小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.001 6



「音、大きくしてくれる?」
 グラスは磨いていたアニーは、水道の蛇口をひねりながらそう呟いた。
 酒場の奥に腰かけていた男は一つうなずくと、テーブルの上に置いたラジオのつまみをどこか得意げに回した。
『……イバー・ダンスで有名な “アルゼット”が、ニュー・ミンスコフ劇場の……』
「……いらっしゃい」
 大きくなったラジオの雑音と、水が流れる音にまぎれて、酒場の扉がきしんだ音をたてた。
 入ってきたのは、コートのフードを目深に被った客──初めて見る客だ。
「ここ、お酒しか置いてませんか」
「水かミルクかコーヒーならあるわよ、坊や」
 フードの下から見える口から聞こえてきたのは、少年の声だった。
 少年はフードをかぶったままカウンター席に腰かけ、しばらく何かを警戒するように周囲を伺っていた。
『……が、ナイフを持ち出したためだと供述し、公安部は……』
「じゃあ、水を」
 どこか緊張した声音にうなずき、アニーは蛇口の水を止め、流しの側に置いておいたタオルで手を拭きながら、背後の冷蔵庫の扉を開けた。
「クールウォーターと、エビアンと、フジヤマ天然水、ご希望は?」
「……え」
 少年は言葉を詰まらせる。
 アニーは片眉を上げてその様子を見やり、目を閉じ、手で探って適当なボトルを取りあげた。クールウォーターだった。
『……の模様を中継でお伝えします。──こちらスイス行政区の……』
 冷蔵庫の中で冷やしておいたコップに氷を一つ入れ、クールウォーターを注ぎいれる。
 少年は酒場を見回し、やがてフードを不思議そうに揺らした。カウンターの隅で丸まっている、兎と猫を混ぜたような機械動物マンメイド・アニマルの方に、顔を向けている。
「水よ」
 コップを手元に置いてやると、少年はその水面に視線を移し、顔をうつむかせた。
「誰にもらったの」
 アニーは、ふと少年に話しかけた。常連以外で自ら口を開くことは、珍しいことだった。不審そうに顔を上げる少年の傍らに置かれた物を、目で示す。
「知らない、人に」
「そう」
「あの、これはなんですか? ここをめくると、この店の住所と名前が書いてあって……」
 少年の問いに、アニーはちらりとその紙で出来たケースを見て、答える。
「マッチ」
「……まっち」
「火をつける道具よ、大昔のね。開けたところに店の住所を書いておくのが、昔のちょっとした礼儀だったの」
 少年は興味がわいたのか、そのマッチケースを不思議そうに見つめ、やがて深くうつむいた。
『……を、世界国家が国家規模で宇宙開発を行うことを、スイスの……』
「助かりました。他の店は、僕が入ると、急に静まりかえるから……」
 少年はフードごしに額を押さえる。
「まともな店がないかと聞けば、突き飛ばされて、けなされて……。ここは、普通、ですね。何故ですか」
 アニーはそっけなく、肩をすくめる。
「裏通りの人々は、よそ者をひどく警戒するわ。ここは通りからは外れている、それだけ」
 少年は顔を上げ、そうですか、と小さく呟き、独りごちる。
「……まっちをくれた人に、お礼を言いそびれてしまったな」
 アニーは眉をひそめ、怪訝な表情で少年を見下ろした。
「あの、食べ物はありますか?」
「作ろうと思えばね」
 話しかけられたことに勇気がわいたのだろう、少年は今までよりも感情のある口調で、そう訊ねてきた。しかしアニーはすぐいつもの調子に戻り、ミもフタもなく答えた。
 少年は口を半開きにし、またうなだれた。
『……議会中継の途中ですが、ここで、臨時ニュースをお伝えします』
 ラジオの男が、空になったグラスをアニーに向けて掲げた。
 アニーは背後の酒棚を振りかえり、ガラス戸を開けて、バーボンのボトルに手をかけた。
 少年は水の入ったコップを手にとり、機械動物に目を向けながら、口元に近づけた。


『不法にAIを搭載したロボットの製造疑惑が持ち上がっていたアウトラス・コーポレーションに対し、立ち入り調査を行った結果、AI搭載ロボットの逃亡疑惑が新たに持ちあがりま──


 甲高い、ガラスの割れる音が、酒場に響き渡った。

+++

 ウェイはその光景を、唖然と見つめた。
 十歩ほど離れた位置にある、冷蔵庫。先ほどは背面を向けていたが、スピーカーを探して歩く内に、冷蔵庫の正面が見える位置まで来ていた。
 その先ほどまで隠れていた冷蔵庫の扉を背に、何かが座っている。
 機械の大地に、そう、座っているあれは───。
「女、の子……」
 あまりに現実味のない光景に、思わず呆気に取られた呟きがもれる。
 少女がいる。
 子供などいるはずもない、いや、中古屋以外、どのような人間ですらも侵入するはずのないこの危険な立ち入り禁止区域に、十歳ぐらいの少女が、当然のように座っていた。
 ウェイは幾度か瞬き、助けでも求めるようにおろおろと周囲を見回した。
 そしてもう一度、おそるおそると冷蔵庫に視線を戻す。
 やはり少女は変わらずそこにいた。
 冷蔵庫を背にして、手足を無造作に投げ出し、深く顔をうつむかせて座っている。
 奇妙な少女だった。流行遅れな黒のシンプルなワンピース、光沢のあるエナメルの黒靴。うつむいた顔を隠す、切り揃えられた前髪も、やはり肩の位置で綺麗に揃えられた髪も、沈むように黒い。黒一色で統一された出で立ちは、機械の墓場にある意味ふさわしい、まるで喪服のようだった。
 まさかこんな場所で眠ってでもいるのか、聞こえるだろうウェイの呟きにも、顔を上げようとしない。
 何故こんな所に少女がいるのだろう。こんな危険な場所に──。
「やばいだろ」
 ウェイは頭上のEYEの位置を確認し、直線距離なら十歩にも満たない距離を、二十歩かけて足早に近寄っていった。そして冷蔵庫を背に座る少女の前まで来ると、その場にかがみこんだ。
 やはり眠っている、あるいは意識がないらしい、近くに来ても微動だにしない。
「えーと、お嬢さん?」
 かけるべき言葉が浮かばないなりに、とりあえず呼びかけてみる。しかし返事はない。
 ウェイは仕方なく、少女の肩を軽く揺すった。そのほんの少しの衝撃で、少女の顔が左にカクン……と傾き、前髪が流れたことで、うつむいていた顔の左半分が露になった。
 ウェイは目を見開き、肩を震わせた。
 それは、人間ではなかった。
「人形?」
 無造作に手足を投げ出して機械の地面に腰を下ろし、無機質な顔をカクンと傾けているその少女は、素晴らしく精巧に造られた人形だった。
 遠目に見て、いや、眼前でこうして見ても分からないほど、精密に人間の少女を模している。
 人形の目はしっかりと伏せられ、長い漆黒の睫毛が、白い肌に影を落としている。今にも目を開き、その少しばかり色の悪い小さな唇を開いて、喋りだしそうだった。
 だがそれほどリアルでありながらも人形だと分かったのは、少女の表情に人間味がなかったからだ。
 眠っていても、人間には多少の表情というものがある。体温のようなものを感じることが出来る。だがこの少女には、そういうものがない。俗っぽい言い方をすれば、魂が宿っていないような、そんな中身のない表情をしている。
 無機質。まるでショウウィンドウのマネキンのように、何の息吹も感じられない。
 機械の墓場に捨ててあるとなれば、しゃべるとか、動くとか、何か機械的な機能でも付いた人形なのだろう。
(そうだよな、こんなとこに女の子がいるわけないか)
「おどかしやがって……」
 ウェイは大げさに焦ってしまった自分を恥じて、ごまかすように頬をかいた。
「お前も主人に捨てられたのか?」
 ウェイは苦笑して、人形の傾いた頭を軽く叩いた。だがその手はすぐに引っこめられる。
 手の平に感じた髪質が、あまりにリアルだったのだ。
 何かぞっとするものを感じ、ウェイは手を宙に浮かせたまま硬直した。
 肌の質感も、髪の生えぎわも、唇の細かなシワも、長い睫毛のわずかな乱れも、不気味なほどに人間めいた、人形。
 これでは、まるで……。
 気付けば震えている手を、彼は何かに耐えるように、強く握りしめる。
 ウェイは押し黙ったままのろのろと立ち上がり──何かに惹かれるように顔を持ちあげた。
 立ちつくしたまま、いぶかしげに眉根を寄せ、周囲をゆっくりと見回す。
 妙な気配がした。
 先ほどの不可解な声をまた感じた、のではない。もっと現実的な、直感のような警戒心が、鼓動を速めている。
 冷蔵庫の向こうに見える景色は、代わり映えのしない機械の荒野。背後を振りかえってみても、見えるのは濃厚な灰色のスモッグと、薄っすらと見える黒い工場地帯の影。音といえば、幻聴のように聞こえてくる工場の作業音ぐらいなもの。
 だが、嫌な予感が強まってゆく。
 ウェイは無意識に一歩、後ずさった。
 その瞬間、遠くの方で機械音が響きわたった。
 ウェイはハッと顔を上げる。
 工場の作業音ではない。だが、聞き覚えのある音だ。
 そう、あれは───。
 視界の左上空に広がるスモッグに、黒い影がよぎった。
「モンキー・ボックス……!」
 ウェイは舌打ちし、その名を吐き捨てた。
 彼の叫びに答えるように、濃霧のごときスモッグを割って、F4区画上空に巨大な影が滑りこんできた。
 機械粉砕機モンキー・ボックスである。
「嘘だろ!」
 ウェイは罵りとともに、瞬時に身をひるがえした。
 そして、勢い良く地面を蹴った、
 その瞬間。


 ── ・ ・ ・ ・


 先ほどの奇妙な感覚が、再び脳裏をよぎった。
 脳に直接響く、まるで声のような──。


 何故かは分からない。
 ただその時、ウェイは無意識に、あの人形を振りかえっていた。
 まるで人形に呼ばれたように。
 あの声のような感覚が、人形から発せられたとでもいうように。
 そして人形を振りかえったウェイは、
 言葉を失った。
 黒い人形が、ウェイを見つめていた。
 閉じていたはずの瞳を開いて、
 じっと、彼を、見ていた。
「……馬鹿な!」
 まさか、そんなはずはない。
 まさか───
 小さな人形が、小さく首をかしげた。
 ──人間!?
 ウェイは、足を止める。


 モンキー・ボックスが地響きのような音をたて、F4区画上空で停止した。
 ウェイの躊躇は一瞬だった。
 彼は本能のおもむくままに駆けだした。
 少女の方へ。
 通常では決して考えられない速さで、少女の眼前に躍りでる。
 モンキー・ボックスの底面部がスライドして開く。
 身動き一つしない少女を、ウェイは力まかせに抱きかかえた。
 ボックスの中から、巨大な光線口が、不気味な起動音とともに顔を出す。
 同時に冷蔵庫を蹴り上げ、ウェイは駆けだす。
 光線口に、青い光がわきあがった。
 地面を強く蹴り上げ、F4区画から横飛びに脱出した。


 右足を焼けつくような痛みが走りぬけた。少女を抱きしめたまま、機械の上を勢いにまかせて転がる。全身が金属の地面に打ちつけられ、悲鳴を上げた。
 止まる直前、ウェイは少女を抱えていない手を地面に叩きつけ、再度方向を変えて横転した。中古屋としての直感が、EYEの監視内に浸入していることを告げたのだ。
 完全に止まると同時にウェイは身を起こし、頭上のEYEの位置を確認した。大丈夫、死角だ。同時にモンキー・ボックスの姿を確認する。
 そしてウェイは、息をすることすら忘れ、その光景に見入った。
 モンキー・ボックスはまだF4区画の上空に静止し、その光線口から青白い稲妻のような光線を放っていた。区画内を脱出したウェイから大して離れていない位置にある機械の山が、音もなく、一瞬にして分子レベルにまで分解されていく。
 先ほどまで少女がいた冷蔵庫は、すでにどこにも存在しなかった。
 ウェイは我にかえる。
 今のうちに逃げるべきだ。次にどこの区画に向かうか分からない。今いる区画に来たら、逃げ切れる自信がもうない。脳の奥の方まで響いてくる足の痛みを無視し、立ち上がろうとする。だが、まともに足を動かすことすら出来なかった。
 やがて青い光が絶ち消えた。
 光線口がモンキー・ボックスの中に引っこみ、底面部が再びスライドして閉じた。
 再び柱の上を浮きあがり、滑るように走行を始める。
 ウェイは息を飲み、ただ祈った。
 動いた先は、
 逆方向だった。


 心臓が喉のあたりまで上昇したように、脈の音が耳障りなほど良く聞こえた。今さらになって冷や汗が吹きだし、すぐさま真冬の気温に冷やされ、鳥肌がたつほどの寒気が走った。
 ウェイはカラカラに乾いたのどを鳴らし、震えている指先で傾いたサングラスを直し、そしてようやく自分を取り戻した。
「……こわ」
 恐怖を追いやろうと、あえて声に出してみると、予想よりもしっかりした声が出た。それでいくらか冷静さが戻り、ウェイは大きく息を吐きだした。
 モンキー・ボックスを見たのは初めてではない。すぐ脇を通り過ぎていったことだって、今までにもある。だがあんな真上に現れたのは初めてだ。というより、真下に入ったのが初めてなのだが。
 彼自身が分解されていたとしても不思議ではなかった。むしろ無事だったのが不思議でならない。
 ウェイは眉をしかめて、足を見下ろした。足首自体はコートのすそに隠れて見えないが、モスグリーンの布地に、赤いものが見るうちにも滲みはじめているのが確認できた。
 短く息を吐きだす。
 運が良かっただけだ。こんな怪我、あの状況にあっては、ないに等しいだろう。
 ウェイは汗でわずかに湿った前髪を掻きあげ、そのまま握りしめた。
 良くあんな真似ができたものだ。モンキー・ボックスがどれだけ危険なものか、知っていたというのに。
 しかも他人を助けるために、あんな──。
 唐突にウェイは抱きかかえた少女の存在を思いだした。恐怖のあまりに、混乱していたようだ。慌ててウェイは少女を腕の中から解放した。
「大丈夫か!? 怪我は──」
 そこまで言って、ウェイは再度言葉を失った。
 少女の瞳は、もう開いてはいなかった。最初に見た時と同じ、固く目を閉じ、無機質な顔を、人形のようにカクリと傾けていた。
 ウェイは知らず知らずに息を飲む。
(まさか、な……)
 口端に、色々な感情にもとづいた複雑な笑みが、じわっと刻まれる。
(まさか、やっぱり人形でした、なんてことは……)
 まさに命がけで助けた少女が実は人形だった、などという滑稽な想像が頭をよぎる。
 目を開けてこちらを見ていた。──気のせいでは? あるいは、やはりそういった機能がついていたのだ。
 首をかしげたのだ。──モンキー・ボックスの風圧で、傾いただけかも。
 呼ばれた気がした。
「それこそ幻聴だろう……」
 ウェイは少女を機械の地面の上に横たわらせて、その側に、困惑したまま膝を抱えて座った。
 そして、恐る恐る手を伸ばす。
 機械油が染みこんで黒ずんだ指先が、少女の陶器のように白い首筋に当てられる。
「……は」
 ウェイは思わず笑った。
 確かな脈動が感じられた。
 生きている。
 少女は紛れもなく、人間だった。

+++

 ジャズピアノの硬質な音が、ラジオの音に重なる。

『ロボットに対するAI完全搭載は、2083年に制定された、国際AI法により禁じられており、同社は逃亡・製造の可能性を、強く否定しています』

 その陰で、水の滴る音が、ただひっそりと鳴っていた……。








…お返事 
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