シャークとクロルの出会い

「うわっ!?」
「え!?」
 ドシーンッ!!
 フェクヘーラ大陸はバクス帝国ヴァインシュタインテス港街の夕暮れ時の静寂を、そんな音が破って捨てた。
「ててて……、だ、誰っスかもー! 角から飛び出す時は、右見て左見て、また右見て欲しいっスー!」
 見事に地面に転がった、いかにも藁と牛の中で育ったと言わんばかりの田舎臭い少年は、むくっと上体を起こすと、方言まじりにそうわめいた。
「なに言ってんだい! ちんたら歩いてるそっちが悪いんだよ。こっちは急いでるってのにっ」
 同じく向かい合わせで尻餅をついた少女は、少年を睨みつけて、下町なまりの口調で罵った。
 そして同時に叫んだ。
「「あ――――っ!!」」
 二人はそろって頭を抱え、絶望に大きく仰け反った。少年の三白眼の先には、水たまりにどっぷりと浸かったどでかい布袋。少女の気の強そうな黒い瞳の先には、買い物籠と地面の上に転げて潰れた玉子。
 少年と少女は絶句し、しばし呆然とおのおのの荷物を見つめた。
「……――っ!!」
 いち早く立ち直った少女が、復活した怒りを目の中にたぎらせて、少年を振りかえった。そして怒鳴り散らそうと口を大きく開き――そのままポカンとした。
 少年が今にも泣き出しそうな顔で、ぐっしょり泥水に濡れた袋を抱きしめていたのだった。小動物でも棒でつっついて苛めたような気分になり、少女は気まずげに口を閉じる。
「ひどいっス……」
 少年がぽつりと呟いた。
「ひどいっス~! この中には旅立つオレのために、母ちゃんが持たせてくれた特製りんごジャムが入ってたのに~!!」
 へ? 少女は呆気にとられて、涙目の少年を見下ろした。り、りんごジャム?
「でか兄ちゃんが作ってくれた肖像画立てと、ちび兄ちゃんがくれたデアモントロック騎兵隊人形も入ってたのにぃ……!」
「あ、あのー?」
「それにそれにっ、四番目がくれた蛙の卵のビン詰めと、五番目がくれた柿の種と、六番目のメリーが作ってくれた押し花の栞と……っ七番目の焼いてくれた似顔絵クッキーが――――!!」
 どうやら兄妹のことを言っているらしい。「~番目」が延々十二番まで続く。
 さすがにイライラしてきた少女がこめかみに指を押しあて、「いい加減に……っ」と怒鳴ろうとしたそのとき、少年がふと袋から一枚の紙切れを取り出した。
 泥のかぶった紙には、何かの絵が描いてあるようだった。茶のシミのせいでよく見えない。
「十三番目が初めて描いてくれた絵も……めためたっス……」
 ひときわ悲しそうに呟く少年。少女は口を噤み、割れた玉子と汚れた絵を見比べ、反省の溜息をついた。
「あたしの不注意、だったかもしれないね。玉子は買いなおせば済むけど、それはこの世に一枚きりだ。……ごめんよ」
 少女は自分の非を認め、素直に、多少言いにくそうに謝った。
 少年は、ちろっと横目で少女を見上げ、はぁ、とやるせなさげに溜息を零した。
「今日はもう散々っス。腹はへったし、宿は見つからないし、ぶつか"られる"し……」
 だから謝っただろうが! とついつい叫びそうになる口をベシッと押さえて、少女はふと眉を持ち上げた。
「その大荷物、もしかしてあんた、公的海賊の志願者かい?」
 差し出された手に捕まって立ち上がり、少年はどこか得意そうにうなずいた。
「そうっス。英雄になるために、田舎から出てきたっス!」
「ふぅ~ん、やっぱりねぇ。今この街に来る奴はみんなそうさ。でも、この時間じゃもう宿は見つからないよ」
 地元の人間らしい少女の言葉に、少年は「そんなぁ~」とガックリうなだれた。
 そして少女はそれを見て、ここぞとばかりの営業スマイルを作ってみせた。
「酒場の二階、酔っ払い用の仮宿でよけりゃあ、空いてるんだけどねぇ?」
 藁にもすがっちゃいたい様子で目を輝かせる少年に、少女は片眉を持ち上げ、にんまりと手を差し出した。
「あたしはクロル。クロル=ジャーリッド。街一番の威勢のいい酒場の娘さ。ぶつかったおわびに半額で宿を提供するよ。どうだい?」
 少年はみるみる顔をほころばせ、少女クロルのよく日に焼けた手を両手で掴んだ。
「オレは未来の大英雄、シャーク様っス! あんたの無礼は、これでチャラにするっスよー!」
「……なんかいちいちムカつく男だね」 
 クロルは籠を拾い上げ、再び急ぎ足で歩きだした。
 そしてふと少し後ろを歩くシャークを振りかえった。
「今晩の夕食の卵料理、玉子なしだけど、文句はないね?」

 赤紫に燃える海辺の空に、早くも一番星が浮かんでいた。

おわり

close
横書き 縦書き