Silent voice

第二話「軍曹殿とウグド隊員」

 海賊島入りしたその日の夕方。
 夕方といえば、飯。夕飯の時間である。
 セインはタバコをふかして、木の根元に寝転がり、ぼーっと暮れていく空を見ていた。
(暇だ。暇すぎる)
 自由なのは大いに結構。どういったわけでかコブがついてきたのは気に食わないが、下僕としての利用価値はありそうだし、まぁ良いとして。
(ちっ。テスでも引っ張ってくりゃ良かったぜ)
 やることがなかった。
 ウグドはいじめ甲斐がないし、ラギルガキには会いたくないし、ホーバーはムカつくし。
(明日、街にズラかるか)
 港町まで少し遠いが、天気もさいわい良いし、ちょうどよく船の漕ぎ手もいる。
 タバコを噛んで、セインは目だけをウグドに向けた。
 ウグドは少し離れた川原で、煮炊きをしている(させている)。
(なんだか知らんが、修行僧の野郎、ガキんとこ行きたくねぇらしいし)
 一心不乱に飯を作っているウグド。
(ま、俺にゃあ関係ないけどー?)
「腹がずいぶんペコちゃんだなぁ! 飯はまだかなぁー!? 遅ぇよなぁー!」
 聞こえよがしに独り言を叫んで、ガリガリと胸を掻く。
「出来ましたであります!」
「おーっ持ってきやがれぇー!」
 ウグドが川原から鍋と皿を駆け足で運んできた。
 古くて、ベコベコにへこんだ鍋がセインの側にどんっと置かれる。
「盛れ」
 ウグドはいそいそと皿に中身を入れ、
「盛りましたであります」
 との声で、ようやくセインは上体を起こした。
「へー。見た目は悪くねぇ」
 セインは舌なめずりする。ウグドが狩りをして獲った何かの肉と、ウグドがどっからかもいできた小さな丸い実がたっぷりと入った赤いスープだ。パンのようなものが浸してある。
「スプーン」
「は」
 目の前にあるスプーンをわざわざ取らせ、皿を口元に運ぶ。匂いも酸味が効いていて、実に美味そうだ。一口食べると、味にとやかくうるさいセインが素直に感心した。
 美味い。
 腹の空いていたこともあり、舌鼓を打って一気に平らげ、満足そうに手の甲で口を拭う。
「っほー! うめえうめえ!」
 珍しく素直に誉め、二杯目を盛る。ウグドに盛らせることを忘れるほどの絶品だ。
「おめーも、……、食えば?」
 ひょいひょいと食べつつ、どこまでも珍しく親切に言ってやると、ウグドは憮然と、低い声でハキハキと答えた。
「私めは宗教上の理由により、肉類は口に出来ないのであります」
「はーん? カラのばーさんじゃねぇーんだ?」
「は。邪神ブーダーを崇めておりますれば」
「────」
「実は世界はいつかブーダー様によって、闇に包まれるのです。私はその日のために精進を重ね、ブーダー帝王に認められ、大臣の座を得るのであります」
「……あー、そう」
 人の信仰にケチはつけまいと自分に言い聞かせ、セインはウグドからさりげなく一歩離れ、ガバガバ食を進めた。黙々と三杯目をたいらげ、四杯目にさしかかろうとしたとき、いきなりウグドが低く言った。
「なんちゃって」
 セインはズルズルと後ずさった。あほらしさよりも、怒りよりも、ただひたすらウグドが気色悪かった。
 セインのゲテモノを見る目つきに気づかず、いやそれとも気づきつつ無視しているのか、ウグドは図太く続ける。
「私は無教徒であります。肉は本当は好物であります。しかし肉は肉でも、蜥蜴の腹肉や、イモリの尾、蚯蚓のミンチ、蟻の目玉、ダンゴ虫の中身、芋虫の腸、ナメクジの微塵切り、ゲジゲジの腿肉をワニの血で煮込んだものなんて、とてもとても口にしたくありませんので、せっかくの勧めではありますが、ご相伴は遠慮いたします」
「あ?」
「材料はお前が狩りなさいとおっしゃられたので、狩りに出かけたものの、どうにもこうにも食べられそうな生き物に遭遇せず。気に入られたのならば良かったでありますがしかし、私は断じて食べません」
「……この料理、何?」
「題して、爬虫類の血液ゲテモノ煮込みスープ」
 セインは鬼も驚く勢いで川原まで走る走る、走る。そして盛大に!

 ぐえぇぇぇぇ!!

「はて?」
 セインの突然の行動を、不思議そうに見送るウグドは、十秒後ジャスト殺される。

+++

「ホーバー、今日の夕飯なぁに?」
 台所でグツグツ鍋を火にかけているホーバーに、ラギルはワクワクと訊ねた。
 バクスクラッシャーの人間はとりあえず全員料理をこなす。ラギルの教育にあたり、マートン料理長を中心としたバクスクラッシャー影の組織PTAが、皆を指導したのである。もっとも中には"素敵な料理"を作ってしまう者もいるが。
「野菜スープと、肉詰めパンと、ジャガイモとタマネギと肉の炒め物……」
 やけに気力のない返事が返ってくる。
 先ほどからずっとこの調子である。久々に会ったことの嬉しさが伴って、たくさんの話をした。何の話をしたときだったろう。たしかルイスが蜂に追いかけられ、熊みたいにのそのそ逃げたとかいう話をしていたら、ホーバーが変な顔をして首を傾げたのだ。気にしつつ話を続けると、ホーバーの表情がどんどん苦悩に満ち、青ざめ、果ては頭を抱え、ついには声にならない悲鳴まで上げてしまった。
 そして今はぼーっと何かを考え込んでいる。
「どうしたの? 大丈夫? 気分、悪いの?」
 心配になって訊くと、ホーバーは突如、頭を壁にぶつけ始めた。
「ホ、ホーバー!?」
「痛い痛い痛い。夢じゃない夢じゃない夢じゃない……」
 ブツブツ呟き、ホーバーはガリガリ壁を掻き、さらに呟く。
「ちくしょう、あれほど注意するよう言ったのに……、ぶっ殺してやる」
「???」
 訳がわからない。しかしラギルニットはホーバーが怒っているのが自分のせいだと思ってしゅんとなった。なぜなら自分と話していたら、こんな風になってしまったのだから。
「おれ、何かしちゃった……?」
 ぽつりと呟くと、ハッとホーバーが我に返った。しばらくじっと虚空を見つめ、小さく息を吐くと、困ったような笑みを浮かべた。
「ごめん。ラギルが何かしたって訳じゃないんだ。むしろされたというか……、ごめんな」
 ホーバーはぐしゃぐしゃとラギルの頭を掻きまぜ、ようやく心から笑う。
「飯にするか」
「うんっ」
 ホーバーが元気になったので、それだけでラギルも元気になってうなずいた。
 今は忘れよう。ようやくラギルに会いに来れたのだし……。
 心の中そう決め、ホーバーはとりあえず「ラギルニットのあれ」を忘れることにした。
「ところで、ホーバー?」
「ん?」
「あっちの鍋は?」
 机に運ぼうとした鍋とはもうひとつ別に、湯気のたった鍋がある。ホーバーは苦笑いを浮かべた。
「いや、ぼーっとしてて、間違って細人参と唐辛子勘違いして入れちまって」
「うわー」
「腹減っても食べんなよ。死ぬぞ。捨てんのももったいないから、瓶詰めにしてとっとくか」
「はーい!」

+++

 ぐー、きゅるるるる……。
「腹が鳴ってしまいました。はしたない腹を許して下され」
「あーはいはい、おめでとう……っ」
 セインは覗いていた双眼鏡を軋むほど握りしめ、どうにか殺気を抑えた。本当はウグドの頭をカチ割って、脳みそ引きずり出して、かわりに時限爆弾詰め込んで縫い合わせて、内側からミンチにしたやりたいところだが、先ほど確かにめった斬りにして川に流したはずなのに、ウグドは平然と帰ってきた。さすがの帝王も恐ろしくて手が出せないのだ。
(いや、別にブーダーに呪われそうとか、そんなことで怯えているわけでは決してねぇ! た、ただ、修行僧なんぞの濁った血で、カトラスを汚したくねぇんだ!)
 必死に余裕の笑みを浮かべ、セインは再び双眼鏡を覗く。
 時はすでに夜。双眼鏡の二つの窓には、ラギルニットの家が映っている。
 セインはおぞましくもゲテモノスープのおかげで腹がいっぱいなのだが、なんとしても口直しが欲しい。いや、美味かったのだが、もはや美味卑味の問題ではない。ともかくあの家には、ホーバーが作ったであろう料理があるはずだ。ホーバーの料理の腕は、並。しかし上を越えて昇天してしまったウグドの料理よりはるかにまともなはずだ。
「軍曹殿。明かりが消えました。就寝したようであります」
「うむ。ウグド隊員よ、作戦を実行せよ」
「は!」
 もうひとつセインの殺気を抑えているものがある。それはこの"軍曹ごっこ"である。
 軍曹殿。なんと甘美な響きだ。
 ウグドのハキハキした口調は実に役になりきれる。バクスクラッシャーの連中が"許してください、帝王さま!"と泣き叫ぶときと同じくらい愉快な気分である。
 バクスは軍事帝国ゆえ、軍人になりたがるものは多かった。小さいころはセインもその一人であった。軍曹と呼ばれてみたい、それは幼少時代の夢。何故、中途半端に軍曹だったのかはさっぱりだが、ともかくそれは二度と叶わぬ夢となってしまった。しかし気分だけでも味わってみたくて、誰かに言わせようと常日頃から機を窺っていた。それが今回、ウグドを再び下僕にするのも気味悪くて、「じゃあお前は今日から下僕でなく、俺の部下だ。軍曹と呼べ」と言ってみたところ、なんともはまることはまること……。すっかり気に入ってしまったというわけだ。
 部下も下僕も、本質は何も変わっていないし、ウグドが気色悪いということはもうどうしようもないのだが、単純なセインはそれに気づかない。とりあえず気分が良いから良いのだろう。
 ウグドはスッと茂みから出ると、作戦どおりズンズンと家に向かっていく。それを双眼鏡で見送り、セインはいやらしく笑った。
「何をしているか! 匍匐前進せよ!」
「は!」
 セインは快感の呻きを上げた。
 ウグドも変人だが、セインも変人であった。

 ウグドは家の前につくと、すっと立ち上がり、スッスッと中に忍び込んだ。セインの目の届かないところまで入り込むと、小さく息を吐いた。
「セイン殿は子供のような方ですな」
 至極真面目に言って、きょろきょろと室内を見回す。
 人気はない。ラギルニットたちは奥であろう。
 安堵の息が漏れる。同時にそれは沈んだ溜め息でもあった。
 ウグドは悲しげに奥の部屋への扉を見つめ、ひとつ首を振ると、台所へと向かった。
 鍋がある。それも二つ。
 一つを覗き込むと、中は空であった。もう一つの方にはたっぷりとスープが入っていた。何故こんなに余っているのか疑問に思いつつ、お玉で掬って飲んでみる。
 ザアァー。
 ウグドは無表情に口からスープを吐き出した。
 少しぽかんとして、まじまじと鍋を見つめる。
 ……ま、いいか。
「セイン殿は味覚がおかしいし」
 一人勝手に解釈し、鍋をひょいっと持ち上げ、外に出た。
 セインは双眼鏡内にウグドの姿を見つけ、よしよしと唇をなめた。
 鍋を持っている、上出来だ。
「持ってまいりました、軍曹殿」
「うむ。見つからなかったかね?」
「は。残像にすら気を払いました」
「結構」
 セインは側に下ろされた鍋を嬉しそうに覗きこみ、早速皿に盛ろうとする。と、そこまで見守っていたウグドが唐突に立ち上がった。
「どうしたのかね?」
「は。用を足してまいります」
「おお、一生帰ってくるな」
「は。失礼いたします」
 言うと、ウグドはさっさと背を向けた。妙に早足である。
「へ。やだねぇ。年寄りは近くてね」
 ウグドを嘲り笑って、セインはスープを皿に盛る。冷めているが、見た目は悪くない。具はなんだろうか、暗くて良く分からないが……、細人参らしきものが大量に入っている。
「いただくぜ!」
 セインは喜びの声を上げると、ガバーッと口に流した、しっかりと噛みしめた。
 噛みしめた。

 海岸に出て、釣りの準備を始めたウグドは、遠くの方から布を引き裂くような悲鳴を聞いた。
「空耳が」
 ヒュン、ポチャ。
 何事もなかったかのように釣りざおを構えたウグドは、のんびりと口笛を吹き始めるのであった。

 ザックザックザック。
 キリキリキリ。
 バチャーン!
「くっくっくっく……!」
 満天の星空。すっかり闇に沈んだ地上に、不気味な物音と奇怪な笑い声が響き渡る。
 セインはその辺から拾ってきたシャベルを放り投げると、額の汗をぬぐった。
「ふ、ふ、ふ! 殺ひてやふ、殺ひてやう、あんにゃおー!」
 すっかり機能の停止してしまった舌をもつれさせながら、セインは毒づいた。
 この一時間カトラスを片手にウグドを待ったが、奴は一向に帰ってこなかった。はめられたのだ。
 はめられたと知ったセインは、キレた。セインは帝王である。世界は絶対自分の思うとおりに動かなくてはならないのだ。──というのに、ウグドは……!
 怒りはとうに限界を超え、セインの元々なかった理性は見事に氷点下を突破した。
 わずか三十分にして、ラギルニットの家周辺を含めた辺り一帯は、仕掛けたトラップの嵐である。
 一度死んでも生き返るらしいウグドであろうとも、このトラップの群れの中では、さすがに死ぬしかあるまい。トラップの数は百。いずれも殺傷能力バツグンの本格派トラップである。
「ふっふっふ! ぐあっはっは! 死にやがれ死にやがれぇ!」
 張り巡らされたトラップを見事に避け、セインは家に向かって走る。ウグドはこれで始末完了だ。となると、残るはホーバー! 今ごろ、夢の中のお花畑でお姫様クロルと追いかけっこしているだろうホーバーのオタンコなすびである。
 あんなとんでもない物体をつくりやがって。恐らくあのウグドめと結託していたのだ。断じて許さん!
 セインはカトラスを抜き放つと、猛然と家の中に踏み込んだ。
「ぐあっはっは……!」
 完全にいかれてしまったセインは足を忍ばせてラギルニットの部屋を覗き込む。しかしそこには誰もいない。が、これは計算ずくである。さっさと身を翻すと、今度は入り口から左手の部屋に入り、さらに奥の部屋を覗き込んだ。
 ──やはり、いた。
 ホーバーの部屋である。ホーバーとラギルニットが仲良く寝台で寝息を立てていた。恐らくいっしょに寝よ! とラギルニットが枕を抱えてやってきて、一緒に寝ることになったのだ。
(ガキと寝て、何か楽しいかねぇ、この坊やは!)
 なんだか無性にいらいらしてきた。自分があんなに酷い目に遭ったというのに、こいつらときたらこいつらときたら、スヤスヤのんきに安眠むさぼってからに!
 暗い室内でよくは見えないが、さぞかし寝顔は穏やかであろう。
ほふる!)
 セインはゆっくりこっそり寝台に近づく。
 二人ともしっかりと目を閉じてる。セインに気づいた様子はない。
(安心しろ。せめて楽に……死なせてやるかぁぁぁー!)
 セインはぶんっとカトラスを振り上げ、ホーバーの心臓をわずかに反れた、致命傷にはならず、しかしじわじわ死んでゆく辺りめがけて、正確にためらいなく振り下ろした。
 が。そこは寝ても起きてもホーバーである。パカリと目を開くと、枕の下に隠していたらしい短剣の柄で刀身を受け止め、止めた勢いのまま鮮やかにカトラスを打ち払って見せた。
 完全にいかれていたセインは、普段ならこれしきで動じないはずが、かろうじてカトラスを落とさずには済んだものの、よろめき、あっけなく床に尻餅をついてしまった。
 ホーバーが上体を起こし、半目をこすりながら、なにやら放心して座り込んでいるセインをぼんやりと見つめた。
「何だ? 夜這いか?」
「──貴様ー!?」
 セインはようやく事態を飲みこんだ。
 そう、今ホーバーによって打ち負かされたのだ。打ち負かされた。負けた。……負けた!? いや、俺様が負けるはずがない! そんなことはあり得ない!
「て、てめぇっ、何で素直に殺されねぇんだ!」
「何で素直に殺されてやらなくちゃならんのだ」
 安眠を妨害され、ホーバーは不機嫌そうに頭を掻く。
「何で、な・ん・で、どいつもこいつも死なねぇんだよ! ぐあー!」
 ザクザクザクザク!
 セインは両手でカトラス握り、何を思ったか狂ったように、均した土の地面をぶっ刺し始めた。
「何の真似?」
「家壊しててめぇら生き埋めにしてやる!」
「カトラス一本で? 地面掘って?」
「俺様に不可能はねぇ!」
「が、がんばれ」
 怒り狂ってしまったセインは、うがぁあと吼えながらひたすらに地面を掘る。
 この状況で安眠むさぼるラギルニットをちらりと見て、ホーバーは面倒くさそうにかりかりと首を掻いた。まだ眠たがっている体を引きずり起こして布団から抜け出し、持ってきた荷物をあさって、船室からちょろまかしてきたワインの瓶を取り出した。何故だかは知らないが──というか、知ったことではないが、セインの無駄な怒りで、ラギルニットを起こされてはたまらない。
「セイン、これでも飲んで落ち着け」
 小ぶりの酒瓶を放ってやると、反射的にセインが受け止めた。そしてじっと瓶を見つめる。その目からだんだん狂気が消えてゆき、いつもの表情が戻ってきた。いつもの皮肉な、ひねくれた、単純バカな顔。
 セインは瓶とホーバーとを交互に見やった。
「見つめるな、気色悪い」
 ホーバーが嫌そうに言うと、セインはなぜか満足そうにうなずいた。
「修行僧に比べっと、お前が愛しく思えるぜマジ。よし、お前を希望どおり奴隷にしてやる」
「誰がいつどこで希望したんだか知らんが、遠慮する。ウグドはどうしたんだ?」
 ホーバーは寝台にもたれて地面に座り、欠伸をした。セインは器用にも栓を噛み取り、ペッと吐き出し、ぐいっと一気に半分飲み干した。
「っぷへぇー! うっめー!」
「良かったな。で、ウグドは」
 ゲシッ!
 セインはホーバーに蹴りを入れる。が、あっさり避けられ、腹いせに地面を殴った。
「あいつの話はすんじゃねぇタコ野郎!」
「え? ウグド、引きずりまわしてたんだろ? どうせ」
「ついてきたんだよ! クソ坊主が勝手によ! あいつッカツクんだよ、ちくしょ……!」
 すっかり正気に戻ったセインは、ウグドのことを思い出して、ぐわしゃわしゃと頭をかき回した。
 ホーバーは困惑した。
 勝手についてきた? 何故。
 ウグドがいつまでも来ないので、てっきりセインに引っ張ってゆかれ、奉公でもしているのだろうと思った。ラギルのことを自分の命よりも大事に思っているウグドのことだ、そのうち隙をついて、這ってでもここに来ると思っていたら、いつまでたっても来ない。
 なにか変だ。
「ところでセイン。ラギルのことなんだけど……」
「ガキの話題に興味はねぇ」
「いや……。じゃ、いいや」
 と、言われると、気になるセインである。
「仕方ねぇから、聞いてやるよ、ったくめんどくせぇなぁ」
 扱いやすい男だとホーバーは呆れ果てた。
 ホーバーは少し悩み、ちらりとラギルニットの寝顔を確認してから、話し始めた。
 話を終えてホーバーは、セインの反応を窺う。
 セインの反応は実に分かりやすかった。
「おっもしれぇー!」
「面白くない! ……お前が犯人じゃないだろうな」
 大いに疑いの目でセインをにらみつけるが、セインは聞いちゃいない。
「ガキッ! 起きやがれ!」
 ドカッ!
 なぜかこの状況で爆睡し続けるラギルニットを足蹴にし、セインはついでに寝台をガンガンと蹴った。
「起ーきーろー!」
「……ったぁ」
 容赦ない蹴りに、ラギルニットはようやく揺れる寝台の上に身を起こし、頭を抱えた。
「な、何? 何が起きたの!? ──あれ? セインだ!」
 慌ててキョロキョロ首を回すと、ホーバーと首を絞めあっている長身の男を発見し、ラギルニットは目を丸くした。
「うわー久しぶりに見た! どーしたのどーしたの!? あ、おれに会いにきたんだ!」
「っはぁ!? おまえってやっぱ脳みそねぇだろ!」
 セインは言うなり、頭二つは余裕で低いホーバーを後ろから抱きしめた。もとい、のしかかった。
「俺はホーバーに会いにきたんだよう! 誰がてめぇなんかに会いに来るかバーカ!」
「えー! ホーバーに会いにきたの? いつから二人は仲良しさんなの!?」
「……お、重い」
「いつからっておまえ、生まれたときからに決まってんだろ! こいつは俺様に出会うために生まれてきたんだぜ!」
「うそぉ! すごーい!」
 動じないラギルニットである。
 しかしセインはそれきり口をつぐんだ。ホーバーを押しつぶしたまま、目を丸くしている。
「ど、どーしたの?」
 まただ。ラギルニットは不安に駆られたが、セインはホーバーとは正反対の反応を示した。セインの口元がみるみるとゆがんでゆく。しまいにはつばを飛ばして笑い転げてしまった。ホーバーの上で。
「汚ねぇって、どけ!」
 適当に振り回した拳が、セインの顔面百点の位置に炸裂した。思わずホーバーもラギルニットも息を飲むが、セインは気にするどころかさらに腹を抱え、ホーバーの上から転がっていった。
「な、なんだよ……!」
 ラギルニットはムッと頬をふくらませた。
「なるほど、やっぱおもしれー!」
「笑いごとじゃない! 本当に心当たりないんだな?」
「知っらねぇなぁ。俺一年以上ここ来てないし?」
 ホーバーは眉をしかめる。そう、自分も同じだ。だが他の船員は知っていたはずだ。黙っていたのだろうか。
「よし、決めた! 楽しいから飽きるまで俺様、ここん家の子になる!」
 セインはにっと笑い、ドカドカと足音高く寝台に近づき、ラギルニットをまたいで(ついでに蹴飛ばして)、布団にもぐりこんだ。
「ウグドとはもう一緒にいたくねぇし! ここにゃあホーバーちゃんもいるし!」
「それ、やめろ……」
 恐ろしい捨て台詞を吐くだけ吐くと、セインはいきなりイビキをかきはじめた。ホーバーを殺しにきたことなど、すっかり忘れているようだ。ホーバーは何とかセインを引きずり出そうとするが、熊のような巨体は、ダニのように寝台にしがみつき、びくともしなかった。うんざりと息を吐き出し、ふとラギルニットが大人しいことに気づき振り返ると、まだたった五才の少年はぶんどられてしまった寝台から出て、ホーバーをぼんやりと見上げた。
「どうした? ラギル」
 ラギルニットは幾度か目を瞬かせると、小さくか細い声で聞いてきた。
「ウグドも、来てるの……?」
 ホーバーはその様子に驚きながら、うなずく。
「ああ」
「ど、して、来ないのかな」
「きっと、セインに半殺しにされて、のたれ死んでんだよ」
 努めて明るく、なぐさめるようになぐさめになっていないことを言うと、ラギルニットはぎゅっとホーバーに抱きついた。
「……うん」
 困惑しながらも背を撫でてやると、ラギルニットはしばらくしてかすかな寝息をたてはじめた。

 翌日、朝食の材料を取りに行こうとしたホーバーは、百個もの罠にはまり、ついでにウグド用の罠を台無しにしているホーバーを殴りに行こうとしたセインもまた、トラップにはまり、二人してカトラスたった一本を味方に、二時間奮戦したことを記しておこう。


《 次回予告 》

 悲しみの瞳。
 怒りの瞳。
 仲が良いのか悪いのか、海賊たちは今日も行く。
 修行僧逃走の原因は一体なんだ!?

 次回、『お兄さん、心労に倒れる』

第三話「お兄さん、心労に倒れる」へ

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