ラブロマンスには至らない

01

「カヴァスじい、とてもヘンなヒト。ミンリー、いつも楽しいノヨ」
「楽しい!? 信じらんねぇ。やかましいだけじゃん、あの死にかけじじい」
「ダメ、ダメヨー! ログゼ、そんなこと言う、ダメ!」
 ログゼの軽口に、ミンリーはぽかぽかとログゼの腕を叩いた。しかし咎める口調には、抑えきれなかった笑いが混じっている。

 航海中のバックロー号。
 天候もよく波も穏やかで、揺れも静かな船内。二層の廊下の奥にある洗面所での、仲睦まじい恋人たちによる語らいのひとときである。
 ログゼとミンリーといえば、誰もが認めない非公認カップルだ。
 タネキア大陸奥地の、少数民族出身のミンリィエ=フォウレス。素朴な愛らしさは船員たちの誰もに愛されている。彼女が、元泥棒なんぞのログゼなんかと付き合っていることが発覚したときの船内の動揺は……ともかく凄いものがあったという……。
だが、船員たちの様々な妨害と中傷(全てログゼに向けての)を受けつつも、なんのかんのと順調に愛を深めていっている二人である。
「カヴァスじいのあの、うんたらっちょ、っつー口調、あれぜってぇ方言じゃねぇ。あれはカヴァス語に違いねぇな。奴は地底人なんだよ、実は。カヴァス族だ、カヴァス族。あの鼻のでかさは、地底の暗がりでも鼻が利くように……」
「ダメよ、ログゼー!」
 つたないリスト語を零れるような微笑をともに紡ぎながら、ミンリーはぶつぶつカヴァス論を並べるログゼの口を、人差し指で塞いだ。
 ログゼはふっと笑って、その褐色の細く小さな手を、右手で素早く盗みとった。
 船内の冷ややかな空気で少しばかり冷たいミンリーの掌を、自分の頬にあてがう。ミンリーはわずかに頬を赤らめて、そして柔らかな微笑を満面に浮かべた。
 ミンリーは自然と背を壁に預ける。ログゼは頬に当てていた彼女の手を首に回させて、身を屈めて顔を近づけた。
 思い起こせば付き合いはじめて随分になるが、それでも二人でいると胸が高鳴ってしまうのは、もしや幸せなことなのかもしれない。倦怠期とかいうものも、自分たちにはわりと無縁だった気がするし……などと思いながら、二人は目を伏せて、あとはただ流れのまま唇が重なるのを待った。
 ──が。
 ……ダダダ、ダダダダダ、ドタドタドタドタドタドタ───!
 遠くの方から、やかましい足音が近づいてくる。
 二人の世界に入っていた二人は、無粋な足音など気にも止めずに至福の時を待っていたが、背後で止まった足音と、やかましい声がそれを無残にも打ち破ってくれた。
「……あー! ログゼのアホが、エロいことしてるー!」
「うっわーケダモノー!」
 ガキどもであった。
 ログゼは事の寸前でぴたっと止まり、閉じていた目をパカッと開け、首だけで背後をぎらっと振り返った。
「失せろ」
 レイムとファルは、不機嫌丸出しの強烈な眼光を受けてると、「きゃー!」と嘘っぽい悲鳴を上げて、足音高く去っていった。
「……はぁ」
 ログゼはがっくりと項垂れた。
 小さな笑い声に気付いて顔を上げると、すぐ目の前に、楽しげに笑うミンリーの顔があった。ログゼは愛らしい笑みにつられて、不機嫌だった顔をほころばせた。
 そして二人は再び目を閉じる。
 ──が。
 えっちら……おっちら……えっちら……おっちら……えっちら……おっちら……。
 のろのろのろのろした足音が、徐々に近づいてくる。
 二人の世界に入っていた二人は、無粋な足音など気にも止めずに、至福の時を待っていたが、あまりに鈍いその足音にだんだん苛々してきて、ログゼはギンッ!と目を開け、ガバァッ!と背後を振り返った。
「……腰を痛めてしもたぁ」
 ラヴじいさんがそんなことを呟いて、腰に手を当てながらのろのろと去っていった。
「…………」
 ログゼはぎりぎりと歯噛みして、遠ざかってゆく老人の背を見送った。
 ミンリーはさらに笑いを深めて、目尻に涙を浮かべた。
「おかしくねぇ!」
「おかしいヨっ」
 憮然とした声に、ミンリーはなおさら可笑しそうに笑った。
「このやろ!」とログゼが冗談で掴みかかると、ミンリーは笑い混じりの悲鳴を上げながらその場で足踏みをした。
 そして幸せ絶頂なカップルは、性懲りもなく再びそういう雰囲気になるのであった。
 今度こそ邪魔する者はいなかろう。いくらなんでもそんな百発百中な……。そう思いつつ、やがて思考は高鳴る鼓動にとって代わられ、二人はただ相手を求める気持ちだけに支配された。
 ──が、二度あることは三度ある。
 ドテ……ッドテ……ッドテ……ッドテ……ッ
 ──ピタ。
 ログゼは背後を通過するその重々しい足音に敏感に反応して、殺気立った。このまま強行してやろうかとも思ったが、ミンリーの方が先に目を開けてしまったので、ログゼも仕方なく顔を上げ、積もり積もった怒りと恨みに満ちた目で、のろりと背後を振り返った。
「…………」
『ギャースッ』
 ファーの飼っている飛竜だった。
 まだ子供の飛竜は、こちらを大きな琥珀の目で見つめて一声鳴くと、再びドテッドテッと去っていった。その後を「うあー!だめだよ船の中に入っちゃー!」と大慌てでファーが駆け抜けてゆく。
「あ、気にせず続けてください!」
 と言い残して。
「…………」
 こうなりゃ、こちらももう意地だった。
 ログゼはしばしミンリーから離れると、廊下から少し引っ込んだ所にある洗面所から顔を出して、廊下の隅から隅まで人の気配がないことを確認した。
「よし」
 訳の分からぬ気合いを入れて、ログゼは再びミンリーの前に立つ。少々白けてしまったが、ミンリーの微笑みを見れば、ログゼはそれだけでもう心が熱くなるのを感じた。ミンリーもまたログゼの優しくて子供っぽい瞳を見れば同じ感情を覚えるのだった。
 二人はこつんと額と額をくっつけて、そっと手を取り合う。互いの殺した吐息を近くに感じ、否応なく気分は高まっていった。
 ──が。
 ログゼは不意に人の視線を感じて、ハッと顔を上げた。そっと背後を窺ってみる。しかしそこには誰もいない。気のせいか……ログゼは敏感になっている自分に苦笑し、自分を待って目を伏せたままのミンリーに再び向き直った。
 ──が。
「…………」
「…………」
 やはり気になって振り返ったログゼは、こっそりこちらを覗き込んでいる丸眼鏡とバッチシ視線が合ってしまった。
 丸眼鏡のシャークはしばし凍りついた後、唐突に「シャー!」と怪物だとでも言いたげに両手を持ち上げ爪を剥くと、唐突に普通の通行人に成りすまし、去っていった。ひらひらと振られた手だけが、最後に残って消えてゆく。
「……っうがぁぁぁぁ!」
 ログゼはついにぶちキレた。

「この船は、落ち着いてラブロマンスも出来んのか──────……!」

+++

 バタン!
 怒髪天を衝いたログゼは、ミンリーの腕を引いて、船長室の扉を壊す勢いで叩き開けた。
「あらいやだ。ノックもできないのかしら、このこそ泥ぼうやは……」
 しかしログゼを出迎えたのは、愛らしい船長でも、理性的な副船長でもなく、何故かいる水夫のセインであった。
 ただでさえ腹が立っているのに、思いもかけず大嫌いなセインに出迎えられ、ログゼは不機嫌度を二割増しにして、ギンッと彼を睨みつけた。
「なんでてめぇがここにいんだよ……」
 セインは窓際の作戦机に、見上げるほどの長身を預けて立っていた。手にしていた航海日誌をその辺に放り捨てると、彼はふんっと顎を反らして鼻で笑う。
「さぁー?」
 ログゼは更にムカッとして、「船長と副船長をどこにやった!答えろタコ!」と声を荒げた。と、何故か作戦机の下にもぐっていたガルライズが、顔を出して笑って答えた。
「いえす・さぁー」
「……っアホかてめぇらはー!」
 ログゼはガァッと頭を掻きむしると、ミンリーの手を引いて再び外に出ようとした。しかしその手はすかっと空を掴む。「え?」と振り返ると、ミンリーは警戒心もまるでなしに二人に近づき、「コンチワ」と声をかけていた。
 ログゼはがっくりと肩を落として、「こんちわー」「おう」とニヤニヤ笑う二人を、遠目に睨みつけるのだった。

「なぁるほど」
 無理やり事情を聞きだしたセインは、何故かひどく楽しげににんまりと笑って言った。
 寝棚に仲良く並んで腰を下ろした(下ろさせられた)ログゼとミンリーは、一方はぶすっと膨れて、一方はにこっと笑って、コクリと頷いた。
 セインが煙草にマッチで火をつけながら、クツクツと喉を鳴らして笑う。
「……なんだよ」
 不機嫌な目付きでログゼが見上げると、セインは「つまりお前らは二人きりで、じっくりとラブラブしたいわけだ。何にも邪魔されず」と今までの話を要約した。
 何か不穏なものを感じたログゼは、うんともすんとも言わずに黙りこくっていたが、その警戒も虚しく、ミンリーが素直に頷いてしまった。
 ガルライズがにこっとミンリーに笑って、セインにちらりと視線を送った。
 セインは頷き返し、がしっとガルライズの肩に手を回すと、そのまま二人で部屋の隅へと行き、時折こちらを不穏な目付きで振り返りながら、こそこそと身をちぢこませて話し始めてしまった。
 ものすごく嫌な予感に駆られたが、横に座るミンリーがワクワクと楽しげなので、彼らを止める期を逸してしまうログゼである。
「……楽しいわけ? この状況」
 こそっと耳打ちすると、ミンリーは黒目がちな瞳を輝かせて、コクコクと頷いた。
「いけないノこと、してるみたいネ!」
「……多分実際いけないこと、しようとしてると思うんだけど、奴ら」

「ラブ部屋、建造決定ー!」
 待つこと数分、セインとガルライズは肩を組みながらそんなことを言った。
「……は?」
 セインが煙草をスパスパ、うふんっと気色の悪いシナを作った。
「ラブ部屋、それは恋人たちのための部屋」
 ガルライズがその背後で、ちょうど線対照なシナをあはんっと作る。
「ラブ部屋、それは誰にも邪魔されない愛の部屋」
 そして二人手を取り合って、くるくるその場でスキップを始めた。
「スッテッキー!」
「訳わかんねぇよ!」
 至極もっともなログゼのつっこみだったが、二人はそれを無視して作戦机に走り、大きな紙を広げて顔を突き合わせて何かを話し合い始めてしまった。
 と、そこへ船長室の扉が、バンッと開けられた。
「……何やってんの」
「んん?」
 とうとう部屋の正しい住人が帰ってきたのかと、期待満面を持ち上げたログゼは、がっくりと肩を落とした。
 入ってきたのは変態科学者メルと、筋肉眼帯男ワッセルだった。
「おう、ちょうど良かった。メル、ワッセル」
 ガルライズが手を上げて、作戦机の方に二人を招いた。
「こんなもん、ちょっと作りたいんだけど……」
 作る、という言葉に反応し、船大工である二人は船長室へと足を踏み込んできた。それは同時に、あのラブ部屋建造計画への参加を意味していた。
「うわぁ、マジかよダラ金。こんなもん本気で作る気か?」
「あらあらワッセル君、弱気だねぇ。……でもさ、これをこうするとそう難しくもないと思うんだけど……」
「何言ってるのダラ! ここをこうしたら、あそこがああじゃないの! バカねここはああすると……ほらー!」
 船大工の三人はせかせかと計画を立て始める。建築のことなどさっぱりわかめなエセ水夫のセインは、話合いを三人に任せて、にやにや笑いながら船長室をガサゴソと荒らし始めた。
「……ねぇ、あのさ……メル様としてはこの中央に、回転ベッドをつけたいんだけどな!」
「回転……なに?」
「ベッドが回転するのよ! トゥーダ大陸の豪奢極まりない寝台を、どっかからかかっぱらってきて、その底にあたしが科学の力で……」
「じゃあさ!じゃあさ!回転ベッドの上に、ほら、あの、キラキラしてて回るあれ、なんつったっけ……アッシュクラースのダンスホールで見たやつ!」
「ミラーボール?」
 話し合いが順調に(?)進んでゆく。
 げんなりとしたログゼとは対照的に、ミンリーは胸の前で手を組んで、わくわくと作戦机の方に見入っていた。奴らを止めたいが止められない、止めたいが止められない、ログゼは頭を抱えて「早く帰ってきて、ラギル……」とひたすら祈るのだった。

 それから三十分ほどして、三人が「ばんざーい!」と手を振り上げた。その頃にはすっかり部屋は、暇を持て余したセインによって、嵐が通過したような有様になっていた。
「さて、では建造に取り掛かりますか」
 ガルライズが長ったらしい金髪を、額に巻いていたバンダナを解いて、適当に結い上げた。几帳面なメルがそれを無言で結いなおしてやり、そしていつもの色眼鏡を「ふふふ……回転……愛の回転ベッド……」とぶつぶつ言いながら部屋を出て行った。ワッセルがそれに続いて、「材木は武器庫ぶっ壊して使うか」とか恐ろしいことを言いながら、二人に従う。
 とっさに立ち上がって彼らを追おうとしたログゼは、セインにがしっと肩を掴まれて、再び寝棚に座らされた。
「……な!」
「おい、メイスー」
 セインがどこにともなく声をかける。ログゼがぎくっと肩を震わせるうちに、まるで煙が形を作ったように部屋の隅からメイスーが涌いて出てきた。
「あやしてろ」
 セインが、現われたメイスーに「ガラガラ」を手渡す。多分ラギルが昔使っていたやつが、船長室の隅にでもしまわれていたのだろう。
 メイスーは仮面のような氷の微笑のまま、コクンと頷きガラガラを受け取った。

 ガラガラガラガラガラガラ……。
「…………」
「…………」
 寝棚に座るカップルの前で、メイスーは膝を抱えて座り、氷の微笑を浮かべたまま、延々ガラガラを振りつづける。時折「ふふふ」と楽しげに笑いながら。
 蛇に睨まれた蛙のように、ログゼもさすがのミンリーも凍り付いて、現役暗殺者の生業につくメイスーに物静かにあやされつづけるのだった……。

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