キライキライの理由

 ラギルニットは、スープの中に「物体X」が混入していることに気づいて、わなわなと震えた。
 ある晩御飯の時間帯である。
「ど、どうしたの? ラギルちゃん」
 ラギルニットの蒼白になった顔面を見て、向かいの席に座っていたファルがたずねた。
 しかしラギルニットに答える余裕はない。ガバァッとその場を立ち上がると、血管の浮き上がった両手を頭の上に持ってゆき、唐突に、
「ひぎゃあああああああああ!!!!!!?」
 見事な黄金ヘアーをかきむきながら、

「ぅわくぁめぇえええええええ!!」

 と、叫んだ。
 あまりに突然な船長の雄たけびに、同じテーブルにいた子供たちが顔を見合わせた。
「……レック。ラギっちゃん、何だって?」
 仁王立つラギルニットの左側に座っていたキャエズが、身を乗り出し、向こう側のレックに通訳をうながす。レックは、自分の皿にも入れられている「物体X」を、フォークでくるくると絡め取って、ラギルニットの腹にちょんっとくっつけた。
「ぎゃぁああああ! やめてぇええ!」
「――わかめ、だよ。ほら、これ。ラギル、わかめ死ぬほど嫌いだから」
「は!? わかめ!?」
 キャエズがプッと吹き出す。
「マジで!? わかめごときでその絶叫!? その顔!? うんこ踏んだか、ち○こ蹴られた時のほうが、まだ救いのある顔だぜ!? さしゅがラギっちゃん……ぶははは! 噛んじゃったじゃねぇかよ、腹痛ぇ……ぶくく、あははははは!」
「な――! そ、そんなに笑わなくたっていいじゃん!」
「そうだよ、キャエズ。誰にだって苦手なものはあるでしょう?」
 ファルが健気にもキャエズを叱りつけるが、彼女も一応、箸が転んでも笑っちゃう年頃だ、若干口元がひくついている。
「うわぁあ! キャエズも、ファルも、わかめの怖さを分かってないんだぁー!」
「わ、わかめの怖さて。かなりのとこ、分かんねぇし。ぷぷ、ぶくく……っ」
「むきぃ!」
 何を言っても爆笑を誘うので、ラギルニットが地団駄を踏む。
 ファルは必死に笑いを堪えながら、それにしても、と意外そうにした。
「ラギルちゃんがわかめ嫌いだなんて、ボクも知らなかったな。海育ちで、わかめが嫌いだなんて、なんだか大変そう……プッ。あ、ごめん、今のナシッ。忘れて忘れて!」
 ファルが思わず吹き出し、慌てるその脇で、楽天家レイムがこれみよがしに、わかめに齧りついた。
「わかめ、美味いのにね。あ、ファルも知ってるよね? 海水がしょっぱいのは、わかめから出汁がいっぱい出てるからだ、って」
「し、知ってる!」
「……う、嘘だよ?」
「うっ、……」
「――もう、わかめの話はやめてぇええええええええ!!!!」
 ラギルニットは悲鳴をあげて、犬に追われて木に登っちゃった子みたいに、テーブルによじ登った。「こら、行儀が悪いぞ!」と厨房から料理長の叱咤が飛んでくるが、完全無視である。というより、余裕がない。
「いいの! 何でもいいの! 嫌いなもんは嫌い! おれ、絶対食べないからね!」
 レックは呆れた顔で、首を振った。
「ラギル、わがまま言うなよ。今、バクスクラッシャーは財政難なんだからな。金がなけりゃ、海産物に頼るしかないだろ。我慢して、わかめを食いなさい」
「いーやーだー! こんなもん食うぐらいなら、犬のうんこがいいー!」
「本当だな? 食えよ!? うんこ食えよ!?」
「食うもん!」
「じゃあ、いつ食うんだよ!」
「次に犬に出会ったら、お願いして、プリプリとうんこしてもらうもん!」
「海に犬はいねぇ!」
「魚のうんこでもいいもんー!」
「……わかめはぁ……」
 不毛すぎる争いに、不気味な声が割って入る。
 何故か全員が、ぎょっとキャエズに目を向けた。
「な、なんだよ。オレ、何も言ってないぜ?」
「……僕だよぉ……」
 声はキャエズの耳元からした。
 嫌な予感を覚えて、キャエズは恐るおそる、背後に首を巡らせた。
「えへへー……おはよー、だーりん……」
「ッぎゃああああー!?」
 キャエズに背後霊よろしくしがみついていた、自称キャエズの親友カティールが、のろのろと全員に挨拶の手を振る。
「やぁ、カティールだよー……」
「お、おおおお前、いつの間にオレの背中に張り付いてた!?」
「うふふー……、朝起きた時からずっとだよぉ……」
「どぇええ!? ってことは、すでに十三……いやー! 計算したくないー!」
「正確にはぁ……、昨夜の丑三つ時から、ずっと添い寝を……、きゃ……っ」
「恥らうなぁー!?」
 悲しすぎる悲鳴が食堂に響き渡る中、カティールは亀の子でもここまではというほどの鈍さで、指をちっちっちっと横に振った。
「ラギちゃーん、わかめはぁ……、ハゲにぃ……、効くんだよぉ……?」
「おれ、はげてないもん!!」
 ようやく本題に戻ったカティールに、ラギルニットが即答する。
「しょーらい、こーかいしてもー、知らないよぉ? あれー……、韻踏んじゃったぁ」
「踏んでねぇし!」
 すかさずツッコミを入れるキャエズを無視して、カティールはくすくすと笑う。
 ラギルニットはむすっと、唇を尖らせた。
「いいもん。そん時は、メル博士の“あらビックリ! 一時間でこんなに髪の毛もっさり子!”がキャッチフレーズの、育毛体験コース(一時間+今ならお得・サービス二十分追加)に参加するもん!」
「い、いやあ、それ、ぜってー後悔するからやめとけ? な?」
 レックが口を引きつらせた。
 相変わらずわかめを噛み噛みしながら、レイムが首をかしげた。
「でも、本当に何でそこまでわかめが嫌いなの? 味? 食感? 匂い?」
「……違うよ」
 ラギルニットの幼い顔立ちに、ほの暗い影が宿る。
 そうして彼は、光の失せた瞳で、全員を順繰りに見つめていった。
「――聞きたいの?」
 ぞくりとさせる低い声に、レックも、レイムも、キャエズ、カティール、ファルも顔を見合わせた。

 それじゃあ、話すよ。おれが、ちっちゃかった頃の話。
 まだ無人島で暮らしていたときのことなんだけど、午後になるといつも、海に泳ぎに出てたんだ。その頃、やっと深く潜れるようになったもんだから、その日も海底までぐんぐんと潜っていったんだよ。
 光できらきらした水面が遠くになると、海の中は暗くなっていった。それと一緒に水も冷たくなって、おれは水中でぶるりと身体を震わせたんだ。

「おしっこしたくなっちゃうなー、って思ったの」
「……その描写、必要か?」

 ラギルニットはさらに深く潜ってゆく。
 前よりも息が続くようで、得意な気持ちになった。島に戻ったら、みんなに自慢してやろう、そう思った。
 けれど彼らは、ラギルニットがこんなに深くに潜ったことを信じてくれるだろうか。
(見たこともない財宝の存在はすぐ信じるくせに、おれが潜水できるようになったーって言っても、ぜーんぜん信じてくんないんだもんね)
 そこで、ラギルニットは海底深くにしか生えていない種類のわかめを、証拠に持って帰ることにした。
 海底にそびえる岩山に降り立ち、ゆらゆら揺れるわかめの根元に手をかける。ぐっと引っ張るが、岩にしっかり張りついたわかめは簡単には抜けない。ラギルニットは歯を食いしばり、目を固くつむって、さらに力を篭める。
 ――ぶつっ。
 ついに、わかめが抜けた。
 ラギルニットは大喜びで地上に戻り、濡れた身体を乾かすよりも先に、島にいる仲間の元へ走った。
 畑仕事をしていた四人の海賊に、手の中のわかめを見せ、得意満面に胸を張る。
「えへん! 海底で抜いてきたわかめです! おれ、こんなに深く潜れるようになったんだ!」
 だが、彼らの反応は予想外のものだった。
 海賊たちの強面が、にわかに強張る。
「ど、どうしたの?」
「ラギルニット。どうしたんだ、それ……」
「え? だから、さっき海の底まで潜ったんだよ。それで、その証拠にわかめをとってきたの。えへへ、今日は、わかめスープだね!」
「いや、え、ラギル、それ……」
 海賊たちは一歩、また一歩後ずさると、震えた声で呟いた。
「髪の毛だぜ?」

「きゃあぁああああああああ!?」
 予想外な話を聞き終えたファルが、珍しく女の子らしい悲鳴を上げた。
 かろうじて悲鳴は上げなかったものの、男の子軍団も絶句している。
 ラギルニットは長い長い息を吐き出すと、ようやくテーブルから飛び降り、椅子に腰を落とした。
「おれ、あの感触、今でも覚えてる。ごわごわというか、もっそりというか……黒くて、うねりのある、多分女の人の髪の毛。指に絡みついて、なかなか離れなかったよ。あれが何だったのか、今でもわかんないんだけど、それ以来――……」
 そこで、ラギルニットははっと顔を上げた。
 呆然としている友人たちを見回し、慌てて笑顔を作る。
「ごめんね! こんなことが理由で、わかめが嫌いなんて恥ずかしいよね! このスープに使われてるわかめも、実は髪の毛だったりして……なんて想像が膨らんで、食べられなくなっちゃったなんて、笑っちゃうよね。ごめんなさい、わがまま言わずに食べます。――ほら、みんなも食べなよ! 髪の毛……じゃないや。わかめを食って、救え、財政難! だよ!」
 明るくスローガンを叫び、ラギルニットは意気揚々とフォークを握った。
 しかし誰も後には続かなかった。すでにわかめを麺のように食らっていたレイムも、フォークをカランッと床に落とし、口からわかめをでろでろ吐き出している。
 ラギルニットは、ふと、平坦な声で言った。
「……どうしたの、みんな? 食べようよ。まさか今の話を聞いて、わかめが怖くなったなんてことないよね? さっき、散々おれのこと笑ってたのに、今になってやっぱりわかめを食べるのはよそうかな、なんてそんなこと……ないよね?」
 ラギルニットは硬直する面々をじっとりと見つめると、にぱっと晴れやかな笑顔を浮かべ、実に礼儀正しく手を合わせた。
「さ、皆さん、ご一緒に。いただきまーす」
「……い、いた、だきま――」

 その後、匿名希望者たちからの「わかめ撲滅嘆願書」が料理長の元に届けられたという。
 そこには、涙に濡れ、恐怖に震えた文字で、「どうか、どうか二度と髪の毛……いえ、わかめを食卓に出さないでください。お願いします、一生のお願いです、どうかどうか(中略)昨晩も恐ろしい夢を(略)」と書かれていたとか、いなかったとか……。
 その事実を料理長から報告されたラギルニット船長が、料理長が去った後の船長室で、一人、確信犯的なガッツポーズをしていたとか、いなかったとか……。

おわり

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