影の円舞曲

02

 気落ちしたまま甲板に上がったキャムは、目の前に広がった光景に、目を丸くした。
「な、なにこれ」
 まるで、港で開かれる青空市場が、そのまま船上に引っ越してきたようだった。
 帆が落とす影の下、所狭しと並べられているのは舞踏会のための品々だ。高級感のある箱に載せられた靴は、十二色の絵の具を並べたよう。それに帽子。つばが広く、花や果物、羽などのモチーフがあしらわれた、貴婦人好みの華美なデザイン。布を幾枚も重ねて作られたコサージュや、滑らかな絹の手袋、首元を飾る宝石の類はうっとりするほど美しく――、
 何よりも目を惹いたのは、華麗なドレスの数々だった。
 他ならぬ船上舞踏会のことで沈んでいたというのに、キャムの心は自然と踊った。
「すご……」
「あたくし、この帽子が気に入りましたのー」
「んまあ、素敵ざますーっ」
 素直な感動を口にしかけたところで、いきなり背中をどんっと押された。
「あ、わり、キャム」
 女性用の帽子をかぶったり、かぶせたりで遊んでいたキャエズ、レック、レイムたちが、はしゃいだ拍子にぶつかってきたのだ。
「……ちょっと!」
 キャムは三歳年下の少年たちから、帽子をぶんどった。
「汚れた手で触んないで。これはレディが身につけるものなんだから!」
「はー? じゃあ、キャムも触るなよ」
 レックの反論に、キャムは眉をしかめる。
「何でよ」
「お前は、レディじゃねぇだろ」
 かちん。
「あんたって……どうしていっつもそう、デリカシーがないのよ!」
「デリカシーってオイシーですカー。ワカリマセーン」
 キャムは握っていた帽子を、レックめがけて投げつけてやった。思いのほか軽い帽子は、風に乗って甲板の上をころころと転がってゆく。レックはキャムに舌を出すと、レイムとキャエズを促し、笑いながら帽子を追いかけていった。
 先ほどの高揚感など一瞬でなくなり、キャムは不細工に目を細めた。
「何よ。無神経な小猿……」
「あ、キャム、見つけた!」
 と、そこへ背後から声がかかった。
 少し低めの、耳に心地よい女性の声。キャムはぱっと顔をうつむけた。
「ちょうどよかった。呼びに行こうと思ってたんだよ」
 キャムの憧れの女性、クロルだ。
「ん? どうかしたかい?」
 顔を上げないキャムを不審に思ったのか、クロルが不思議そうにする。
 キャムは、顔はちゃんと洗った、目の赤みが引くまで待ったと指差しで確認した。
 大丈夫。かっこ悪くない。みっともなくない。
 子供みたいに泣いていたこと、クロルには知られたくない。
「な、なんでもない。ちょっと目にごみ……なんか用? クロル姐」
 少しつっけんどんな物言いになったが、どうにか顔を上げられた。クロルは少し首をかしげたようだったが、「じゃんっ」と手にしていたものを広げて見せた。
「いやさ、なかなか甲板に出て来ないから、かわりにキャムのドレスを見繕っといてやったんだよ。あんた、今年はこんなんどう?」
 それはドレスだった。
 柔らかなクリーム色の布地。上半身は体の線に沿うように、細身に作られている。ぐっと絞られた腰から下は、足首が少し出るぐらいの長さのスカート。ゆるやかに広がった裾には、濃紺色の細糸で蔦と花をイメージした流線の刺繍があしらわれている。ところどころに小粒の真珠と藍輝珠が縫いこまれていて、太陽の光を弾くたびに星のように瞬いた。
 華美すぎず、地味すぎず、しっとりと落ち着いたデザインだ。
「すてき……」
 思わず呟くと、クロルが満足げにうなずいた。
「あんたもお年頃だからね。去年みたく、ピンクでふりふりしたのは嫌だろう?」
 そう言って、クロルはドレスをキャムに宛がった。
「うん、サイズもいいね! これで髪の毛をアップにしたら、首のラインがすっきり見えて、そりゃ素敵だよ。耳には裾に合わせて真珠つけてさ……大人っぽい感じに仕上がるよ」
 大人っぽい。その言葉に、キャムの心は不意の疑心暗鬼に駆られる。
 ファルとリーチェから何か聞いたのだろうか。コンプレックスのこと、子供みたいに泣いてしまったこと、クロルには知られたくないことを、あの二人は話してしまったのだろうか。
 だがクロルの声音に同情めいたものはない。
 話さなくても、キャムがこういうドレスを着たいと思っていることを察してくれたのだ。
 クロルはそういう女性だ。だから憧れている。ずっと、ずっと。
「……もう、クロル姐っ」
 何だかまた泣きたい気分になった。けれど涙は飲みこんで、キャムは「ああもう!」と叫ぶと、どんっとクロルに体当たりして抱きついた。
「だから大好きなの! クロル姐のばか!」
「ありゃ、嬉しいこと言ってくれるじゃないさ……って、ばかってどういう意味だい!」
「ばかはばかなのーっ」
「なんだってー!?」
 甘えた口調でバカバカと繰り返すキャムの髪を、クロルはくしゃくしゃっと掻き回して、ケタケタと笑った。トゥーダ大陸の御貴族サマがやったら、確実にはしたないと怒鳴られるだろう笑い方だが、クロルには眩しいほどに似合っている。
 素敵な女性だ。卑屈さに歪んだ心でも、素直にそう思えるほどに。
 ――クロルになりたいと思う。
 クロルのように素敵に笑いたい。クロルのように意地悪にならない軽口を叩きたい。
 けれどキャムが同じように笑うと、みんなは「いきなり馬鹿笑いすんなよ」と一歩引く。同じように軽口を叩くと、「お前ほんっと性格悪いな」と顔をしかめられる。
『真似して自分が輝くならいいけど、卑屈になるだけならやめな?』
 でも、だったらどうすればいいのだろう。
 自分が嫌い。意地悪で、自分勝手で、我侭で、小さい頃から大嫌いだった。
 そんな自分を変えたいと思った。人から好かれる女性になりたい。可愛くなりたい。綺麗になりたい。だから理想の女性クロルを真似するようになったのだ。
 けれど、リーチェの言う通りだ。クロルを真似をしても、ちっとも自分を好きになれなかった。だがだったら、どうすればいいのだろう。どうしたら自分を好きになれるのだろう。
 せめて外見だけでも良かったのに。クロルのように背が高くて、女性らしい顔立ちで、ついでに胸が大きければ、もっと自信を持てた。きっと性格だって良くなれた。自分を好きになれた。
 それも望めず、真似することも無駄ならば。
(もうどうしたらいいか、わかんないよ……)
 キャムはクロルの衣服に染みついた海の香りをいっぱいに吸いこんで、性懲りもなく出てくる涙を必死で堪える。
 駄目だ。心配をかけてしまう。クロルにはこんな情けない心の内を知られたくない。
 固く目をつぶり、キャムは呼吸を整えると、無理やり顔を持ち上げた。
「ねぇ! クロル姐のドレスはどんなの!?」
 明るい声に、クロルは口元に人差し指を押し当てた。
「まだ秘密。当日の夜、最高に美しいあたしを見せたげる」
「壁の花だったりしてー」
 それに茶々を入れたのは、近くで自分の足に合うブーツを探していたダラ金だった。
 興味がないので視界に入らなかったが、甲板に並ぶ衣装にはもちろん男性の物も含まれている。改めて見回すと、早速男たちが薄汚れて擦り切れだらけのシャツを脱ぎ、真新しい物を頭から被っていた。
「なにか言ったかい? ダラ金」
「なにか聞こえちゃった? 姐さん」
 物騒な笑みを浮かべるクロルに、にこりと笑い返すダラ金。クロルのほうが年下なのに、なぜか「姐さん」であるところから、立ち位置がうかがえる。直後にクロルのかかと落としを喰らって、ダラ金沈没。
「美しすぎる壁の花。その高貴さゆえに、誰もが摘んでしまうことを躊躇うのさ、お嬢さん……」
 それに乗じて現れたバザークが、足を振り上げたままのクロルの耳元に、ぬけぬけ囁きかけた。クロルはダラ金を蹴散らした足を返して、バザークに回し蹴りを喰らわせた。
「このあたしが、壁の花なわけないだろ? 言っとくけど、引く手数多だよ! あんたら、後で踊ってほしいって平伏しても、相手にもしてやらないからね!」
 クロルは乱れてもいない髪をばさっと掻きあげてみせた。
(かっこいいなあ……)
 キャムはひそかにうっとりする。
「うわあ、自分で引く手数多とか言ってるっスよ、この人!」
 その時、突如傍らで笑い声が爆発した。キャムはぎくりと肩を震わせる。
「超かっこ悪いっス!」
 ──シャークだ。
「おほほほ、シャーク。あたしと踊りたいなら、今のうちに整理券をゲットしときな。まあ、すでに40番台だけどね!」
「うええ、最悪っス。クロルと踊るぐらいなら、ウグドちゃんと踊るっスよ」
「ちょ……あのむっつり修行僧と比べんじゃないよ!」
 頭の上を通過する、テンポの良い会話。
 また卑屈な心が首をもたげてきた。
 シャークはキャムを見向きもしない。話題を振ってもくれない。
 腹が立つ。苛々する。人がうつむいてるというのに、少しも気づかない。
 ――腹が立つ。
「クロルと踊るのなんて嫌っスよね、ホーバー?」
 シャークがうひゃひゃと笑って、通りすがりのホーバーに声をかけた。いきなり話しかけられたホーバーは、「あー、やだな」と物凄い適当に答えた。
「な……っよくも言ったね、このクソ緑頭!」
「え? ……あーごめん、聞いてなかった。キャムはもう着るもん見つけたのか?」
 不意にうつむけていた頭を、ホーバーが何の気なしに叩いてきた。
「てか、あんたスマートに無視してんじゃないよ!」
「どうせまた、どうでもいい内容だろ?」
 キャムは掌に導かれるように、顔を持ち上げた。
 振りかえると、そこには副船長ホーバーの穏やかな笑顔があった。
「……ん?」
 ぼんやりとした視線に気づいてか、ホーバーが目を瞬かせる。
「あ、キャムじゃないっスか。小さくて見えなかったっス!」
 クロルとの会話が途切れたからか、ようやくシャークが声をかけてきた。
 キャムは途端にむっとして、反射的に言い返した。
「小さいってなによ。このデカブツ!」
 シャークはうっしっしと笑って、悪気なんてまるでない笑顔で言った。
「キャムは誰かと踊る約束してるんスか?」
 ――直球ストライクな質問だった。
 キャムは動揺のあまりに、口をぱくぱくと開閉させた。
「あ……べ、別に、誰でもいいでしょ。あんたには関係ないし」
「ガビーンッ」
 がびーん。言った途端に、キャムは自分で落ちこむ。
 何でいつもこんな応答しか出来ないのだろうか。いつもこの調子で受け答えしてしまうから、ろくな会話が出来ないのだ。口論、口論、また口論。買い言葉に売り言葉。もっと軽妙に、クロルのように楽しい会話をしたいのに。
 引く手数多だけど、あんたは相手がいないだろうから、踊ってあげてもいいわよ? とか。
 なに、私が誰と踊るのか気になるってわけ? とか。
 言ってみようか。いや、それ以前にシャークが誰と踊るのか気になる。
 キャムは目玉をぐるぐると回した。ちらっちらっと確認すると、クロルとホーバーは二人で喋っていて、こちらをまったく見ていなかった。体が一気に火照る。顔が真っ赤になる。慌てて床に視線を落とし、キャムは「わ、あ」とパニック寸前の震えた声を出した。
「あ、あ、んたは、だ、誰と、誰かと、踊る……とか約束……」
 駄目だ、これでは意味が分からない。
 キャムはぎゅっと目をつぶると、思い切って顔を上げた。
「シャークは誰とおど……!?」
 だが。
「――い」
 い、な、い。
 ふるふると震えながら甲板を見渡すと、シャークはいつもの酔っ払ったような足取りで、船員たちの間を歩きまわって、あれこれちょっかいを出していた。
 驚くあまり、真ん丸に見開かれた目が、ホーバーの不思議そうなそれとぶつかる。
「さっきからどうした?」
 キャムは耳まで真っ赤になって、副船長の足を思い切り踏みつけた。
「う、ううう、うるさい、馬鹿ホーバー!」

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