「おい……っ」
 エナメルの靴で軽やかに地面を蹴ると、少女は老人の手を風のようにすり抜け、軽快に走り始めた。

+++

 傾いだ酒場の扉が、音をたてて開かれた。
 珍しく千客万来だ。客のいない間に、セラミック包丁でオレンジを切っていたアニーは、声だけを酒場の入り口へと向けた。
「いらっしゃい……」
 愛想のない出迎えの声に、客が喉の奥で笑い声をたてる。
「相変わらずだな、アニー」
 名を呼ばれて、アニーはようやく顔を持ち上げた。開かれた扉の枠の中に収まっていたのは、肩幅の広い、大男の影。
「商売繁盛してるか」
 薄皮まで剥いたオレンジをイギリス製の骨董絵皿に並べて、アニーは口端だけで笑ってみせる。
「……忙しいわね」
「良く言う」
 人気のない店内を薙ぐ低い声に、いつもの気だるげな笑みを返して、アニーは客のために空のグラスをカウンター席に置いてやった。
「今日は本当にお客が多いの。お仲間発見ならずで残念だったわね、ロブ」
 一日の平均客五人な酒場の、本日十人目の客であるロブは、何とも言えない顔で後ろ手に扉を閉めた。
 ロブがここへ来るのは、随分久しぶりのことだ。酒場なんてものを開いていると、情報が迅速に入ってくるもので、アニーはその理由をすでに知っていた。――中古屋は信用と腕だけが物を言う仕事だ。ロブのように信用に傷をつけ、生活苦を強いられる中古屋は決して珍しくはなかった。
 ここへ来たということは、もう大丈夫だということなのか。アニーはしかし、興味がないのか、気遣いからなのか、その問いをぶつけるような真似はしなかった。
 カウンター席の足の長い丸椅子は、がっしりとした体躯のロブには少々手狭だ。カウンターの下に足が納まらないので、行儀悪く斜めに腰をかけてやっと格好をつける。
 アニーは用意したばかりのオレンジを、空のグラスの脇に置いた。
「いや悪いが……ドリンクだけでいい」
 ロブは白目の目立つ瞳を伏せると、口元に穏やかとも自嘲ともとれる静かな笑みを浮かべた。
 店内に流れる静寂に近いジャズ。落とした照明が黒人の顔に影を落とす。アニーは煙草を吸う時に似た細い息を吐き、銀製のフォークをオレンジに突き刺した。
「つけとくわ……」
 ぷちっという音とともに、新鮮な果汁が宙を舞った。


「フレデリックがついに脱獄しやがったな」
 太い指にフォークを絡めて、ロブは無感情な声で呟いた。突き刺したフォークから漏れ出でるオレンジの甘い芳香。惹かれて口に含むと、酸味が舌の上で弾けた。
「このオレンジ、美味いな」
「産地直送で、さっき届いたばかりよ」
「ははぁ」
 ロブは店主の相変わらずなマメさににやりと笑って、牛乳の入ったグラスを持ち上げた。
「裏通りは大騒ぎだ。武器商人も蟻でもたかるように、顔を出し始めやがった」
 情けないと言わんばかりの口調に、アニーは形の良い眉を持ち上げて、磨いていたグラスをコトリと脇に置いた。
「あなたは冷静ね」
「フレデリックの諦めの悪さに呆れ返ってるだけだ」
「殺されるわよ、ロブ」
 何一つ気負う口調でもなく、脅すようなそぶりでもなく、天気の話題を話すかのような何気ない口調だった。
 ロブはうっすらと笑う。
「だろうな。今回は、必ず中古屋の整理にかかるだろう、奴らは」
 あっさりと言い放って、ロブはオレンジを噛みしめる。
「だが今回、俺は傍観だ。関わるつもりはない」
「前回はずいぶんご活躍なさったのに、英雄様」
「皮肉を言うな。……馬鹿だったんだ」
 自らを嘲けるように、ロブは笑う。
「英雄だって? そんな立派なもんになりたかったわけじゃない。ただ、欲に目がくらんだだけだったんだ。その結果、一番大事なもんを失くしちまった。だたの愚か者だ。……ウェイは正しかった。あの時、奴を引きずり出した事を今でも後悔する」
 そして後にはただ重苦しい沈黙のみが残った。
 数秒近い沈黙のあと、ロブはぽつりと顔を上げると、無言で皿を拭くアニーに、大仰に悲しげな顔を作って見せた。
「何か反応をくれよ、お嬢さん」
「人の悩みに興味ないの……」
 本当に興味のない顔で呟くアニーに、ロブはついに堪えきれなくなって、吹きだした。
 それを気だるげに、だがわずかばかり愉快そうに見つめ、アニーは不意に気まぐれからか、慰めの言葉を囁いた。
「ウェイは気にしていないわ……あの人、貴方が好きなのよ」
 ロブは気色悪いような気恥ずかしいような微妙な表情で、口端をひん曲げた。
「俺も奴が好きだがねぇ。悔しいことに、奴が好きなのはあんただ、アニー」
「あら、残念だったわね」
「切ない片思いさ」
「可哀相に」
 見物人のいない大根演技をしながら、二人は思い思いに肩を竦めて、低く笑った。
 ふと螺子巻きで動くおもちゃが、行進でもしているようなカタカタという音を聞いた気がして、視線を手元に落とした。見ると、グラスを握る自分の手が小刻みに震えていた。
「……情けねぇ」
 ロブは小声で独りごち、おもむろに席を立った。
「四ドル」
 平素と変わらぬ無愛想な声で、アニーが牛乳の代金を請求した。
「気をつけて」
 そしてコインを数枚受け取ると、彼女は背を向けたロブへと、別れの挨拶を告げた。
 それが、ロブの足を止めた。
「おいおい、アニー。商売気なんてクソほどもねぇあんたが、何の風の吹き回しだ?」
 来店した客に対しては「いらっしゃい」と声をかけるくせ、帰る客に対してはいつも「何ドル」と無愛想に会計を要求だけのアニーが、「気をつけて」などと言う。
 常連客のロブにしてみれば、それは天変地異の前触れにも等しい。
 ──実際、それは天変地異の前触れだったのだが。
 アニーはコインの製造年代に目を向けながら、どうでもよさそうに繰り返した。
「客が減って困るのは私だもの……」
 だがその言葉も、ロブにはまるで意味の通らない一言だった。
「どういう意味だ、そりゃ」
 ロブは剥かれたオレンジ最後の一房を口に含むと、残った牛乳を一気に仰いで、もったいなくもオレンジを胃へと流しこんだ。やってから後悔する。牛乳とオレンジの組み合わせは、ゲロな味だった。
 疎通の図れない問答に、そろそろうんざりしてきたアニーは、もう帰れとばかりに吸いかけの煙草を灰皿から取り上げ、吸い始める。
「騒ぎをかいくぐって来てくださったことは感謝するけど、明日以降も顔を出していただかないと……死なれたら困るのよ、私の生活のために。そういう意味よ」
「……わからないな」
 眉根を寄せるロブに、これだけ説明すれば分かるだろうと珍しく長口舌を披露したアニーは、同様に眉をしかめた。
「フレデリックの話よ」
 まるで要領を得ないロブの顔に浮かんだ微かな表情を機敏に読み取って、アニーはカウンター脇の針時計を見上げるなり、口早に告げた。
「ラジオで臨時ニュースが流れたのよ。フレデリックが少し前に表通りに現れたらしいわ」
 ロブは疲労と空腹で暗くしていた顔に、ハッと警戒の色を走らせた。
「フレデリックが、まさか……!」
「ニュースを聞いたのは随分前よ。まさか、まだ裏通りでは知られていないの?」
 驚いたというよりも、呆れたような声音を聞いて、ロブは舌打ちした。電波状況が極めて悪いため、ラジオなどのメディア機器を持っている住人があまりいない裏通りでは、重要なニュースに関しては、表通りの情報を常に把握している無線屋が広めて回るのが常だ。
 フレデリックの帰還という大きな情報を、無線屋が掴んでいないはずがない。にもかかわらず、裏通りで未だニュースが知られていないのは──情報統制を行ったのだ。
 住人の混乱を引き起こさないため、無線屋が得た情報を敢えて流さなかった。人々のパニックは、無線屋や中古屋の動きの妨げとなるからだ。恐らくフレデリックの対峙の要となる中古屋や武器商人にのみ、彼らは情報を伝えたのだろう。
 もしあと少し屋台街に留まっていれば、きっと誰かがロブに情報を耳打ちしたはずだ。
 フレデリックが帰って来た、と。
「ここで難が過ぎるまで、待っていたら?」
「いや、走って帰る」
 悔いても仕方がない、ロブは脱いでいたコートに袖を通した。すかさずポケットに手を突っ込んで、確かにそこに銃があることを確認する。
 その重み、その冷ややかな感触。急に現実感が蘇ってきた。
「また寄る。あんたも気をつけろよ」
 黒人の中古屋は慌ただしく酒場を横切る。
 声をかけて振り返ると、闇の中に女の笑みがじわりと広がった。愚問だったようだ。
 ロブは苦笑して、酒場の扉に手をかけた。


 階段を駆け下りると、いつもと何ら変わりのない薄汚い路地がロブを出迎えた。
 暗い路地を裏通りへと走りながら、静寂の向こうに、裏通りの喧騒が聞こえないかと耳をそばだてる。しかし路地が縦横無尽に入り組んでいるせいか、あの喧しい店々の音楽すら聞こえてこない。
 だが今のこの静寂は、むしろ恐怖を掻きたてた。
 それはまるで嵐の前の静けさに似た静寂だ。
 彼は不安を振り切るように、足を速めた。
 不意に、前方の闇の中に人影が浮かび上がった。
 走るにつれて近づいてくる人影は、ぼんやりと白く輝いているように見える。不審に思って目を眇めれば、それはただの白灰色のコートを着た人物だった。
 奇妙なことに頭からすっぽりとフードをかぶり、路地の中央で、深夜の店舗に立ちならぶマネキンのように、微動だにせず立ち尽くしている。
 みるみると迫ってくる、白い人影。
 肩先で、何かの動物が不安げに長い尾を揺らしている。
 ロブの頑丈な体躯が、人形めいた人物の横を通り過ぎた。
「……ラ……リ……マ……」
 すれ違う一瞬、ロブの耳がかすかな独り言を拾った。
 だが黒人の止まらぬ足は、その意味を考えるより先に、人影を背後の闇の中へと遠ざけていった。
 ロブは最後の行程を全力で走りぬける。
 走る動作に合わせ、視界が上下に激しく揺れる。
 四方を囲っていた黒い壁がついに途切れ、前方に第三裏通りの光が迸った。
 ロブの体は光の中へと融解した。

+++

 爆音の余韻が消えてゆくにつれて、奇妙な静寂が第三裏通りを占拠した。
 爆発の影響か、昼夜を問わず大音量の音楽を流し続けてきた店々のスピーカーが完全に沈黙している。それによって、人々の動揺に上ずった声が浮き彫りとなり、住人たちは互いの動揺を、また自身の動揺を知って、危険な興奮状態に陥っていった。
 まるでそれを待っていたかのようなタイミングだった。沈黙していたはずのスピーカーから、奇怪な音が流れだしたのは。
 それは誰もが聞き覚えのある音だった。
 表彰者が舞台に登場する直前に流れる、スネアドラムのあのロール音だ。
 最後の慈悲といわんばかりの長いロール音は、動揺しきった人々に逃げることを思い出させ、悲鳴を上げることを思い出させ、そして恐慌状態に陥いるという魅力的な逃避方法を思い出させた。
 一人が逃げ出すと、あとは早かった。立ち尽くしていた人々は次々と悲鳴を上げ、行き先も決めぬままに逃げ惑いはじめた。
 黒い箱を背負った武器商人は、愚鈍なまでの大胆さで彼らの間を行き交い、破格の安価で武器を売り捌く。
 対して、上空の空中歩行路では、狂った衣装を身にまとった若者たちが狂喜に踊り狂っていた。センスの欠片もなく改造した無骨な武器を振り回し、フレデリックの名を狂信的に叫んでいる。銃声が上がり、たまたま彼らの側にいた不運な通行人たちがバタバタとドミノのように倒れ、何人かは悲鳴を上げながら、歩行路を地上へと落下していった。
 ネオン瞬く上空に、突如、白いレーザー光線が立ち上がった。十本ほどの光の帯は、ランダムな動きで闇を縦横無尽に切り裂く。そんな中、数台のポリスジェットが、改造バイクの群れに追いたてられながら、黒い影となって駆け抜けていった。
 そして、裏通りの混乱と動揺が、頂点に達する直前。
 鳴り続けていたロール音が、力強い三連打を打つと同時に、ぷつり……と鳴り止んだ。
 突然の静寂が、悲鳴を上げ、逃げ惑っていた人々の動きを凍りつかせる。
『……あぁーアァー』
 やがて不気味な沈黙を破り、第三裏通りに響き渡ったのは、聞くも醜い、男の声だった。
『お袋の股ぐらブチ破って、この世に生を受けやがった紳士淑女の皆々野郎レディース・エン・ジェントルメン!』
 強烈なハウリング音を引き起こしながら、野太い声が頭上より降りそそぐ。
『今日はわざわざ第三裏りへとお集まりいただき、感謝で屁も出やしねぇ!』
 それは記憶の奥深くに眠らせていたものを、強制的に目覚めさせる声。
『懐かしい空気、懐かしいてめぇらの顔、懐かしい薄汚れたこの世界……ああ、覚えてる。これが俺たちの故郷。牢獄の中で恋焦がれた、俺たちの世界だ』
 五年前のあの日、同じように頭上から降りそそいだあの声。
『そうさ、また始めようぜ、兄弟。すべてを燃やし尽くして、新たな世界を築こうじゃねぇか。──そう、俺たちとともに』
 闇を切り裂いていたレーザー光線が、すっと集まって一つの束を形成した。
 光の束は白いスポットライトとなり、大通りのほぼ中心を円形に照らし出す。
 スポットライトの中には、巨大な体躯の男が、一人ぽつりと立っていた。
 彼は手にしていたマイクを無造作に放り捨てると、体を支えに立てかけていた筒状の物体を軽々と肩に担ぎあげた。
 ビューティは浮かべていた馬鹿笑いを消し去り、冷酷に、言い放った。
「ようこそ、フレデリックの復活祭へ」

+++

 ぽこぽこと、耳の奥で音が鳴る。
 それは奇妙にくぐもった音。水の底から気泡が沸きあがる、そんな音。
 羊水の中にいるのだと無意識が妙な認識をする。目を見開くと、琥珀色の光が視野一面に広がった。
 そっと手を伸ばすと、掌が冷たい硝子にぶつかった。汚れていたのか曇りがかっていたのか、掌の這った部分だけが透明度を増し、硝子の向こうにあるものを映しだす。
 そこには、少女がいた。
 琥珀色の硝子の向こうで、葬儀の参列者を連想させる真っ黒な服が、絹糸を束ねたような黒髪が、琥珀の波に揺られて、ゆらりと陽炎のように揺らめく。
 不意に分からなくなる。
 果たして琥珀に閉じこめられているのは自分なのか、彼女なのか。
 気付けば自分の周囲に琥珀色はなく、ただ掌の向こう──冷たい硝子の向こうで、美しい少女の肢体がゆらりゆらりと水に揺れていた。
『私の愛したあの世界は、もうどこにもない……』
 どこからともなく、そんな声が聞こえてくる。
『ただガラスケースの中でだけ、世界は永久に保管されつづける……』
 視線を落とすと、硝子の表面に少女とは別の女性が映りこんでいた。
 緩やかなウェーブを描いた、豊かな黒髪。白磁の肌は血と泥に汚れてもなお透きとおっている。
 そして深い色を宿した瞳からは、透明な──。
 硝子に映った女性の後ろで、少女がぱかりと目を見開いた。
 完璧に左右対称な漆黒の眼球が、こちらをじっと見つめる。
 少女は静かに唇を開く。
 色の悪い唇が、気泡を吐き出す。
 そして、


 ──ぱらぱらと、細かい砂礫が腕に当たった。
 その微かな感覚に反応して、指先が、ピクリと痙攣を起こす。
 感覚の鋭い指の腹が、ざらりとした地面の感触を拾い、白濁していた意識がゆるやかな覚醒を始めた。
「……っつ」
 地面に投げ出されていた腕を引き寄せた途端、全身に鈍い痛みが走った。同時に眩暈に襲われ、力なく呻き声をあげる。
 意識がはっきりとしない。靄がかかったように、脳が働くことを拒否する。どうやら自分は、意識を失っていたらしい。
(意識を失っていた?)
 ウェイは目を見開いた。
 震える手でサングラスを押し上げると、ゆっくりと、臆病なまでにゆっくりと顔を持ち上げた。
 地面に倒れ伏した彼の低い視野を、灰色の砂埃が緩やかに左へと流れてゆく。
 そこに現れたのは、廃墟だった。
 爆音で失われていた聴力が、耳鳴りを残しつつも、じんわりと周囲の音を拾いはじめた。背後にざわめきを感じて振りかえってみれば、思いもよらぬほど近くで無数の人々が立ち尽くし、或いはウェイ同様に地面に倒れた状態で、目の前の光景に息を呑んでいた。
 背後には先ほど歩いてきた屋台街がそのままの状態で残っていた。黄熱球の明かりの下、人々が買い物途中の格好のまま、口を半開きにしている。再び前方を向きなおれば、そこはまるで別世界、重みのある爆煙にもうもうと包まれた廃墟が広がっていた。
 視界の右前方、屋台街の通りと連結した狭い路地から、今も爆煙が吐き出されている。どうやら爆発自体は、あの路地の奥で起こったらしい。
「お、おい、屋台の連中が……」
 誰かが前方の瓦礫を指差す。そこには、血にまみれてぴくりとも動かぬ人に混じって、がたがたと蠢くコンクリート片と、必死に瓦礫から這い出ようとしている人の姿があった。
 何人かがすぐさま助けに走り、愕然とする周囲へと的確とは言いがたいものの、ある程度は理性的な指示を飛ばしはじめる。一見して、この場は冷静な判断のもと、収束されようとしているかに見えた。だが。
「っひ、ひゃあああ……!!」
 彼らの動きは、恐怖で上擦った悲鳴によって制された。
 振りかえると、中年の男が一人、地面に腰を抜かして喚き声をあげていた。
「フ、フ、フレデリックだ……! 奴らが帰ってきたんだ……!」
 フレデリック兄弟。
 人々は、そこではじめて自分の現実逃避に気がついた。自分は冷静だという思い込みが、たった一人の恐慌によってガラガラと音を立てて崩れていった。誰もが虚ろな目で、恐慌をきたし手足をばたつかせる男を見つめた。その唇は小刻みに痙攣し、今にも、男と同様に赤ん坊と同じレベルの泣き声を上げようとしている。
 ウェイは痛む身体を無理やり起こすと、立ち尽くす人々の間をすり抜け、いまだに一人悲鳴をあげ続けている男の元へと歩み寄った。
 そしてその眼前にしゃがみこむなり、いきなり、男の左頬を平手打ちした。
 叩かれた男は唖然と目を丸くし、言葉を失う。ウェイは男の腕を掴んで、強引に立たせてやった。
「家に帰るんだ。大丈夫、今ならまだ間に合う」
 単語単語をはっきりと区切って言い聞かせると、わずかなりと目の奥に理性を取り戻した男が小刻みにうなずき、ふらついてはいるが地に足のついた歩みでその場を去っていった。
 男が人ごみの向こうへと消えてゆくのを見るなり、立ち尽くしていた通行人も顔を見合わせ、方々へと逃走を開始する。瓦礫の方へと向かいかけていた者たちもまた我を取りもどし、再び、瓦礫の下で呻く人々の救出へと走った。
 ウェイは身を屈め、怪我の有無を確認する。打ち身や切り傷だらけの体、だが一番ひどいのはやはり右足だった。包帯が真っ赤に染まり、じくじくとした痛みが蘇りはじめている。
 包帯をきつく巻きなおすと、彼はポケットから取り出した銃を両手に取った。
 ピッ。
 不意に足元から、聞き慣れた機械音が聞こえてきた。驚いて見下ろすと、あのエッグが青い単眼を彼に向け、楽しげに回転していた。
「……お前」
 輝いていたはずの卵型のボディは砂埃でざらりと汚れ、右頭部には爆発の礫でも喰らったのか、へこみが穿たれている。だが愛嬌満点の単眼は、相変わらず元気そうにチカチカと瞬いていた。
 ウェイはかすかに表情を緩め、エッグのボディを軽く靴の爪先で蹴った。
「表通りへ戻れ。ここは危ない。分かるか?」
 ピピピッと返事らしきものをするエッグから視線をはずし、ウェイは瓦礫の山で救出作業をしている人々を振りかえった。
 一瞬、躊躇った。だが彼は先ほど歩いてきた屋台街を向き直ると、立ち尽くす人々の間を縫って、緩やかに走り出した。
 重たい音をたててコートが翻る。真似でもしたつもりか、取り残されたエッグもまたくるりとボディを回転させると、ウェイを追って不器用に走りはじめた。


 そして、それはすべての始まりだった。


「……来る」
 少年はフードが落とす影の下、ぼそりと低くつぶやいた。
 その声には、彼という「個」を常に彩っていた動揺や不安のような感情は一切見られず、まるで別人のような冷たさを帯びていた。
 それに気づいたのか、肩先の機械動物が怯えたように耳を伏せて後ずさる。
「あいつが、来る……」
 少年は地面を見つめたまま、低く呟いた。


 マンションへと帰り着くには、屋台街を通る必要があるが、ここ超高層型都市において、地上の道だけが「道」ではない。上空へと積み重ねられていった建物の群れ、その建物の壁面にもまた、地上の道と何ら変わらぬ道が設置されている。
 多少時間を食われるが、あの瓦礫を越えるよりも、どこかの階段から上層へとのぼり、屋台街の上を行く方が、最終的な時間のロスは避けられるはずだ。そして上層へとのぼる一番の近道は、先ほど通ったあの空中歩行路。
 煌々と点された黄熱球と、人々の黒い影が走馬灯のように背後へと過ぎ去ってゆく。そのうちの数人は、大通りへ引き返そうとするウェイに習って走り出し、他の者たちもまた瓦礫へと救出に走りはじめるなど、各々の行動を開始した。
 無数の靴足が、地面に散らばった白いチラシを踏み越えて、大通りを目指す。白いチラシに描かれた極彩色のピエロが、慌てふためく彼らをあざけるように笑っていた。
 やがて群れていた人の波が途切れ、黄熱球の明かりで輝く屋台街が終わりを告げた。
 そして大通りが、ネオンに塗れた第三裏通りの幹が、眼前に開かれ──


 ふと、少女が瞳を開いた。
 完璧に左右対称な漆黒の眼球が、こちらをじっと見つめる。
 少女は静かに唇を開く。
 色の悪い唇が、気泡を吐き出す。
 そして、


『……ラ、ク、リ、マ』


 ウェイは、立ち止まった。
 一緒に大通りを目指していた人々が、唐突に立ち尽くしたウェイを追い越し、不審げに振り返りながらも走り去ってゆく。
 大通りはすでに逃走する人々で溢れかえり、大変な騒ぎとなっていた。喧騒は次第に激しさを増してゆくだろう。一刻も早く上層へとのぼらねば、人の激流に流され、どうなるか分かったことではない。
 だがウェイはその場に足を止めたきり、走ることも、瞬くことも、呼吸すらもを忘れた。
 目の前で繰り広げられる光景がすべて、意識を上滑りしてゆく。
 まるで平面的なジャンク映画を見ているような感覚に襲われる。
 耳の奥から喧騒が次第に遠のき──ぽこぽこと、水音だけが。
 直後、耳を劈くエッグの機械音が、足元から発せられた。
「……!?」
 我に返った瞬間、頭上を轟音が駆け抜けていった。
 激しい動揺に見舞われながらも、なかば本能的に顔を上向けると、一台のポリスジェットが上空を通過してゆくところだった。
 ウェイは喉の奥で息を飲み、凍えた白い息を吐き出す。
 視線を地面に落とせば、不自然に凍りついた自分の足が目に飛び込んできた。
 ──その靴先に、小さな黒い影がかかる。
 ウェイは影の先を探して、ゆっくりと左方へ顔を向けた。
 そこには、影よりもなお黒い衣服を纏った、あの少女が立っていた。







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