ホーバーの思いもよらぬとんだ一幕

外伝「誰の話やら」

 やさぐれたところなんか一つもない、ただの平凡な女が海賊をやってるってだけで救いようがねぇのに。別の海賊船に乗ってる男を好きだなんて、さらに救いようがねぇ。

 しかも本人、その片想い、隠してるつもりだってんだから、笑える。

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「最近クロック船長がなにかを企んでる気がするんですっ」
 女の直感は鋭いと言うが、スーレイの直感はとびきりだ。
 素朴というよりは「天然」とか「間抜け」とか「とろい」という単語が似合いそうな顔。それでいて知的な光を目の奥に秘めたスーレイの、「まちがいないっ」と気合いをこめて握られた両の拳を、イージスは横目だけで見据えた。
「……だからなんだよ」
「あれ? 不機嫌?」
 話に乗ってくれるとでも思っていたのだろう、スーレイは拍子抜けした顔をした。
 イージスは舌打ち寸前に顔をしかめ、わずかに持ちあげた上体を再びハンモックに沈める。
「二日酔い。甲高い声でうるせぇ」
「……ふーん?」
 そのままスーレイに背を向けると、しばらく背後では沈黙が続いた。きっと部屋を出て行ったのだろうと思って、溜め息まじりに目を伏せると、いきなり耳元で「すぅっ」と息を吸う音が聞こえた。
「っうそつきー!!」
「――!?」
 耳にガンガンと響いた突然の大声。イージスは驚きのあまり、ハンモックから転げ落ちそうになる。慌てて揺れる縄にしがみついて振りかえると、スーレイは両の拳を腰に当て、ハンモック上のイージスを唇を尖らせて見下ろしていた。
「――何しやがる!」
「嘘なんかつくからです。不機嫌なら不機嫌って言えばいいのに。今、お酒の在庫、切らしてるんだから。二日酔いできるほどのお酒なんて、船内にはないもの」
「……だから何だよ!」
「私、何かしました?」
 苛立ちのあまりに怒鳴りかえしてやると、スーレイはふと不安な表情を浮かべた。
 イージスは眉間に盛大に皺を寄せた。
 何かしたかも何もない。
 イージスは、このスーレイという女船員が苦手だった。女なんてどれもこんなもんだろうか。とろい外見のくせに、意外に勘がいいところも、小動物みたいな弱々しい外見のくせに意外に打たれ強いところも、何かと予想を裏切るその性格をどう扱っていいのか、仲間になって十年も経つのに、どうにも図りかねていた。
 薄茶の髪を苛立ちに掻きあげ、イージスは溜め息をついた。
「何でもねぇよ。仕事でミスっただけだ。――クロック船長がどうしたって?」
「あ、そうなんですか。そっか、やだなイージスったら。私なんか毎日失敗ばかりです。気にすんな!」
「……うるせぇっつってんだよシメんぞこのアマ! クロックの太った麦酒っ腹がどうしたかって聞いてんだろうが!!」
「わしの名を呼び捨てしたのは、誰かね?」
 いきなり氷点下の冷たい声がして、イージスとスーレイは同時に硬直した。
 部屋の入り口に、誰であろう、我らが海賊シーパーズのクロック=バーガー船長が、麦酒っ腹を揺らして立っていた。
「せ、船長……!」
「失礼しました……!」
 イージスは意識するより先に、体に染みついた習慣でハンモックから飛びおり、スーレイと共に直立不動の謝罪を発した。仮にも船長に対して「太った麦酒っ腹」などと、普通の海賊ならば、いや、あるいはクロックの虫の居所が悪い日なら、九尾の鞭で背を打たれようが、無人島に置き去りにされようが文句は言えない。
 クロック船長は若い二人の船員を睥睨すると、ふと相好を崩した。
「ま、麦酒っ腹なのは本当だからの! 今日のわしは気分がよい。聞かなかったことにしてやろう。今回限り、な」
 どうやら機嫌の良い日だったらしい。冷や汗だらだらだったイージスは、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになる。それほど怒ったクロック船長は恐ろしいのである。
「お前たちにもちと耳寄りの情報を教えてやろうと思うてのう……」
 いかにも楽しげに肩を震わせ、クロックは誰かに言いたくてたまらなかったらしい耳寄りの情報を口にしようとする。
 余裕を取り戻したイージスは、ちらりとスーレイに目をやった。クロックが何かを企んでいると言っていたスーレイは、「ほらねっ」と言わんばかりに目をきらきらさせていた。
「今日はのう、せっかく天気も良いことだし、バクスクラッシャーの連中に会いにゆこうと思うのよ」
 バクスクラッシャー。その単語を聞いた途端、スーレイの顔が見る間に紅潮していった。あからさまなその変化に、イージスは一気に白けた気分になる。
 だが船長の次の言葉は、そんなスーレイのみならず、イージスまでもを呆気にとらせた。
「それでもって、ホーバー副船長殿と、わしの可愛らしい娘デトラナを、結婚させようと思うておっての! れっつ、さぷらいずうぇでぃーん!!」

+++

 三日後、見事合流を果たした海賊バクスクラッシャーの船舶の二層甲板にある食堂で、スーレイは頬を机にべにょんと押しつけ、いかにも気力を根こそぎ奪われた顔でへこんでいた。
 クロック船長の愛娘デトラナと、先ほど廊下ですれ違ったときに、いきなり「もっと脇へ寄ってくださいませんこと? 田舎臭さが移りますわ」と言われたせいである。スーレイは見かけによらず気丈な性格をしているが、反論しようとした矢先、デトラナの高圧的にそらした顎の美しいライン、惜しげもなく晒した腰の妖艶なくびれ、露出度の高い薄布を重ねてできた衣服から覗く官能的な美脚に気づき、あっという間の不戦勝になってしまったのである。
「わ、わたしなんて……どうせ田舎出です」
 自暴自棄になって、スーレイはめそめそする。
「くびれもないし、脚なんて大根だし、胸からお尻まですっとんとんです……」
 食堂の一番隅で、バクスクラッシャーの仲間に借りた本を読んでいたイージスは、鬱陶しさのあまり、盛大に溜め息をついた。何で、こういう現場にいちいち居合わせてしまうのだろう。タイミングの悪い我が身を不幸に思う。
「……独り言は一人のときに言えよ、鬱陶しい」
「独り言に返事なんかしないでください、ううう……」
 再びさめざめと泣き崩れるスーレイだったが、そこは根っから明るい彼女のことだ、すぐに何かを思いついたらしく、ぱっと顔を上げると、テーブル3個分は距離の離れたイージスにまた期待満面の眼差しを向けた。
「……なんだよ、気色悪ぃな」
「ちょっと気になっただけなんですけどね? 深い意味はないんだけど、男のひとってどういうものを贈られると喜ぶでしょう!?」
「……はぁ?」
「女の子は、お花とか、アクセサリーとか、それか手紙だったりとか、そういうのでも嬉しいんですが、男のひとはどういうものがいいのでしょうか!」
 イージスは不穏に目を細めた。だがスーレイは気にも留めず、期待満面な小兎の瞳をくりくりさせている。ふらっとした。だから苦手なのだ。悲しげにしていたかと思えば、さっさと一人で希望を見出している。仕方なしに、適当に答えることにする。
「酒、タバコ、女」
「……イージス。わたしは真剣に聞いてるんですが……」
「さっき、深い意味はないっつったじゃねぇか」
「! な、ないです。どーせ、ないですヨ……」
 なぜか語尾は拗ねた口調である。
「あの……参考なまでに聞くんですが、たとえばイージスはどんなものがいいですか?」
「――俺だぁ?」
「はい。あ、イージスに何かをあげようというわけじゃないですから、期待しないでくださいね」
「別にしてねぇよ……」
 イージスは肩をすくめ、開いたままの本に目を落とす。
 スーレイはそのまま傍らで大人しく返事を待った。

 ――いわゆる片想いというやつだ。
 スーレイは、バクスクラッシャーの船員に恋心を抱いている。
 それも相手はクロック船長が愛娘と結婚させようとしている、ホーバー副船長だ。
 今朝、その副船長と緊張気味に喋っていたスーレイを思い出す。
 ちょっと朝の挨拶をしたぐらいで幸せそうに微笑んで、どうせ見てやしないのに、去ってゆく背中に小さく手を振って、思わず笑い声を零し、慌てて周りをきょろきょろと見回している。
 馬鹿馬鹿しい。イージスは心中で溜息をつく。
 あれで本人、その片想い、隠してるつもりだってんだから、笑える。

「……きいてます?」
 ようやく無視されていることに気がついたらしい、スーレイが低い声で伺ってくる。
 イージスは頬杖をつき、無言でスーレイを睨みあげた。
 そのとき、どうしたわけかふと、彼女の後ろでひとまとめにした長い髪が目に止まった。
 色気もクソもない髪飾りをつけている。今どき、ただの紺色のリボンに、小さな安物の真珠があしらわれただけの恐ろしく質素なものだ。
「……髪飾り」
「え? かみかざり?」
 スーレイが目をぱちくりさせて繰りかえす。
「そう、髪飾り。……つーかお前さ、人に物やるより前に、自分のをもっと――」
「そ、それ、いただきました!」
「――あ?」
「それ、いいです! 男の人でもそういうのは、ありでしょうか! 髪飾りとか!」
 イージスは呆れかえる。女ってやつは何故こんなに人の話を聞かないのだろうか。
「そうじゃなくて、俺が話してるのはお前のそのダサい髪留めの話で……」
「お守りとか、そういうことにして渡したら大丈夫ですよね、きっと! そしたら――そしたら、じゃあ交換しよう、なんてことになったりして……そ、そうしたら、ど、どどどうしましょう……っ」
「…………」
 イージスは本をパタンと閉じた。立ち上がり、いまだに妄想してはしゃいでいるスーレイを背後から見つめる。指をひょいと伸ばして、例のダサくて地味で色気のない髪飾りをするりと解いてやると、スーレイが驚いた顔をした。
「……うわ、何してるんですか」
「そうじゃねぇっつってんだろ。だからこの髪飾りがどうなのかって話をしてんだよ。もっとマシなもんつけろって。だっせぇな。ばあちゃんのお下がりか?」
「おばあちゃんのお下がりじゃないですけど、おばあちゃんのお下がりだとしても素敵じゃないですか。気に入ってるんですっ」
「こんなんつけてんじゃ、見向きもされないぜ……」
「え!? そ、そうでしょうか……て、見向きもって、だだ誰にです!? ちょっと――イージス!」
 イージスは髪飾りをくるくると回転させながら、後ろから追ってくる声を無視して廊下に出る。
 人気のない二層甲板を通って階段を上り、そのまま甲板に繋がる扉を開けると、吹きつけてきた突風に思わず目を閉じた。
 いい天気だった。はるか水平線に、どっしりとした入道雲が圧しかかっている。爽やかとは言いがたい熱風が髪を撫で、汗ばんだ肌に心地よい。
 人目を避けて船尾楼に立ったイージスは、指に絡めたリボンを顔の前に掲げて、眉を持ちあげた。
『そしたら、じゃあ交換しよう、なんてことになったりして……そ、そうしたら、ど、どどどうしましょう……っ』
 一瞬、想像してしまった。
 スーレイと、バクスクラッシャーの副船長とが、互いの髪飾りを交換している光景。
「……馬鹿くせぇ」
 イージスは皮肉げに薄笑って、髪飾りを拳の中に納めた。
 もちろん馬鹿な妄想だ。あの副船長に限ってそんな展開などありえるわけもない。
 ――だが、それでも……。
 スーレイの後ろ髪から強引に奪った髪飾りを、拳ごと船べりの外へと突き出す。
「あんな男にくれてやるかって」
 そのまま指を広げると、髪飾りは眼下の海へと向かって真っ直ぐに落ちていった。

 やさぐれたところなんか一つもない、ただの平凡な女が海賊をやってるってだけで救いようがねぇのに。別の海賊船に乗ってる男を好きだなんて、さらに救いようがねぇ。
 しかも本人、その片想い、隠してるつもりだってんだから、笑える。

 誰の話やら。

おわり

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