小説(長編小説)ラ・ク・リ・マ|NO.001 4



 『路地裏の酒場アーレイズ・バー』と書かれた看板が下がる酒場を出たウェイは、途端に凍りつく気温に首をすくめた。
「寒……」
 白い息を吐いてコートのポケットに手を突っこみ、覚悟を決めて薄暗い路地を歩き出した。
 路地は、ひどく汚れていた。
 道の両脇には、真っ当な人間ならば立ち寄りがたいものを感じるだろう怪しげな外観をした店が列を成している。ほとんどの店は開いているところを見たことがない。
 場所を選ばず、あちこちでゴミの山が異臭を放っている。それを毛布がわりに眠る浮浪者も見られる。恐らくこの冬で、何人かは凍死するだろう。
 ウェイはそれらを横目に、表通りとは反対に路地を奥へと進んでいった。
 やがて狭い路地は、広く賑やかな通りにぶつかった。


 現れた通りは、輝きと清潔さに満ちた表通りとは、かけ離れた世界だった。
 昼もすぎたというのに、まるで夜のように暗い。政府の援助から見放され、浮遊人工太陽光体すら設置されない区域。掃除用ロボットの一体もいない、埃が当然のように漂う場所。
 第三裏通り。
 時に、風俗通りや塵市場といった蔑称で呼ばれることもある。
 大通りほどとはいかないまでも、かなりの広さがある。にもかかわらず、まるで広いと感じない、その雑然とした様子。
 通りの両脇にひしめくのは、埃と落書きで汚れた建物──いかがわしい看板を掲げた店や、今にも崩れ落ちそうな旧時代のマンションだ。表通りと同様、この通りの構造も建物を積み重ねてゆく形態をしてはいるが、その重なり方は無秩序を極め、小屋のように小さな建物の上に、その三倍はある建物が建てられたりと、まるで重力を無視しているありさまだ。道が碁盤目状に整理されたニューヨークの一角のはずだが、住民が勝手に増やしたのだろう、大から小の様々な道があちこちに枝分かれしている。少しでも空いた場所があれば、簡易な屋台が軒を連ね、通りは迷路と化していた。
 輝かしい表通りとはまさに対照的。同じ都市の中、それも道一つ隔てているだけだというのに、まるで正反対の光景である。
 大都市というものは、裏に回れば必ずこういったゴミ溜めのような場所があるものだ。犯罪者や、何らかの事情を抱えた者たちが、最終的に行きつく場所。
 それが、この第三裏通りだった。


 通りに入った瞬間、肌がざわりとするような異様な空気が伝わってきた。大勢の人間から一斉に視線を受けたような感じだ。──裏通りの人間はよそ者をひどく嫌う。
 マンションの正面階段に腰かけたスキンヘッドの男が特に鋭い視線を送ってきていたが、やがて顔をそらした。ウェイがよそ者ではなく「住人」であることに気付いたのだろう。
 実際、彼はよそ者ではない。
 表の世界に適応出来ない、いわくある者たちが住む、いわくあるこの地の、彼は確かに住人だった。
(適応できないんじゃなくて、したくないだけだけどな……)
 ウェイは内心で呟き、口元を覆っていたマフラーを取り払った。
 匂いの何もしなかった表通りに比べ、なんと悪臭に満ちた世界だろうか。だがウェイには、こちらの空気の方が性に合った。
 匂いがある、ただそれだけのことなのだが。
「お帰りかい、中古屋さん」
 火をたいたドラム缶で暖をとる浮浪者の一人が声をかけてきた。挨拶する程度の知り合いで、ウェイはいつものように軽く手をあげた。
「いや、仕事。金入ったら、一杯おごるよ」
「……っの野郎!」
 手を振ったすぐ脇で、突然屈強な男が声を上げた。向かい合っていた痩せた男の胸倉を掴みあげると、乱暴に放り投げる。その男がウェイの方へと吹っ飛んできた。上げていた手を引っこめ、軽く脇に避けると、男は顔から地面に突っこみ、痛々しく呻き声をあげた。
「薄汚ねぇチキンが!」
 痩せた男を投げ飛ばした男が、怒りに大きく体躯を揺らしながらウェイの横を通りすぎ、地面を這っている痩男を容赦なく蹴りつけた。
「寒いのに元気なもんだ……」
 すぐ側の屋台で、老いた店主が店の前で喧嘩を始めた二人を迷惑そうに見やり、ちょうど来ていた客に愚痴をこぼした。
 喧嘩など、ここでは日常茶飯事だ。記憶が正しければ、この二人は前も喧嘩をしていた。気にするだけ時間の無駄というものだ。ウェイはさっさと歩き出す。
「……?」
 古着屋の前を通りすぎたところで、頭上から花弁と、派手な下着が落ちてきた。見上げると古着屋の上にある娼館のベランダで、男娼が艶やかで嘘めいた微笑を浮かべ、控えめに手を振っていた。下着を拾うと「商談成立」という暗黙の了解がある。
「寒いからだろ……」
 ウェイは気のない様子で、手を振りかえしてやる。男娼の舌打ちがやけに生々しかった。
 通りをさらに奥へと進むと、やがて左手に『ローガン・ストリップ』という看板を掲げた店が現れた。
 入り口左脇にあるショウウィンドウの中では、裸の体に紐を巻きつけた女が淫らに踊っていた。虚ろな顔の男たちがガラスに張りつくように群がり、この娘だけで我慢するか、金を払って中に入るかを算段している。
 そんな男たちを挑発するように、女が扇情的に手招きをする。
 ウェイはその光景に足取りを重くしつつ、店の方へと近づいていった。
 ウェイを認めたショウウィンドウの女が、やけに間延びしたウィンクを送ってきた。男たちが羨望と嫉妬の入り混じった暗い眼差しで、ウェイを振りかえる。その怖いほどの視線を無視して、ウェイは男たちの間をすり抜け、ショウウィンドウの正面で足を止めた。
 埃色に変色したガラスを、軽くノックする。
 オレンジ色に塗った唇を開き、女が妖艶な微笑みを浮かべる。
 ウェイはポケットから一枚のカードを取り出し、ガラス越しに女に見せる。
 女は踊りの流れに乗せて、官能的に反らした顎先で、ローガン・ストリップの入り口を示した。
 ウェイはショウウィンドウの脇を過ぎ、紫の布が下がるだけの入り口を通り抜けた。


 中に入ると、そこは薄暗い通路になっていた。大柄な人間が辛うじて通れる程度の狭い通路、迫るような両壁には、ステージ案内のチラシが所狭しと貼られている。
 通路は十メートルほど先で左に折れていて、その先からアップテンポのダンスミュージックと、観客のヒステリックな叫び声が、くぐもった音で聞こえてきた。大音量の重低音が、床や壁をビリビリと振動させている。角の向こう、扉一枚先がストリップステージとなっているのだ。
 だが、彼の目的は、享楽と狂気に満ちたステージではない。
 ウェイは通路に踏みこむなり、足を止めた。
 目の前に男が一人立っていた。明らかにこの店の用心棒だと分かる、巌のような体躯。
 先ほどのカードを再び掲げる。
 男はこちらを睨み据えたまま、左脇の壁を足で蹴とばした。
 すると、その壁がドアのようにスライドして開いた。男が目線で中に入るよう指示する。
 ウェイは指示に従い、壁の中へと入っていった。


 その姿が消えると、壁は自動的に閉ざされた。用心棒はそれを横目で確認する。
 壁を良く見ると、他のチラシに紛れて、一枚の紙が貼られていた。
 そこにはただ一言。
『中古屋依頼提供所。LENO』

+++

 指示に従って壁の中へと入ったウェイは、背後で壁が閉じるのを確認し、深々と息を吐いた。
 馬鹿になっていた耳が、ようやく自分の溜め息を認知するだけの正常さを取り戻す。
 壁の中は、打って変わって静かだった。
 二メートル四方の狭い空間だ。装飾らしいものは特になく、ただ天井から弱々しい光を放つ電球がぶら下がっている。
 そして正面には丸テーブル。そこに、キーボードがぽつんと置かれている。
「まったく、ユンファの奴……」
 ショウウィンドウで踊っていたストリッパーの名をぼやいて、ウェイは渋い顔で薄茶の髪を掻きまわした。
 やけに静かなので、独り言がいかにも独り言っぽく寂しげに響く。気を取り直し、先ほどのカードを手にキーボードへと向かった。ボードの右端に、カードの差しこみ口がある。
 カードを通すと、キーボード内部から静かな起動音が聞こえてくる。
 一瞬後、キーボード上空に、非実体ウィンドウが立ち上がった。


 Welcome to LENO! Welcome SecondHanders!!


 英語を皮切りに、地球上の様々な言語がサングラスに移りこんでは消えてゆく。
 内容は全て同じだ。
 ようこそレノへ。歓迎する、中古屋セカンド・ハンダーズ
「歓迎されるほどの商売かって」
「まったくだな」
 唐突に、ウェイの皮肉に応える声が上がった。
 驚いて振りかえると、いつのまにか背後に、体格の良い黒人の男が立っていた。
 男の背後で壁がふたたび閉まる。ウェイは安堵の溜め息を落とした。
「……脅かすな、ロブ」
「男の独り言ほど寂しいものはないぞ、ウェイ」
「中古屋は独り言が多いんだ。お前もだろうが」
「まあな。毎日便器に向かって話しかけてるよ。……商売繁盛してるか?」
 ロブはがっしりした腕を組み、高い位置からウェイを見下ろし、白目の目立つ目を細めた。ウェイは肩を竦め、再びキーボードに向き直って、適当にキーを一つ叩いた。
 画面が切り替わり、『PASSWORD PLESE』の文字が現れる。素早くパスワードを入力すると、画面が切り替わり、文字と数字の羅列が表れた。


・アンティーク電脳家具一式・復刻版 2096年製造 スイス製
(依頼料応相談・三月末までに) → 00299-47-8989
・グラフィック・スピーカー 2100年製造 アウトラス社製 製造ナンバー09-119〜210
(依頼料12$・一ヶ月以内引渡し) → 00358-43-2716
・脳内チップ対応型コンピューター 2100年以降の製造 大手会社製であること
(依頼料応相談・二週間以内引渡し) → 00897-99-2231


「……いつも通りだな」
 ウェイは内容を吟味した後、そうロブに返した。
「可もなく不可もなく。儲けの大きい依頼は入っていないが、そこそこの依頼が三件……」
 言葉尻はほとんど独り言のように呟きながら、今見た情報をカードにインプットする。後々、必要な時にホログラフィ映像として引き出すことが可能だ。
 かすかな処理音がして、やがて止む。カードを引っ張りだすと、虚空に浮かんでいた非実体ウィンドウがふっつりと消え、そこは再びただの壁となった。
「どーぞ」
 ウェイはキーボードを友人に譲り、自分は横壁に背を預け、天井から下がる電球を見上げた。
「で、そっちは? 繁盛してるか?」
 キーボードを叩きはじめたロブに、同じ台詞を返してやる。ウェイ同様、虚空の非実体ウィンドウをしばらく眺め、ロブは渋い溜め息を落とした。
「……ぼちぼちさ」
 ウィンドウを消し、カードをジャケットのポケットに放りいれ、ロブがこちらに向きなおる。その顔はどこか険しい。
「正直に言えば、依頼が入ってない。先週からずっとだ」
「先週から? 何故」
 ロブは自嘲するように鼻を鳴らした。
「噂が広まったんだろう。先週、メンテナンスが終わった依頼品を、依頼人に送ったんだが、そいつから商品のクレームが来た。壊れてたとな。オレのミスではなく、配達業者が配達時に乱暴に扱ったのが悪かったらしいんだが……噂は事実を無視して広まるもんだ。おかげで信用ガタ落ちさ。今日の朝飯、当ててみろ」
「……牛乳一杯」
「水五滴」
 ロブはにやりと笑い、ウェイの肩を軽く叩いて前を通り過ぎていった。
「まあ、仕事が余ってたら回してくれや。今日はこのまま帰宅だ」
自殺ダイヴなんて柄にもないことするなよ」
 ロブは愉快そうにクツクツと笑いながら、壁の前に立ち、軽く足先で蹴った。
「ああ、そうだ。ウェイ。聞いたか? フレデリックが脱獄したそうだ」
「……らしいな」
 振りかえって答えると、ロブは背を向けたまま、うなずいた。
「知ってるならいい」
 壁がスライドして開き、ロブはそのまま外へと出てゆく。
 電球の中で、小さな影が蠢いていた。どこから入りこんだのか、小さな羽虫だ。
 ウェイは小さく溜め息をついて、カードを適当にポケットに放りこんだ。
 壁が開き、通路に出た途端、靴底を通り抜けて、低音の振動が伝わってきた。背後からも、くぐもった甲高い歓声と鼓膜を振動させる大音量の音楽が聞こえてくる。それに背中を押され、ウェイは通路を足早に抜け、紫色の分厚い布をかきわけ外に出た。


「……!」
「わ……っ」
 足を踏み出した途端、人がぶつかってきた。
 背中からぶつかってきたその人物を、とっさにウェイは受け止める。
 よく人にぶつかられる日だ。ウェイは溜め息をつき、眉根を寄せた。
 妙な格好をした人物だった。コートのフードを目深にかぶり、顔を隠している。
 声から判断するに男、それもまだ少年といったところか。
 少年は小さく呻きながら、よろよろと体勢を立て直そうとした。が、唐突に肩を震わせると、なにかから逃げるようにじりじりと後ずさり、再びウェイにぶつかった。
 大丈夫か、こいつ。ウェイは呆れた顔で少年を見下ろす。
「……ああ? よお、中古屋じゃねぇか!」
 不意にウェイの方に声がかかった。顔を上げると、前方に黒い革ジャンを着たスキンヘッドの男が立っていた。白い頭に悪趣味な刺青をしている。いかにもな柄の悪さだ。
 男は顎を反らし、挑発的にウェイを睨みおろした。
「知ってるか? 昨日、フレデリック兄弟が脱獄したってよ」
 男は黄ばんだ歯を剥き出しにして、引きつけでも起こしたような笑い声をたてた。
「せいぜい気をつけることだな、連中、お前らのことを相当恨んでるだろうからよ。だが、今回もやってくれるんだろ? なぁ?」
 男はいやらしく笑いながらも、どこか過剰に期待のこもった眼差しでウェイを眺めた。
 ウェイが何も答えないうちに、男はウェイに寄りかかったままの少年に険しい視線を向けた。
「食べ物屋なら、そこの男娼館にでも行くんだな……。いいもんくわえさせてくれるぜ? ハッ」
 男は下劣に顔を歪ませ、鼻で笑うと、そのまま笑いながら去っていった。
「すげぇ捨て台詞」
 感心した声をあげると、もたれかかっていた少年が深くうなだれたまま、危うい足取りで歩きはじめた。その手が震えるほど固く握りしめられているのに気付いて、ウェイは思わず声をかける。
「……おい」
 少年は反射的に足を止めるが、その肩が緊張に強張ったのがはっきりと見て取れた。ウェイはポケットを探り、取り出したものを、振り向かない少年の背に向けて放った。
「まともな店」
 紙で出来たケースのようなものは、少年の背中にあたって跳ね返り、地面に転がった。
 少年がおそるおそるといった様子で、振りかえる。指で地面に転がったものを示してやると、少年はしばらく躊躇った後、身を屈めてそれを拾いあげた。
 ウェイはそれを確認してから、身をひるがえした。
 裏通りをさらに奥へと歩くと、やがて通りは終わりを告げた。
 最後の店、『偽物ブランド時計50%OFF』という広告がしつこいほど貼られた時計屋の前を通りすぎ、その店と壁との間にある細い横道へと入る。
 喧騒が遠のく。
 暗く湿った空気が漂う、水溜まりだらけの狭い道。
 それは中古屋たちの世界、「機械の墓場」へと通じる唯一の道だ。







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