いちばん、うそつき

「ラギルニットの大嘘つき野郎!!」
「な、何だよ、ロッカのばかばかばーか!!」
 夕焼けが海の彼方に沈み、連なる港町の家々が紅蓮に染まる頃。
 ラギルニットは港町の友人ロッカと、夕餉の支度で賑わう市場の隅っこで大喧嘩をしていた。
 子供の喧嘩、と大人たちは放ったらかしにしているが、当の二人は本気も本気、超本気だ。ほんの一分前まで喧嘩のけの字もなかったけれど、本気も本気の、超本気なのだ。
「おれ、嘘つきじゃないもん、ロッカのばか!」
「嘘つきが嘘つきじゃないって言ったら、嘘つきだってことなんだよ、アホウ!!」
 二人は肩を怒らせ腕組みすると、「イーッ」と歯を剥き出しにして顔をそむけた。

 時、遡ること十五分前。
 二人は肩を付き合わせて、仲良く談笑をしていた。
「久々だよなぁ、ラギルと会うの。最近どう? 収穫はあんの?」
「あんまり。こないだも密輸船を襲撃したんだけど、積荷はぜーんぶ馬糞でさ……」
「ばふんって、馬のうんこ!?」
「そう、うんこ! お馬のうんこっ、オーウ!」
 ラギルニットは拳を突きあげ意気揚々と答え、ロッカは腹を抱えて笑いころげた。
 ロッカはラギルニットが海賊であることを知っている、数少ない友達の一人だ。陸よりも海にいることの方が多いために、あまり頻繁には会えないのだが、会えば昨日会ったばかりのように気安く話しかけてくれるロッカが、ラギルニットは大好きだった。
「すっげぇ笑える! なんで馬糞が密輸されてんだ!? そこらに転がってんだろ!」
「知らなーい。でもほやほやだったよ。湯気たってたもん」
「プーッ」
「なんかね、フェクヘーラ大陸の南の方に草原の国があるんだけど、そこの草を食べて育ったお馬のうんこは心臓の病気に効くんだって。タネキア大陸経由で、ケナテラ大陸まで密輸されてるらしいよ」
「よくわかんねっけど、平和で友好的な密輸だな」
「でしょう!? あんまりガックリきたもんだから、甲板の上で、みんなでうんこ合戦しちゃったよ。でも後でわかったんだけど、じつはすっごく高価なうんこなんだって!」
「へぇっ」
「ワッセルなんて甲板にへばりついて、隅っことか、板の間とかに埋まったうんこを、もったいねーってヘラで掘り出して、箱に入れなおしてたよ……ぶくくっ」
 襲撃後の最大の楽しみといえば、もちろん積荷のふたを開けることである。中身が宝石や絵画のような、見るからに値打ちのある物だったら、そのまま宴会が三日三晩と続く。
 だが、もしも布団たたきが千本だの、アイスの棒「はずれ」ばっかり百万本だの、ゴキブリホイホイが二千個だの、そこそこ値はつくが、気分は盛り上がらないお宝だったりした日には、船員の落ちこみようは目も当てられない。
 たいていはそのまま、ローズおじさんとサリスの黄金コンビ主催による「何たら合戦」になるのだが――たとえば布団叩きなら「誰が最初に布団を叩き終わるか競争」、アイスのはずれ棒なら「何本積みあげられるか百番勝負」、ゴキブリホイホイなら何匹ゴキブリが積…いや、この話はよしておこう。ともかくそんな憂さ晴らし的な合戦が始まるわけである。
「う、うそだ!!」
 そこでいきなり、ロッカが声を上げた。
 今までの合戦歴を思い起こしていたラギルニットは、きょとんとした。
「ふぇ?」
「嘘つけよ、ラギルニット! ワッセルって、あの筋肉ムキムキの兄ちゃんだろ? 右目に眼帯つけて、ゴッツい体でさ、いかにも海賊って感じの!」
「えっとー、うん、筋肉ムキムキで片目なのはワッセルだよ」
「そんな人が、うんこ合戦なんて下らないこと、するもんか!」
「えぇ!? く、くだらなくないよ、真剣勝負だよ、みんな必死でうんこ投げあったよ! もしも当たっちゃったりしたら笑い者になって、「ウンコくさ男」とか変なあだ名つけられちゃうもん!!」
「そうじゃなくって……いや、それもどうかと思うけど、そこじゃなくって――あのワッセルさんが甲板に這いつくばって、うんこ掻き集めるなんて、ありえないってんだよ!」
「え。」
 予想していなかった部分に猛反論を食らったラギルニットは、ぽけっとする。
 ままごと海賊と名高いバクスクラッシャーでは、うんこ合戦なんて日常茶飯事だ。正直、三日三晩の宴会が続くことなど奇跡に近く、たいていの場合、積荷はスカだ。ラギルニットにしてみれば、むしろうんこはマシな方である。ゴキブリホイホイの時なんて、本当に本当に、思い出したくないぐらいの悲惨な目に遭ったし、ワッセルなんて最後にはゴキブリを食べちゃ――いや、やはりこの話はやめておこう。
「ワッセルだってうんこ合戦するよー! うんこ集めて箱に積め直して、これは俺のだから絶対絶対触るな、このうんこは俺のだぞ、触ったら絞首刑だぞてめぇら、って目をぎらぎらさせて、夜中もうんこの箱抱いて寝てたもん! 朝起きたらすっごい馬糞くさくって、みんなにウンコくさ男って……」
「嘘!! 絶対ぇうそ! 嘘うそ大ウソー!!」
「うそじゃないってば! 何で信じてくれないの!?」
「信じられるか、ラギルニットの大嘘つき野郎!!」
「な、何だよ、ロッカのばかばかばーか!!」
 
 そして、冒頭の展開となるわけである。
 互いにつんと顔をそむけあった二人は、しばらくむっつりと黙りこんでいた。
 ラギルニットは、ロッカはずるいと思った。何せラギルニットが顔をそむけた方向は海の方角だ。夕陽がものすごく眩しくて、きれいだけど、目に物凄く痛かった。
 些細なことに腹を立てていると、ロッカがいきなり「くそ!」と罵声を上げた。
「何だよ、ずるいぞラギルニット! こっちなんて夕飯のいい匂いがプンプンして、耐えらんねぇってのに、悠々と夕陽なんか眺めやがってふざけんな!!」
「……なぁ!?」
 ラギルニットはむかーっときて、勢いよくロッカを振りかえった。すると、ちょうど同時にラギルニットを振りかえってきたロッカの額と、思い切りぶつかった。二人同時に悲鳴を上げて、二人同時に互いの胸倉を掴みあげる。
「やるかこのヤロー!」
「やってやるこのヤロー!」
 子供たちの本気の喧嘩は一向に収まる気配はなかった。
 と、不毛な押し問答をしている、その時である。
 騒がしい人通りの向こう、天幕の張られた市場の先から、渦中の人物が近づいてきた。
 赤と黒とが混じった髪、浅黒い肌、そして右目を覆った不気味な眼帯。
 海賊バクスクラッシャーの船大工、ワッセルである。
「あ、ワッセル!」
 ラギルニットは偶然の出会いに、喧嘩中だということも忘れて、ぶんぶんと両手を振った。
 ワッセルもまたラギルニットに気付くと、友人らしい男二人を背後に従え、不機嫌そうに近づいてきた。胸を大きく反らし、足より先に腰から前に進むという、粗暴で不良な歩き方である。
 それまで大声を張り上げていたロッカが、急に身を縮めた。背丈はさほどでもないものの、筋骨隆々としたワッセルの体躯を上目で見上げ、頬を紅潮させる。
「ワッセル、お友達と散歩? 初めまして!」
 ロッカの異変には気づかず、ラギルニットは見るからにチンピラ風な男たちに、あくまで子供目線の可愛い台詞を投げかけた。途端、ロッカが慌てて「しーっ」だの「やめろよっ」だの、身振り手振りで指示をしてくる。が、当然ながらラギルニットは黙る理由が分からず首を傾げた。
「あー、散歩っつーか、飯」
「ご飯? うおー、おれもおなかすいたー」
 ワッセルはズボンのポケットに手をつっこんで、ぶっきらぼうに「あっそ」と呟いた。
「ガキが、あんまり遅くまで遊んでんなよ……」
 眼帯をつけていない方の、いかにも根性悪そうな三白眼を憮然を細めると、そのまま顎で男たちを促し、不良歩きで去っていった。
「そっちも帰りが遅くなったら、クロルにお尻ペンペンだよー!」
 ワッセルは背中ごしに手を挙げ、市場の喧騒に消えていった。
「うはは、すっごい偶然……うわぁ!?」
 ラギルニットは突如ロッカに腕を鷲づかまれ、悲鳴をあげた。ロッカは顔を真っ赤にさせ、目はうるうる、肩をぶるぶる、興奮気味にもがいていた。
 喧嘩していたことも忘れて、ラギルニットは思わず本気の心配をする。
「な、なになに!? どうしたの!?」
「く、くう……っくわあぁ!」
「ロッカ、大丈夫!? き、傷は浅いよ!」
「くわぁっこいい――――ぃいい!!!!」
「……へ?」
 ラギルニットはいきなり拳を握りしめ、地団駄を踏むロッカをぽかんと見つめた。聞き間違えでなければ、今、ロッカは「かっこいい」と言ったような。
「なにがかっこいいの?」
 途端、ロッカが肩を怒らせた。そして意外なことを言った。
「なにがって、ワッセルさんだよ!」
 予想外の答えに唖然とするラギルニットを尻目に、ロッカは恍惚と目を伏せた。
「最高だ、最強だよ、かっこよすぎる、あのいかにもオレは海賊様な空気! なぁ!?」
「え、あ、うん、――っうわ!」
 ロッカは間抜けな声を出すラギルニットの首に腕を回し、もう片腕を十字に絡めて力をこめた。
「ぐ、ぐるじい……っ」
「くっそう、ラギルめぇ! あのワッセルさんにお尻ペンペンだなんて何てこと……俺も人生一度でいいから言ってみてぇ!」
「……ぷは! い、言えばいいじゃん」
「ばっか、そんなこと言ったら殺されちまうよ、カトラスでめった刺しにされて、粉々に砕かれて、海にばらまかれて魚の餌になっちまうよ!」
「しないよ、そんなこと……」
 どこからそんな妄想が来たのだろうか。ラギルニットはおろおろとロッカを見つめる。ここのところ暑い日が続いたから、頭が熱でやられちゃったのかな、とか思う。それともさっきコツンとやった拳が、脳細胞を破壊させちゃったのかとも思う。
 ラギルニットの心配をよそに、ロッカはうっとりしたまま、浮ついた溜め息をついた。
「馬鹿だなぁ、ラギル。知らないのか? ワッセルさんって、この辺りじゃ有名なワルなんだぜ。町の奴らなんてワッセルって名前を聞いただけで震えあがるんだぜ!?」
「なんで? うんこ集めが趣味だから? ……あいたー!!」
 本気で殴られた。しかもパーじゃなくて、グーで。
「あの人が、うんこなんて集めるかよ、嘘ばっかつきやがって、ばぁかばぁか!」
「だ、だからうそじゃな――」
「隣町のサハブって知ってるだろ? いつも子供とか爺さん婆さん狙ってカツアゲしてる奴。この間もリッシュから小遣いの金をぶんどろうとしててさ。そしたら、あのワッセルさんが助けに入ったんだぜ!?」
 ラギルニットは目を丸め、疑わしげに眉をしかめた。
「そんなカッコいいこと、ワッセルがするかなぁ…」
「サハブに肩からぶつかってってさ、舌打ちして、”そんなとこに突っ立ってんじゃねぇぞ”って! 睨み返したザハブを、一発で伸しちゃったんだって!」
「それ助けに入ったんじゃなくて、無視して素通りしようとしたら、たまたま肩がぶつかっちゃって、そのことに怒っただけなんじゃ」
「こ、の、や、ろ、う~っっ!!!」
 ロッカはラギルニットに圧しかかって、髪をガシッと掴むと強烈な頭突きを食らわせた。
 それでラギルニットもカチーンときて、涙目になりながら頭突きを仕返した。背丈が低かったために、鼻に一発お見舞いしてしまい、ロッカは悲鳴をあげてのけぞった。
「許せねぇ、ラギル……!」
「おれも許さないもん、うそつきなんかじゃないよ! ワッセルはほんとにうんこ拾ってたもん、うんこだもん、超高級な馬糞なんだもん!」
「ワッセルさんのことを、うんこうんこ言うなー!」
「うんこだからうんこなんだよ、ワッセルなんてうんこ! うんこうんこうんこうんこ! ワッセルうんこー!」
「てめぇー……!!」
 再び二人は取っ組みあい、ごろごろ転げまわっての大喧嘩を始めた。ロッカがラギルニットの頬にパンチをすれば、ラギルニットも腹に膝蹴りをお返しする。二人としては真剣勝負大一番なのだが、傍目に見れば、子犬がじゃれ合っているようにしか見えないのが悲しいところだ。
 そして喧嘩を始めてから十分は経過した頃、ようやく二人は拳を納めて、ぜぇぜぇ言いながらその場にぺたりと座りこんだ。二人とも鼻血に青あざだらけである。体力の限界ぎりぎりまで戦ってしまった。
「やるじゃねぇか、さすが海賊の船長様」
 ロッカは切れた口端を親指でぬぐって、まだ肩を上下させながら、相討ちに終わった相手の健闘を讃えた。
「ロッカも、親方のところで鍛えてるだけあるよ、いたた……」
 ラギルニットも鼻血を肩口でぬぐって、素直に賞賛した。ロッカは相当体力を必要とするパン焼き職人の見習いなのだ。
 二人はしばらく気まずげに沈黙し、見る間に暮れてゆく空を見上げた。
 頭上に広がるのは、南方特有の燃えるような茜色。すでに空の頂点は紺色に近く、さらに頭を仰け反らせれば無数の星々が瞬いて見えた。
「……うそつきじゃ、ないからね」
 ラギルニットは赤い瞳を細めて、むっつりと自分の爪先を見すえる。
 二人は再び臨戦態勢で睨みあうが、ロッカのほうが先に折れた。
「べっつに。嘘つきって言いたかったんじゃなくて、ワッセルさんがカッコいいって話をしたかっただけだよ。ぜってぇうんこなんて拾わない」
「だって本当に拾ってたんだも――」
「羨ましかっただけ!」
 ロッカは言葉をさえぎって、恥ずかしそうに、けれどはっきりと言い切った。
 目を丸めるラギルニットに、ロッカは目を泳がせる。やがて大きく溜め息をつくと、ごろりとその場に横になって、まだ明るい夜空を見つめた。
「羨ましい。俺はきっと一生タネキア大陸から出るなんてことないし。ラギルみたいに海賊船に乗って冒険してるのとか、ワッセルさんみたいなカッコいい人たちに囲まれて生活してるのも羨ましい。……はぁ、俺もいつか、ワッセルさんみたいになりたいな」
 筋肉バカとか、うんこ製造機とか、脳みそ筋肉とか呼ばれているワッセルしか知らないラギルニットはむずがゆい気持ちになった。船員ではない少年から、自分の大切な仲間が「かっこいい」と賞賛されている。それはとても不思議な感覚で、戸惑いでもあり、そして何だか照れ臭いほどに嬉しかった。
「そうかなぁ。でもうんこだよ」
 照れ隠しに呟くと、ロッカがまた「うんこじゃねぇ!」と猛反論した。

 羨ましい。すとんと胸に落ちた言葉。
「うはは……」
 ラギルニットは笑ってしまう口元をむにむにと解して、夜の市場を駆けてゆく。
「あ!」
 ふと前方に、例のうんこを拾ったり、正義のヒーローになったりと大忙しなワッセルの背中を見つけ、ラギルニットは誇らしさのあまり「キャーッ」と歓声を上げて背後から抱きついた。
「!? て、ラギルか、びっくりさせんなよ」
「えへへへ、ワッセルのうんこーっっ」
「……何だとコラ!?」
「うんこだよ、うんこ! ワッセルはカッコいいうんこなんだって!」
 腰にしがみついたまま離れないラギルニットを片腕一本で引き剥がすと、ワッセルは少年の小さな体を小脇に抱えて歩きだした。
「はぁ? おまえ熱でもあんじゃねぇの?」
「馬糞だよ、ほら、前にワッセルがいっぱい拾ったやつ」
「俺が拾ったとか言うなよ、てめぇ。お前も拾っただろうが。つーかあのうんこ、あんな必死こいて集めたのによ、最後、リズの野郎に全部回収されちまって、すっげぇ腹立つ。分け前も、うんこ拾いしてねぇ奴と同じだし。いつか刺し殺してやる、あのクソ親父……」
 うんこ発言を連発して、本気で悔しそうに顔を歪めるワッセルに、ラギルニットはぶくくっと堪え切れない笑い声をあげた。
 そしてふと周りを見渡して、気がついた。
 市場を歩く人々が、何となく怯えた目でワッセルを見つめている。それでいて、子供は目をキラキラさせ、遠巻きに尊敬の眼差しを向けていた。
 ラギルニットは小脇に悠々と抱えられたまま、ワッセルを見上げた。
 そこには普段と何も変わらぬうんこなワッセルがいる。
 別に英雄的にかっこよくなんてないし、いつも通りのワッセルだ。
 なのに、ロッカやみんなの目には、カッコよく見えているのだ。
「……あんだよ?」
 視線に気づいて、眉をしかめるワッセル。
 ラギルニットは何だか可笑しくなって、ワッセルにぎゅっとしがみついた。

「いっちばん、うそつき!」

おわり

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