小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.002 1


  愛さえあれば、私は生きていける。
    他のどんなものだって、私には必要ないのよ。


 色の薄い冬の晴れ空を、一台のエアジェットが駆け抜ける。
 冷たい風を切るジェットのボディは、毒々しい赤。
 空の澄み渡った美しさをぶち壊すその色は、日に輝く超高層型都市を背景に、真っ直ぐ郊外へと向かっていた。

 外の気温に反し、車内は暖房が効いていて暖かい。
 運転手は真っ赤なカバーをつけたハンドルを片手で操り、カーラジオから流れるラジオドラマの耳を傾けた。
『欲しいのは、あなたの愛だけ。他には何もいらないの』
 涙ながらに訴えるヒロインの声。その奥ではヒロインの言葉に感極まって、相手の男が女の名前をかすれた声で呟いている。
 運転手──趣味の悪い赤と金のストライプ柄スーツをだらしなく着た男は、にやりと笑って、フロントガラスの前で浮遊している携帯電話に口を近づけた。
「ベス。俺はあんたの愛さえありゃ、生きてけるね」
『は? なに?』
 囁いた途端、真っ黒だった電話のモニタが、どこかの明るい室内をパッと映し出した。冷たい声と一緒に、タオルを体に巻きつけた女がモニタ中央に現れる。
「欲しいのは、あんたの愛だけ…ほかには何もいらねぇ」
 男はラジオドラマの台詞を真似て囁き、赤い舌で唇の端を嘗めた。
『愛? なに、それ』
 感情の見られない声音でそう答えた女は、どこか空虚な眼差しを男に向けた。
 男はにやにやと笑って、そう、それこそが正常な答えだ、と手を叩く。
『なによ』
「嘘にまみれたドラマに拍手声援を送ったのさ。面白いもんだ、ドラマだけは現実とは裏腹に、未だに愛なんてもんを語ってやがる」
『ふぅん。それより、あなた今度はいつ来るの?』
 モニタの向こうで女が指先をこちらへと伸ばしてくる。同時に、モニタから指が立体映像で飛び出して、男の顔の前で艶かしく動いた。運転手はそのリアルな非実体映像を甘く嘗めるふりをして、ふと表情を消した。
「いや、もう行かねぇ。これでさよならさ、愛しいベス」
『え?』
「俺のご主人様がようやく復活してくださったんでね。退屈しのぎであんたと寝るのは、さっきので最後だったってわけ」
 モニタの中の女はしばらく沈黙して、シャワーでも浴びていたのだろう、まだ濡れている髪を無造作に掻きあげた。その背後に映るのはやけに清潔な室内──都市の輝く表通りに林立する、清潔な住宅の中。
「ま、どっちにしろ退屈だったか。表通りの女はやっぱりつまんねぇな。一度でいいからその無表情、汚してみたかったぜ」
 男は先ほど呟いた「愛の言葉」と同じ口調で、無表情な表通りの女を罵った。
 男の顔の前で蠢いていた指が、中指をくいっと立てて、モニタの中へと引っ込んだ。ぶつっという音とともにモニタが再び真っ黒になる。室内は男の笑い声とラジオの音だけになった。
 気づけばラジオドラマは終わり、次のニュースへと切り替わっていた。
『…不法にAIを搭載したロボットの製造疑惑が持ち上がっていたアウトラス・コーポレーションに対し、立ち入り調査を行った結果、AI搭載ロボットの逃亡疑惑が新たに持ち上がりました…』
 男は楽しげに震わせていた肩を唐突に静止させた。そしておもむろに助手席に放ってあった銃に手を伸ばした。
『ロボットに対するAI完全搭載は、2083年に制定された、国際AI法により禁じられており、同社は逃亡・製造の可能性を、強く否定し──』


 鉛弾をぶち込まれたカーラジオは、断末魔すらなく、その音を途切れさせた。
 車内は気味の悪い無音に包まれる。
 男は表情を無くしたまま、まだ硝煙を上げている銃を窓ガラスに叩きつけて、再び軽薄な笑みを浮かべた。
「薄気味悪ぃ世界だ」


 赤いジェットがゆるやかに下降を始める。
 下方に見える景色は、コンクリートで覆われた平坦な地。三十年ほど昔に放棄された、ケネディ国際空港の滑走路だ。
 黄や白のラインが入ったコンクリートの道にはあちこちに亀裂が走り、そこから雑草が好き放題に伸びている。管制塔やターミナルビルはすでに取り壊され、ただ滑走路と空だけが漠然と広がるその光景は、超高層型都市の、上下左右に展開する果てない世界を見てきた目にはひどく奇怪に映った。
 エアジェットは徐々にスピードを落とし、やがて音もなく滑走路に降り立つ。
 ジェットの運転席側のドアが、スライドして開く。
 良く磨かれた革靴が、コンクリートの破片と、伸びた雑草を踏みしめた。
「寒ぃなあ」
 車外に出た男は白い息を吐き出し、呟いた。
 ふと滑走路に目を向けると、こちらへと歩いてくる三つの人影が見える。
 男は無造作にポケットに手を突っこんで、人影へと足を向けた。
 にやりと笑った口端から、見え隠れする赤い舌。白い息がそれを霞めて──


「気色の悪い世界があんたたちをお待ちかねだ、フレデリック」








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