TIME LIMIT~嗚呼、愛ゆえに~

02

AM7:20

「……」
「……」
 正座し、しゅんとうなだれるテス。
 やれやれと息を吐くホーバー副船長。
 そしてうーむと考えこむラギルニット船長は、重い沈黙を押し破って口を開き、ビシィッと指を突き出し言った。
「地獄の間、直行!」

 ぽい!
 水夫達によって、テスは船内最下層にあるとある部屋へと投げこまれた。
「……ってってってってぇ。こらー! もっと大事に扱えー!」
 尻もちをついて拳を振り回すテスの体に、無情にもギギギッと閉まってゆく扉の影が落ちる。
 バタン、という扉の音が室内に虚しく響き渡った。
 そして訪れる、静寂。
 テスはゾクッとした。窓のない真っ暗な部屋、その奥の方から何かひんやりとした空気が流れてきた。
「……んー」
 それと同時に、低い低いまるで竜の唸り声のようなものが、テスの右背後から聞こえてきた。
「あ、あー、あー……!」
 テスは真っ青になって頭を抱えた。
「誰だー……?」
 今度は左の背後から違う声が聞こえてくる。瞬間、テスはびくっと背筋を震わせた。──自分の首に、誰かの冷たい指が、巻きついている……!
「お前、さてはテスだな……?」
 先ほどの二つの声とはまた更に違う声が、テスの名を呼んだ。
「は、はは、はいー!」
 恐怖にボロボロ泣きながら、テスは奥さんの千切りのように細切れにうなずいた。

 地獄の間。
 船倉の奥深くにある狭く真っ暗なその部屋は、反省室として使われている。なにか悪事を働いた者たちを、一定時間、反省させるために入れておく部屋だ。
 そこには「番人」が住んでいた。飽きもせず、毎日のようにこの部屋に入り浸っている番人──バクスクラッシャーの問題児たち。彼らの存在がゆえに、この部屋は「地獄の間」という世にも恐ろしげな名前で呼ばれていた。
 哀れなことに本日テスを待っていたのは、バクスクラッシャーで最も危険視されている五人の問題児のうちの三人──セイン、ワッセル、ガルライズであった。

「ほー」
 テスから事情を聞き出し、どこか嘲るような調子で言ったのは、短気でわがまま、自分勝手で乱暴者なセインである。
「なるほどねぇ。で、テスちゃんは、明日までにタネキアに戻りたいってわけね」
 どこか楽しげに含み笑ったのは、金髪をダラダラと長く伸ばしているために 「ダラ金」という情けないあだ名で呼ばれている男、ガルライズだ。
「つってもトゥーダ大陸方面っていったら、往復でどれくらいだ? 一ヶ月くらいすんじゃねぇの? どうせいつもみてぇに、のんびりとろとろ行くだろうし」
 少々欠伸を噛み殺し気味なのは、右目に物騒な眼帯をつけた小男ワッセルである。
 そして、三人は声を揃えて言った。
「あきらめろ」

「いやだぁぁぁっッッ!!」

 海中ある船倉に耳が裂けるほどの怒号が響きわたる。
 その一瞬後、武器を構える音が、チャキッときっちり三人分響き渡った。

──しばらくお待ちください──

 ふと室内がほんの少しばかり明るくなった。セインが隠し持っていたマッチに火をつけ、煙草を吸いだしたのだ。
「オイ。こんな密室で、んなもんふかしてんじゃねぇよ」
「うっせぇな、いちいち片目はよぉ」
 煙草の赤がゆーらゆら闇に揺れる。後に赤い線が残って不思議な絵を描く。何だか目が回る気がして、テスは目を瞬かせた。頼むから木造帆船で煙草は吸わないでください、と心底つっこみたかったが、火事よりもセインの方が怖かったので、その言葉はあっさりと飲みこむ。
「んで、テスちゃんはユキ嬢に会いたいってわけね」
 ダラ金らしき声が聞いてくる。セインの煙草の火がテスの左前を漂ったので、テスはそっちの方にダラ金がいるのだと判断して、律儀にそちらを向いてからうなずいた。
「そです」
 しばらくの沈黙。やがて口を開いたのはセインだった。
「ま、テスには日頃から仲良くしてやってるからなぁ」
「そ、その言い方不満──わっ」
 闇のどこから横っ面に蹴りを入れられ、テスはごろりと床に転がった。
「ったく。協力してやるっていってんだよ、優しい俺たちがよぉ。たった今相談して決めた。俺ら3人が協力してやる。感謝しろ」
 いつ相談したんだ!? と思いつつ、テスは思わず顔を輝かせた。
「ほ、本当に!?」
「おう。ただし」
「……た、ただし!?」
「当然だ。タダで親切してやるほど暇人じゃねぇ。なぁに簡単だ。お前がここから出たら、俺たちをすぐにここから出せ」
「え」
「どーせ、いい子ちゃんのてめぇは、さっさと出してもらえちゃうんだろ。俺ら、悪い子ちゃんだから、船長の雀の脳みそちゃんと、沸騰やかんホーバーちゃんが、明日の朝まで出しませんとかぬかされちゃったりしちゃってよぉ」
「で、でも、どうやって!」
「ホーバーのアホに言うんだよ。釈放してやって、彼らはいい人よ! ってな」
「そんな……おれ、そんな真実味のひとっかけらもない大ボラなんて、つけな」
 チャキッ。
「──い訳ないじゃないですかぁ! 喜んで、針千本飲みますよ! ……けど大丈夫かな」
「大丈夫。てめぇの色気なら、あのアホもスッテンコロリンさ」
 い、色気って……。
 スッテンコロリンって……。
「何か不満そうだねぇ。テ・ス・ちゃん?」
「い、いいいいえぇぇぇ! とんでもない!」
 常日頃から、何かとセインにおもちゃ扱いさているテスは、プライドなんてそっちのけ、ご機嫌とりの笑顔をへらぁっと作った。どうせ暗くて見えやしないのだが。
「ま、それは冗談としても、色々方法はあんだろ。鍵パクるとか。……ああ、ログゼのクソ野郎にでも頼めば、ここの鍵なんて簡単に開くんじゃねぇの?」
 テスと同室のログゼは、海賊になる前は泥棒をやっていたという。しかし盗みの方法などは企業秘密らしく教えてくれないし、ましてログゼとセインは犬猿の仲。協力を望むのは難しい。
 とすると、鍵を盗む。
 鍵は船管理長のスタフが持っている。性格に一癖も二癖もある、荒くれ者だ。「荒波のスタフ」の異名を持ち、大嵐の時を狙って、彼以外誰もいなかった船を襲ってきた他海賊から、たった一人で船を守り抜いたという伝説を、過去に持っている。それを証明するかのような岩のごとき体格。テスのような小心者には近寄りがたい男だった。関係ないが、スケベでロリコンだし。
「……うわぁぁぁぁぁ!」
 テスは絶望の悲鳴を上げ、頭を抱え、床に突っ伏した。
「だー! うっせぇー!」
「どーでもいーからこっから出せ。そしたら助けてやるからよ。……別にユキちゃんに会いたくないってんならいーんだぜ」
 ピタ。
「……がんばります」
「それでいい」
 三人の楽しげな笑いが薄気味悪かった。
 と、ちょうど良く扉が開いた。暗い地獄の間に眩しいカンテラの灯りが差しこみ、テスは闇に慣れてしまった目を細く眇める。
「テス、もう出ていいぞ」
 黒い大きな人影が顎で外を示す。
 のろのろと立ち上がるテスの背を、三人の手がポンポンと労うように叩いてきた。
 まるでこれから牢に入る気分で、テスは外へと一歩踏み出した。

AM8:30

「まぁ、しかし良く怪我ひとつなく出れたもんよ!」
 そう言って豪快に笑ったのは、テスの少し前を歩く、例の船管理長スタフだ。
「珍しいこっちゃ! ガッハッハッ!」
「……」
 鍵。鍵はスタフの腰紐に通された輪っかから、船のありとあらゆる鍵とともにぶら下がっている。
 テスは半分本気で涙目になりながら、それでも気丈にもグッと顔を上げた。
 ──待ってるから、テス……。
(ユキちゃん、見ててくれ! おれはやるぞ!)
 テスは恐怖で震え、汗ばむ手をぐにぐにと揉みほぐした。ついでにプラプラと手首を振っておく。そしてテスはパシッと頬を叩くと、力強くうなずいた。
「……に限るよなぁ、夏は。ケナテラの麦茶はなぁ、中に砂糖を……」
 なけなしの勇気を振りしぼり、一人話し続けるスタフの腰の鍵目掛け、右手をそろそろと伸ばす。それと同時に腰が引けてゆくのは、見逃してほしい。
 指先が冷たい鍵の先端に触れる。テスはやった!と顔を輝かせ、鍵を思いっきり引っ張った。
 が――。
「……あん?」
(ひゃぁぁぁぁぁぁぁ!!)
 腰布を思い切り引っ張られたスタフが、不審そうに太い首を巡らせ振り返った。テスは声なき悲鳴をあげ、鍵を掴んだまま硬直した。
(なんて、なんて馬鹿なんだろう、おれって! 鍵のついた輪っかは、スタフの腰布に通されているわけであって、腰布自体を取らないかぎり、押しても引いても鍵は絶対に取れる訳ないのにぃ!)
 テスは内心で頭を抱えて、悲鳴を上げて仰け反った。
「……何してんだ? 船鐘坊主……」
 鍵にしがみついたまま凍りついている自分を、スタフがギロリと強烈に見下ろしてくる。テスは「ひぃ!」と腰くだけになった。しかし強力接着剤でもつけたかのように、鍵から手が離れてくれない。
(カラ様、どうかご加護を……!)
 海の女神に祈りを捧げ、覚悟を決めてテスはぎゅっと目を閉じた。
 そのときだった。
「おーい、おじじー。第二倉庫の鍵貸してー」
 廊下の奥にある天井に開いた階段穴から、少女の逆さまの顔が現れる。水夫長補佐レティクの愛妹、ファルである。
「おう、今行く」
 天の助けとはこのことだ。スタフはテスのことなどさっさと忘れ、育ち盛りの少女の元へ、ドシドシるんるんと歩き去っていった。危うく引きずられかけたが、寸でのところで手が離れてくれた。
 スタフが階段上へと消えてゆくと、ようやくテスは気の抜けた息を吐きだした。
「こ、怖かったぁ……!」
 心臓の鼓動がまるで民俗太鼓だ。今になってようやく冷や汗がダラダラと流れ出てきた。
(おれの弱虫毛虫! あんな事でびびるなんて。いつもあのセインと渡りあってるじゃないか!(あってない、あってない)ユキちゃんのために、がんばるんだろう!?
「ユキちゃん、おれは今度こそやるからねぇえ!」
 テスは改めて決意し、拳を振り上げた。
 だがスタフの鍵はもう諦めるしかないだろう。スタフの腰布を取るなんて、はっきり言って不可能だ。可能でもやりたくない。
 となると、次は……。

「……あ、テス。無事だった?」
 部屋に戻ると、ラスが出迎えてくれた。
 しかし、肝心のログゼがいない。
「ログゼは?」
「さっき寝ぼけて寝棚から落ちて、突き指して医務室に行った」
「医務室……」
 テスはしっかりと反芻する。
 と、ラスがいつもの何を考えているのかよく分からない飄々とした表情で、身を乗り出してきた。
「テス、ユキちゃんのことは残念だったね。けどちゃんと話せば分かってくれるだろうしさ……」
「……」
「あきらめなよ、今回は。今んとこ思いっきり、航海順調だし……」
 航海順調……。
 あきらめろ……。

 待ってるから……。

「っあきらめてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 うがー!
 テスは狂ったようにわめき叫ぶと、泣きながら部屋を飛び出していった。
 ──ドンガラガッシャーンッ!
 ──馬鹿野郎! まぁたお前か! せっかくの林檎が……!
「……?」
 ラスは凄まじい勢いで遠ざかってゆく親友の姿を、飄々と首をかしげて見送った。

AM8:50

 あきらめろ!? あきらめろだなんて……!
 あんな事言うなんて、ラスの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ちんちんちんちんっ!
「くぅっ」
 テスは涙をぬぐって、ひたすら廊下を突っ走る。……と。
 ドシーン!
 死角から出てきた誰かに思いっきりぶつかり、テスは盛大に尻餅をついた。
「……ててて!」
 尻をさすりつつ上体を起こし、瞬間、テスはぎょっとする。
「うきゃぁぁ! ラヴじいさん!」
 御年六十五歳になられるラヴじいさんが、頭から血を流して床の上をふるふると這っていた。
「……ち、近頃の若者は……た……た……大砲のように……は……は$ぇ1%んこ#う〒ふぁ」
「っわぁぁ! 死なないでぇぇぇっ!」
 テスは蒼白になって髪をかき回して、ラヴの肩をぶんぶんと揺すった。
 と、その時である。
 ──テス! 林檎拾えぇっ!
 背後から怒声が近づいてくるのが耳に入ってきた。その声は先ほど廊下でぶつかり、持っていた林檎の樽をぶちまけられた水夫長リザルトのものである。ついでに言えば船長室に行く途中にも一度ぶつかっているのだが、二回とも極度の興奮状態にあったため、テスはぶつかったことをまるで自覚していなかった。だからリザルトが何故怒りながら追ってきているのか、まるで分からなかったのだが、しかし逃げなくてはならないということは本能が告げていた。
「じ、じいさん、医務室行こう!」
 テスはひょいとラヴを担ぐと、リザルトから逃げるように大慌てで医務室を目指した。
「待てぇぇぇぇぇ!!!」
「嫌だぁぁぁぁぁ!!!」
「……あ……あだ$ほう8せ★とーうた……」

03へ

close
横書き 縦書き